第12話【後日談】:砂撒きソリは少女を乗せて
数十年ぶりの大寒波が、この街をすっぽりと包み込んでいた。
冬でもどこか柔らかな空気が流れるはずのこの街が、今年はまるで別の土地のように冷え込んでいた。
数日の間に一気に降り積もった雪は、屋根も道も白く覆い隠してしまった。
そして、雪が降り止んだというのに、息を吐けばすぐに白く凍りつきそうなほどの冷気だけは、なお街に居座っている。
それでも昨日までは、まだ希望があった。
冒険者たちが総出で雪を下ろし、かき集め、風魔法で吹き飛ばし、火魔法で溶かしていった。
街の人々の手伝いもあって、街はなんとか雪に沈むことを免れたはずだった。
――はずだったのに。
私は足元を見つめ、思わず息を呑んだ。
外に出て目にしたのは、快晴の青空を映す鏡のように凍りついた大通りだった。
溶かした雪が夜の冷え込みで一斉に凍り、街中が滑り台のようになってしまっているのだ。
太陽はもう高く昇っているのに、荷馬車は車輪を空回りさせ、数少ない通行人も、氷に足を取られて転びそうになっている。
恥ずかしいけど、私も壁に手をつきながら、慎重に一歩ずつ進むことしかできなかった。
「サナさん、こちらです」
背後から聞こえた声に振り返ると、アルネスが静かに手を振っていた。
白い息がふわりと広がる。
彼は氷の上でもまるで滑る気配がなく、いつも通りの落ち着いた足取りでこちらへ歩いてくる。
「あ……アルネスさん」
思わず声が漏れた。
こんな状況でも変わらないその姿に、肩の力がふっと抜けた。
「ギルドが状況を共有したいそうです。ご一緒していただけますか」
「は、はい……!」
返事をしながらも、足元は相変わらず心許ない。
氷の上でバランスを崩しそうになった瞬間、アルネスがそっと腕を差し出してくれた。
「気をつけて。ここは特に滑りやすいので」
その声はいつもより少し柔らかくて、頬が熱くなるのを感じた。
二人で慎重に歩きながら大通りを進む。
氷を踏むたび、きゅ、と小さな音が響いた。
店先では、氷を砕こうとしていた人が肩を落とし、荷馬車の御者は途方に暮れたように空を仰いでいる。
あちこちから、ため息や小さな悲鳴が漏れ聞こえてきた。
――このままじゃ、街が止まってしまう。
胸の奥がざわつく。
そんな私の横で、アルネスは静かに言った。
「大丈夫です。きっと、方法はあります」
その言葉に、思わず彼の顔を盗み見る。
口元に浮かんだわずかな笑みは、焦りとはまるで無縁で――
その落ち着きに触れた瞬間、アルネスの腕から伝わる温もりに、胸がゆるむのを感じた。
やがて、ギルドの建物が見えてきた。
扉の向こうからは、いつもよりずっと切迫した声が漏れ聞こえている。
中は、不思議な熱気と緊迫で騒然としていた。
地図を叩き指示を飛ばす職員。
凍結した路地の報告を叫ぶ冒険者。
困り果て、頭を抱える商人。
その雰囲気に思わず息を呑み、後ずさる。
「大丈夫です。僕がいます」
小さく囁くような声が耳に届き、肩にそっと手が添えられた。
その一瞬だけで、胸の強張りが少し和らぐ。
アルネスに促されて中へ進むと、すぐにギルド職員がこちらへ駆け寄ってきた。
「アルネスさん、サナさん! 来てくださって助かります!」
職員の声は切迫していて、息も荒い。
広げられた地図には、街中の路地が赤い印で埋め尽くされていた。
「主要な通りはほぼ全滅です。応急対応は進めていますが、裏路地まで凍りついて……このままでは、物流が完全に止まってしまいます」
説明を聞きながら、私は地図を見つめた。
街のあちこちが“通行不能”と記されている。
背中にヒヤリとした汗が流れる。
「……そんな……どうすれば……」
思わず漏れた声に、アルネスが静かに口を開いた。
「……ひとつ、試したい方法があります」
その落ち着いた声に、職員も私も思わず顔を上げた。
アルネスは地図に視線を落としながら、淡々と続ける。
「まだ準備の途中ですが、皆さんの協力が必要です。サナさん、貴女の力も貸してください」
「……わ、私の……?」
思わず聞き返してしまった。
胸の奥がきゅっと縮むような不安と、それでもアルネスに名指しで頼られたことへの驚きが入り混じる。
アルネスは私の手を握り、まっすぐこちらを見る。
その瞳には、迷いが一つもなかった。
「サナさんの魔法が必要なんです。貴女なら、できます」
その言葉に、喉の奥が熱くなる。
怖い。けれど……逃げたくない。
私は小さく息を吸い込み、ぎゅっと拳を握った。
「……わかりました。やってみます」
言葉にした瞬間、胸の奥で小さな火がぱちりと灯った気がした。
――翌朝。
夜明け前の薄闇が街を包み、凍てついた石畳が、かすかな青い光を放っていた。
ギルド前の大通りには、砂を積んだ帆付きのソリが一台、静かに佇んでいた。
「準備はいいですか。サナさん、行きますよ。」
私は返事の代わりに、彼の……腰に回した手に力を込めた。
アルネスが素早く祈りをささげると、ソリの帆がブワリと膨らみ、ゆっくりと進みだす。
風を受けた帆が鳴り、ソリは凍りついた大通りをまっすぐ進んでいく。
街はまだ眠っていて、聞こえるのは、風の音とソリが雪を切るかすかな音だけ。
「……始めます」
私は杖をゆっくり振り、荷台の砂袋を優しく叩いた。
杖の動きに合わせて砂がふわりと浮かび上がり、ソリの後方へ薄く、均一に散っていく。
“ソリに乗って街に砂を撒く”この滑り止めがアルネスの考えた方法だった。
杖の先から流れ出す砂は、まだ薄暗い大通りに静かに降り積もっていく。
最初は淡い灰色だった空が、じわりと桃色を帯び、やがて、日の出の光が街の端から差し込んでくる。
光が砂に触れた瞬間、世界がふっと明るくなった。
舞い落ちる砂粒ひとつひとつが、朝の光を受けてきらりと輝く。
まるで無数の小さな星が、ソリの後ろに尾を引いているようだった。
私は思わず息を呑んだ。
自分の魔法が、こんなにも綺麗に街を照らすなんて――
その美しさに、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「どうしました?サナさん」
前を向いた彼の声は、風の中でも不思議と柔らかく耳に届いた。
「あ……はい。ちょっと、驚いただけで」
「そうですか。なら、よかった」
背中越しに、ふっと力の抜ける気配が伝わってきた。
「どうですか? 乗り心地は」
「え……?」
アルネスは前から視線を離さず、淡々と続けた。
「このソリのことです。ソリの改造はロランとゴウが、帆の縫い上げはカリーナさんとルミーナさんが……夜通しでやってくれました。」
返事をしようと口を開いた、その瞬間だった。
――ビュオッ!
横から突風が吹きつけ、ソリがぐらりと揺れた。
「っ……!」
帆が大きく煽られ、ソリが横滑りする。
大きな衝撃が体を襲い、視界が揺れた――視界の端で。
「うわっ!」
誰かが、同じ突風に煽られて転びかけていた。
「危ない!」
考えるより先に、杖に魔力が走る。
杖を向けた先、伸びあがる砂の柱が、倒れそうな体を優しく支えた。
助かったのを確認した瞬間、安堵に力が抜ける。
よかった……けど、私の体は宙に放り出されそうなままで――
「危ないっ!」
アルネスの腕が私の肩を抱き寄せた。
息が触れそうな距離。心臓が跳ねる。
胸がどくどくと脈打つ。
怖かった。……でも、助かった。
止まったソリの上、アルネスは私を抱き寄せる腕にそっと力を込めた。
彼の声が、頭の上から優しく落ちてくる。
「大丈夫ですか、サナさん。見事でしたが、無理はいけません。」
私は返事ができないまま、コクコクと頭を動かすことしかできなかった。
大通りの砂まきを終えてギルド前に戻ると、もう人の声と足音で賑わっていた。
冒険者たちは滑り止めの効きを確かめると、砂袋を担いで次々と動き出していく。
「助かった! これでなんとかなる!」
「まだ滑るが……これなら十分だ!」
声をかけられるたびに胸が熱くなる。
ギルド職員さんも深く頭を下げ、元気に声を上げ、砂まきの段取りを整えていく。
じんわりと広がる達成感を胸に、杖を握り直してそっと息を整える。
「サナーっ! あとアルネスも!」
人込みをかき分けるように、カリーナが飛び出してきて抱きついてきた。
背中にふわりと温もりが触れ、ルミーナにも包まれる。
その隣で、先輩の豪快な笑い声が響いた。
「よくやったなあ! お前らのおかげで街が動き出すぞ!」
みんなに囲まれていると、少し離れた方から低い声がした。
「……帰るぞ」
腕を組んだままのロランと目が合うと、彼はくるりと背を向けて歩き出した。
短い一言だけど、私は知っている。
あの背中は、しっかり“よくやった”と褒めてくれていた。
「僕たち早朝組と徹夜組はここまでです。一足先に帰りましょうか」
アルネスがそう言うと、ゴウとカリーナが同時に手を挙げた。
「夜はお祝いだぞ! ごちそう作るからな!」
「飾りつけは任せて! 絶対かわいくするから!」
私の撒いた砂はほんの少し、みんなの足元を確かにしただけ。
それでも街は少しずつ活気を取り戻し、行き交う人々の声も明るくなった。
私は深呼吸をして、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。
街中を走り回って疲れているはずなのに、不思議と心は軽かった。
瞼に浮かぶのは、魔力に乗って広がる砂の煌めき。
青い街に朝の光が差し込んだ瞬間、砂粒が星を届けるみたいにきらりと尾を引いた。
その光景を思い出すだけで、自分の魔法がまた少し好きになれた。
「サナさん」
アルネスの声にはっとする。いつの間にか歩みが遅れていたらしい。
気づけば、隣のアルネスだけがそっと歩調を緩めてくれていて、その距離は、いつもより近かった。
「……本当に、よくやってくれました。ありがとう」
その声は、風よりも静かで、どこか照れくさそうで。
頬がぱっと熱くなる。さっき抱き寄せられた瞬間まで蘇ってしまい、喉がきゅっと詰まった。
「い、いえ……私、ただ……」
赤くなった顔を隠すように、視線を落とす。
けれど、アルネスはそれ以上何も言わず、ただ並んで歩いてくれた。
しばらく無言のまま、みんなの後を追う。
けれど、その沈黙は不思議と心地よかった。
街のあちこちから聞こえる人々の声が、少しずつ日常を取り戻していく。
陽の光に満ちた街を、私はアルネスと並んでゆっくりと歩いた。
地味女、土魔法で我道を拓く 泉井 とざま @TOZAMA_SUN
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