第夢話:サめる

 たゆたう黒い水が少女を見ている。首を傾けたり、目を凝らしたり、舌を出したりいろんなところに線ができるような変顔をして少女は楽しんでいる。


「ゔぅ〜!らら……?」


 村のすぐそこの小さな淵だ。ちいさなちいさなカエルやらアメンボやらが水面の波を辿るように動いている。


「らゔぁ!……ぶぁう?」


 ひとりでもニカニカと笑っている。赤いレモンは水浸しで深々と瞳に沈んでいる。烈日に紛れ込んだ延長コードのように赤いレモンは反応をしぼる。


 ふと遠くから声が聞こえたように思った。


 あの邂逅より10年ほどが経過していた。レンジはどうしていようか。学校には通わずのレンジ、代わりに村の仕事を手伝ったりしている。


 義務教育はこの国の制度で決められている。憲法に基づいた内容で権利ではなく義務なのだ。コレは村の異常性の片鱗だった。例えるなら井の中のナントカだ。


 レンジは少なくとも15歳ほどである。15歳だったら今何をするだろう。テレビゲーム、スマートフォン、マンガ、ベンキョウ三者三様で多種多様な様々なことをしているのだろう。


 レンジからすれば別に気にすることのことでもない。疑問符を挙げるまでもない。知りもしないことはある種の幸せと呼べるのだろう。


 レンジのする手伝いは単純だ。畑や田んぼの仕事なんかで田植えをしたりして土と友情をはぐくむ。


 コレがレンジからしたら割とやりがいを感じており、なにせ同世代の人間なんかはいないもんだから孤独をまぎらわすために畑仕事に友情を感じているのだ。


 そして害獣駆除。当然ながら名前のない村というほどの田舎村なため、畑を荒らす獣が現れるというものなのだ。


 イノシシとかならまだいい方なのだが、時折『魔物』が現れるときもある。魔物が現れれば撃退なり殺すなりするしかないが、村人のほとんどが年老いた人々の集まりで若くても50代ほどである。


 なので必然的に魔物を倒す役割を担うのはレンジということになる。武器はクワだったり斧なんかだ。ときどきチェーンソーを使うこともあったが―――今回は斧を使ったようだ。


「あァ〜……糞いてぇ」


 魔物の屍の上で自身の傷の具合を確かめながら独り言をつぶやいていた。内臓の露出が激しい死体だ。グロテスクなその死体からは腸が飛び出しており、もはやどんな魔物だったのかすらも視認しようがないほどに醜悪だ。


 レンジは休憩がてらぼーっとしていたが屍の激臭が鼻をつんざくので、早めに村に帰ろうと踵を返すように立ち上がった。


 立ち上がる際に屍に突き刺していた斧も抜き取ってだ。


「ダッダッダッだ〜」


 レンジは村へとやや駆け足気味に歩いていった。傷口の具合を気にしながら「別に死ぬもんじゃねぇし」と高を括くくっていた。楽観視していた。


 このときのレンジには八分のこころよさと二分の予感があった。それはどんな予感なのか分からないが―――魚の骨が喉につっかえるような予感がしてならないのだ。


 だがそんな気がしてもなお、レンジという男はいいかげんこの上ない男だったため見ないふりをした。感じないふりをした。


 まあいいかとそっぽを向いたのだ。関係することなどないように―――コレは少年の愚かしさだった。


 レンジは血を垂らしながら村までのけぞるように、決してのけぞったりなどしないがかなりの痛みを感じながら村までたどり着いた。


 家までの道筋をたどりながら周りは畑しかないようなところをただひたすらに歩く。畑を耕している村人のひとりがレンジに声を掛ける。


「レンジッ! 魔物は殺してくれたんか?」


「おう、完璧よ」


「そうか―――ところであの魔人はどこいったんだい」


「…知らね」


「またあいつ仕事サボってるな! 村に住まわせてやってる恩も忘れよって! レンジ、お前の方からもちゃんと躾しつけるように言ぇ!」


「あぁ、言っとくよ」


「まったく…! お前も早はようクワ持って来こんか! ジジババばかりに働かせてどうする!」


「わ―ッてるよ」


 渋々といった様子で家に向かった。傷の治療とクワを取りに行ったのだ。傷は左肩あたりで肉を剥がされているように見えたので重傷とみるのが普通だろう。


 こんな状態でレンジを働かせようとしている村人はこの社会から見たら異常だろう。先ほどまでの会話もレンジは重傷の傷を負っているさなかで血をしたたり落としながら会話だ。


 この異常性にレンジは気づかない。この村でほとんど過ごしてきたからか外の世界なんて知らないし、知識もあまりない。かろうじて魔人や魔物の知識は父から教わっていたのでそこらの知識は多少なり持ち合わせていた。


 こんな田舎村に包帯などという大層なものはもちろんないため、代わりにタオルで傷口を塞いでいた。


「いてぇ」


 ボロボロの納屋とでも言うべきだろうか。村の奥の奥、離の離れに少年と少女の住まう家はぽつんとあった。


「あのババァ…! 無茶ばっか言いやがって…!」


 レンジがそのような口を叩くのは当然だ。家に帰り、止血するまでに血を流しすぎている―――楽観視していたのはあくまでも最初だけ。


「あぁ―――糞」


 白堊に思考は染まっていく。



「―――女…抱いてから死にてぇな

「ここ…ジジイとババアしかいねぇから夢のまた夢だろうなぁ

「飯も…もっと野菜ばっかじゃなくて肉とか…食いてぇ。

「俺の育てた畑のモノとかほとんど取られちまうから腹が減って仕方ねぇ。

「イノシシとか狩っても俺の分け前はねぇし。肉食いたいから魔物を焼いて食ってみたらゲロるほどマズイわ最悪だったなぁ。

「こんな糞みたいな生活いつまで続くだろうなぁ。

「…まあいっか、最悪なことがあってもアイツがいりゃー大抵のことは笑って過ごせる―――

「お前さえいてくれれば―――俺は、

「―――笑ってられる」


 とうとう少年はうとうとし始めていた。魔物と戦っていた疲労と血を流しすぎたことによる貧血だ。


 窓から差すユウデリの光がここちよくて、夢見ごこちのようで―――視界が上下に揺れる。血管にゆらゆら遊ばれている。


 こっくりと舟を漕ぐ。透明な意識の暗転。まどろみの中へ―――芥のように転がる。


 しなびたあかい林檎で満たされる―――土の香りがした。


「お前、名前はなんていうんだ?」


 雨の香りも止みそうにない。いや―――あまり香りは感じない。そのときは鼻水を寸前まで垂らしてたからそんなものを感じてなどいなかった。


 家へ帰っている。父のいないあの家だ。


 裸の血と泥だらけの少女と―――家族を失い傷心中の少年。そのふたりが織りなす何かだ。きっと。


 ふたりとも微弱の雨にあたっていたからか、曇天のソラから灯る、抜け落ちたヒカリに当たるとツヤツヤとあだめかしい。


 レグナとの邂逅。補完された赤いレモン。或日の後日談。


「ゔぇゔゔぇる!」


「……?」


「ゔぇゔゔぇる!!!」


「ヘンな名前…」


「ゔぅ…」


 意思の疎通は難しい。なにせ少年と会話しているのは人間ではないのだから―――魔人なのだから。


 少女は言葉が伝わらないことにいまいち不服といったようで、どうしようもなく少年を見つめる。


「…あっ! じゃぁさ、俺が名前つけてもいいか?」


「らゔぁ!―――らう!らう!」


 少女は頷きながら、裸のままその言葉をまちまちと待つ。泥水に塗られながら足らない頭で少年は考える。そして一つの案という考えだったものを少女に向けて答えた。


「俺ぁよ…あまりそういうのわかんねぇし、センスもねぇー。」


 杞憂に思いを巡らせ頭を掻きながら言う。


「だからオレの名前を分けてやることにした!」


 ―――少女の名称を。


「“レジィ”…ってのはどうだ?」


 少年のレンジという名前から『ン』を抜かし、レジの最後の字を伸ばした『レジィ』という名前。


 少女は頬がほこほぶ。なんとも言えない満足感が体内を満たしていた―――くすぐったそうに少年の目を見た。


「―――れぁ!らゔ!らゔ!らゔ!」


「ははッ! やっぱ俺って天才!」 


 小雨の粒が少年と少女を打ちつける―――レンジとレジィを打ちつける。


硝子のような足場をたどって、たどってモノクロームな薄明の中で二人は消えてゆく。手をつないで、決して離さないようにつよく、つよく握りしめる。


 家へ帰ろう―――


 ―――舞台が暗転するように視界はハイライトをおびていく。


 納屋の中は暗黒。電気は当然ながら通っていない―――こればかりは村人の嫌がらせとかではなく、単純に村自体に電気が通っていないのだ。


 腹が空いたとレンジは思う。あとなにか重い、まるで少年の上にレジィが乗っけているように―――否、もうすでに少年の胸の中で死んだように眠っていたのだ。


 もちろんレジィは始めて会ったときのような裸体ではなく、しっかりと服を着ている。ただ死んだ母さんのセカンドハンドで―――古着や使い回しのおふるだ。


 サイズが少しばかり大きいと感じる。幸い母の古着はたくさん残っており、着るものには困らないのだ。


 レンジの母はレンジを産んですぐに死んでしまったらしかったがレンジ自体に母親に対する思い入れはない。


 ―――完全に意識が覚醒する。


 だがレンジが起きてそれに気づいたのか、ちょびっとまんまるな瞳孔を開き、長い黒髪は布団のようにしかれていた。


 彼女の気遣い(?)を受けて、ちょっぴりレンジは嬉しく思った。そうして改めることにほどでもなく二人は熱く、厚くほうようを交わし合う。


 錆びたプールが淡水で満たされるように、二人もまた互いの血の暖かさに満たされる。


「あ、そうそう。 レジィお前仕事サボるなよな。 ババアにガミガミ言われんの俺なんだぞ〜」


「れぇゔ。 ゔるる!」


「…そういえば、俺も仕事手伝えって言われてたんだっけ―――ユウウツだぁ…」


「ゔぁる。 れぇるぁ!」


「んなことできたら苦労しねぇぜ」


「ゔぅ〜」


「ハラヘッたなぁ…ハラがへると寝れねぇし寝れねぇとハラがへってること思い出してもっと寝れねぇ」


「…らあ」


「お前もだよな…レジィ大食いだからたくさん食べなきゃなのにな」


「るーら!」


「ははっ! そんじゃそろそろ寝るか…」


 少年と少女は互いに血を通わせてぬくもりを忘れないように、忘却しないようにたぐり寄せる。

 そしてふたりはどうしようない深淵へ深淵へと取り込まれていった―――…はずだった。


「魔物だァ〜!魔物が出たぞォー!」


 意識を手放せず、空気を揺らすような大声の驚きで起きてしまう。レジィも同じだ。


 夢遊と乖離する。檸檬にスティグマ。レグナの解体新書。メンヘル天使―――そして血が分かたれる。


「夢くらい見させてほしいよな……」


 第夢話サめる。

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