第29話 余燼の新生

氷室晶の懐は、広く、温かかった。篠塚澪はその胸に凭れ、安定した鼓動を聞き、張り詰めた神経がゆるむのを感じた。涙はなおも止まないが、もはや恐怖ではなく、途方もない安堵と、切ない高揚に満ちていた。五年という歳月、孤軍奮闘で築き上げてきた心の防壁が、この瞬間、完全に崩れ落ちた。


晶は彼女の頭頂に顎を預け、緩やかでありながら確固たる腕で包み込んだ。言葉はない。ただその体温と鼓動が、澪の激しく揺れる感情を静かに鎮めていく。

やがて、彼女の嗚咽が収まり、微かな啜り泣きだけが残った。晶はそっと彼女を離し、泣き腫らした顔を覗き込む。指先で頬の涙痕を拭うその動作は、依然としてぎこちなさを残しつつも、かつてない集中と慈愛に満ちていた。


「すまない」

彼の声は低く、重く響いた。

「五年前のこと、そしてこの五年間、すべてに」

この遅れてきた謝罪が、澪の心の最後の錠を外した。彼女は首を振り、声を詰まらせて言う。

「……もう、いいの」

過去は過去だ。憎むべき相手を間違え、恐れるべき相手を誤り、五年もの歳月をすれ違いに費やした。真実は残酷だが、それこそが、終わりのない猜疑と苦痛からの解放だった。


「もう、過去にはさせない」

晶の指が彼女の頬を撫でる。その言葉は平静でありながら、揺るぎない決意に満ちていた。


ドアが微かに開き、コウが小さな頭を覗かせた。

「ママ、どうして泣いてるの? おじさんが、ママをいじめったの?」

澪が慌てて涙を拭うより早く、晶はコウを抱き上げた。彼は小さな体を膝の上に乗せ、澪と向き合わせる。

「いじめていない。パパが……ママを怒らせてしまったんだ」


「パパ?」

その呼称が晶の口から発せられた時、澪とコウは同時に息をのんだ。晶は子供の純真な眼差しを受け止め、厳粛に、そして明確に答えた。

「ああ。私がパパだ」


コウの小さな口が「O」の形に開いた。彼は晶を見つめ、そして澪を見る。澪は強く頷き、声を震わせて言った。

「そうよ……彼が、パパなの」

コウの顔に、衝撃から、やがて歓喜の色が咲き誇った。彼は晶の首に飛びつき、興奮して叫ぶ。

「パパ! 僕のパパなの?!」

その無邪気な呼び声は、温かな光のように、部屋に残る最後の冷たさを払拭した。


晶の体が微かに硬直する。すぐに、彼はその小さな体を強く抱き締めた。顔をコウの柔らかな髪に埋め、しばらく顔を上げようとしなかった。澪は、彼の広い肩がかすかに震えるのを見た。彼女の胸がきゅっと締め付けられ、また涙が溢れた──今度は、喜びの涙だった。彼女は手を伸ばし、この世で最も大切な二人の男を、しっかりと腕の中に抱きしめた。

長い別離と誤解を経て、三人はついに、一つの家族として結ばれた。


あの夜、晶は主寝室に残った。何もせず、ただ静かに彼女を抱きしめた。澪は五年ぶりに悪夢なしで、朝まで深く眠った。


それから、多くのことが静かに変わった。

晶は夕食には必ず帰宅し、ぎこちなくもコウに絵本を読み聞かせた。澪を対等なパートナーとして扱い、その意見に耳を傾け、判断を尊重した。母の監視は保護へと変わり、晶は悠斗を権力の座から追放し、華蓮の一族の勢力を削いだ。彼は言葉にしないが、確実に彼女の過去の影を断ち切り、未来への道を切り拓いていた。


澪の心は、そんな穏やかな日々の中で、温かな確かなもので満たされていった。激しい憎しみは灰燼と化し、その灰の中から、新たな命が静かに芽吹いていた。


一ヶ月後、「涅槃」と氷室グループテクノロジーによる新作発表会。

チーフデザイナーとしてスポットライトを浴びる澪は、自信に満ちた態度で「流光」シリーズを披露した。壇下の最前列、晶の視線は常に彼女を追い、隠しようのない賞賛と誇りをたたえていた。


祝賀会で人だかりを掻き分け、晶は彼女の傍らに立った。自然に彼女の腰を抱き、周教授にグラスを掲げる。

「お疲れ様でした、周先生」

「とんでもない。リネア様の才覚とリーダーシップによるところが大きい」

「うむ、分かっている」

晶は澪を見やり、口元にかすかな笑みを浮かべた。その口調には、当然の所有意識と、同じ高みに立つ者同士の誇りがにじんでいた。


誰も見ていない隙に、彼は彼女の耳元に唇を寄せ、息を潜めて囁いた。

「氷室の奥様、今夜は美しい」

澪の心臓が高鳴り、耳の付け根が熱くなった。


マンションに戻り、コウが眠りについた後、晶は澪の手を取って窓辺へ導いた。眼下に広がるのは、無数の星々のようにきらめく都会の夜景。

彼は後ろから彼女を抱きしめ、囁くように問いかけた。

「覚えているか。戻ってきた時、お前は何と言った?」

澪は息をのんだ。

「『本来、自分に属するものをすべて取り戻す』と」

彼の腕が強く締まった。

「今、取り戻したか?」


澪は振り返り、彼の深い瞳を見つめた。そこには窓の外のきらめきと、彼女自身の姿が映っている。彼女はその真意を悟った。

彼女が求めていたのは、尊厳でも復讐の果実でもなかった。いつの間にか、求めていたすべては、この手の中に確かにあったのだ。


彼女は手を伸ばし、彼の頬を撫でた。目には涙を浮かべ、口元には明るい笑みをたたえて。

「ええ、取り戻したわ」

誤解された真実と、遅れてきた真心と、そして──完全な「家族」を。


晶は深く彼女を見つめ、瞳の奥の激しい渦が、深く静かな愛へと変わっていくのを感じさせた。彼は顔を寄せ、彼女の唇を優しく覆った。

その口づけは、もはや探り合いでも奪取でもなく、慈しみと約束、そして失くして再び得たものを燃え上がらせるような、激しい愛情に満ちていた。


窓の外は星がきらめき、窓の内には春の気配が満ちている。

過去の灰燼は散り、彼らの物語は、新たな未来へと静かにページをめくった。

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復讐の炎に身を焦がす私を、冷徹な氷室の叔父様は甘く、深く、掌中で溺愛する 朧月 華 @Ayame_T1

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