樹人のソー

不似透

樹人のソー

森の奥は、静寂の中に脈動を秘めていた。木々の葉擦れが風に揺れ、鳥の声は次第に遠ざかり、やがて森はまるで息を止めるかのように沈黙する。外界から迷い込んだ者にとって、その沈黙はただの自然の営みに過ぎぬと映るだろう。だが、この森に足を踏み入れた者は皆、同じ感覚を抱く。見られている、と。木々そのものに、根に、枝に、幹に、全てを観察されていると。


 その中心に、巨木が一本立っていた。周囲の木々よりも遥かに太く高く、幹の表皮にはひび割れのような刻印が無数に走っている。夜の帳が下りると、その刻印は仄かに光を放ち、まるで呼吸するように明滅する。森の者たちは、その木を「ソー」と呼んだ。意味を問う者は少ない。ただ、名は古くから囁かれてきたものであり、誰も疑問を差し挟むことはなかった。


 人の姿を模した木像が、ソーの根元に散乱している。苔に覆われ、蔦に絡まれ、どれも時を経て崩れかけていたが、不思議と人の形を保っていた。膝を折る者、両手を掲げる者、地に伏す者。その表情は消え失せているのに、恐怖や絶望の残滓が形のまま凝固しているかのようだった。


 ある旅人が、森を抜けようとしてそこに至った。彼は道に迷い、太陽の位置も見失い、ただ本能に導かれるように歩いた末、巨木の前へと辿り着いた。疲労は限界に達し、飢えも渇きも酷い。にもかかわらず、目の前の光景に立ち尽くすほかなかった。


 幹の裂け目から、温かな風のようなものが吹き出していた。だがそれは風ではなく、息のようでもあり、囁きのようでもあった。耳に届く声ははっきりとした言葉ではなく、木々のざわめきの延長線に過ぎない。だが旅人は直感した――呼ばれている、と。


 手を伸ばした。乾いた掌が幹に触れると、ひび割れの光が一斉に強まり、森全体が震えた。土が鳴動し、根が地面を割り、空気は濃密に凝縮していく。旅人の身体は力を奪われるように崩れ落ち、次の瞬間には地面に吸い込まれるように沈み始めた。声を上げようとしたが、喉は閉ざされ、息は土に呑み込まれていく。


 暗闇の中で、意識だけが浮かんでいた。周囲には無数の声が囁いている。泣き声、叫び声、祈り、呪詛。それらが絡み合い、混ざり合い、一本の幹の中を流れていくように響いた。旅人は理解した。ここにあるものは全て、吸い込まれた人々の記憶だと。逃れられぬ声の渦に巻き込まれながら、彼自身の記憶も少しずつ剥ぎ取られていった。


 名を忘れた。過去を忘れた。人であったことすらも、溶けるように消えた。代わりに根のざわめきが頭を満たし、枝葉の震えが心を支配する。やがて、土の中から新たな幹が芽吹いた。旅人だったものは、静かに成長し、木の形を取り始めた。


 森はまたひとつ、声を増やした。


 やがて季節は巡り、外の村に不穏な噂が広まる。森へ入った猟師が戻らぬ。薬草を採りに行った娘も帰らぬ。口を揃えて語られるのは、最後に見た巨木のこと。光を放ち、息を吐く木――ソー。誰も近づかなくなり、森は聖域とも禁忌とも称されるようになった。


 だが、飢饉や病が人々を追い詰めると、必ず誰かが森に足を踏み入れる。救いを求め、力を求め、あるいはただの絶望に駆られて。彼らがどうなったかを知る者は、ひとりとして戻らない。だが森は確かに繁茂し続ける。葉は濃く、幹は太く、根は大地を裂き、森そのものが息をしているかのようだった。


 村にひとり、老人がいた。かつて森に迷い込んだことのある男だ。彼だけは戻ってきた。だがその時すでに髪は真白に変わり、両目は失われていた。彼は口癖のようにこう繰り返す。


 ――森は人を食わぬ。人が森に食われるのだ。


 村人たちはその言葉の意味を理解できず、恐怖だけを深めた。老人はやがて静かに息を引き取ったが、その顔には笑みとも苦悶ともつかぬ歪みが残っていた。






 そしてまた、夜が訪れる。巨木は光を灯し、森は息を吐き、声がざわめく。新たな犠牲を求めるように。


 森を恐れながらも、人々の生活は森に依存していた。木材も薬草も、狩猟の獲物も、全て森から得られるものだ。だから禁忌の地とされていても、境界線は曖昧であり、必要に迫られれば人は森の縁へと足を踏み入れる。ある若者もまたそうだった。家族を養うために獲物を求め、夜明けと共に森へ入った。


 最初は平穏だった。鳥が飛び、虫が鳴き、木漏れ日が差していた。しかし、進むごとに音は薄れ、風は止み、空気は濃密さを増していった。やがて足が勝手に別の方向へ導かれる。獣道でもない、足跡もない、ただ木々が密集した暗がりへ。若者は気づけば、戻る道を見失っていた。


 胸の奥を掻きむしられるような不安に襲われる中で、彼は巨木を見た。そこに立つだけで、世界の重心が歪んだように感じる。目を逸らしたくても逸らせず、息を止めたくても止められない。幹のひび割れが淡く光り、脈動するたびに心臓が同じ調子で打ち震える。気づけば、若者はその根元へと歩いていた。


 根の間に、石で囲まれた空間があった。祭壇とも牢獄ともつかぬ形をしている。そこには奇妙な木片が並べられていた。指ほどの大きさの枝が、まるで骨のように整然と置かれている。それはただの枝ではないと、直感が告げた。人の名残、人の形の断片。声にならぬ声が若者の耳に流れ込む。助けて、ここにいる、まだ、まだ――。


 恐怖で足を引こうとした。だが、土が粘りつくように絡みつき、逃げることを許さなかった。やがて根がゆっくりと持ち上がり、巨大な顎のように開いた。幹の中から湿った吐息が溢れ、甘やかな匂いと腐敗の匂いが混ざり合って漂う。若者の視界が歪み、力が抜け落ちた。


 そのときだった。声がした。直接耳ではなく、頭蓋に響くような声だった。


 ――汝、喰われるか。

 ――それとも、共に根付くか。


 意味を問う余裕もなかった。ただ生き延びたいという本能だけが、若者を支配した。震える唇から漏れたのは「助けて」という一言。その瞬間、根は彼を優しく抱きしめるように包み込み、幹の裂け目へと引きずり込んだ。


 意識は再び暗闇に沈み、数えきれぬ声に呑まれた。泣き声、叫び、怒号、祈り――。それらが波のように押し寄せ、次々と若者の思考を押し潰していく。やがて声は一つにまとまり、森そのものの響きとなった。


 ――選んだのだ。ならば芽吹け。


 その言葉と共に、若者の身体は形を変えた。皮膚は硬く、ひび割れ、木目を帯びる。指は枝となり、髪は葉となり、背からは幾筋もの根が生え落ちる。痛みはなかった。ただ、自分というものが樹へと書き換えられていく感覚。人であった記憶が消える代わりに、森の声が内側から満ちていった。


 時間がどれほど過ぎたかは分からない。ある日、森の縁に立つ人々の姿を「それ」は見た。彼らは恐怖に顔をこわばらせ、森に石を投げ、叫んでいた。その叫びは遠く、霞の向こうから響いているように感じられた。かつて人だった存在は、ただ静かに立ち、葉を揺らした。


 村人たちは口々に言う。「また森が大きくなった」と。畑の端が削られ、川の流れが変わり、獣が人を避けるようになった。だが誰も巨木を伐ろうとはしなかった。斧を振るえばどうなるか、皆が知っていた。触れた者は戻らない。森に抗えば、森に呑まれる。


 それでも人は追い詰められる。飢饉は深まり、病は広がり、祈りだけでは救われない。ついに村の者たちは決断した。森の中心に立つ巨木に供物を捧げれば、あるいは災厄は収まるのではないかと。老人の言葉を思い出し、禁忌を破る覚悟を固めた。


 その夜、松明を掲げた列が森へと進んだ。子どもを抱えた女が泣き叫び、縛られた男が呻き、祈りの声が夜気を満たす。犠牲を差し出すことで森の怒りを鎮めようと、必死の理屈を編み出したのだ。光の揺らめきに照らされ、巨木は黙然と立っていた。幹の裂け目は脈打ち、眩い光を放ち始める。


 人々は恐怖と期待の入り混じる中で、供物を根元へ置いた。息を潜め、光が収まるのを待った。だが次の瞬間、地が裂け、根が生き物のように蠢いた。犠牲として差し出された者だけでなく、近くにいた村人もまとめて絡め取り、裂け目へと引きずり込んでいく。悲鳴と血が飛び散り、松明が次々に地へ落ちた。


 夜は赤く照らされた。だが燃えるのは松明だけであり、森は微塵も焦げなかった。むしろ光に照らされ、枝葉はより濃く揺れ、声は一層大きく響いた。供物を捧げることは赦しではなく、さらなる糧でしかなかったのだ。






供物の夜以来、村は急速に衰退した。森が膨れ上がる速度は加速し、田畑は根に侵され、井戸は濁り、獣は姿を消した。人々は怯えと飢えに苛まれ、互いを疑い、次第に村そのものが崩壊していった。


 逃げ出す者もいた。だが、森を抜けようとした者は皆、同じ運命に遭った。どの道を行っても木々は立ち塞がり、夜が続き、同じ景色が繰り返される。足を止めれば声が囁き、眠れば夢の中に巨木が現れる。逃亡者たちは一人、また一人と姿を消し、やがてその名を呼ぶ者さえいなくなった。


 残された者たちは森を神と呼び始めた。ソーは人を裁き、命を選ぶ存在だと。恐怖を信仰へと変えることでしか、生き延びる術がなかったのだ。木の根元に小さな供え物を置き、祈りを捧げ、声を合わせて唱える。だが返ってくるのは、森全体を震わせるざわめきだけだった。それは答えではなく、ただ食欲の音にすぎなかった。


 ある日、一人の女が決意した。子を抱いたまま森へ向かい、巨木の前に跪いた。子の命を差し出す代わりに、村を救ってほしいと叫んだ。その声は森に吸い込まれ、静寂が訪れる。幹のひび割れが淡く光り、裂け目がゆっくりと開いた。女は恐怖を超えて子を差し出そうとしたが、その瞬間、根は彼女自身を掴み取り、子を残したまま幹の奥へ引きずり込んだ。


 地に残された赤子は泣き叫んだ。やがてその声も森に吸い込まれ、泣き声はざわめきに溶けた。赤子の姿は消えぬままだった。まるで「次はこの命を味わう」と告げるように。村人たちは震え、目を逸らした。


 その後、子は育った。だが彼の周囲には常に影がまとわりつき、夜ごと森の声が耳元で囁いた。眠りの中で幹の裂け目が口を開き、母の声を模して呼びかける。彼は次第に正気を失い、ある夜、ひとりで森へ歩いていった。二度と戻らなかった。


 村にはもはや子どもの声は響かなくなった。笑いも、歌も消え、ただ呻きと祈りだけが残った。


 時が流れた。森は村を完全に呑み込んだ。家屋は根に絡め取られ、屋根は枝に覆われ、道は草に埋もれた。人々は森の中で暮らすしかなくなった。だが森の中で暮らすということは、常に巨木の眼差しに晒されることでもあった。


 人は人であることを諦め始めた。木の実を食らい、葉を纏い、声を失い、やがて枝や根と同じように動かなくなった。仲間だった者の姿が次の日には木片へと変わり、その木片が巨木の根元に転がる光景も、日常の一部となった。恐怖はすでに感覚を麻痺させ、誰も悲鳴を上げなくなった。


 森は繁茂をやめない。風が吹けば枝葉はざわめき、雨が降れば根は大地を割り、光が差せば幹は輝いた。そのすべてが生き物の呼吸であり、声であり、意志だった。人々はその意志に抗うことをやめ、ただ「共にある」と口にした。


 だが、それは選択ではなかった。ただ食われることを受け入れただけだった。


 ある夜、森全体が震えた。地鳴りが響き、枝葉が空を覆い、星が消えた。幹の裂け目は今までにないほど大きく開き、中から光とも炎ともつかぬ奔流が溢れ出した。それは叫び声の集合体であり、笑い声の残響であり、無数の命の断片だった。村に残された最後の人々は、その光に包まれながら、声を上げることすらできなかった。


 翌朝、森の中には人の姿は一つも残っていなかった。ただ根元に散乱する木像が新たに増えていただけだ。跪く者、祈る者、抱き合う者。その姿はあまりに人間的でありながら、確かに木でできていた。


 巨木は静かに立ち、森は息を吐き、声は絶え間なく続いた。


 それが終わりではなく始まりであることを、誰も知る者はいなかった。






 森は村を飲み込み終え、次なる地へと広がり始めた。根は地脈に沿って遠くまで伸び、枝は風に乗って種を散らす。川の流れすらも変わり、かつて村があった場所は、いまや緑の海と化していた。そこに人の気配はなく、鳥獣すら寄りつかぬ。だが耳を澄ませば、確かに声がある。森全体が呻き、囁き、笑い、泣いていた。


 数日の道を隔てた別の集落に、噂が届いた。「あの森が人を呑み込んだ」と。最初は虚言だと笑う者もいた。だがやがて旅人がその地を訪れ、朽ち果てた家々の代わりに巨木が立ち並ぶ光景を語った。人の骨も血もなく、ただ木像が残されていると。


 恐怖は瞬く間に広がった。森は生きている、森は歩む、と。村人たちは口を揃えた。「あの木の名を口にするな」と。だが、名は禁じれば禁じるほど囁かれ、囁けば囁くほど形を帯びて迫る。子どもが夜泣きすると、母親は「ソーが聞いている」と囁いて口を塞いだ。


 やがて、恐怖は抗う力を奪った。人々は森に対抗しようとはせず、ただ遠ざかろうとした。だが、逃げ延びた先にも種は舞い、根は地を割り、枝は空を覆う。逃げれば逃げるほど、追いつかれる。まるで大地そのものが森に変わりゆくかのようだった。


 ある夜、集落に奇妙な影が現れた。人のようでいて木のような存在。枝を腕に、幹を背に抱き、瞳の代わりに光を宿す。歩くたびに根が地に刺さり、声を放つたびに風が木霊した。その影を見た者は皆、膝を折り、恐怖に声を失った。


 影は告げた。

 ――抗うな。森に還れ。


 その声は命令ではなく、約束のように響いた。聴いた者の心臓は同じ調子で脈打ち、思考は鈍り、身体は重くなった。やがて彼らは自らの足で森へと歩き始めた。泣く者も、叫ぶ者も、すぐに静かになった。根が優しく抱き込み、幹が裂け目を開いて受け入れる。抵抗する声はひとつも残らなかった。


 こうして新たな集落は、一夜にして姿を消した。翌朝そこにあったのは、整然と並ぶ木像の群れと、さらに太くなった巨木の影だった。


 森の広がりに終わりはなかった。人は逃げ、祈り、泣き、笑いながら消えていった。だが誰も勝てなかった。斧も火も刃も効かず、切り倒そうとした者はその場で木片となった。森は食うのではなく、人を「取り込む」のだった。命も記憶も声も、すべてを自らの枝葉として加え、肥やしとして繁茂する。


 いつしか、人々は忘れた。かつて村があり、人が暮らしていたことを。残されたのはただ、樹々のざわめきだけ。


 そのざわめきは確かに言葉を持っていた。

 ――我らは一つ。

 ――我らはソー。

 ――森こそが命。


 それはかつて人であった声の合唱であり、終わりなき祈りの残響だった。


 そして、ある旅人が再び森へ迷い込んだ。遠くの地から来た者で、この地の噂を知らなかった。彼は巨木の前に立ち尽くし、光に見惚れ、耳に声を受け入れた。問いかけられる。


 ――汝、喰われるか。

 ――それとも、共に根付くか。


 答えは決まっていた。恐怖を超えて、ただ生きたいと願う限り。


 森は拡がり続ける。誰も止められず、誰も逃れられず、誰も終わらせることはできない。やがて大地のすべてが森に覆われ、人の記憶は完全に失われるだろう。


 そのときこそ、樹人の名は真に完成する。




 ――すべてがソーとなるのだ。




森の広がりは、もはや人の時間では計れぬほどの規模に達していた。幾つもの集落が消え、道は失われ、地図は意味をなさなくなった。旅人が道を尋ねても、答える声はなく、気づけば彼自身も森の囁きの一部となる。


 かつて人々が築いた石の街すら、やがて森に呑まれた。石畳は根に割られ、塔は枝に覆われ、窓からは葉が溢れ出す。人々は逃げ惑ったが、森は容赦なく追い詰めた。どれほど高い壁を築いても、根は下から潜り込み、枝は空から覆いかぶさった。火を放っても燃えず、刃を振るっても折れず、最後には声に取り込まれる。


 街の中央に立つ大聖堂もまた、例外ではなかった。祈りを捧げる群衆の頭上に枝葉が落ち、光が消え、暗闇が覆った。聖歌は悲鳴に変わり、悲鳴はざわめきに溶けた。次に朝が訪れたとき、そこにはもはや街の形はなく、ただ樹々の海が果てしなく広がっていた。


 人は語った。「これは罰だ」と。

 人は語った。「これは救いだ」と。

 人は語った。「これは終わりだ」と。


 だが、森は答えなかった。ただ声を増やし続けただけだ。


 森に飲まれた者たちは死んだのではない。彼らは形を変え、声を残した。誰かが助けを求めれば、別の誰かの笑い声が返る。誰かが祈れば、別の誰かの罵声が応じる。無数の声がひとつに溶け、巨木の脈動と共に繰り返される。


 ――我らは一つ。

 ――我らは森。

 ――森はすべて。


 その合唱はもはや人の言葉ではなかった。意思を持たぬ意思、終わりを知らぬ終わり。


 季節が巡っても、森は衰えなかった。雪が降れば枝が受け止め、雨が降れば根が飲み干す。嵐すらも森の息吹となり、大地は完全に掌握された。空を覆う枝の隙間からは、もはや太陽の光はほとんど届かない。薄暗い世界で、人の文明は静かに消えていった。


 やがて、人という種そのものが記憶から薄れていった。かつて何が存在したのかを語る者はおらず、残されたのはただ木像だけだった。跪き、祈り、抱き合う姿をした木の群れ。その表情は消えていても、恐怖と絶望が確かに刻まれていた。


 だが、森はそれさえも抱き込んだ。木像は崩れ、根に絡まり、やがて土へと還る。残るのは声だけ。記憶も名もすべて混ざり合い、誰が誰であったかを問うこともできない。


 大地は完全に森に覆われ、空は枝葉で閉ざされた。かつての世界は跡形もなく、ただ無限のざわめきが響き渡る。


 そして、巨木は最後にひとつの言葉を放った。


 ――我はソー。

 ――汝らはソー。

 ――すべてはソー。


 それは宣告ではなく、ただの事実だった。


 こうして世界は終わった。人の時代は閉ざされ、森の時代が訪れた。生き残りも、希望も、逃げ場もなかった。あるのはただ、枝葉のざわめきと、無数の声が溶け合った永遠の合唱だけ。


 その響きが続く限り、森は栄え続ける。

 そして誰も、それを終わらせることはできない。


 ――これは救いではない。罰でもない。

 ――ただの「必然」だった。


 森の呼吸が、大地を包み込んだ。

 すべては根付き、すべては声となり、すべてはひとつに溶けた。


 ――世界は、樹人のソーである。

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樹人のソー 不似透 @glaple

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