第臓話:ハートオブレグナ

 念の為に斧を持って外へと出た。

 レンジが家から出たとき、村中は阿鼻叫喚の地獄そのものだった。


 近くから悲鳴が聞こえた。遠くから悲鳴が聞こえた。あたりから、村から、森から、畑から、淵から、家から―――果てしなく絶叫が響き渡る。


 だが炎を消防が鎮火するように、その絶叫をまた違う絶叫が沈下する。逃げ惑う村人たち、半狂乱で他者など構っていられないようで、なにより自分が第一な心持ちの人間がほとんどを占めていたため、他の人を押しのけ合いながら逃げまどい続けている。


 炎上する村の家々、肉を裂くような反響音―――それが爛れて響き渡る。グロテスクな残響と村人たちの絶叫が村中を一周して、二周して駆け巡る。


「あぁ?いったい何が起こってんだぁ?」


 こんな惨状を目の当たりにしながらもレンジの反応は愚者の一辺倒でまるで危機感を感じ取れていない。

 だがレジィはレンジにはないものを補えるもの、すなわち危機管理能力を携えていたので


「ろゔ!ろゔ!られろ!られろ!」


 と彼女なりに必死に逃げるよう伝える。彼女の優しさ、レンジにこれ以上傷ついてほしくないというレジィの気持ち。そして傷を負ったレンジにどれほどのことができようかという不安と心配。


 だがそんな説得もむなしくレンジは―――


「魔物が出た―――だったよな。 ちょっくら殺ってくるわ」


「ゔう〜あ〜!られろ!られろ!」


「なんだよ!別にどこも痛くねぇよ。 マンパワー!ヒャクパー元気くんだぜ?」


「れゔ!れゔ!れゔ!れれれれれゔぅ〜!」


「れッ、れレンジぃ〜!」


 どこぞの村人がまだ見えぬ魔物から逃げおおせ、レンジの方に近寄ってくる。顔をくしゃくしゃに配慮なく、一方的に話しだす。


「まッ、まままぁ魔物が!村の連中を皆!く、食い荒らしまくっとるぅ!」


「わぁったッて。 そこで待っとけ」


 レンジは明らかに、最初から感じていたことだが―――村人たちに対して断る選択肢を持ち得ていないようであった。


 『のー』という選択肢は存在せず、『はい』もしくは『いえす』しか思考にたずさえていない。それは彼の幼少から考えれば少しは納得のいく答えが出てくるだろう。


 幼少期に父が死に、レジィと過ごすようになる。だがそれだけでは事足りなかった。周りの人間から少しでもよく思われたい―――役に立っていると感じていたい深層意思。


 大切な人が少なかったからこそ、大切にしたいという気持ちのあふれ分の優しさの欠片のようなものが村人たちへ『のー』という答えを消し去るに至った。


 この深層意思は少年でさえ知り得ない―――無意識の境地とも言えた。


「あっあっあ!…でっ出た!アイツじゃ!あの魔物じゃぁ!」


 炎がのぼり、肉の焼ける匂いが立ち込める。家屋の燃えかすとヒバナが舞い、ゆらぐその炎の中にその存在がオモテを上げる。


 ―――その姿は。


 人の形に作られ、腐りかけた身体には下半身がなく、あるべき場所には赤いレモンのように真っ赤なハラワタが露出している。そのハラワタで、どこにそんな力があるのかというほどのパワーでその体を支えていた。

 唯一の上半身は腐りかけで脇腹が浮き出るほど貧相な風体をしているのだが、首があるべきところには脊髄だけが露出しており頭部と見れるものは見受けられない―――いや、顔のようなものならある。


 それは左胸に腫脹のよう浮かび上がっている―――顔。

 腐れかけで、しわくちゃで、歯が抜け落ちそうで、キモくて、そして炎の映った黒い大きな目。


「なんじゃあれぇ!」


 レンジが見てきた魔物と一線を画す容貌にレンジは戦慄する―――そうでもなそうである。

 だがしかし、明らかに今まで戦ってきた魔物とは異質的だ―――今までの魔物は豚とか牛、鶏のような風体のようなものがほとんどだったのだが今回は“人間”に近い。


「あんなの初めて見たぜ…」


「らぁ!らぁ!れろ、られろ!」


 魔物の姿を見たレジィはより一層レンジを止めに入る。服にしがみついて、必死で抱きしめて「もう逃がさない」とでも言うように。


「おい魔人!レンジの邪魔をするな!あれを殺せるとしたらレンジしかおらんのじゃぁ!」


「るあぁ!るぁー!」








 ●■▲✕✿●








「『【豁サ[[{まだいたのか}]]縺ュ】』」


 その巨体はいくつもの旋律が重なった“音”を発した。

 声というにはあまりに曖昧で、冒涜的で許されざる不協和音だ。

 全身の毛が逆立ち、体から爪の先に至るまでの恐怖。

 この場の全員が動けない、なぜこの巨体が一瞬で移動できたのかなど思考するに至る部分は山のようにある。

 ―――だが考えの至らない男がいた。


「―――ッおら!」


 思考をせず、愚者のように愚直―――それでいて天性の狂人。

 その男レンジは腐りかけの巨躯に向かって斧を投げつけていた。

 本来ならその斧はその化け物含め、完全に意表をついた一撃、完全意識外からの攻撃なのだ―――さらには腐りかけの巨体、明らかに鈍そうな肉体だ―――当たらない道理などない―――はずだった。


「『【豁サ[[{人間}]]縺ュ】』」


「―――ッら」


「―――ッあ」


「ッなん―――」


 刹那に崩れ落ちた。

 レンジが投げたはずの斧はなぜか、意識の外から村人とレジィそれにレンジの目に映ることのないスピードで八つ裂きに切り裂く。


 まさしく不可視の斬撃、完全意識外からの一撃―――化け物にはレンジのすることを見透かしているかのようだった。


 村人は先ほどの攻撃で頭部を一閃にされ、恐怖に滲んだ表情のまま絶命していた。 

 レジィは死にこそしなかったものの脇腹を深く抉られ、チャームポイントであった角も切り落とされ、体全体にまばらな傷、さらには少女の左耳が小石のようにあまりにも軽く転げ落ちる。

 凄惨。あまりの展開の速さにレジィは頭が追いつかなかった―――だが最も凄惨だったのはレンジだ。


まばらな傷の他にも肩を深く裂かれ、りんご飴のような血潮が吹き出る―――そして縦に軽く眼球を切りつけられ、片目の光は消失してしまい、まるで電気の通らない豆電球のように己の惨状を目撃することもできなくなる。

 いともたやすく、それもゆっくりと、だけれど冷静に、すばやく―――レンジの右手首はゆるやかな動作でレンジ自身の足元に転がる。

 認識したと同時、切られた手首から血が広がる。

 血しぶきがそれはもうゴージャスな噴水のように噴き出る。


「―――ッぐぼぁ゙……」


 鉄臭い匂いが充満する―――“死”を彷彿とさせる鉄の香り。

 赤い檸檬にかぶりつく、むしゃむしゃむしゃ、工場のネジの味。


「―――る゙ぅ゙あ゙ッ……」


 あいらびゅーと血しぶきが舞い落ちる。 愛液を吹き出させるレグナ、アウトな心臓の機動音、炎が剣のように支配して、心臓の鼓動に似たラッパの音。








 ■▲●★✕








「『【豁サ[[{私が望むのは人間の―――死!}]]縺ュ】』」


「『【豁サ[[{人間から傷を負い逃げてきた先にまさかこのような集落があるとは思わなかった}]]縺ュ】』」


「『【豁サ[[{血での回復は最優先だ}]]縺ュ】』」


「『【豁サ[[{まず村の連中を八つ裂きにする。そこの人間側にいる魔人の娘を含めてだ}]]縺ュ】』」


「『【豁サ[[{全員を殺した後に、ゆっくりと血をいただこう…}]]縺ュ】』」


「『【豁サ[[{そう私の魔法からは逃げられない}]]縺ュ】』」


「『【豁サ[[{空間と空間を引っ付ける私の魔法からは…絶対に!}]]縺ュ】』」


「『【豁サ[[{さあさあ、バラバラの屑肉になる時間だ―――人間!}]]縺ュ】』」


 レジィは意識がモウロウと、シャンプーのあわあわのように水で流したらすぐにでも消えてしまいそうな脆さで血液を垂れ流し続けていたが―――少年、レンジはレジィを超える重傷、重体とも言えるのに彼女に近寄りながら、少年自身の右手首があった場所は燃えるように熱いのに対して血が抜け落ちていくたびに体が寒くなっていく―――でも今は無き右手を少女に伸ばす。


 リンゴのようにアカイ手はいたずらに痛む。

 それでも彼の歩む足は止まらない。

 いやもはや少年は歩くのすらままならない。

 ただ地を這いながら何とか少女のいる先へとたどり着こうと必死だ。

 呂律も回らなくなる。

 口や鼻から出る、血の泡。

 ―――あわあわがたくさんな魔人。


「る゙ァ…ッ!」


「…大丈夫、だ」


 それはいつもの無責任な言葉ではなかった。

 いつまでも少女ばかりを思った少年の大志。

 この世で最も尊いもの言うなれば―――愛。


「ら゙ァ…ら゙ら゙ァ…ッ」


「だい…じょうぶ…だから…」


 言い聞かせるようにレンジは続ける。

 そして自身が垂れ流し続けていた血液をレジィへと垂れ流す。それはまるで淵の水が川を渡って、海へとたどり着くようだ。

 死を悟った人間の本領とも言えるものだ。

 ありったけの血を蕩尽する。

 どこからそんな力が出るのだろうと思わずにはいられない。


「だい…じょ…う……/」


 レンジは最期にこんなふうに思った―――「別に今の生活が変わらなくたって、夢が叶わなくたって…レジィがいてくれればそれで良かったのになぁ―――“どうすればよかったんだ?”」と。


「ら゙/」


ふたりは赤い檸檬になった。




































































● ■▲ ★⬬✕






























































 いつも通り。

 いつも通りにしていよう。


「レジィ……」


「らゔぁ!」


 自分のものじゃない、心臓の鼓動が聞こえる。

 それは直感的なもので、理由なんてねぇけど。

 そう思った。


「ごめんな…結局、お前も死んじまった」


「…」


 Sweet Dream.


「…私はレンジといる」あの時間」がとても好きだった」


「…」


「これは」契約だ」


 契約という言葉には力がある。考え方に差異はあれど契約は神学的には「「行い」」「「償い」」「「恵み」」に相関する。


 レグナが口にした意味としては自己犠牲だ。レグナはそれを加味した上で、この世で最も残酷なことをレンジに押し付けようとしている。


 魔人や魔物による契約にも意味合いを持つ。基本的には人の道から外れた―――人間の知恵の枠組みのソトの世界によるものだ。利害が一致さえすれば力を貸しつけられたりすることもできるものだ。


 だが今回ばかりはその限りではない―――


「私の」心臓を」やる」


 レジィ…俺は…。


「かわり」に―――」


 俺はまだ―――


「私をレンジの見る世界に連れていってくれ」






























































 ● ■▲ ✿★⬬






























































「レジィ!」


 夜を照らす月下に少年は起き上がった。

 少年の身体はずたずたにされた―――はずだった。

 しかし実際はどうだろう切断されたはずの手首はちゃんとついているし、深く裂かれた肩は傷も見当たらない―――視界も完全に良好、なんなら前よりもはっきり見えるくらいだ。


「傷が……」


 死を体験したはずだったのだが。

 そうまるっきりなかった。

 あれは夢だったのだろうか。

 最悪な悪夢だったのではないだろうか。


 だけれど炎上する村と腐った身体が村人を殺すさま、そして自身のズタズタに切り裂かれた服を見て、状況は何も変わっていないことに気がつく。

 村の知ってる顔は多分もう、どこにもいなかった。


「レジィ…」


 おそらく傍らにいるべきはずのレジィはどこにも―――切り裂かれ、血を吸った服を残して何もなかった。

 少年は分かっていた―――今も鼓動を続ける自身の心臓が、とめどなく鳴りやまないこの脈動が―――少女のものであると。

 レジィから貰い受けた―――

 レンジにはなんとも言えない、言い表しようがない悲しみが襲ってきた。夢なんかではなく現実。

 だが泣き出すことはなかった。少年は少女と約束を交わした―――否、それは契約。少女は最後に笑い、契約と言った。

 その意味が表すものは今は分からない。


「……」


 だが“今”を乗り越えた先に明日は待っている。

 レンジは感覚的にそう理解していた。

 眼下に暴れ立つは、炎の剣の中、腐った身体の巨躯―――流れ者の悪鬼羅刹。

 そして立ち向かうはレグナの後継者―――レンジ。

 誰も意図していないマッチアップ、そして文字通りと物理的に白熱したバトルに飛び込まれていった。


「『【豁サ[[{はぁ…?なんで人間なのに生きてるんだ!?…さてはあの魔人のせいだなッ!}]]縺ュ】』」


 レンジはただその腐った巨躯を見下ろす。


「『【豁サ[[{ならお前をスムージーみたいにグチャグチャにしてやる!}]]縺ュ】』」


 なんで村のみんな死んじまったんだろ。

 俺やレジィに意地悪することはあったけど、別に死ぬほどでもなかったと思う。

 ババアもジジイも死んじまった。

 ―――レジィも。

 どうしようもねぇことはあるんだ。

 俺がどれだけ考えても、どうしようもねぇことが。

 勝ち負けで俺たちはさっき負けた。

 必死に生きた結果がこれなら俺は満足だ―――だけどよ、レジィとの約束も、俺の夢もまだ何一つかなってねぇ―――俺はまだ…満・足・なんかしちゃいねぇ。


「俺たちに負けて―――死ね!」


 ―――ドゴォ。

 炎を帯びた家屋の木材がレンジの上半身を吹き飛ばす。体内に敷き詰められたものが一気に飛散する。臓物とその他もろもろの内容物。

 身近な死を体験した少年と心臓に成り果てた少女。

 それは尋常ならざるものだ。

 形容し難いものだ。

 触れられることのないものだ。


「『【豁サ[[{体グチャグチャにすればさすがに死んだろ}]]縺ュ】』」


 ―――それは神聖の反転を呼び起こす。


「――――」


 否、それは既に過ぎたことだ。


「―――ひ」


 大脳からなる輪っかと脊髄からなる翼、そして頭部には動物の頭蓋骨―――この地球上に存在し得るのかと思うほどの構造。そしてそこから覗かせる逆五芒星の瞳。


「―――ヒャハッ」


 甘い夢から覚めた少年は―――楽しそうだった。


「ヒャーハッハッハァ〜!」




 ■▲●★✿




「『【豁サ[[{ハァ!?なんで俺達みたいな姿になってんだ!? さっきの魔人が体を乗っ取る魔法でも持っていたのかァ!?}]]縺ュ】』」


「不正解だぜ、バァカ!」


「『【豁サ[[{―――死ねぇ!}]]縺ュ】』」


 家屋の倒壊した一部が―――燃えた一部が楼閣となって少年めがけて放たれる。

 はびこる火炎が火柱のようだ。死線を目の前にしても少年は―――


「俺たちがッ―――」


 心底楽しそうだった。


「最強だァ!」


 火炎のはびこる楼上へと少年は身を投げた。

 それは自殺行為のようにも見えたが、少年にとってはそうではない。エンジンの吹いたチェーンソーに『止まれ』と言っても止まるわけがないのだ。エンジンを完全に止める以外に道は存在しないのだ。

 少年の獣の雄叫びにも似た叫びが自信を囲い込む炎に吸い込まれていく。


 炎の楼閣の中心には腐った巨躯の化け物がいる。

 炎と燃える家屋のトルネードは一切の容赦なく少年に無鉄砲に飛んでいく。


「グボッ…!ブァ!」


 炎による火傷と家屋による打撃でダメージを負いながらはるか上空、楼閣楼上の最高到達点を軽々とぶち抜き―――月下に火炎が生い茂る地点へとやってきた。

 はるか上空なので月がよく見える。こういう時の謳い文句は『月は綺麗ですね』だろうが、この物語に限りに適当なものを言わせてもらえば『月が綺麗でした』なのだろう。


「テメェーばっか魔法使ってズリーぞ!」


 こんな最強な魔法太刀打ちできねぇ…!

 だけどよぉ―――つまりは俺も魔法を使えばヤツに一撃お見舞いすることができる!


 魔法は最強のイメージだ…俺の最強。

 ―――斧!


「ファイヤーアックス!」


 少年は意味もなく叫ぶ。

 それは剣が無理やり形を変形させ、歪曲した姿見だ。あまりに拙いそれは斧というにはあまりに稚拙で幼い、子供が無理やり言いくるめたような出来の代物だ。


 そんな突然変異の武器を大脳から引き抜いた自身の味噌。つまり輪っかから、何もなかったはずの空間から召喚したのだ。とどのつまり感覚的に使ったレンジの―――いやレジィの魔法。

 『武器を創る魔法』とでもいうべきなのだろうか―――


 それは巨大な拙い斧。

 少年は斧を振り下ろしながら月が沈むスピードよりも速く大地へと落下していった。少年の落下する軌跡が流れ星のように錯覚させられるかもしれない、トルネードの中へと入り、炎を帯びた拙い斧―――心臓の鼓動は止まらない。

 嗚呼ッ、もう滅茶苦茶!


「『【豁サ[[{グギャッ―――}]]縺ュ】』」


 振り下ろされた斧は腐った巨躯をたやすく一刀両断し、そのままの勢いで爆炎が盛り上がった。


「ギャ〜ハッハッハッハァー!!」


勝利の咆哮だ。






























































 ✿■▲●★






























































 朝になっても癒えることはなかった。

 腐った巨躯に食らったダメージではなく、レジィがいなくなってしまった悲しみでだ。

 焼けて、落ちて、均されてしまった―――村の跡地にはもう誰かの死体すらなく、多分すべて灰に崩れてしまった。

 体育座りの姿勢をしながら朝焼けを眺めていた。表情を変えずにただどうするわけでもなく涙をこぼしていた。


「レジィ……」


 だけど見える世界は変わった。

 村のない世界―――村が消えることでしか実現できなかったレンジの自由。まるで象徴のようだった。


「朝焼け…綺麗ぇだなぁ―――」


 去れども少年と少女の物語は一旦区切られる。


「もっと早くそう思えてたら―――」


 過ぎ去りしランデブーと共に。


 第臓話ハートオブレグナ。

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エンジェル クライ けんT @kennta2009

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