セイギノミカタ

@udonKome

セイギノミカタ



 乾いた破裂音が空気を裂いた。

 次の瞬間、僕の胸に鈍い衝撃が叩き込まれ、次いで焼けるような痛みが全身に広がる。


「……っ」


 血潮が熱を帯びて喉へ逆流し、席と共に赤黒い飛沫が唇が噴き出した。

 肺に穴が開いてしまったのか、呼吸ができず、指先が震える。


 さっきまで、すっかり緊張と恐怖で冷え込んでいた体が熱くなったと思えばすぐに冷めていく。

 撃たれた個所を必死に抑えるも、掌の隙間からは止めどなく生暖かい液体があふれ出し衣服を赤く濡らしていく。



「……!……!!」


 僕の名前を誰かが呼んでくれている。

 だけれど、もうそれに答えることも出来ないし、視界すら暗闇に飲まれかけてきた。


 踏ん張っていた足腰が崩れ去り、その場に倒れ込む。

 周囲の爆発音も、呼び声も全て遠いものに変わっていく中で、目の前に転がったのは長年の相棒であるカメラだった。


「………紫苑…」


 最後の力を振り絞り、血まみれの手でカメラを掴む。

 すると、今までの出来事が走馬灯として蘇って来た。




 ***





「僕の夢は正義の味方になることです!」


 これを中学生の時、授業の一環で自分の夢として発表した。

 すると、誰かが吐き出した最初の笑い声に続いて、あちこちから重なるように笑い声が聞こえて来てまるで僕を囲む音の壁のようになっていたのをよく覚えている。



 これが、僕の最初の壁だった。



 正義の味方、それは弱い物や正しいものを助けるために敵と戦う勇者のことを言う。

 それを夢と名乗れるのは小学生まででそれ以降になると名乗るのが急に難しくなった。



「まだ、正義の味方なんて言ってるの?そんなの今時小学生でも言わないよ」

「…うるさい、なりたいもんは成りたいんだよ」


 授業終わり、早速僕の机の前に来てからかいに来た赤髪のツインテールの彼女は熊谷紫苑。

 幼稚園の頃から一緒で、中学三年生の今日までずっと同じクラスだったいわゆる腐れ縁の幼馴染だ。



「そもそも、アンタってなんで正義の味方になりたいんだっけ?」

「さっき発表しただろ!」

「えー忘れちゃったわ」

「聞いてなかったのかよ!」


 僕が初めて正義の味方と言うのに触れたのは小さいときに見たヒーローものだった。

 悪を倒すために戦う正義の戦士、人々を守る存在――時に自分の正義を振りかざす人とも描かれるそれを見て心が震えた。


 だけど、そこはあくまできっかけでそこから正義の味方について調べ続けた。



 そもそも、『正義の味方』が味方をする正義とは何だろう。

 一般的には人や社会にとって正しく、公平であるとされる価値や行いを指す。


 道徳的な正義、善悪の基準に基づいて『悪を罰し、善を守る』


 法律的な正義、法律に則って正義を実行する


 とにかくたくさんの正義があった。


 哲学的な正義ではかつての偉人たちはこう語った。


 プラトンは『正義とは各人が自分の役割を果たすこと』

 アリストテレスは『正義とは人に応じた適切な配分』

 ロールズは『最大多数の幸福』や『公正としての正義』



 つまりは、絶対的な正義は存在せず文化・時代・立場によって正義の形は変わっていく。

 ある人にとっての『正義』が、別の人にとっての『悪』になる可能性もあるということだ。



「ふーん、じゃあアンタはどの正義の味方をするの?」

「どの正義の味方もしない。そもそも、僕はまだ正義を見つけられてない」

「って、じゃあどうやって正義の味方になるのよ」


 彼女の言う通り、正義がなければ正義の味方にはなれない。


「だから、正義を探しに行く必要がある」

「正義ってどこにあるのよ」

「どこにもないかもしれない。だから、在りそうな場所に行ってみるよ」


 彼女は、支離滅裂なことを言っている僕を見て首を傾げていたが、将来のことは既に決めていた。



 僕はそのまま夢を抱えて高校生になった。


「ねぇ、アンタ今日暇?」

「今日は学校から直接バイト先まで行って夜まで働くけど、どうしたの?」

「べ、別にどうもしてないわ。ただ、アンタが暇なら一緒に帰ってあげようかなと思っただけよ!」


 高校生になっても腐れ縁は健在で、紫苑はいわゆる読者モデルと言うのになったらしい。

 彼女曰く、最近は人気が出始めて収入が増えて専属モデルやタレントにならないかと声がかかっているとのことだ。



「ていうか、アンタ昨日も夜までバイトって言ってたわよね。なんでそんなに入ってるわけ?家が貧乏ってわけじゃないでしょ」

「正義の味方になるために金が要るんだ」

「またそれ?……まあ、いいわ。なら、いつバイトがないか教えなさい。その日に出かけましょう」

「まあ、いいけど…」


 僕の計画だと正義の味方になるためにはとにかく金が要る。

 なので、実際はバイトの休みなんて存在しなかったのだが、彼女の無言の圧に負けて渋々予定を開けることになった。


 その日から、週一で紫苑と遊ぶようになった。

 と言うのも、週7でバイトしていることが彼女の経由で両親にバレて週7から勉強をちゃんとするという約束付きで週6にせざるを得なかったのだ。



「アンタ、何だか最近英語の成績だけ上がってない?」

「まあ、正義の味方になるために必要だから。ひたすらバイトの合間を縫って勉強してるよ。場所によっては、外国人もいるからね。先生が常にいる気分だよ」

「ふーん、ならあたしにも教えなさいよ。って、別にアンタの家で一緒に勉強したいわけじゃないんだからね!」

「なんでそうなるんだ……適当に教室で教えるよ」


 ちなみに学習しているのは英語だけじゃなくアラビア語、ウクライナ語、ビルマ語などなど死に物狂いで習得している。

 代償として、英語の成績は5と体育の成績は5になったが他の成績が全部2になった。



「それで、進路はどうするのよ?」

「……大学には行かない」

「は?どういう事よ、そしたら将来のことはどうするのよ。…あ、あたしの収入を頼りにされても困るんだからね!」

「なんで僕が紫苑の収入を頼りにするんだ……言っただろ、僕は正義の味方になる。だから、高校卒業したら家を出てバイトして外国に行く」


 確かに、紫苑は最近専属モデルとしてもタレントとしても頭角を現しており、頼れるだけの収入はあるだろう。

 だとしても、僕が頼ることはないだろうしどっちみちこの腐れ縁も高校生のうちが最後だろう。



「が、外国って……アンタ、何をするつもりなのよ!」

「ずっと言ってるよ…正義の味方になる。正義を見つけるために外国に出て“戦場カメラマン”になる」

「……はっ?」

「ずっと、こうしようと思ってた。親からはめちゃくちゃ怒られたし、勘当されることが決まったけど…説得はできた。後は、もう少しお金を溜めれば準備が終わる」


 正義の味方になるにはどうすればいいかとずっと考えていた。

 この世界には味方すべき正義がたくさんあってどれが正解か間違いかすら存在しない。


 なら、探すしかない。

 日本じゃダメだ、正義が多すぎて見つけるどころか迷ってやがて僕も腐ってしまう。


 だから、極端な場所に身を置くべきだと思った。

 それが、絶望、恐怖、怒り、悲哀、憎悪――そういったものが満ちた場所にこそ、追い詰められた人間こそ正義を求め、つかみ取ることができると思っている。



「ダメよ……」

「え?」

「アンタは、アンタはあたしとずっと一緒にいるのよ!なのに、そんな夢のために“戦場カメラマン”になるなんてふざけてる!!」

「…僕はふざけた覚えはないよ。確かに、命がけの仕事だよ。でも、撮った一枚が誰かを救える職業でもある。……というか、僕がどんな進路に進もうが紫苑には関係ないだろ」


 僕と紫苑の間に存在するのはあくまで腐れ縁の幼馴染と言う関係だけ。

 確かに普通の友人よりは仲が良いが、進路に両親ならまだしも彼女がどうこう言う必要なんてないはずだ。



「か、関係あるに決まってるじゃない!!あたしは、アンタのことが好きなんだから!!」

「…え、は…へ?」

「ッ……くたばれ朴念仁!!ずっと好きだから、死んでほしくない危険なところに行ってほしくないって思うに決まってるじゃない!!」

「……そ、っかぁ」


 熱い涙をこぼしながら、僕を睨みつけながら彼女はそう言い放った。


 好きと僕に言った、決して言い間違いなどではなく。

 いつから?なんて野暮な質問だろう、きっと右ストレートが僕の顎にお見舞いされることだろう。



「それで、返事を言いなさいよ……」

「僕は……」




 ***




 高校を卒業して一年と少したった。

 木の葉生い茂った木々も少しずつ枯れて行って、もうすぐ紅葉の季節がやってくる頃、僕は相変わらず独り身でバイト生活を続けていた。



「うわぁ……すごいな、こんな大スクリーンに」


 紫苑は高校卒業後はどんどん躍進して行って今じゃトップモデルとトップタレント、どちらの称号でも呼ばれる芸能人になっていた。

 ちなみに、僕とは高校から疎遠になってついに腐れ縁の幼馴染の関係も終わったというわけだ。



「…さて、ここら辺だっけ」


 と言っても、今日久しぶりに紫苑に会いたいと連絡が来たのでバイトを休んで待ち合わせをしていた。

 すると、すぐに大きな帽子と黒サングラスにマスクをつけたはたから見たら不審者としか見えない人が近づいて来た。



「あたしよ、ほら行きましょ」

「ああ、行き先聞いてないんだけど、どこに行くんだ?」

「いいから、ついてきなさい」


 久しぶりの再会だというのにやたら淡白な会話しかしないことに違和感を抱きながら、言われるがままに車に乗せられ、彼女の運転でどこかに向かう。


「……ここどこ?」

「あたしの今の家よ。実家だと色々不便でね」


 あまり詳しくないが、確かに紫苑の実家周辺はあまり利便性が良くない。

 仕事が忙しくなったなら引越しもするべきなんだろう。



「ほら、適当に上がって。あたしは、お茶の準備してあげるから」

「僕も手伝うよ、悪いし」

「いいのよ、家主の言葉には大人しくしたがったと来なさい……」

「…?わかった」


 何故だかわからないが、変装を解いた彼女は画面越しに見るようにずっと綺麗だったが表情は暗いままだった。

 言われた通り、適当に座ってくつろいでいると彼女がキッチンからお茶を持ってきてくれた。



「それで、急にどうしたの?会いたいなんて」

「別に何でもいいじゃない……それで、順調なの?正義の味方ってのは」

「ああ、ちょうど再来月くらいには準備が整いそうなんだ。そしたら、まずはパレスチナかな、他にも行くから結構長期になると思う」


 時間をほぼバイトに突っ込んできたかいもあってか無事に目標金額に届きそうだった。

 そして、熱意を買ってもらってか今回の遠征で成果を出せば出版社との契約も結べそうだった。


「ッ……そう、ほらお茶飲みなさいよ。いい茶葉使ってるのよ」

「へぇ~言われてみれば美味しそうに見えてきた」


 早速、勧められたお茶を一気に飲み込むと確かに僕が家で使っているようなお茶のパックとは格の違いを舌は感じ取った。

 しかし――



「‥‥‥なんか、ねむい」


 飲んだ途端に頭に重りが付いたのかと思うほど振らつき出した。


「そう、なら寝ちゃいなさい。後は、あたしが面倒見てあげるから」

「そっか……」


 僕は、彼女の言うままに重い瞼を閉じ切ってしまった。




 ***




 その日のことはあまりよく覚えていない。

 ただ、僕に誰かが跨っていたという事と、何だか気持ちよかったことだけは記憶にうっすら残っている。


「…結局、ずっと寝てただけだったなぁ」


 あのお茶を飲んだ後すっかり寝てしまった僕は紫苑に介抱され、結局目覚めた時には真っ暗になっていた。



「別にいいわよ。ほら、これあげるわちょうど誕生日でしょ?」

「あ、カメラ!?しかも、僕が欲しかった奴」


 戦場では、何があるかわからないため耐久性が高く、粉塵防滴を持っている奴を買いたかったのだが、それ相応に高いので多少妥協しようかなと思っていたので助かるなんてものじゃない。



「ふふっ、喜んでくれてよかったわ。それじゃ、頑張りなさい」

「うん、これを紫苑だと思って頑張るよ!」


 カメラをもらった僕は明日もバイトがある僕は足早に彼女の家を後にした。




 ***




(紫苑……)


 結局僕は、正義の味方にはなれなかった。

 アニメや特撮のように特別な力のない人間の最期なんてこんなもんなんだろう。


 紛争にはどこにも正義はなくて、ただ憎しみが形を成して殴り合っているだけだった。

 きっと、人間が人間である限り正義なんてどこにもないんだろう。



(僕が正義の味方にはなれなかったなら……せめて、紫苑の味方に…彼女が……)


 彼女と最後に会ったあの日のようにゆっくりと瞼を閉じていく、もし高校生の時彼女の告白を受けれていればどんな人生になってのだろう。


 もしかしたら、語学の知識を生かして翻訳家にでもなっていたかもしれない。

 でも、そんなもしもはもう訪れないだからせめて最後に――



(紫苑が幸せでありますように……)




 ***




 ハイライトの無い瞳で、自身のお腹を愛おしそうに撫でる。

 最初は監禁してやろうと思っていたが、モデル業もあるあたしが人一人を監禁するのはリスクが高すぎる。


 だけど、愛で生まれた子供なら適当な理由で活動を休止して産んでいいと事務所にも許可をもらった。


「あたしじゃきっとアイツは止められない。なら、あたし“達”であの人を繋ぎとめようね」


 再来月に彼は日本から出ていく、なら帰って来た時に大きくなったお腹を見せればもう“正義の味方”なんて夢を追わないでくれるだろう。



「言ったわよね、あたしとアンタはずっと一緒だって」


 ほの暗い笑みを浮かべながら、あたしは帰って来たアイツの表情を妄想し思わずにやける。

 戦場カメラマンなんか辞めさせて一生あたしの隣で幸せに暮らす。



「…楽しみね。早く帰ってこないと、生まれちゃうわよ」



 ゆっくりと空を仰いで、同じ空の下にいる彼を想うのだった。


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