第3章 樹海の魔女
第10話 月島と山羊
目が覚めたとき、私は自分の今の状況を理解できていなかった。
「私、何をしていたんだっけ」
暗闇の中、意識がはっきりしていない状態でなんとか思い出そうと頭を働かせる。
「確か部屋で白雪ちゃんのことを調べていたんだ、そしたら——」
——そしたら、窓から猫の鳴き声がして、その後の記憶がない。
結局、白雪ちゃんについては何もわからなかった。前に会ったことがあるというのは、ただの私の杞憂だったのかしら……。
体を動かそうとすると足首に違和感があることに気づく。
ジャラッ。
鎖……?
手で形を確認すると、どうやら壁から出ている鎖に繋がっているということがわかった。
もしどこかに囚われているのなら、まだ声を出して助けを呼ぶべきではない。
まずは状況を把握しないと。
自分を落ち着かせてから私は行動しはじめた。
「ここはどこかしら」
ようやく暗闇に目が慣れはじめ辺りを見渡す。
近くのタンスと絨毯から洋風の部屋だということはわかったが、自分の家ではないことも同時に理解した。
アイツに連絡しようと携帯を取り出すが圏外で使い物にならない。
私と連絡が取れないことはアイツもわかっているはずだから大丈夫だとは思う。
何かあった時のためにと、定期的な連絡がなかったら探してもらう約束をしていた。
それをアイツが覚えていたらだけど。
しゃがみこんで体を丸くする。
そういえば前にもこんなことがあった気がする。
まだアイツと出会ったばかりの頃、友達でもない私を必死になって探してくれたんだっけ。
その時、私はアイツに大きな借りができちゃったんだ。
アイツは絶対にそれを否定するだろうけど、私にとってはとても大きな借り——。
昔のことを思い出しているとコツコツと足音が聞こえた。
すぐに横になり寝たふりをして様子を窺う。
扉が開く音がして目を閉じていても部屋に明かりが灯されたということがわかった。
「まだ目覚めていないのですか、そろそろ起きてもいい頃合いですのに」
若い女性の声。
「まぁ起きて騒がれても面倒ですし、部屋の明かりは付けておくので何かあったら言ってください。話を聞くかどうかはわかりませんが」
気づかれてる?
私は起き上がり彼女へと視線を向ける。
明かりといっても電灯ではなく蝋燭の火だったので彼女の容姿をはっきりとは見れなかったが、見た目は十代半ばの女の子といった感じだ。
「結構素敵な趣味じゃない、こんな所に閉じ込めて」
「あなたと会話するつもりはありません。私はあなたを確認しに来ただけですので」
見事に一蹴。
そのままパタンと扉を閉め、彼女は姿を消してしまった。
どうせ話なんて聞いてくれるわけないとは思っていたけれど、こうも気持ちよく無視されるなんて。
特に私に危害を加える訳じゃなさそうだし、しばらくは安全ということかしら?
部屋にわずかとはいえ明かりがついたことで先程までの不安が少し和らぐ。
手掛かりになるようなものはないか探ってみる。
殺風景な部屋ではあるが綺麗に掃除されているところをみると、この部屋を誰かが使っていたか、もしくはあらかじめ私をここに閉じ込める予定だったかのどちらかだろう。
それともただ単に綺麗好きなだけか……。
どれにしても手掛かりになりそうな物は見つからない。
ガサッ、
ベッドの下で何か動いたような気がして、目を凝らしよく見てみる。
しばらく凝視していると、小さな影がベッドの足から姿を現した。
小さな影は前へ出ると。
「私は怪しいものではありません」
小さな影は手のひら程の大きさをしたヤギだった。
ヤギはどうやら対話を求めているようで、私はそれに応じる。
「そう言って怪しくないことを強調することが怪しいわよ、っていうかなんなのあなたは見るからに怪しいじゃない」
「それは失礼しました。私はそうですね、お嬢様にお仕えする執事とでも言いますか。てっきりお嬢様がご帰宅なさったと思いまして……」
たしかに、よく見ると執事服を着ている。
「それで? なんで手のひらサイズなわけ?」
「さぁ、何故でしょうね。持ち運びに便利だからとかじゃないでしょうか」
淡々と、感情の起伏のない話し方がなんだか無性に腹が立つ。
「持ち運びに便利なのにそのお嬢様は携帯してないじゃない」
「えぇ、全く寂しい限りです。羊だけにウルウルとしてしまいそうです」
「あんたヤギでしょ」
「!」
ヤギはとても驚いた顔をしている。
「いやいや、まさか私があんな紙を食べるような家畜と一緒にされようとは」
「羊も紙は食べるわよ、ただあまりお腹によくないみたいだけど」
「!」
ヤギはとても悔しそうな顔をしている。
「あと感嘆符をいちいち声に出さないでちょうだい」
「そんな……。私は今までずっと羊だと……。執事の羊だと思っていたのに……」
私の言葉を無視して落胆し、うなだれるヤギ
「そんなことはどうでもいいわ、そのお嬢様が私をこんなところに閉じ込めたのかしら?」
「そんなこととはどういうことですか、私の今までの人生を覆す程のことですよ!」
「あんたヤギなのに人生って羊にも山羊にもなれていないじゃない、そもそも話すこと自体がおかしいのよ」
「話すことがおかしい? 私にとっては猿も当然な人間が何を偉そうに、言語を持つのが人間だけだとお思いですか?」
「それは……」
「ヒエラルキーの下位にいる動物達を心の奥で蔑み、哀れみ、自己満足の糧としているくせに!」
これまでとは違い冷静さを失い、激昂するような口調になるヤギに私は思わずたじろいでしまう。
地雷に触れてしまったのか、憤慨するヤギを宥めようと別の話題を切り出してみる。
「わかったわよ、私が悪かったわ。それで話を戻したいんだけど、あなたが仕えるお嬢様はどこにいるの?」
「はい、その事なんですが。ほんの数日前にお嬢様は何も言わずに外出してしまいました。自分はこの家で肩身が狭いのでお嬢様無しではろくに動くこともできず、こうして帰りを待っていたのでございます」
「なるほど、それで私がここに連れてこられてお嬢様が帰って来たと勘違いしたわけね」
「はい。人違いをしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。では自分はこれにて」
「ちょっと待って!」
去ろうとする羊を、私は慌てて呼び止めた。
「何でしょうか?」
「私のこの状況を見てあなたは何も思わないの?」
「ふむ……」
羊は私を上から下へしげしげと見ると、
「助けて欲しいのですか?」
「そうよ、身動きが取れなくて困っているの」
「お断りします、私にはあなた様を助ける道理も恩義もありませんので」
まぁ当然か——。
「じゃあこうしましょう、えっと——あなた名前は?」
「執事のメェでございます」
堪える私。
「メェさんが助けてくれるなら、私はお嬢様がいない間、メェさんの行動の助けをするのはどうかしら? 肩身の狭い思いをしているんでしょ?」
「お嬢様は待っていれば帰ってくると思いますので」
ダメか……。まぁそうよね。
鎖に繋がれた見ず知らずの人間が助けを求めたところで、普通なら関わろうとは思わない。
我ながら虫の良い話だと思い諦めかけていると「しかし——」とヤギが付け加えた。
「あの猫が先に戻ってきた以上、お嬢様が不在の今の状態では私の存在も危うい。ですので、こうしましょう——」
ヤギは私の肩に飛び乗ると耳元で囁く。
「——アナタと私で契約を結ぶのです」
「契約?」
「はい、私はこう見えて使い魔でして。お嬢様と主従を誓っておりますが、制約に掛からない程度の契約なら大丈夫のはずです」
「どうすればいいのかしら?」
「アナタの一部分。——そうですね、髪を数センチいただけますか?」
「今は手が使えないんだけど……」
「これは失礼、同意していただければこちらで何とかいたします」
正直言って胡散臭いことこの上ない話なのだが、今の状況から抜け出せるならと私も同意する。
藁をも掴むとは言うが、悪魔の囁きに自分が耳を貸すことになるとは夢にも思ってなかった。
「では契約の成立ということで」
ヤギがそう言うと、髪の毛先から徐々に細かい粒子となってヤギの口へと入っていき咀嚼する。
それと同時にヤギの角がみるみる曲線を描いて伸びていく。
肩甲骨くらいまであった髪がギリギリ肩にかかる程の長さになったところで粒子化が止まると、ヤギが満悦そうな表情を浮かべた。
「髪の触媒だけでこれほどとは。素晴らしいですね」
関節的にではあるものの髪を食べられるという行為に若干顔が引きつるが、気を取り直しヤギに尋ねる。
「何をしたの?」
「契約ですよ。アナタの髪を触媒に私の魔力との繋がりを作ったんです。お嬢様との契約があるのでバイパス程度にはなっていますが、力を貸す分には問題ないでしょう」
「じゃあさっそく、この鎖を外してちょうだい」
私がヤギに助けを求めると、ヤギはやれやれと両手を上げた。
「お嬢様以外は助けませんよ。アナタに力を貸しただけです。力を使ってアナタ自身の力で外してください。私は知恵を授けることができますが、使うのはアナタ自身なのですから」
「力を使うってどうすればいいのよ」
「まずは私との魔力の繋がりを感じてください。そこから何をどうしたいか創造するのです」
言われてわかるはずもなく、私が手を拱いているのを見かねたヤギが付け加えて言う。
「目を閉じて」
「え?」
「目を閉じてみてください。心の場所に繋がりが見えるはずです」
「心の場所……」
ヤギに従い言う通りに目を閉じると、ぼんやりとではあるが胸の内側に幽かに光る道を捉えた。
「その繋がりを辿れば私の魔力を感じられるはずです」
——感じる。
これが魔力?
まるで水あめのようにドロドロとする魔力は、私の意思で粘土細工みたいに形を変えていく。
「そして、どうなりたいかを創造するのです」
私は足枷が外れるように考えるが、鎖はピクリともせずにその場にあり続けた。
「何も起きないわよ?」
「ひょっとして足枷を壊そうと創造していますか?」
「そうよ、鎖が壊れて私が自由になることをイメージしているんだけど」
私の言葉にヤギは呆れると、仕方なしにと説明する。
「私は破壊の象徴の悪魔ではないため、そういった力は持ち合わせていません。壊すなんて野蛮なことお嬢様がされるはずないじゃないですか」
「知らないわよ! じゃあ何ができるのよ?」
「そうですね、幾何学や天文学などでしょうか。あとは感情のコントロールですね」
この状況でどう役立たせればいいのだろうかとは、口には出さないでおくが、私はある事を閃いた。
再び目を閉じ、繋がりを確認すると私はもう一度イメージする。
「ほぉ」
感心するようにヤギが呟く。
私がイメージしたこと。
それは、私の身体が山羊と同じ位のサイズに小さくなることで足枷から抜け出すことだった。
「どうやったのですか?」
私はヤギの前へ行くと誇らしげに答える。
「幾何学って測量とかで使うでしょう? そこでピンと来たの——、大きさを変えることができないかなって」
「ふむふむ」
「最初は足枷を大きくしようとしたんだけど、物の大きさを変えることはできなかった。きっと質量を変えることができないのね」
ヤギが私の考えに頷く。
「そこで見方を変えてみたのよ。景色とかって遠くから見ると小さく見えるじゃない? だから私の身体と足枷の空間に距離をつけるようにイメージしてみたら体を小さくできたの」
「なるほど」
「結果的には私が小さくなってるから大きさを変化させてるんだけど、何が違うのかよくわからないわ」
「使い方の発想ですね。私の力ではたしかに質量を変えることができませんが、空間を使って距離を作ったのが良かったのでしょう。質量は変わっていないのですから」
とりあえず、これで行動の自由が得られたわ。
あとは見つからずに、ここを抜け出すだけ。
鎖のついていた足を擦った後、私は小さい身体のまま準備運動を行う。
「それじゃあ行きましょうか」
「では、お嬢様と合流するまで私はアナタに憑いて行きます」
ヤギは私の身体に入っていくと姿を消す。
姿は見えないが気配がある違和感が気持ち悪く、畏怖の念を起こさせた。
「何をしたの?」
(取り憑いたんですよ、悪魔憑きというやつです)
頭の中に声が入ってくる。
あまり良い感じには聞こえない響きだが、特に支障がないようなので私はなるべく気にしないように部屋を後にした。
日下部探偵助手の怪奇譚 vol-8 @vol-8
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