MONEY,MONEY,MOMMY(中)
バレンタインデーを数日後に控えた二月のとある平日、キョウリは幼なじみのユサと遊ぶため、京浜東北線南浦和行き快速列車に揺られて秋葉原に向かっていた。
今年の冬は、近年まれに見る暖冬だった。
大枠の窓に差し込む、強すぎも弱すぎもしない、うららかな陽射しが心地よい。
秋葉原。アキバ。『オタクの聖地』と呼ばれる
電化製品、アニメグッズ、レトロゲーム、カードゲーム、ボードゲーム、同人誌。UFOキャッチャー、ケバブ、戦後闇市の頃から細々と続いているというラジオの部品屋。メイドさんと呼んでいいのかわからないメイドさん、そして有象無象のオタクたち。カメラ小僧。オタサーの姫。腐女子に執事。
日本人のほとんどが労働や勉学に
極めて自己中心的な行動を取っている
焦点の定まらない目で意味不明の独り言を言っている変なおじさん。etc、
数えきれないほどの者と物。
それらが無意識のうちに一丸となって、街の雰囲気を創り出している、
物欲と自己愛とカオスに充ち満ちたエネルギッシュな街。
キョウリはこの街の、バカ正直なまでに欲望に嘘をつかないところが嫌いではなかった。
ここには、自分の趣味を頭ごなしに否定したり、スポーツして汗をかけ、計画的に貯金しろ、本ばかり読まずに勉強しろ、もっと酒を飲め、恋愛に積極的になれ、などと口うるさく説き伏せようとする親や親戚やクラスメイトや上司たちがいない、オタクたちにとっての
テレビや雑誌のバイアスがかった特集を真に受け、オタクを冷やかしに来たとしか思えないカップルや大学生の集団も時々いるけれど、卵を投げつけられたり罵声を浴びせられるわけではないので、気にするまでもなかった。比で言えば、圧倒的にオタク側の方が多いのだから。
一人で気ままに、時には気の合う仲間とともに、誰かから後ろ指をさされることなく存分に趣味を謳歌できる場所。そんな場所、世界中探したって見つからない。この秋葉原という街を除いては。
(やっぱり、平日の昼間の電車は空いていていいなあ……)
JR秋葉原駅の電気街口改札を出て、「文で泣けて絵で抜ける神ラノベ」とネット界隈で話題をかっさらっている、美少女ハーレム異世界ものの某ラノベタイトルの電子広告が張り付いた構内の柱にもたれかかる。
待ち合わせの時間より10分ほど早く着いたので、
キョウリは耳に2000年代のアニソンプレイリストをたれ流したまま(彼女は秋葉原に向かう日は、決まってお気に入りのアニソンやゲームミュージックで固めたプレイリストを作って、これからこの街で繰り広げる”ヲタ活”へのテンションを高めるという、一種の儀式的なものを行っていた)、行き交う人々を眺めながらのんびりと待つことにした。
「とらドラ!」のOPテーマ「プレパレード」が流れだした。懐かしい。
たしか、ヒロインの異名を手乗りタイガーっていったっけ。
大学時代に周りで流行ってたよなあ。
そんな断片的な思い出を頭によぎらせながら、視線を左から右、右から左にさまよわせる。
今日は平日ということもあり、サラリーマンの姿が目立った。
秋葉原は都内有数のオフィス街でもあるので、これから商談に向かうのであろう、
引き締まった顔つきの青年サラリーマンや、先方のムチャ振りにキッパリ「
やっぱりスーツ姿の男はいい。それだけで妙な色気が感じられてドキドキする。
あんなにかっこいい人が職場にいたら仕事に手つかないよなあ、やっぱり在宅ワークでよかったなあ、と思う。くだらない妄想で時間が過ぎる。
軽く三日三晩は頭をループするであろう、『かぎゅ』こと
さすがは『オタクの聖地』といつしか呼ばれるようになった街、サラリーマンに負けず劣らず、オタク(だとキョウリには見える)者の数も多かった。
趣味だけでなく、見た目や現実の交友関係をとても大切にする『リア充オタク』なる新勢力が現れはじめている今、母親が近所の◯トーヨ◯カドーで適当に見繕ってきたのであろう衣類とスニーカーをここまで野暮ったく着こなしているオタク少年/青年たちが、いまだにアキバにはうようよいる。
なんで彼らは、ショルダーバッグの紐をあんなに長く調節するのだろう。
そして圧倒的なまでの
(ユニクロの黒ニットとジーンズを着るだけでも、かなり違うのに……)
(清潔感のある格好さえすれば、彼女の一人や二人すぐに……)
彼らの身内でもないのに、いらぬ心配ばかりしてしまう。
またキョウリが不思議に思うのは、異性のオタクの格好だけではなかった。
もっぱらフリフリのスカートにニーハイソックスという出で立ちの、女のオタク。
なんであの子たちは、装備は可愛く着飾っているのに顔はあそこまですっぴんなんだろう。「私のお庭よ」と誇らんばかりにアキバを自信満々に闊歩する彼女たちを注意して見てみると、目元にアイライナーやマスカラを施すどころか、ファンデーションすらしていないように見受けられる者が非常に多く、すごくちぐはぐな印象を受ける。
マンガ、アニメ、ゲームといった、いかにも「オタク」と呼ばれる趣味を持ちながら、ファッションにも人並みに興味があったキョウリは、【他人に清潔感を与えるオタクファッション】を個人的に追求していた。オタクだからといって知らない人にバカにされたくない、という気持ちもあった。
まとも(に見える)格好をしていれば、趣味についてそんなにうるさく言われることもなくなるだろう。
アウターは
その分、トップスとボトムスはUNIQLOや
柄は極力無地やボーダー、ストライプのものにし、プリントものはなるべく避ける。バッグやスニーカーも手を抜かない。
どうしてもオタクアピールをしたかったら、携帯にお気に入りの作品のストラップをつけたり、推しキャラのイメージカラーの服を身に付けければいい。
そもそも、「オタクであること」は対外的にアピールすることではないのだ。
自分、ないしは仲間内で、密かに楽しむものなのだ。
マンガやアニメ、ゲームという趣味が、1970~90年代と比べてかなり陽の目を見るようになったとはいえ、いまだに嫌悪感を示す人は多い。
「嫌悪感を示すこと」が正常な反応だとは思わないけれど、異常な反応というわけでもないだろう。キョウリの胸の
話が少し逸れたが、キョウリは美容室でタダ読みしたOL向けのファッション誌を参考に、周囲に清潔感を与えるヘアメイクとコーディネートを少しずつ身に着けていった。だからこそ、いつまでも中学生のような格好をしている男のオタクや、服だけ立派にファンタジーなのに全く化粧っ気のない女のオタクが気になって仕方なかった。
少しばかり造りが安っぽく見える(そして値段もお手頃な)
(だから「オタサーの姫」なんて揶揄されるんだよ。。。)
いらぬ心配をしていたところで「Beautiful World」がフェードアウトしてゆき、同時に誰かに肩を叩かれた。24歳のユサだった。
キョウリよりもファッション好きなユサは今日も、彼女にとっての神ブランドだという
「おー、ごめんごめん。音楽聴きよって気づかんかった」
「いいよいいよ。そしてお待たせ」
キョウリは手で雑にまとめたイヤホンをポケットにしまい、ユサに尋ねる。
「最初どこ行こうか? お昼でも食べる?」
「うん、食べたい! 寝坊して朝ご飯食べてなくてさー」
ユサは、そのほっそりとした見た目からは想像できないほどの大食らいだった。
二ドバシカメラ8階にあるレストラン街が最近リニューアルしていたことを思い出したキョウリは、そこに行ってみようと提案する。
ユサは笑顔で頷いた。キョウリが幼いころから幾度となく見てきた、小さくてかわいらしい八重歯をきらめかせて。
――後編に続く。
インフィニティアンドエンプティ・ワナビーズ 八矢ナリ @hachi8_616
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