『梁は燃えているか』解説

ヘツポツ斎

『梁は燃えているか』解説

 ついに出ました、『宇宙大将軍侯景SFアンソロジー 梁は燃えているか』! 記念に自作解説をこのカクヨムで公開します!


ちなみに本全体に関するレビューはこちら。

https://note.com/5ko16koku/n/na9d7e7f3847a



 さて、当作の載った本。その発端は2024年10月2日、編者お二方のうち中央公論新社の「とうきち」様が編集系の部署から異動されることになり、「大恵和実」様がそのあたりにまつわるご挨拶をなさっていた際のやり取り、


【between:大恵和実】

中央公論新社で、『中国史SF短篇集 移動迷宮』『中国女性SF作家アンソロジー 走る赤』『日中競作唐代SFアンソロジー 長安ラッパー李白』という前代未聞の中国SFアンソロジー3冊を、出版までこぎつけてくれて本当にありがとうございます!!とんでもない企画用意して待ってるので、またいつか編集職に!

https://x.com/betweendice/status/1841267539156115614


【とうきち】

いやー、私たちいい仕事をしてきましたね!笑。大恵さんはじめ、この3作に関わってくださった全ての方に大感謝です。

「とんでもない企画」とは「宇宙大将軍侯景SFアンソロジー 梁は燃えているか」とかですか?(ニッチに走るタイプ)

今後もお末永く付き合いくださいませ!

https://x.com/toukichi9apr/status/1841279073152372953


【between:大恵和実】

『宇宙大将軍侯景SFアンソロジー 梁は燃えているか』???

私の想定以上にやばい企画をありがとうございます!!多分、需要も供給も満たせぬ、同人誌でも無理な企画ですね。だからこそチャレンジしたい!いつの日にかぜひ!

https://x.com/betweendice/status/1841293307416301733


 ……が発端となり、翌日にはもうあらかた寄稿者の声上げが終わった、と言う、もう何と言うか立ち上がりから企画確定までが異常なスピードの作品でした。で、ご覧の通り「宇宙大将軍侯景SFアンソロジー 梁は燃えているか」と、この段階での名前がそのまま作品タイトルになってます。なぜか。


 俺が本当に「梁は燃えているか」で作品を提出しちゃったからです。いえーい。


 でまあ、「梁を燃やす」と言うことで真っ先に思いだした人がいたんですよね。秦の穆公です。梁を滅ぼしてます。ということは梁を燃やそうとしたら穆公に先にやられてそれに呆気にとられる侯景とか最高じゃない? が、はじめに浮かんだネタでした。実際のところ、とうきち様のポストを引用してこんなことをほざいていました。これはひどい。


【ヘツポツ斎】

これはひどい

たぶんうっかり誰かが秦の穆公に燃やさせる

https://x.com/HEZPOZ/status/1841320310257459361


 するとそんな俺をぶん殴ってくださった方がいらっしゃいました。相互のKG1045さまです。こんなツイートが飛んできます。


【KG1045】

梁は水没(BC225年)して滅んだし、梁は足が背中から出ている牛というクリーチャー見て病没(BC144年)したし、色んな梁が居ますわね

https://x.com/KG1045/status/1841818216353694110


 そこでふと思いついたんです。「梁を燃やしたやつ大集合させりゃ面白くね?」って。と言うわけで、今日は発売日当日ですし、あんまりネタバレらしいネタバレというのもよくないので、巻末解説で大恵和実さまが展開してくださった「梁を燃やしたみなさま」の拡張版をこちらでご紹介! やったぜ。


 まずこれを書いておきましょう。調査方法は中央研究院「漢籍全文資料庫計畫」

https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihp/hanji.htm

にて「梁王」の記述を検索、そして「燃えた」人をピックアップ。以下の人物が発見されました。


 -641 秦穆公→梁

 -225 王賁→魏假

 -193 劉邦→彭越

 -180 周勃→呂産

 -144 怪異→劉武

 10  王莽→劉音

 29  呉漢→劉紆

 417 劉裕→司馬珍之

 549 侯景→蕭衍

 549 侯景→蕭綱

 551 侯景→蕭棟

 554 于謹→蕭繹

 558 陳覇先→蕭方智

 621 李孝恭→蕭銑

 621 李子通→沈法興

 628 柴紹→梁師都

 761 崔光遠→段子璋

 923 李存勗→朱友貞

 1234 スブタイ→完顔従恪

 1382 傅友徳→バツァラワルミ

 1629 朱燮元→奢崇明


 いや多いよ! 今回の企画で一作あたり最大一万文字の文字制限があるのもそうですけど、ビジュアル的な差別化要素の特にない小説でこの数は無理だよ! と言うわけで本編ではぐっと数を減らしたメンツでお届けしたわけです。


 ではここから、各「梁を燃やした人たち」を紹介していきましょう。



-641年 秦穆公→梁伯。

 春秋左氏伝僖公十九年。梁を滅ぼしたのだが、それは梁伯が土木工事を好んで行い、民より愛想を尽かされたためだ、という。なお春秋本体に記述はなく、公羊伝および穀梁伝も「いや秦が滅ぼしたって言うより梁が自滅したって感じですよね?」とコメントしている。


-225年 王賁→魏(大梁)。

 史記秦始皇本紀。秦王政二十二年、王賁が魏を攻めるに当たって黄河の川を引いて魏の都である大梁にぶつけ、城を大破させた。たまらず魏王魏假は降伏を願い出た。


-193年 劉邦→彭越。

 史記高祖本紀。劉邦は高祖十一年の春に韓信を誅殺した後、夏に梁王に封じた彭越が叛旗を翻したため鎮圧した。劉邦は一度は許す腹づもりだったが結局誅殺した。その代わりに子の劉恢を梁王に封じた。ただし劉恢はのちに呂雉が権勢を握った際に廃された。


-180年 周勃→呂産。

 史記呂太后本紀。劉邦亡きあと自身の親族を次々王位につけた呂雉だったが、その呂雉が死ぬと後ろ盾を失った呂氏諸王が謀反の動きを見せはじめる。当時の武の総取締だった周勃は文帝を担ぎ出し、呂氏梁王の呂産を討伐。再び天下を劉氏のもとにに復する功績を挙げた。


-144年 怪異→劉武。

 漢書文三王伝。呂氏が滅んだ後に改めて梁王に封じられたのは文帝の息子、劉武。劉邦の子孫たちは他にも各地に王として封じられていたのだが、それぞれの王たちの間には徐々に不満が募り、呉楚七国の乱に繋がる。ここで鎮圧側に回った劉武は宗室の重鎮として重んじられることになるのだが、景帝よりは疎まれるようにもなっていく。そんな劉武の元に足が背中の上に出ている牛が献上された。「頭(皇帝)よりも四肢(王)が高みにある」と言う寓意だ。嫌な予感を覚えた劉武は間もなくして死んだ。


10年 王莽→劉音。

 漢書文三王伝。劉武の子孫が代々梁王の座を継承していったが、王莽の時代の梁王である劉立がだいぶやんちゃであったため王莽により廃され、追放。自殺した。そこで王莽は別口の劉武の子孫で沛郡で小役人をやっていた劉音を引きずり出して梁王に仕立て、自分が簒奪をなすと劉音から梁王の座を廃した。たぶん王莽は自分の親族を梁王につけていそうだがそこは不明。


29年 呉漢→劉紆。

 後漢書劉永伝。上で自殺した劉立の孫。父親は光武帝に対抗した群雄のひとりである劉永。王莽を倒した更始帝より劉永が梁王に封じられ、光武帝と対峙するも配下に殺される。このため劉紆にお鉢が回ってきた。もちろんお飾りであり、呉漢率いる後漢軍に攻められ敗北、やはり部下に殺された。


417年 劉裕(劉宋武帝)→司馬珍之。

 晋書元四王伝。司馬懿の八男である司馬肜が晋のはじめの梁王だったが断絶、東晋元帝の孫である司馬㻱が継承した。司馬珍之はさらにその孫。のちに東晋を簒奪する劉裕の属官としてつけられ、劉裕が長安奪還の北伐作戦を敢行する中で唐突に殺された。晋書は「劉裕が宗室の力を弱めようとしたのだ」と断言している。正直このノリだと道中で司馬珍之がうっかり病死しちゃっただけなんじゃねえのって思ってる。


549年 侯景→蕭衍(梁武帝)。

549年 侯景→蕭綱(梁簡文帝)。

551年 侯景→蕭棟(梁廃帝)。

 我らが侯景さんのおいた。梁書侯景伝。北朝から梁に帰順しようと思ったらむしろ北朝への供物にされかけたため怒って建康を襲撃、建康城を陥落させ、武帝を飢え死にさせ、簡文帝と廃帝を立てては殺し、自身が漢の皇帝を名乗ったがまもなくして敗死した。


554年 于謹→蕭繹(梁元帝)。

 梁書元帝本紀、資治通鑑巻165。武帝蕭衍の息子で、父親のことをクソオヤジと思っており、取って代わらんとしていた。侯景が都合よくオヤジを殺してくれたのでなんとかやろうとしたが上手くいかず、西のほうで皇帝を名乗るも北朝の西魏の掣肘下にあった。更にはその西魏にもケンカを売ったため怒った西魏より于謹が派遣され追い詰められる。万事窮した元帝は「どんだけ読書してもこれが結末かよ!」と、自身が集めた蔵書四十万巻を焼き払った上で囚われ、殺された。降るのは構わんが本を焼くな(憤怒)。


558年 陳覇先(陳武帝)→蕭方智(梁敬帝)。

 陳書高祖本紀。侯景の乱を勇将王僧弁とともに平定したのだが、その後西魏より簒奪した北周、東魏より簒奪した北斉とのパワーゲームに巻き込まれ王僧弁と対立。勝利を収めて蕭方智を擁立の上簒奪、皇帝に即位するのだが、王僧弁の残党、およびその後背勢力であった北斉に苦しめられ続け、即位後間もなくして死亡した。


621年 李孝恭→蕭銑。

621年 李子通→沈法興。

 旧唐書宗室伝、李子通伝。前者は唐の宗室であり、隋の天下統一の崩壊後に立った群雄のうち南朝梁の末裔に当たる蕭銑が打ち立てた梁を滅ぼした。後者は群雄のひとりであり、楚王を自称した。陳の武将であった沈法興が自立して梁王を名乗ったところを撃破、滅ぼした。ただし自身もまもなく唐軍に敗北、長安に連行され、処刑された。


628年 柴紹→梁師都。

 旧唐書梁師都伝。隋末群雄、最後の一派の首魁。ここまでの人物がだいたい「梁のエリア」に封じられたり割拠したりであったのに対し、この人物だけは「姓が梁なので国号も梁」と潔い。なお勢力範囲は梁よりも遙かに北である。北方騎馬民族の突厥と結び柴紹率いる唐軍に対抗しようとしたが、配下勢力をまとめきれず殺された。


761年 崔光遠→段子璋。

 資治通鑑巻222。761年は安史の乱の終盤、安禄山の勢力を接収した史思明が殺された年。四川盆地北東部、「梁州」と過去に呼ばれた地にて唐に叛旗を翻した段子璋を、崔光遠が討伐した、と載る。このくらいしか情報がないので「よくわからないけど起こって鎮圧されたらしい」くらいしか言えない。


923年 李存勗(後唐荘宗)→朱友貞(後梁末帝)。

 旧五代史末帝本紀。後梁を立てた朱全忠を殺した兄の朱友珪を殺して即位した、のはいいのだが、父のライバルであった李克用の息子、李存勗が異常に強かったためまるで相手にならず瞬く間に追い詰められ、自決した。朱友貞の死体を見た李存勗は涙したと言うが、一方で李存勗は演劇が大好きであったとも言うので、どこまで本気の涙であったかはよくわからない。


1234年 スブタイ→完顔従恪。

 金史衛紹王六子伝。モンゴルによって汴京にまで追い詰められた金の諸王のひとりなのだが、梁王に封じられたのは殺された当年、しかも汴京を明け渡すべく暗躍した将軍の崔立によってである。一方で汴京を攻めるスブタイはここまでの戦いに金軍により大きな損害を受けていて気が立っていたため汴京を落としたら金人を皆殺しにしてやろうと考えていた。そこに耶律楚材の取りなしがあり、殺されるのは金の王族、つまり完顔従恪をはじめとした主要人物のみとなりました。よかったね(?)。


1382年 傅友徳→バツァラワルミ。

 明史太祖本紀。元の封王として雲南、つまり中国南部に封じられたバツァラワルミは、任地での善政を布き、領民から慕われていた。そうした中で明軍が勢力を広げて蜀を手中に収め、バツァラワルミは元本国から寸断される。朱元璋はバツァラワルミの高名を聞き投降を求めるのだが、決して折れる気がないと悟り、ついに名将の傅友徳を派遣、バツァラワルミ軍を打ち破り、自殺させた。


1629年 朱燮元→奢崇明。

 明史四川土司伝。明末、後金、すなわちのちの清と明が戦っているさなか、四川で起きた大規模反乱の指導者が奢崇明だった。明による四川土着人たちへの統制が緩む中、それでも明朝は奢崇明に土着民を率い後金との戦いに出るよう命を下した。このため奢崇明は決起、成都を襲撃。大梁王を名乗ったが、むしろ朱燮元に跳ね返されるどころか討伐された。



 こうした人物たちが所狭しと暴れ回る拙作『梁は燃えているか』、楽しんでいただければ幸いですよ!



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