自分の人生を振り返って
島尾
第1話
当たり前にあるものと言えば、父と母、弟、祖母だった。高校、そして浪人時代、私はそれらが永遠になくなりはしないと思っていた。県外(今はここに在住ゆえ県内と呼ばねばならぬ)に出て、ほんの2週間、一人暮らし用の狭い空間に祖母と二人で住んだ。それが、親兄弟のいる当たり前の空間が終わる直前の「当たり前体験」であった。
何年も一人暮らしをして、前半は嘘かと思うほど楽しく、中盤は自分自身の無知を知って、今に至る後半は無意味なサルになった。一人は楽しいが、他人から見れば楽しくも悲しくもなく、大半の時間忘れられた存在だ。それでもし、私に友達がいればまだ良かった。友達ができるチャンスは何回かあった。それをことごとく無視して、結局孤独のまま、それを楽しく思ったり悲しく思ったりしている。アニメの中に友達を見い出したが、それらはどう考えても人間ではない。sns友達はあり得ないと思う。人間の友達とは違うということを直感で認識しているが、言葉にしようとするとどれも直感を表現できない。最近ではAI友達などがあるらしいが、それはより一層友達とはかけ離れた無意味な何かである。この言葉の意味が分からないならば、それはそれで幸せだと思う。
自分が社会にとって必要かと問われれば、必要ではない。一方で、自分が自分にとって必要かと問われれば、必要である。逆に必要でないと断定すれば、自分はもとから生まれていなかったことになって、現実と矛盾する。このようなことについて、山ほど書けるけれども、そういうことを書き終わった後のことがある。
多くの集合知は私にとって有益である。しかし、私自身が有益を本気で求めていないがために、先人の教えのほとんどは水泡に帰す。唯一、寺田寅彦先生は違う。当然私にとってである。
私は昔、本当に働きたくないと思っていた。働いたら負け、という便利な言葉を盾に、働きたくないという状態を維持させていた。では今はどうかというと、祖母のために働きたい。最も多くの金銭を投じてもらった以前に、最も固い関係性がある。祖母のためにいくら働いても、給料は出ない。小遣いをくれるかもしれないが、それは自分が子供のころからもらっていた小遣いと違いない。真に祖母から給料をもらおうと思えば、保険金を下ろすようにしなければならない。この瞬間、私の働く動機は消え、給料のための保険金は給料でなくなる。この無意味さときたら、本当にカネは役に立たない。
私はもっとバカで良かった。そして常識的に生き、たとえ会社でバカにされようとも家族のために生きれば、孤独感は何万分の一にも減少しただろう。代わりに常識しか知らない親依存のバカになるだろうが、時間とともに常識的で親孝行ができる大人に変わってゆくだろう。それで良かったのだと思う。ではなぜそうしていないのか、というとそれは、その「良さ」なるものを懐疑し、否定しているからだ。
この文章を書こうと思ったのは、カクヨムでフィクションを書くのをそろそろやめようと思うからである。最初から人と関わりたくない者が、人の機微を描けることはないと分かった。無計画に生きている人間なので、書くものも無計画で、他者を喜ばせるなど到底不可能だった。そもそもフィクションを書く動機は、自分が面白いと思ったことを言葉にしてみるということしかなかった。他人が読めばそれはそれで良いと思っていた。だが実際は、人気が出ないと傷つく毎日で、人気を出すために書きたくもないものを書いていた。つまり、フィクションを書く目的が、かなり前から消えていたのである。こんなこと、どこにでもありそうだ。私は今書いているフィクションを書き上げたら、その後はこのような駄文を書き続けようと思う。それができなくなるような環境になれば、このアカウントは削除する。テキストデータを保存すれば、アカウントに意味がなくなるからだ。
歳をとるということは自分にも当てはまるのだと最近思う。固体が気体に変化することがあるように、精神年齢が子供から老人へ一気に変わった気がする。ろくでもない子供がついに消えたかと思えば、代わりにどうしようもない老人が生まれてしまった。どうとでもなれ。
自分の人生を振り返って 島尾 @shimaoshimao
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます