「余白の声」第4話「午前6時の証言」

秋定弦司

感動ポルノと偽善の国で

 夜勤明けの事務室で、俺は白紙のメモ用紙を机に広げていた。窓の外はまだ暗く、街路灯の明かりが雨に滲んでいる。コピー機の待機音だけが低く鳴り、空調の風が書類を震わせていた。


 俺は福祉の現場に立っている。同時に、障害者であり物書きでもある。だが社会は、それらを「余白」と呼ぶ。必要だと口では言いながら、真っ先に削られる場所。あってもなくても同じ、そういう扱いだ。


 今日は出勤してから散々だった。「神が与えた試練」なのか?勘弁してくれ。


 今朝は利用者さん送迎介助から勤務開始。俺は「介助員」として送迎車に乗っている。

 ドライバーから今服用している薬の話を聞かれ、正直に言った。しかし返ってきた答えは残酷なものだった。


「薬物中毒」


 俺がバカだった。このクソ野郎のご立派な前歴に騙された。

 誰も好き好んで薬を飲んでる訳じゃない。風邪薬や胃薬であろうとそれは同じだろう。なんなら代わりにお前が俺の薬を飲んでみるか?


 色々言い訳を並べて飲まないのは目に見えている。もっとも正直に答えた俺もバカだが……。


 利用者に向けて「かわいいですね」と笑いかける職員を、俺は見てきた。別の現場では「かわいそう」と囁く家族もいた。その響きは甘い。けれど本当は、毒の根を持つ言葉だ。飴細工の刃物。触れた相手を、じわじわと切り裂く。言った本人だけは“優しさ”を信じて疑わない。


 この職場でもそうだ。「障害を持ってるのに働いてるってすごい」とキラキラした目で上司から言われた事がある。本人に他意はないだろう。しかし、言われた側としてはたまったもんじゃない。


 俺は「メシ代を稼ぐために」働いてるんだ。何もお前の薄っぺらい感動のために働いてる訳じゃない。


 もしお前が本意でそう思っているなら給料5割増……とまでは言わないがせめて1割ぐらいは上げてくれ……などと頭の片隅で自分を嗤わなければ心が持たない。


 しかし、気がつけば「心の中の拳銃」の引き金に指をかけていた。


 この仕事場の「モットー」とやらを改めて見てみる……ああ、キラキラと素晴らしい言葉が並べ立てられている。だが実際はどうだ?「オノレの醜い差別心を優しさでコーティングして接しなさい」……本音がチラチラと見える。


 無邪気ほど、残酷になる。


「仕事と感情は別にしないと」


 そう言う上司の声を、俺は何度も浴びた。だが感情を剥ぎ取られた人間は、もう人間ではない。冷たい手で接することを、社会は「プロ」と呼ぶ。そして限界を越えて潰れた者には「弱さ」の烙印を押す。


 壊したのはシステムなのに。罪を背負わされるのは、いつだって壊れた側だった。


 蛍光灯の光に照らされた机の上で、俺の手は止まる。


 福祉の仕事をしていると、一番怖いのは「身バレ」だ。支援員だと知られた瞬間、人は俺を聖人に祀り上げる。そして一度でもつまずけば、偽善者として石を投げる。生身の人間ではなく、教材にされる。感動の材料か、嘲笑の的か――そのどちらかだ。


 数年前のことを思い出す。相模原の事件。思い返すだけでも凄惨な事件だった。未だに背筋が凍る。しかし犯人を肯定する声の数々を、インターネットで見てしまった。


「生産性がないから、生きる価値がない」


 その言葉は狂気ではなく、日常に紛れ込んでいた。人は商品にされ、不要品に分類された命は廃棄される。ただそれだけ。


 拍手を送った人間も、やがて同じように“不要”にされる。その未来を想像できないほど、人は浅い。彼らが「不要」のレッテルを貼られた時、どんな反応を示すだろうか?


 SNSにも溢れかえる障害者を侮蔑する言葉の数々……そしてそれらは気に入らない相手を殴り飛ばす「金属バット」と化した。実に滑稽……自らが「金属バットで殴り飛ばされる立場」に転じた時、どのような反応を示すか、それを楽しみながら眺めている醜悪な自分もいる。


 休憩室に戻ると、「障害者」を「自称健常者様」の薄っぺらい感動のタネにし、視聴率を稼ぐ番組が流れていた。反吐が出る。


 ご立派なキャッチコピーだ。だが、地球を救う前に「貴様らの『感動ポルノの見世物』にさえならない障害者」を救ってくれないのか。


 せめてこの程度の皮肉は言わせてほしい。


 そして、こんなくだらない番組で感動している暇があるなら俺の職場に来ればいい。1日と持つまい。2日持てば上等だ。


 とはいえ現実はあれこれ理由をつけて来ないだろうが。なんと「素晴らしい偽善」。こちらからは「偽善ポルノ」とでも言わせてもらおうか。あのテレビ局はこちらも流せばいいのに……。


 不愉快なのでテレビを「野球の試合中継」に切り替えた。贔屓の球団が勝っている……それだけがほんのささやかな救いだ。


 俺はボールペンを取り、白紙に書きつける。


 ――世の中に「簡単な仕事」なんて存在しない。


「誰でもできる」と書かれた仕事は、「お前なら潰れてもかまわない」という本音を飴細工でコーティングしただけのものだ。言葉遊びもここまで来れば素晴らしい出来栄えと拍手喝采モノだ。


 繰り返すが「誰でもできる」というなら、一度やってみればいい。その言葉がいかに空虚か思い知るだろう。


 命を守る仕事は安く買い叩かれ、命を奪う仕組みを動かす仕事が高く評価される。この国の秤は、逆さまに吊るされている。


 そして俺はさっきの白紙とは別に「退職届」という、この職場への「決別宣言」を書き、上司の机の上に置いた。


 余白には「クソッタレ!どいつもこいつもクソッタレだ!」と書いていた……非常識、くだらない……何とでも言え。これが「余白」として扱われた人間の「ささやかな抵抗」の手段なのだから。


 書いていて文字が滲んで見えた。眠気のせいか、それとも涙のせいか。俺は目をこすり、息を吐いた。


 これが、俺の証言だ。未来の誰かがこれを読んで、わずかにでも笑えるなら、人はまだ人のままでいられるだろう。


 もし笑えなかったら――そのときはもう、人は商品と同じ棚に並べられているに違いない。


 事務室の時計が午前六時を告げた。


 夜と俺のここでの仕事そのものは終わった。けれど窓の外の街は、まだ灰色のままだった。

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「余白の声」第4話「午前6時の証言」 秋定弦司 @RASCHACKROUGHNEX

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