エピローグ

「朝か」

 ハッピーエンドにしては少し締まらなかったが、大翔は生きて帰ってこられた。それだけで十分だった。あの世界が終わってから大翔はどのくらい夢のない眠りについていたのかはわからないが、疲れがとれているような気がする。何日ぶりに本当に睡眠をとったかすらよく覚えていない。

 大翔はベッドから抜け出して、揚々とした気分で制服に手を伸ばした。

 いつもなら放課後に集まる情報部室に大翔はなんとなく足が向いて、旧校舎の一番端まで階段を上ってみた。放課後と比べるとさらに人の姿がない部室前の廊下は寂しいを通り越して一種の恐怖すら感じるほどだった。

「誰もいないか」

 それなら部室の鍵も閉まっているだろうと思いながらも部室の扉を引いた。

 すんなりと道が開く。

「今日は朝から千客万来だね。こんな寂れたところに何のようだい?」

「今日くらい祝杯上げてもええじゃろ」

「同感だ」

 部室にはいつものようにパソコンに向かって光が座って、空いたスペースに置かれた机を囲んで尊臣と乃愛がパイプ椅子に座していた。

「まだ終わったと決まったわけじゃないさ。今夜目を閉じるまではわからない」

「そんなん言うても、自分も昨日気ぃ抜けて腰抜かしとったじゃろうが」

 むっとした光は尊臣の方を向かないままパソコンをじっと見つめている。

「結局あの夢の正体はわからずじまいか」

「あの神代が潰していたのが原因ではなかったのか?」

「カベサーダと関係はあったみたいなんですけどね」

 自分の席と決まったパイプ椅子に座り、持っていたカバンを床に投げる。どうせたいした物は入っていない。

「あの虫、まゆに包まれていてさなぎみたいでした。あれが羽化するんだとしたらもっと厳しい状況になっていたかも」

「恐ろしいこと言わないでほしいね。あれ以上なんて想像もしたくないよ」

 大翔と光は同時に溜息をつく。昨夜に一階の廊下で倒れていたカベサーダの数は途中で数えるのも嫌になるほどだった。あれがさらに増え、強力になり、もっと統制がとれるようになったら、大翔たちはライオンの群れに囲まれたシマウマよりも早く首から赤い血が吹き出すことになる。

「まぁ、今は気にするな」

「そうだぞ。勝ったときは素直に喜ぶものだ」

 そう言った尊臣たちを見ると、朝から机の上にスナック菓子を広げてそれぞれにつまんでいる。予鈴までそれほど時間もないというのにパーティー開けだ。

「こら、ここは飲食禁止だ。精密機械だってあるんだぞ!」

「私たちには関わり合いのないことだ。気にするな」

「ここは僕の部室だ! 気にするに決まっているだろう!」

 ははは、と乾いた笑いを浮かべて、大翔も既に開けられたスナック菓子に手を伸ばす。育ち盛りに食べ過ぎて困るという言葉はない。

 一つを口に入れたと思うと、外の廊下からパタパタと急ぎ足の音が聞こえてきた。こんな時間にこんな場所で、と自分のことを棚に上げて足音が近づいてくるのを聞いていた。

 足音が部室の前で止まる。そこからためらいもなくがたつく扉が開かれた。

「あ、本当にいた!」

「堂本?」

「もう授業始まるから、早く教室に戻ってきて」

「いや、まだちょっと時間は」

「いいから、早く」

 できればもう少し口に入れていきたいと思う大翔の腕を千早が乱暴にとった。それでもかよわい彼女の力だけでどうこうできる問題ではない。

「面倒くせぇなぁ」

 言葉とは反対に大翔はゆっくりと立ち上がる。

「そんじゃ、祝勝会は放課後じゃな」

「うむ、付き合うぞ」

「場所は変えてくれよ」

 千早に腕を引かれて部室を出た大翔に続いて、三人も自分の教室へと向かっていった。

 階段を下り、新校舎への渡り廊下を歩きながら、大翔は隣を嬉しそうに歩く千早の顔を見つめていた。

「なんか、機嫌よさそうだな」

「そう? ちょっといいことがあったから」

 どんなこと、とは聞けなかった。彼女のいいこと、というのは大翔がやったことそのものであり、彼女にとっては夢の中で起きただけのことだ。

「風邪もよくなったみたいだな」

「うん。もう全然平気。でも代わりに真由ちゃんが風邪引いたみたいでね」

「早島が?」

 そうなの、と千早は心配そうに顔を曇らせた。あの体の半分は元気でできていそうな奴に限って珍しいことだ。

「それでね、今朝電話したんだけど結構苦しそうで。放課後は真由ちゃんのお見舞いに行かないとね」

 あぁそうだな、と大翔は生返事なまへんじを返す。どうせ明日には元気になってけろっと顔を出すに違いない。大翔はそれほど心配などしていない。

「真由?」

「ん? 神代くん、真由ちゃんの名前忘れてたの?」

「いや、さすがにそんなことは」

 ない。ただマユという言葉が引っかかっただけだ。

 昨夜の夢で中学生の千早にくっついていた繭。それがなんとなく千早に抱きつく早島真由の姿と重なっただけだ。

 いたずらっぽい笑顔と今さら気付いたの、という声が聞こえたような気がして、大翔は背筋が凍るような気分がする。

「どうしたの?」

「いや、そろそろ時間がまずいな。走るか」

「廊下は走っちゃいけません」

 少しだけ速度を上げた大翔の頬に日に温められたグラウンドの香りが吹いていた。

                               <了>

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parasitemare(パラサイトメア) 神坂 理樹人 @rikito_kohsaka

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