絵の中の世界
齊藤 車
絵の中の世界
生まれつき身体が弱く、一度も外の世界を見たことがない少女がいました。
大昔の戦争で汚れた空気に、少女の肺が耐えることができなかったのです。
だから少女は、強い浄化作用を持つ希少な植物のある部屋の中から、一度も外に出たことがありませんでした。
そんな少女が暮らす集落に、旅をしていた絵描きの青年が訪れました。
不憫に思った青年は、今まで描いてきた絵を少女に見せました。
きらめく湖、緑の森。金色に輝く麦畑。
少女は目を輝かせて言います。
「世界には、まだこんなところが残っていたのね」
青年の目に迷いが生まれました。それから少し考え、ゆっくりと頷きました。
「いつか外に出て、自分の目で見ることができるかしら」
「きっとできるよ」
そう答える青年の表情は、どこか寂しげでした。
青年は少女にそれらの絵を差し出しました。
少女は受け取った絵を部屋に飾り、嬉しそうに眺めています。
青年はこの集落にしばらく滞在することにして、青い海の絵を描き始めました。
少女にせがまれ、青年は少女の部屋で毎日少しずつ海を描きました。
少女は飽きることなく、一日中絵を描く青年の姿を見つめていました。
一瞬、青年の筆が止まりました。
「どうしたの?」
少女が聞きました。
「大丈夫。思い出した」
青年の筆が再び進み始めます。
やがて、海鳥の舞う美しい海の絵が描き上がりました。
青年は、完成したその絵も少女に渡しました。
その絵を抱きしめて、少女は言いました。
「ありがとう。あなたのおかげで、私は世界に残された美しい一面を知ることができたわ」
青年は少女にお別れを言い、俯いたまま部屋を後にしました。
分厚い扉を閉じ、旅支度を始めます。
絵の具と筆を丁寧に梱包して荷物にまとめ、服を分厚く着込んでガスマスクとゴーグルを装着しました。
世話になった人々にお礼を言って、青年は集落を後にしました。
集落を少し離れると、そこに広がっていたのは埃の混じった黒い風が吹き荒ぶ荒廃した世界でした。
少女の暮らす集落を最後に一度だけ振り返ります。
本当は、青い海も美しい湖も生い茂る森も金色に輝く畑さえも、この目で見たことはありません。
絵は、昔の本や残された絵画を見て真似して描いていただけでした。
旅を始めてから、すでに数年の月日が流れています。
それでもまだ、彼は絵のような景色を見つけることができていません。
――まだ見ぬ景色を求めて。
青年は一人で旅を続けるのでした。
絵の中の世界 齊藤 車 @kuruma_saito
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