エンジェル クライ

けんT

第幕章:レグナ篇

第邂話:レグナと少年

 名前もない小さな村。辺りは田んぼや畑しかなく、交通面にも乏しいため外からの来客はほとんどない。本当に何もない村だ。


「死んで当然だ。 そんな男」「ミコシ様を蔑(ないがし)ろにした罰が下ったんだ」「南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……」「地獄に落ちろ」「地獄行きだ。 地獄行き」「不愉快極まりない男だったな」「崖から転落死だったか」「凛香りんかちゃんを殺した責任も取らずに逝きおって……」


「糞親父をもって、大変だなぁ…? あー……レンジ?」


「―――……」


 レンジと呼ばれた少年はただ涙を流している。ただの石を墓標に見立てて涙をたれている。鼻水と嗚咽混じりにそうするしかなく父を思い、泣いていた。


 ひとりで死んでしまった父。遊んでくれて、作ってくれたご飯はおいしくなかったけど、そんな父がもういないと思うと泣かずにはいられない。


「おい、もういいかげん泣きやめよ!」


「やめろ、糞親父といえど父親が死んだんだ。 コイツの気持ちも分かってやれ」


「ちッ……」


 大人たちは文句を垂れている。なんで父を悪く言うのだろうとレンジは思った。なんでもういない人のことをそこまで。


 ―――大人は手をパチパチさせてる。涙は止まらない。周りの影響というか、そういうものを感じにくい―――いや子供だと意味の理解もしていないだろう。


 墓は木の下に作った。とくに場所に思い入れがあるわけでもないが、安らかに眠ってほしいという無垢な願いからだった。


 木の下に死体おやじがいるという事実に何とも言えない気持ちになった。


「お前も大変だと思うが、まぁ……がんばれよ」


 大人はそう言い去っていく、ひとりまたひとりとレンジを置いて特にかける言葉もなく墓標をあとにする。


 雨の香りが近づく、ほのかな粒がポツまたポツと落下してくる。強くもない小雨、いじけられるようにレンジに浴びせられる。


 レンジの涙やら鼻水やらヨダレやら空から降るつぶつぶに混じりつく。瞳孔は溺れるようにだれる。


 雨の香りがレンジを包む―――そんなことはない。鼻水やらで辺りの匂いなど気にもとめないし、感じもしない。水に湿った土の香りは、ほのかに鼻に差すかもしれないが。


 大人はもう……誰もいない。


「はら減った……」


 どんなに悲しくても体は正直だ。このまま飢えて死のうかとさえ思った。父と同じように崖から飛ぼうかとも、包丁で首を切りつけて死のうかとも。


 でも痛いのはいやだ。


 「糞がッ……」


 少年の心は赤い傷で塗れていた。


 そんなとき切れた息遣いが聞こえた―――ような気がした。霞のように消えてしまいそうなほどにか細い、弱い音。


 雨とは違う水音が聞こえいる。どんな音なのか。何の音なのか。分からない。


 でも段々と足音のようなものが雨と水たまりを弾く音を添えて近づいてくるのが分かった。


 正体不明のなにかにレンジは怯えた。アウトサイダーみたく待ち構えようという心持ちはない。


 父親が死んで傷心中の少年に対してこのことは、精神的にもだいぶな過負荷だった。すると正体は現れた。水音の主だ。


 ―――女の子だ。幼い子ども、レンジと同じくらいの。数日間山間部をさまよったのではないのか―――いやさまよったのだろう。泥と土をかぶっていた。だいぶ髪が長いし、手入れとかそういうこともしていないだろう。


 なにより服を着ていない。泥まみれですっぽんぽんの風貌なのだ。貧相でごはんを食べていないのかアバラが浮き出ている。


いろいろと目を引くところはあったがそれでも異質でレンジが恐怖を感じたのは―――“角”だ。


「つ…角!?」


左側端の方にある角がこの少女が人間でないことを証明していた。


 そう彼女は―――


「まッま、魔人ッ……!」


 “魔人”―――この世界に存在する恐怖から生まれる化物。知性持ちながら人々に牙を剥き、本能的に人間を嫌悪する獣。同列のもので“魔物”がおり、知性のない獣のようなものだ。


「がぁぁ……」


「殺すなら殺せ…!どうせ生きてても…」


 瞳に彼女の存在を捉えたときに魔人はネジが外れた機器のように崩れた。前に倒れたので必然的に背中、背後を見るのだが後ろの脇腹から小さな穴が空いている。


 その血液は雨で洗い流されようとする。だが決して止まりはしない。倒れたそばの水たまりに血がにじみでて染みる。赤い糸のように細く、淀む。


「ケガ…」


 レンジは倒れた魔人を―――いやレンジからしたら魔人でも少女でもそれほど変わらないのだろう。彼にはただ死にかけているとだけしか見えない。―――見つめる。


 果てしなく見つめる。生きるという行為を停止させようとする少女を徒花しく瞳に刻もうとする。


 邂逅とランデブーだ。穴の空いた赤いレモン。犬とそのレグナ。


「お前死ぬのか…」


「………」


 結果から言えばその行為はミイラ取りがミイラになっただけだった―――魔人側の少女は魅入ろうという策略がありしも、そんな思考など持たない少年に魅入られた。


 ミイラ取りが魅入られた。


「食え! …魔人とか魔物は血飲めば治るって聞いたことがある!」


 少年もまた少女に魅入られた。戻らないすずめのように―――迷子か、もしくは自分の意志で。


「死にたくねぇなら食え!」


 穴からしたたる赫は彼女なりのあいらびゅーなのかもしれない。少女は食らった―――少年の肉を。


 手の甲に穴が空く。あいらびゅーと愛液がしたたり落ちるが、雨と中和されて土壌は半端にえんじ色へとせる。


 誰かの瞳孔は互いを見据えている―――双方の痛んだ赫を。


「ッ……これは―――契約だ」


 契約という言葉には力がある。考え方に差異はあれど契約は神学的には「「行い」」「「償い」」「「恵み」」に相関する。


 レンジが口にした意味合いとしてはただのワガママだ。レンジ自体がそんなことを自覚などしているはずもない。少年の一方的な願いで一方通行に過ぎないのだ。


 魔人や魔物による契約にも意味合いを持つ。基本的には人の道から外れた―――人間の知恵の枠組みのソトの世界によるものだ。利害が一致さえすれば力を貸しつけられたりすることもできるものだ。


「やっぱさびしいからよ…。 これから一緒にいてくれ…」


「………ッ」


 その言葉から返る返事はない。ただ少女は噛む力を強めた―――さっきより赤の愛液が流れ落ちる。


 彼女からの空回りした返事だった。


「……」


 少女は噛むの止めた。次に少年にさっきまで噛み付いた手の甲を物見下ろしそうに眺めていたり、嗅覚を頼って嗅いだりしていたが―――前触れはなく刹那に、少女は少年の傷口に唇で触れる。


 否、唇だけではない艶(あで)やかに舌で舐め回す。唇は先ほどまで愛汁を啜(すす)っていたので口元まで赤いし、唇は余計に甘美的だ。


 しかしながら陵辱してやろう、辱めてやろうという意図は当然ながらない。


 少年もそうだ。別に恥ずかしいと感じもしない、いや逆に親愛を感じる。少年の眼には艶やかに映ったことだろう。


「らう…」


 そして少女は舐め繰り回すのを止めた。


「…あァ」


 ミイラ取りとミイラは互いを見据えて尻底を土に濡らしながら熱く抱擁した。小雨は相変わらずだった。少女の傷んだ赤は、いつの間にか消えおおせていた。


 第邂話レグナと少年。

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