New Australia

固ゆでたま子

スクー・リオナとカパリア

 多くを持っているだけでは、この街では成功しない。


 この街は、毒虫の外骨格が放つような光沢を湛えている。

 この街には、血と硝煙の臭いのする雨が降っている。

 この街には、黒く濁ったエンジンオイルのような衝動が渦巻いている。


 多くを持ってはならない。

 優しさを持ってはならない。

 躊躇してはならない。

 安定してはならない。

 生きたいと思ってはならない。


 宇宙を目指す化学燃料ロケットが可能な限りその重量を軽くするように、この街では、可能な限り脳みそを軽量化しなければならない。あるのはただ、殺戮衝動か社会的断絶意識か、あるいは仕事を完遂するだけのタフさでなければならない。


 この街で成功するには、多くを捨て去らなければならない。



×××



 その日のスクー・リオナのネオンは、205号線を進む、動脈硬化患者の血流のような車両の列を照らして、生き物のように揺らめいていた。

 <Mos>第2ホールのカウンターでは、バーテンのダウリーが後ろの棚の酒を手に取りながら、まるで喪主を見る親戚のような顔つきで、アイビッシュを見た。

 ダウリーは言う。「リオナに来るのは初めてか」

 アイビッシュは彼の顔を眺め、その表情にあるのが少なくとも好意よりは哀れみに近いことを悟っていた。「ええ。前に来たのを忘れていなければ」

「この街に一度でも足を踏み入れたら、二度と忘れることはできねえよ……死なない限りな」

「……私が死にそうに見える? それとももう死んでるってわけ?」

 ダウリーは酒をつくり終えると、彼女がカクテルの表面に浮いたレモンの皮を揺らすのを、少し眺めた。「アイビッシュ……イヴと呼んでもいいか?」

「どうぞ」

「なあイヴ。お前はそのグラスに浮かんだレモンの皮みたいなもんだ。この街の――少なくともウィリアムズみてえな中堅どころの斡旋アセンブラはな、お前ごときの新米を頼りにしたりはしねえ。報酬は何ドルだって?」

「10000ドル」

「そいつぁスゲエよな。お前にそのくらい入るなら、ウィリアムズはまず5万は堅いだろう。そんなオイシイ仕事を是が非でも成功させたいってときに、なんでNAに来たばかりのヒョロヒョロ女を奴が雇うんだ? どう考えてもおかしいだろう。それともお前は……」

 ダウリーが最後まで言う前に、アイビッシュは深く同意した。「そうよ。私は何も考えてない。 ウィリアムズが言った通り、カパリアのクラブ<Caterpillar>で企業の重役を襲い、カバンの中身を盗んでくること以外はね」

「その結果死が待っていてもか?」

「ええ。仕事をしてもしなくても、死は待ってるもの」


 ああ、そいつは違いない、とダウリーは思った。ここでも、他の地方でも、死は万人を平等に待っている。ただこのNA・セントラルの死神の喉が、他に比べて少し血に渇いているというだけの話だ。

「そいつは奢りだ」

 アイビッシュはホールの照明が反射するグラスを、ダウリーに向かって掲げて見せた。半分飲み干した液体が海のように揺らめいた。「私の生と、死に」

「勘違いするなよ。初めての客には必ずそうしてる。悔しかったら生き延びてまたここに来るんだな」



×××



 205号線を南に15km進み、ほどなくして彼女は<Caterpillar>の入るビルに到着した。

 カパリアは周囲を丘陵に囲まれた盆地であり、風が少ない。そのためリオナよりも夜の体感温度は暖かく感じられる。

 オニキスを模したビルの外壁を彼女が眺めると、周囲の街灯や変電所の明かりを反射し、まるで太古の王族の墓のように見えた。

 

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New Australia 固ゆでたま子 @KatayudeTamako

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