エピローグ

疾風の凪ぐ時

 世界の記憶を巡る戦いが終わり、大陸から偽りの物語が消え去った。

 人々は痛みを伴うが確かな自分たちの歴史を取り戻し、その大地を踏みしめて、未来へと歩み始めていた。


 カイル・ヴァーミリオンは、その類稀なる才覚と、友と共に国を救ったという揺るぎない実績をもって、エレジア王国史上最も名高い宰相として歴史にその名を刻んだ。

 彼は執務室の椅子から大陸全土を見渡し、二度と偽りの物語が人々を惑わすことのないよう、公平で誠実な政治を生涯貫いた。

 窓から差し込む西陽が、かつて友と交わした約束の星を思い出させる度、彼は遠い空にいる友の幸せを静かに願うのだった。


 リィナ・シルバーアッシュは、宰相補佐官の地位を一度は受けたものの、その本分が王都のまつりごとにはないことを自覚していた。

 彼女の力は、大地の声を聞き、人々の声を聞き、国と国とを繋ぐことにある。

 彼女は自ら願い出て王国の外交官の職務に戻り、戦乱の傷跡が残る国々を巡った。

 地脈を癒し、人々の心の声に耳を傾ける彼女の姿は、やがて大陸全体の融和を象徴する存在として、多くの民に愛されることとなる。


 そしてアリア・ローウェルは、王立記録院から提示された全ての地位を、微笑みと共に固辞した。

 彼女の使命は、書庫の奥で過去の記録を管理することではない。

 今を生きる人々の物語を、そして、愛する人の隣で未来の物語を、その目で見届け、紡いでいくことだと決めたからだ。

 歴史の記録者として、そして一人の女性として、リアムの新たな旅に同行することを選んだ。


 リアムはアリアと共に、再び自由な旅に出た。

 もはや彼は、過去の罪に苛まれる孤独な放浪者ではなかった。

 隣には、彼の全てを受け入れ、支えてくれるアリアがいる。

 時には彼女の探求心に振り回され、時には二人で訪れた街の祭りにはしゃぎ、時には静かな森で焚き火を囲みながら、他愛もない言葉を交わす。

 疾風と謳われた剣士の旅路は、どこまでも穏やかで、温かい笑いに満ちたものとなっていた。


 決戦から、数年の歳月が流れた。

 すべての始まりの地であるストーンハート領を見下ろす丘の上は、柔らかな風が吹き抜け、眼下には豊かな緑の絨毯が広がっている。

 その風に、若草の匂いと、人々の穏やかな暮らしの音が混じっていた。

 カイルとリィナは、旅の途中でこの地を訪れたリアムとアリアと、約束の場所で再会を果たしていた。

 久しぶりに顔を合わせた四人の間には、昔と変わらない気安さと、共に死線を乗り越えた者だけが分かち合える、静かで深い信頼の空気が流れていた。

 その輪の中心では、アリアが、リアムの腕の中の赤ん坊を、この世の何よりも愛おしそうにあやしている。

 赤ん坊は、母親譲りの陽光を思わせる金色の髪と、父親譲りの、強い意志の光を宿した瞳を持っていた。

「どうだ、カイル。俺の新しい『師匠』だ。夜泣き一つで、この俺を叩き起こし、腹が減ったと命じられる。こいつにだけは、どうにも敵わなくてな」

 リアムは、これまで誰にも見せたことのない、父親としての柔らかな、少し照れくさそうな笑顔で語った。

 その横顔に、かつての孤独の影はどこにもない。

 赤ん坊という小さな存在から、彼は新しい生き方と、人を愛し守ることの本当の意味を、日々教わっているのだ。

 カイルとリィナは、言葉もなく、ただ微笑みながらその光景を見つめていた。

 友がたどり着いた安らぎの場所が、何よりも雄弁に、戦いの終わりを物語っていた。

 アリアが、幸せそうな顔で言う。

「この子のための、新しい物語を、これから紡いでいかなくてはなりませんね。悲しい戦いの記録ではなく、この子が笑って生きていける、優しくて、温かい物語を」

 四人の穏やかな笑い声が、平和を取り戻した大陸の、どこまでも青く澄み渡った空に響き渡っていく。

 それは、始まったばかりの新しい家族の物語を、そしてこれから紡がれていく全ての真実の物語を、世界が優しく祝福しているかのようだった。

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疾風と忘却の円舞曲 神凪 浩 @kannagihiro

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