MONEY,MONEY,MOMMY(前)
キョウリには、小説家を志す前に「なりたい」と思っていた職業がある。
マンガ家。
手塚治虫を永遠の
紙とペンだけで、子どもだけでなく、大人にも生きる夢を与える存在。
そんなシンプルで華々しいスターになりたかった。
マンガ好きな両親の影響で、物心つかない頃から、「りぼん」「週刊少年ジャンプ」といったメジャーなマンガ雑誌や、単行本のコミックスがキョウリの手に取れる距離にあった。
ちびまる子ちゃん。ドラえもん。クレヨンしんちゃん。ドラゴンボールに南国少年パプワくん。イグアナの娘。ベルサイユのばら。AKIRAにSTOP!ひばりくん。マカロニほうれん荘。Y氏の隣人にエンジェル伝説。
アニメ化されているメジャーな作品から、
中には、言葉回しやストーリー展開が難解なものもあったが、活き活きとした絵を見ているだけで心がどうしようもなく踊った。
こんな素敵なキャラクターや、ワクワクするような話を自分も描きたい。
気がつけば、チラシの裏や、スーパーで売っている、紙質はCampusより劣るが税込三十五円という破格の安さの大学ノートに、自分で考えたキャラクターをひたすら書き連ねていた。正確には、キャラクターの顔だけをひたすらと。
残念なことに、キョウリは顔から下や、車や建物といった立体的なものが壊滅的に描けなかった。お手本をトレーシングペーパーの上からなぞっても、思うような線で描けない。
少しずつ上手くなっていく顔に反して、それ以外がてんで上達しない。
自分には絵を描くセンスが無い。
そんな考えが一度頭を
ここで諦めずに努力していたら、今ごろ自分はどうなっていただろう……と、
キョウリは24歳になった今でも考えることがあるが、考えてもわかるわけがなかった。
絵の練習から離れても、マンガを読むことだけは止められなかった。
自分を冒険の世界に連れていってくれる友達、そんなマンガと離れられるわけがなかった。
どうにかして、マンガに携わりたい。そうだ。マンガ家になれなくても、原作者になったり、出版社の編集という職業に就けば、マンガに携わることができる。いくらでも関われる道は有るじゃないか。
(自分にはマンガ家になれなくても、きっと近いものになれる。他の道を探そう)
そう自分に言い聞かせながら、キョウリは中学に上がるタイミングで、前にお年玉で買ったGペンやケント紙、スクリーントーンを学習机の引き出しにしまった。
マンガ家という夢を棄てた今でも、プロのマンガ家が著した『マンガ家になろう』系を古本屋で目にした際には、それを買うことがしばしばある。
ストーリー作りの参考というのは建前で、心の奥底で細かい砂のように散らばる、
マンガ家になれなかったことへの未練がそうさせてしまうのかもしれない。
この『マンガ家になる』という夢は、キョウリ一人で夢見たものではなかった。
小学校時代の親友、北川ユサとともに描き、抱いたものだった。
北川ユサ。
キョウリが小学校三年生の時に、隣町から転入してきた少女。
掃除時間に話したことがきっかけで、マンガという共通の趣味があるとわかって以来、放課後は毎日のようにどちらかの家で遊ぶようになった。
大学ノートに合作のマンガを書いたり、月の初めに訪れる少女マンガ雑誌「りぼん」「ちゃお」の発売日には、一緒にコンビニに行って買ったり(当然、その後はどちらかの家でお菓子を食べながら読んでいた)。
二人で一緒に、マンガ家になろう。いつしか二人は、そう約束した。
マンガだけではなく、ゲームもまた、二人の仲を強めてくれた。
ゲームボーイポケット。ポケモン金銀。ニンテンドー64。スマブラ。
交換、対戦、チーム戦。飽きることなく遊び、そして笑いあった。
(きっと、こんな毎日が、卒業するまで続くんだろうな……)
(いや、卒業してからも)
けれど、そんな日々は、キョウリがゆるく考えるほど長くは続かなかった。
きっかけは【クラス替え】だった。
キョウリとユサの通っていた公立小学校では、二年に一度クラス替えをする決まりになっていた。
新五年生のクラス替え発表の日、キョウリは春休みに家族旅行をした際、お寺で買ってもらった「願いが叶う黄金の観音さま」の小さなお守りを
成人後、キョウリは『仲の良い者同士は違うクラスになるよう、教師が仕向けていた』という情報をインターネットのまとめサイト経由で知ることになるが、後の祭りもいいところだった。
新しいクラスで
中学も三年間違うクラス、高校も別々のところに行ったので、交流の頻度はかろうじて年賀状を交わす程度に激減。
だが不思議なことに、それでもユサとキョウリの縁が完全に途切れてしまうということはなかった。
高校卒業後、キョウリは東京の私立大学へ進学し、ユサは当時付き合っていた社会人の彼氏の転勤に合わせ大阪へ引っ越し、理由は違うものの、同じタイミングで地元を離れて、別々の場所で新たな人生のスタートを切った。
いよいよ会う機会がゼロになってしまうかに思われたが、携帯のメールアドレスを交換していた二人は、お盆と正月が訪れるタイミングで帰省の予定を聞き合い、予定が合えば、地元の焼き鳥屋でお酒を酌み交わしながらの近況報告をするようになった。
学校やバイトのこと。彼氏の話。そしてお互いの夢。思い出話。ときどき黒歴史。
この時、既にキョウリの頭からは「マンガ家になる」という夢は跡形もなく消え去り、その変わりに「小説家になる」という夢が台頭しかけていたのだが、ユサだけは、幼いころに描いていた夢を捨ててはいなかった。
「あたしね、まだマンガは描いとるんよ」
照れくさそうに、それでいてハッキリと、ユサはキョウリに打ち明けた。
顔から下と背景と立体物が書けないから、と、キョウリがあっさりと諦めた夢を、ユサはまだ大切に抱いていたのだ。
「トワは?」
「うちは……絵はとても描けんから、シナリオ書いたり、小説書いたりする人になりたいなーなんて思っとる」
小学校来の親友にウソなんて無意味にも程がある。ならば、いっそ素直に言った方が清々しい。そう思ったキョウリが打ち明けると、ユサは屈託なく笑った。
「いいやん、それ! あたし、トワの原作でマンガを描きたい」
キョウリは一瞬言葉がでなかった。
そうだ。絵は描けなくても、話なら生み出せる。
(二人なら、日本中にその名を轟かせられる作品が作れるかもしれない……)
そんな大層なことは言えなかったけれど、キョウリはユサの気持ちに応えるように、せいいっぱい頷いた。
その後、20歳を迎えたばかりの二人は、時間が許す限り、好きなマンガの話やくだらない冗談や、かつてのクラスメイトのモノマネで笑いあった。
その数年後、ユサの彼氏の勤務先が、大阪の営業所から千葉の本社に異動になった。ユサは大学を中退したものの、アルバイトとして最初入ったゲーム会社で正社員として働き始めていたので、しばらく東京を離れる予定はなかった。
二人の距離は一気に近くなった。
ポケモンで例えれば、ホウエン地方とカントー地方にそれぞれ暮らすトレーナーだったのが、お互いにカントー地方住まいのトレーナーになった。
初めて友だちになって、毎日のように遊んでいたころが戻ったきたような感覚にさえ陥った。
これからは、会いたい時にいつでも会える。
二人はカントー地方一円に咲き誇る桜に祝福されながら、再会を喜び合った。
そんなユサが、今日もいつものようにキョウリにメッセージを送ってきた。
『トワ! この前借りたマンガの続き借りてもいい?』
『ついでにどこかで遊びたし』
その下に、彼女が今期ハマっているというアニメ「最強ペダル
『了解す(^ν^)』
『いいよ、いつ遊ぶ?』
その下に、キョウリが前期ハマっていたアニメ「家宝少女もなか★キナコ」の敵役・インベエが不敵に笑っているスタンプ。
キョウリはそれだけ返すと、iPhoneを裏返した状態で机に置き、口元にかすかに笑みを浮かべたまま仕事にとりかかった。
――中編に続く。
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