私の、愛しい親友
@Neko-Kinako
私の、愛しい親友
人には何かしら言えない秘密というものが存在するものだ、と昔の偉い人は言った。その解説を聞きながらそれは正しいことなのだろうなぁ、と私は昼下がりのぼんやりの中で思った。ぼんやりに囚われたまま、気付くと目線が行っているその先を見つめ続けると、自然と口元が緩む。その少しまるまった背中が、指先のラインが、足の組み方が、たまらなく愛おしい。最早、先生が何を話しているのかは頭が価値がないと判断を下していた。ぼんやりしていなかったとしても、愛しい人について考えるほどに夢中になり、価値があり、幸福になれることがあるのだろうか。少なくとも、今の私には思いつかない。ああ、私の愛おしい幼馴染の彼女は、今日も世界一かわいい。
彼女が好きだと自覚したのは何時だっただろうか。あの、ただの親友であった頃と同じ様に、今の歪な愛情関係を彼女に悟らせないようにこの想いは絶対に隠し通さねばならない。彼女の、うつくしい、おだやかでやさしい光に満ちた世界を、私の濁った重い刃で壊してはならないのだ。彼女は私に恋愛感情を向けられているだなんて、夢にも思っていないだろうし、万が一にもその可能性を疑わないのだろう。当然だ。だって彼女も私も女で、彼女には好きな男がいる。もし彼女が私のこの想いに気がついたのなら、きっともう永遠に私に向けてあの、枯れた花も蘇るような、みずみずしく可憐な笑顔を見せてはくれないだろう。それが私にはどうしても耐えられないし、赦せない。
彼女と過ごす時間はとても楽しい。遊びに行ったときの電車の中も、カフェの待ち時間も、注文を悩む時間も、すべての会話が心地よい。彼女の好きなゲームのポップアップストアを見つけたときの表情や仕草は、そのまま額に入って美術館に飾られていてもおかしくないくらいに可愛らしく、それでいて神秘的だった。もし彼女が、好きな男と結ばれたらこの時間はあの男のものになってしまうのだろうか。自分で想像しておいて、私はひどく不快になった。彼女の時間を独り占めしたい。彼女の笑顔を独り占めしたい。彼女を自分に縛り付けたい。そう思うことが罪になる、と感じるのは私達が同性だからだろうか。私達の性別がもし違ったのなら、私はこの想いを伝える気になったのだろうか。それはわからない。わかりたくない。
授業はいつの間にか終わり、放課後になった。いつものように彼女に話しかけ、帰路につく。この帰り道の時間は、私にとって世界一最高で最低で、幸福で不幸だ。愛しくてたまらない女性の好きな男の動向の話を、恋する乙女の可愛らしい声色を、聞くのだから。それでも私はこの時間のために、退屈な授業を乗り越えて学校に通っていると言っても過言ではない。この愛らしい顔を生めるのは今のところ忌々しいことにあの男しかいないが、その顔を拝めるのは私だけ、ということに屈辱的で背徳的な恍惚を覚える。この最低な幸福を噛み締めながらも、この表情が男に向けられる日が来ることのないことも、来ることもどちらもなければよいのにと思いながら、彼女の隣を歩いた。
明日は大学生活最後の学園祭の日、という帰り道に彼女は私に恐ろしい事を告げた。彼女はあの男に告白をするというのだ。ついに恐れていた事態が訪れた。彼女は世界一愛らしく、美しく、魅力的な女の子だ。その告白が失敗するはずがないし、失敗したとしたらあの男を私はぶん殴るだろう。私の胸中を彼女は知るはずもなく、私も知らせるつもりはないので、長年貼り付け続けて最早自身の一部になりつつある笑顔で応援する旨を伝えるしかなかった。綺麗事を言う口先とは裏腹に、どうしてあの男なのか、私はおそろいのアクセサリーもぬいぐるみもキーホルダーも持っているし、高校の修学旅行でイルミネーションだって見たし、彼女の趣味を一緒に楽しめるし、何もかもあの男よりも勝っているつもりなのに、きっとこれからも負けないのにどうして、とぐるぐると屁泥のような汚い感情が渦巻いていた。
帰り道。一人だった。味気ない。彼女の告白は予定調和に上手くいった。当然だ。当たり前だ。彼女が泣かなくて済んだのだから喜ぶべきなのだろう。彼女の、真の幸せを願うのなら、ここで想いを捨てて祝福すべきなのはとっくの昔から解っている。でもそれがどうしてもできない。私が彼女の想い人でありたかった。私が彼女を幸せにしたかった。私が彼女の隣に一生居たかった。あの男がそれをできない人間ではないことは知っていた。だからこそ余計に悔しかった。周りは彼らをお似合いだと評するだろう。互いを愛し合う二人を祝福するだろう。それは、たとえ私が彼女の隣りに立っていたとしても得られないものだ。幼馴染の、親友の、愛しくて世界一幸せになってほしかった彼女の幸せを喜べない。そんな自分が形容できないくらいに醜い絶対悪のように感じられる。
彼女と過ごす時間が減った。これまで見ていた鮮やかだった世界が、ひどく陳腐で気味の悪いものに感じた。私はあれから数年が過ぎてもまだこの醜い心を捨てられずにいる。彼女は今度、あの男と結婚する。私はその祝福のスピーチをせねばならない。できる気がしてこない。きっと彼女を素直に祝福できないのなら出席もしたくないしするべきでない。だが、ここ数年の交流であの男が嫌味なくらいに完璧で誠実で有望な男であることを理解させられ、祝福せざるを得なくさせた。あの男は私より遥かに彼女を幸せにできるのだと理解したくなかった。私のほうが彼女を幸せにできると信じたかった。だが、私と彼女のつながりを嘲笑うかのように、幸せな御伽話を彼女らは築き上げていった。最早おそろいのアクセサリーも、薬指の指輪を前にしてはなんの抵抗にもなりやしない。ああ、神様。いるならなぜ私に彼女を愛させたのでしょうか。いるかもわからない神に問う。
式が終わった。この世の彼女はどんなものより美しかった。その美しさは最早、あの男にだけ向けられるものになってしまった。私はこの先どう生きたらいいかが全くわからなくなってしまった。あの時、彼女に思いを告げていたらなにか変わったのだろうか。何も行動に移さなかった卑怯者に幸福な未来など訪れるはずもないのに何もしなかったあの時の私が、ひどく傲慢に思える。何もしないで、現状維持を選ぶという悪徳がこの結果を招いたのだ。薄く笑い、そう自嘲する。言えない秘密は、未だに言えないまま時が過ぎる。私と彼女の美しかった思い出は今、彼女の中ではどんなものなのだろうか。せめて、彼女の中でいい思い出であることを祈りながら、すっかり顔にへばりつき、剥がせなくなった友人の仮面を指で撫でながら、彼女からの電話をとった。
私の、愛しい親友 @Neko-Kinako
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