エピローグ
その次の日から僕は入院した。どうも蹴られたりした際、あばら骨が折れていたらしい。怒る唯奈だったが、その後真二郎さんが連れてきた不良達の顔を見るとすぐにおさまったようだ。僕も不良達の顔を見たら許すしかなかった。真二郎さんにすっかり怯え切っている不良達がまた復讐するとは思えない。それに、そもそも紅ちゃんだって悪いのだ。いずれ謝らせようと思う。
麗のコミュニティと紅ちゃんのやってきたことの後始末は難しいものらしい。ただ、紅ちゃんはもう暴力は振るわない。紅ちゃんにはとりあえずすぐに逃げるようにしてほしいと言っている。麗も居ることだし、今度はきっと上手くやってくれるだろう。
紅ちゃんの怪我は大したことないらしく、お見舞いには千愛莉ちゃんを含む四人で来てくれる。千愛莉ちゃんはすっかり居るのが当たり前になっていて、持ち前の明るさでみんなを楽しませてくれている。
もうすぐ七月。雨の日の憂鬱は相変わらずだけれど、四人の姿を見ればすぐに安心することが出来る。僕らの居場所は、ちょっぴりリフォームして戻ってきたのだ。
あの日から数週間。僕が退院し、もうすぐ夏休みだというタイミングで紅ちゃんが我が家に引っ越してきた。親の許可とマンションの解約が済むと、荷物の少ない紅ちゃんの転居自体はかなり楽だった。
部屋は僕の二つ隣。姉さんの部屋の隣だ。紅ちゃんはたまに、姉さんの部屋を掃除している。
なお、自分の部屋には無頓着なようだった。
「自分の部屋を掃除すれば?」
僕が言うと、紅ちゃんは一瞬こちらを見て、すぐに掃除機のほうへと視線を戻した。都合が悪くなると、すぐに作業に没頭するフリをする。
「言っておくけど、同居する以上は厳しくいくからね。紅ちゃんはもう、僕らの監視下なんだから」
「うう……」
反省はあるのだろう。紅ちゃんはこう言うとものすごく凹む。
穏やかな午後。僕らは緩やかな時間を過ごしている。まあ、二人じゃなくなると、すぐに賑やかになるのだけれど。
またみんなが集まるようになってから、紅ちゃんの寂しいような雰囲気は少なくなっていた。でも時折、ふと寂しそうな顔を見せるのは、やっぱりまだ姉さんのことを引きずっているのかもしれない。
「紅ちゃんはもう大丈夫?」
僕が言うと、紅ちゃんはキョトンとした表情を返した。確かに、何のことだか掴みかねるような質問だった。
「復讐のこと。もう考えてない?」
「……」
紅ちゃんは俯いた。また同じことがあってはならない。この前のことはもう終わったことだけれど、姉さんのことに関しては紅ちゃんをずっと悩ませるだろう。だから、もし当事者が現れたとき、紅ちゃんが抑えきれるのかどうかが、僕は不安だったのだ。
「私の……」
紅ちゃんの言葉はすぐには出てこない。僕は我慢強く待つ。
「……私の罪は重いと思う。私が元凶だったから、そうしないと許されないと思ってた。だから、私はまだ考えてないってはっきりと言うことは出来ない」
紅ちゃんは自分がきっかけになったという罪悪感から解放されていない。胸が痛む。
「でも……私が一番しなければならないことは、芳香さんの代わりだって分かったから。ハジメのことも、生まれてくる赤ちゃんのことも守っていけたらって思う。だから、大丈夫」
大丈夫。そう言ってくれた紅ちゃんと、やっと目が合った。きっと大丈夫。僕は紅ちゃんを頼りにしているのだ。
でも、もう守られる立場からは卒業したいのが本音だった。だって、僕はもう高校生だ。一つ上の女の人に守ってもらうのが当たり前にはなりたくないのだ。
「僕のことは結構。紅ちゃんは、そろそろ自分のこともちゃんと考えないと駄目だよ」
僕は気を取り直して、今度は忠告する体勢に変わる。
「自分のこと?」
「そう」
僕は思う。麗はともかくとして、唯奈や紅ちゃんはしっかり将来のことを考えているのか。姉さんのことを想ってくれるのは嬉しいし、僕や赤ちゃんのことを守りたいという気持ちも嬉しいけれど、そもそも自分のことを心配しなければならないんじゃないだろうか。
「紅ちゃんは頼りにはなるけど、だらしない生活をしてるし将来が心配だよ。唯奈だってそう。勉強してるとこ見たこと無いし、いつまでも不良なんてやってられないんだからね。麗だって、もっと人付き合いについては考えなきゃ。みんな、ちゃんと普通の人にならないと」
僕がこう言うのは照れ隠しもある。僕の姉をしてくれるのは良いけど、それならもっと普段の生活を見直してもらいたい。それが、僕の弟としての務めだった。
「ハジメって、やっぱりお母さんみたい」
紅ちゃんはそう言って笑う。僕も笑う。願わくば、こういう顔を色んなところで見せてくれる人になってくれますように。
朝、窓から外を見ると二人の女が立っていた。むすっとした顔で二人並んでいるのを見ると、僕もそろそろ外へ出ようと、玄関のほうへ向かう。僕はもう着替えが終わっているのに、待たれている本人は一向に出てこない。
「おはよう」
「……おはよう、紅輝は?」
唯奈がむすっとした顔のまま言った。きっと、眠いのだろう。
「あいつ、何でこっちが来てあげてるのに、こんなに遅いのよ」
麗が明らかにイライラしながら言った。眠いからイライラしてるのだろう。多分。
「いや、麗は車でここまで来てるんだから、そんなに被害はないだろ。あたしなんて、無駄に遠回りしてんだぞ」
彼女達は罰ゲーム中だった。しばらく、三人で登校する。それは、僕が決めたことだった。二年以上も微妙な関係だった三人は、その空白の時間を取り戻す必要がある。姉さんと出会ってから姉さんが亡くなるまでの期間よりも長いその時間を、急速に戻すために三人は常に一緒に居るのだ。
でも、三人にとってそれが難しいものだとは思えない。だって、一緒に居るとすぐに昔みたいな空気になるから。
「お待たせ」
別に待たせていないかのような、のんびりした調子で紅ちゃんは出てくる。二人はキッと睨みつけた。
「おせーよ」
「おっそい」
そんな三人の姿を、僕は携帯電話のカメラ機能で撮影した。
「何をしてるんだ?」
「千愛莉ちゃんに報告。三人揃って仲良く登校してるって」
三人は呆れた目で僕を見てくると、ほぼ同時にため息をついた。昔から三人の息はピッタリだ。
「これってさ、紅輝は普通に登校してるだけじゃない?」
「あたしらは遠回りまでしてんのにさ。あたしらだけの罰ゲームじゃん」
麗と唯奈が不満そうに言う。まあ、確かにその通りだった。
「でも、うちに来ないと僕が撮れないから」
僕は携帯電話を小さく振ってみせる。証拠撮影の義務がある僕が、一番楽であることが重要なのだ。
「やっぱり、ハジメは紅輝には甘い気がする」
「紅輝さ、同居するんだから、あんたももう少し女らしくしないと駄目よ。あんたは、平気で下着姿で歩いたりしそうだし」
「は? す、するわけないだろう」
そのことはきっちり、昨日母さんに叱られていた。僕は思いだして顔を背ける。
「……唯奈のほうが下着を見せてるし」
「は? あたしがいつそんなことをしたんだよ?」
「ほぼ毎回じゃない。無防備パンチラ馬鹿」
「嘘っ!?」
唯奈は助けを求めるように僕を見る。恐らく僕が一番の被害者。もちろん、僕は顔を背けた。
「……私くらいね、ちゃんとしてるのは」
「まあ、麗の見ても、ハジメは興奮しねーだろ」
「麗って教育ママみたいだし」
「は? どういう意味よ?」
「オバサンっぽい……とか」
「なんですって!?」
「こらこら、喧嘩はやめようね」
そんなことを言いつつ、僕は微笑ましい気持ちになっていた。みんな、子供みたいだ。
「……もういいわ。さっさと行きましょう」
「そうだな……って、ハジメは来ないのか?」
「いや、僕はその中で一緒に行く根性は無いよ」
学校内で存在感の薄い僕が、そんなことで注目を浴びたくない。というか、恥ずかしい。この歳で姉と一緒に登校なんて出来るはずも無いのだ。
「じゃあ行くべ」
「べって言わない!」
「はい!」
唯奈が逃げるように歩いていくと、紅ちゃんと麗もそれについていく。僕はそれを離れた後から追いかけていく。
僕が三人を叱りつけるのは、僕が彼女達の本当の姿を知っている弟だからだと思う。切っても切れない、兄弟の絆があるからだと、僕は今なら信じることが出来る。
姉さんが作ってくれたそれを、僕は守っていきたい。そして、また新しい存在にも、繋げていくことが出来たなら、姉さんはいつまでもそばに居てくれるはずだ。
ヤンキー姉は説教弟に逆らえない 秋月志音 @daidai2525
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