第6話 憧れの姿

 少し時間が戻る。

 狩りを終えて宿に戻った子どもたちは、泥と血と汗にまみれたまま裏庭に腰を下ろした。

 体中が痛み、息は荒く、もう動く気力すら残っていない。

 だが獲物のリトルボアはしっかりと横たわっている。確かに自分たちの手で仕留めた証だ。


 しばしの休憩ののち、裏口の戸が開き、タチヌイの巨体が現れた。

 その場の空気が一気に引き締まる。


「……ふむ」


 彼の視線が、まずリットンに注がれた。

 擦り傷だらけの腕、破れた膝、泥で黒ずんだ頬。

 タチヌイは無言のまま歩み寄り、リットンの前に立つ。


「……っ」


 叱られる、とリットンは思った。

 胸がきゅっと縮こまり、目を伏せる。


 だがタチヌイは何も言わず、まずクーガンに視線を移した。


「状況を話せ」


「はい。畑の周囲で足跡を見つけて、森の縁でリトルボア二匹と遭遇しました。……最初にバンターが突っ込み、吹き飛ばされました」


「ちょっ、クーガン! そこは言わなくても……!」


 バンターが真っ赤になって抗議する。


「事実だ」


 淡々と告げるクーガンに、ローヌが肩をすくめる。


「でもまあ、最後はみんなで力を合わせたのよ。リットンも石を投げて注意を逸らしたし」

「……なるほどな」


 タチヌイの視線が再びリットンに戻る。

 ごくりと唾を飲み、リットンは縮こまった。


「お、俺……足を引っ張ってない、かな……」


 震える声。

 その瞬間、タチヌイの大きな手がぐしゃりと頭を覆った。


「うわっ!」


 ごつごつした手のひらが、がしがしと容赦なく髪をかき回す。

 痛いような、でも温かい感触。


「よくやった」


「……え?」


「誰が倒したかなんざどうでもいい。誰も欠けずに帰ってきたことが一番だ」


 その声は低く太く、しかし不思議な優しさを含んでいた。

 リットンの胸が一気に熱くなり、視界がにじむ。


「お、おれ……」


 言葉が出ない。

 でも涙はこぼしたくない。

 必死に唇をかみしめて顔を伏せる。


 タチヌイはそんなリットンを見下ろし、ふっと鼻で笑った。


「……リットンは、もう分かってそうだな」


「え……」


「仲間がいるってことの意味を、だ」


 にやりと口角を上げる親父の顔。

 リットンは堪えきれず、ぐいっと袖で目をこすった。


「……うんっ!」


 声が裏返り、顔が真っ赤になる。

 それでも笑みを隠せなかった。


 その後もバンターが「俺が囮になったから勝てたんだぞ!」と胸を張れば、ローヌが「足を引っ張っただけでしょ」と突っ込み、クーガンが「次は足並みをそろえろ」と一刀両断する。

 タチヌイはそれらを聞きながら、苦笑いを浮かべていた。


「……まあ、バンターも次は少しは考えろ」

「ちぇっ……でも褒められたってことでいいんだよな?」

「どうだろうな」


 タチヌイの笑みに、全員が思わず笑い声を上げた。


 リットンは胸の奥で繰り返し、タチヌイの言葉を噛みしめていた。


 ――よくやった。

 ――誰も欠けずに帰ってきたことが一番。


 その一言が、何よりも嬉しかった。

 恥ずかしくて顔は真っ赤なまま。

 それでも頬の緩みは隠せなかった。


 数日後の夕刻、風灯デンロゾーの宿の食堂はにぎわいの真っ只中だった。

 冒険者たちが長椅子に腰を下ろし、大皿に盛られた肉をがつがつと頬張る。

 商人たちは酒を片手に談笑し、子どもたちの笑い声が混じる。

 油のはぜる音、香ばしい匂い、賑やかな笑い声――いつもの光景だ。


 だが、その夜は少しだけ違っていた。


「この前の子どもたち、見たんだろ?」

「おう、リトルボアを仕留めたって話な。泥だらけで帰ってきたそうじゃないか」

「大したもんだ。まだ小僧のくせに、度胸はあるらしい」


 角の席で杯を傾けていた冒険者たちが、笑いながらそんな話をしていた。


 その言葉が、給仕の皿を抱えたリットンの耳にふっと届いた。

 思わず足が止まり、胸がくすぐられるように熱くなる。


「……っ」


 嬉しい。でも、顔に出すのは恥ずかしい。

 リットンは慌てて皿を並べ、深呼吸して気持ちを抑えた。


 ――天狗になっちゃだめだ。俺なんか、まだ石を投げただけだし。


 そう心の中で言い聞かせると、また皿を抱えて客席へと向かった。


 閉店後。

 客が引け、食堂の喧騒が落ち着いた頃。

 リットンとバンターは二人で机を拭き、椅子を片付けていた。


「なあ、リットン」

「ん?」

「俺……突っ込みすぎたかな」


 バンターは雑巾を握りながら、珍しくしょんぼりとした顔をしていた。

 いつもなら胸を張って「俺が仕留めた!」と叫ぶのに、その夜は声が沈んでいた。


「うーん……確かに危なかったかも」


 リットンは正直に言う。


「だよな……」

「でもね」


 拭いていた手を止め、リットンはにこっと笑った。


「囮になったのはすごかったよ。あれがなかったら、俺だって石を投げる余裕なかったし」

「……へへ」


 バンターが頬を赤くし、頭をかきながら笑う。


「ありがと。そう言われると……ちょっとは自信になるな」

「うん。だから次は、もっと安全にやろうね」

「おう!」


 二人の笑い声が、静まり返った食堂に響いた。


 そこへ、食器を片付けていたクーガンが通りかかる。

 彼は二人をちらりと見ただけで、短く言い残した。


「次は足並みをそろえろ」


 その一言に、バンターは「うっ……」と顔をしかめ、リットンは素直に頷いた。


「うん。分かった」


 真剣な声で返すリットンを見て、クーガンは小さく「……ならいい」と呟き、奥へと消えていった。


 最後に残ったのはローヌだった。

 食器を拭き終え、腰に手を当てて二人を眺める。


「でも、楽しそうだったわよ」

「え?」


 リットンが首をかしげる。


「狩りの最中。泥だらけで必死なのに、どこか楽しそうに見えたの。リットンも、バンターも」

「……そ、そうかな」


 リットンは頬を赤くしてうつむいた。

 確かに怖かった。でも、それ以上に必死で、仲間と一緒に立ち向かうのが楽しかった。


「楽しかったから頑張れたんだと思う」

「それが一番よ。狩りはつらいだけじゃ続かないから」


 ローヌが柔らかく笑う。

 リットンは胸がじんわり温かくなるのを感じた。


 部屋に戻る前、リットンはもう一度食堂を見渡した。

 今は静かだが、数時間前まで笑顔と笑い声でいっぱいだった場所。

 その中に、自分も小さく関わることができた。


「……俺、もっと頑張ろう」


 ぽつりとつぶやく。

 噂に上がったことも、冒険者たちが褒めてくれたことも、全部嬉しい。

 でもそれで天狗になる気はなかった。


 ――次は、もっとみんなを笑顔にできるように。


 その思いを胸に、リットンは自分の部屋へと向かった。


 その日の仕事がすべて終わった頃には、すでに夜も更けていた。

 食堂の賑わいは消え、残されたのは椅子と机の整然とした並び、そして漂う肉とパンの残り香。

 厨房からはトチェイが鍋を片付ける音が微かに響き、廊下ではローヌやクーガンが洗濯物を干している気配がした。

 だが、リットンはひとり裏口から外に出た。


 夜風は冷たく、昼間の熱気をすっかり奪っていた。

 吐いた息が白く揺れ、頬を撫でる風にぞくりと体が震える。

 けれどその冷たさは嫌ではなかった。むしろ目が冴え、胸の奥にあるものをはっきりと感じさせてくれる。


 ふと視線を上げると、宿の二階の窓から温かな光が漏れていた。

 ランプの灯りがゆらゆら揺れ、まるで「おかえり」と言ってくれているみたいだ。


「……きれいだな」


 思わず呟く。

 あの光の下で、笑って食べて、疲れて眠る。

 それが今の自分にとって何よりも大切な居場所だった。


 リットンは胸に手を当て、そっと目を閉じた。

 思い出すのは、ここに来る前の自分だ。

 腹が減って、盗んだパンを奪われ、袋叩きにされて泥にまみれた日々。

 あのときはただ、生きるために必死だった。笑う余裕なんてなかった。


「……生きるだけで、精一杯だったな」


 今の自分は違う。

 宿には親父や女将さんがいて、ローヌやクーガン、バンターがいて、みんなで一緒に食べて笑っている。

 笑顔が絶えない場所。それが、どれほど尊いことか。


 けれど――心の奥にふと迷いが生まれた。


「……もっと笑顔が見たいって思うのは、欲張りなのかな」


 自分がもらっただけで十分幸せなのに。

 これ以上を望むなんて、我がままなのかもしれない。

 そう考えると、少しだけ怖くなった。


 けれど次の瞬間、食堂での光景が鮮やかに浮かんだ。

 冒険者が豪快に笑い、商人が杯を掲げ、子どもたちが肉を頬張って笑顔を見せる。

 その真ん中で、自分も笑っていた――あの温かさを思い出す。


「……やっぱり、笑顔が一番だ」


 小さく息を吐き、目を開く。

 迷いは消えていた。

 欲張りでもいい。

 笑顔をもっと見たいと願うことは、きっと間違いじゃない。


 リットンはゆっくりと立ち上がり、空を見上げた。

 夜空には星が散りばめられ、遠くで犬の遠吠えが聞こえる。

 その下で、自分の小さな拳を握りしめた。


「俺、ここから冒険者になるんだ」


 声に出すと、不思議なほど力が湧いてきた。

 自分の足で立ち、自分の力で仲間を守り、みんなを笑顔にする。

 それが、今の自分の望みだった。


 背中に冷たい風を受けながら、リットンは再び宿の灯りを見上げた。

 暖かい光は、これから先も迷わぬように導いてくれる道標のように思えた。


「……絶対、叶える」


 小さな背中はまだ頼りない。

 けれどそこには確かな決意が宿っていた。


 宿の灯りを仰ぎ見るその姿の向こうに、まだ見ぬ未来の道が重なっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小さな冒険者――食べることにも苦労した僕が未来を見つけるまで とと @toto3haha3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ