【かわいい】いじめを支える「かわいそう」という欲望

晋子(しんこ)@思想家・哲学者

かわいそうな人はかわいい人

人は「かわいいもの」を好みます。小さな動物や赤ん坊を見て思わず顔がほころぶのは、人間に本能として備わった感情だからでしょう。弱くて守ってあげたい存在、あるいは愛らしくて目を離せない存在を見たとき、人は安心し、幸福感を抱きます。この「かわいい」という感覚は人間にとって自然であり、文化を超えて普遍的です。しかし同時に、「かわいそう」という感覚もまた人の心を捉えます。苦しむ姿、孤独な姿、無力で気の毒な姿を見たとき、人は同情したり、助けてあげたいと願う一方で、その状態に心を奪われて目を離せなくなるのです。


興味深いのは、この二つの感情が実は同じ語源を持っているという点です。もともと「かはゆし」という古語から派生したもので、「相手を直視できないほど心を動かされる」という意味が根底にあります。つまり「かわいい」も「かわいそう」も、人がある存在に強く惹きつけられ、心を揺さぶられてしまう状態の異なる表れにすぎないのです。


この二つの感情が学校や職場といった人間社会に持ち込まれると、そこに独特のねじれが生まれます。人はかわいい存在を見ていたい、そばに置きたい、愛でたいと願います。しかしその一方で、かわいい存在は嫉妬の対象にもなり得ます。人気者や美しい人、才能のある人は「かわいい」と感じられるほどに人の注目を集めますが、その存在を独占したい、あるいは引きずり下ろしたいという欲望が働きやすいのです。こうして「かわいい人」が標的にされることがあります。


一方、「かわいそう」と見られる存在もまた注目を集めます。孤立している人や体力の無い人、成績の悪い人などは「気の毒だ」という視線を向けられると同時に、集団の中で一種の役割を背負わされます。誰かがかわいそうであることによって、周囲の人々は自分がその立場にないことに安堵し、優越感を覚え、あるいは心の中で「かわいそうな人がいるからこそ、私は安心できる」と無意識に感じます。ここで重要なのは、こうした「かわいそうな役割」が多くの場合、意図的に作り出されているということです。


学校や職場でいじめが生まれるとき、誰かが「いじめられ役」にされてしまうのは偶然ではありません。集団の安定のために、無意識のうちに「かわいそうな人」を用意する構造が働いているのです。人々は「かわいい存在」を求めながら、同時に「かわいそうな存在」を必要としているとも言えます。どちらも人の心を強く揺さぶるからこそ、集団は誰かにその役割を担わせ、安心や結束を得ようとするのです。


いじめの傍観者が動かないのも、この心理と深く関わっています。助けたいと思いながらも、その「かわいそうな状態」から目を離せず、結果的に何もしない。むしろ「かわいそう」という状態を観察することで、自分の立場を確認し、安心を得る。これは人間が「かわいい」「かわいそう」に依存してしまう感情の裏面です。つまりいじめの現場では、加害者だけでなく傍観者すらも「心を奪われた観客」として、その構造を支えてしまうのです。


ここまで見ると、「かわいい」と「かわいそう」という感情がいかに人を操りやすいかが分かります。人は自分でも気づかぬうちに、この二つの感情に支配され、集団の中での行動を選んでしまうのです。かわいい人を妬んで引きずり下ろす、かわいそうな人を作り出して安堵する、かわいそうな状態を眺めて何もしない。これらはいずれも、根底に「心を奪われたい」という欲望があるからこそ生じるのです。


しかし、この構造は非常に危ういものです。なぜなら、いじめがなくならないのは、単なる加害者の悪意だけが原因ではなく、人間が持つ「かわいいものを見たい」「かわいそうなものを見たい」という普遍的な欲望が絡んでいるからです。つまり、いじめは個人の性格の問題ではなく、人間社会そのものに組み込まれた構造的な現象でもあるのです。


では、この構造からどうすれば抜け出せるのでしょうか。第一に必要なのは、「かわいい」「かわいそう」という感情が自分の行動を左右していることを自覚することです。感情そのものは自然で避けられませんが、それに流されて行動してしまうかどうかは別問題です。かわいそうな人を助けるのではなく眺めることで安心していないか、かわいい人に嫉妬して攻撃していないか、自分を省みる視点が欠かせません。


また、集団の中で「かわいそうな役割」を押し付ける構造そのものを見抜く必要があります。誰かを犠牲にして安定を保つ集団は、一見まとまっているように見えても、実際には不健全で脆弱です。人間は「かわいい」「かわいそう」に依存せずとも、互いを尊重し合うことで結束することができるはずです。その可能性を信じて行動することこそ、いじめを根本から解体する唯一の道です。


結局のところ、「かわいい」と「かわいそう」は人間の心を強く揺さぶる力を持ち、その力が人間社会の中で悪用されるとき、いじめという形で表れてしまうのです。このことを理解するだけでも、私たちはいじめを「個人の悪」ではなく「人間の感情の歪んだ使われ方」として捉え直すことができます。そして、その認識こそが、いじめを終わらせるための第一歩になるのではないでしょうか。

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