第30話

 明朝、もとい明晩。


 私はリリィに夕食の一時間前に起こしてくれるように頼んでいた。入学試験を終えてからの二日間、想像以上にドタバタとしてしまい、当初の想定よりもストレスが溜まっていたのだ。特にあのバカのせいで。


 先手を打って、波路が私のストーカー野郎という事にしてうまく周囲を丸め込んだ気でいたがツメガ甘かった。それは『高慢の寮』だけでなく全ての寮、なんならバリンルザ・サーサリィアカデミー全域に流布しなければ効果がないと気が付いていなかった。


 恐らくは波路が一般学生の食堂であることないことを言いふらし、それを聞いた連中が面白おかしく尾ひれを付けて流言飛語も甚だしい内容で流布したに違いない。


 傍目には主席合格者と最下位の落ちこぼれのラヴロマンスに見えている。魔に隷属する者が餌にしない訳がない。


「おはようございます。アヤコ様ぁ」

「おはよ」

「言われた通り、早めに起こしましたけど…」

「ありがと。ちょっとやりたいことがあってね」

「なんでしょう?」

「お風呂に入りたいの」

「え? シャワーですか?」

「ううん。ちゃんと湯船につかりたいの」

「バスタブですか? うーん…」


 何の前触れもなくそんな事を言われたリリィは困った顔を浮かべた。突然の我がままにどうして対処しようかと必死に頭を悩ませている。私の要求にこたえられないのは、彼女の立場からすれば文字通りの死活問題だから仕方がない。


 けど、私だって鬼じゃない。急にそんな並はずれた我がままを言ったりはしない……まあ、偶には言うかも知れないけど。


「大丈夫よ。流石にいきなりそれを用意しろなんて言わないから」


 私は空間収納術を発動して中から方眼紙なんかを丸めて入れる用の筒を取り出した。中には実家から拝借した掛け軸が入っている。尤も表装は私が勝手に加増しているが。


「やっぱり持ってきておいてよかった」


 それを取り出しながら、私は呟いた。自分でもニヤニヤと口角が上がっているのが分かった。


 掛け軸を適当な壁から垂らす。それに描かれていた私の魔法陣を見てリリィはすぐに見当が付いたようだった。


「それって…「独善的な理想郷スマグ・ユートピア」ですか?」

「そ。日本を出る前に作っておいたの」


独善的な理想郷スマグ・ユートピア』とは、その名の通り製作者の理想的な空間を作り出す魔法だ。多くの場合は自分の赤裸々な願望を満たすために使うので、このように持ち運べるようにして墓場まで持って行く秘密として扱うのが常だそうな。


 だが、私の場合は少々目的が違った。何よりも持ち運べるという事に重点を置いたのだ。


 日本の文化や因習のほとんどは嫌いだが、そんな私でも日本に生まれてよかったと思うことだってある。それをリリィに伝える意味も込めて、ドアを引いた。


「Wow!」


 ドアを開いた途端に熱気と湯気とヒノキの香りとが歓迎してくれた。


 そう。お風呂や温泉だけは日本に生まれてよかったと思える数少ない要素だった。


 作ることが難しい魔法だそうで、最初からお風呂場くらいの大きさを作るとは思わなかったとコルドロン先生に呆れられた。しかも水の供給や排水、温度調節に防カビなどと昨日盛りだくさんだ。これを完成させた時から、私に対するコルドロン先生の態度が一つ上の段階に上がったと感じた事を思い出す。


「日本風のお風呂ですか? 初めて見ました。」

「うん。私って基本的に湯船につからないとダメなの。さ、一緒に入ろ」

「え、私もですか?」

「嫌ならいいけれど」

「いえいえ~。ご一緒しますぅ」


 残念ながら脱衣所は作り忘れていたので、二人して部屋で服を脱いだ。どの道この相部屋にあるシャワールームに入るにはこうしないといけないので関係はない。


 別段、恥じらいもなく服を脱いだ私は一足先に浴室へと入り、巨大なガラス窓に模して作った魔法用のスクリーンにとりあえずは森林の映像を投写すると、シャワーで軽く体を流した。


「ではお体を洗いますね」

「お願い」


 せっかくの申し出だったので、甘んじて髪や背中を洗ってもらう事にする。


 実家にいた時も濡れ女子や磯女、あかなめなんかに湯女をさせていたが、その誰よりも丁寧で心地よかった。正直、リリィにしてもらうシャンプーにはハマりそう。


 そして今度は私がリリィの事を洗ってあげた。遠慮はされたが、結局は私が押し勝った。お風呂場でのこのくらいのサービスなら別に毎日でもしたっていい。リリィとは従者の契約こそしているが、友達としても接してもいいと思っている。あと、女から見ても色っぽい体つきはどうしたって洗ってみたくなったのだ。


 そうして二人して湯船に入る。溢れたお湯が流れ落ちる音と一緒に私達は同じタイミングで息を漏らした。


「ふう」

「木でできたバスタブなんて初めてです。香りは独特ですけど」

「ヒノキっていう木でできてるの。欧米ってお風呂の文化がないって思ってたから用意してたんだけど、正解だった」

「ホントいいですねぇ。これからもご一緒してもいいですか?」

「ええ。気に入ってくれたならよかった」

「ならバス用のグッズとか用意しておきますね」

「いいねぇ、それ」


 アメリカのグッズ事情は分からないので、ここはリリィに全任せだ。バスグッズが充実するようだったら、また新しくお風呂を作ってもいいかもしれない。岩風呂とか、大理石とかアイデアはごまんと浮かんでくる。とは言え、時間と魔力に余裕があればの話だが。


 そうして久々の湯船にリラックスしていると、二人そろって気が抜けてしまいのぼせる一歩手前のところまでいってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ストーカーを堕とす天才魔女のストラテジー 音喜多子平 @otokita-shihei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画