Ⅺ:王(ワン)

「よく来てくれましたね。座ってください」

 リビングとカウンター越しに接した左奥のキッチンで、コンロの前で湯が沸くのを立って待っていたワンがこちらを振り向いて言う。俺は言われた通り、リビングに置かれたこれも年代物の木の机と椅子の食卓に座る。これらも清朝チィンチァォ時代の物でかなり古いが、細長い形状の椅子の方こそ両側が空いた中に縦に渡された長方形の背板と、座から、前脚の下部に横に張り渡された貫の部分までの拳口チュアンコウと呼ばれる内枠部に渦模様の装飾が彫られていたが、長方形の机の方はそんな装飾も無い、真っ直ぐな天板と幕板、四角く細い脚で素っ気ないといっていいほど簡素シンプルに組み立てられた物だった。机の広さは5フィート×3フィートで、脚が短く低く、それに比して椅子の座面が高めなために、椅子を深く寄せて座ると脚が窮屈で、少し気を緩めるとすぐ幕板に腿が当たってしまう。ワンの方は痩せ身なうえ、慣れているようだが、俺はここで相伴にあずかる時はいつも椅子を後ろに引いて、膝を机の下から完全に出し、脚を伸ばしてくつろげることにしていた。日常使う物のため、机も椅子も骨董物の中でもそれほど高価なものは選ばなかったそうだが、それでも、少しくすんだ茶色い木の表面に手を這わす時のさらりとした手触りがはるかな時代を超えて、その製作者、使用者の、今とかけ離れて素朴な時代の生活を親しく伝えてくるようだった。


 しばらくするとワンが二つの茶杯カップと、それを注ぎ入れるための茶壶ティーポットをこれも古い木の盆に乗せて運んできた。この香りは茉莉花茶ジャスミンティーだ。今しがたバーで酒を飲んできたばかりの俺に気を遣ってくれたのだろう。机の上に盆を乗せるとすぐまたキッチンの方に戻っていく。盆に乗り切らなかったお茶請けの菓子を取りに行ったのだろうと察した俺は、待ってる間に伏せられた茶杯カップを机に置き、茶壶ティーポットからぬるめに入れられた茉莉花茶ジャスミンティーを注ぎ入れる。茶杯カップ茶壶ティーポットも白地に、青で蔓草葉模様が絵付けされたされた景徳鎮チントーチェンの物だが、今ここに出しているのは清朝チィンチァォ時代に量産されたもので、そこまで高くはなかったらしい。奥の部屋に元朝ユァンチァォ時代の茶杯チァーペェィが大事におさめられており、何度か見せてもらったが、その鮮やかな色彩と、ピンと品良く立ったフォルムに思わず痺れを感じたものだ。実際、あれほどの物ならいかな高価でも一つだけは所持してみたいと思わせた。あれを知るとこちらの清朝の方はやはり量産型らしく洗練が足りず、形も粗雑な気がする。もちろんあちらと比べるのが悪く、これだけでも本来充分に良い物なのだが。


 しばらくすると、やはり小皿を手に戻ってきた。「お待たせしました」と言い、上に乗せられたいくつもの小さな杏仁餅シンレンビンで、内に可愛らしく描かれたピンクの花模様が埋もれている白い小皿を机の上に置きながら俺の向かいの席に着く。これは骨董品でなく、現在量産されている普通の陶製の小皿だった。さすがに日常細々としたことに使う全ての物を骨董物で埋め尽くすわけにはいかない。俺があらかじめ茉莉花茶ジャスミンティーを淹れておいた茶杯カップを前に差し出すと、ワンは軽く頭を下げた。


「お仕事調子がよろしいようですね」

 微笑みながらこちらに言ってくる。俺がこれから仕事に出かけると言ったのを受けての事だろう。

「おかげさまで。そっちは?」

「こちらもいい具合です」

 俺がティーを一口すすって答えると、ワンもまた茶をすすり、上目遣いに微笑んだまま答え返した。茉莉花茶ジャスミンティーの、その澄んだ鮮やかなライムグリーンの色に相応しい、鼻腔から喉にそのまま透明に抜けるようにあっさりとした、爽やかな香りと風味が、ウォッカで刺激されて荒んだ喉と鼻を癒す。口内ではっきり受容を意識できる風味ではないが、実に清新だ。続いて、小皿に乗った杏仁餅シンレンビンを一つつまんで口に放り込む。甘いものは普段それほど食べないが、補給される糖分が頭の働きをはっきりさせ、ありがたかった。硬く型押しされた、カリカリとした食感から粒立って立ち上る杏仁の芳香も頭を覚ます。アルコール分解薬ピー・ディー・エーは仕事や用事のために、時に必要とはいえ、体内からアルコール分が急激に抜かれるため、飲んでいる間のふんわりした多幸感が急速に醒めた現実認識に置き換えられていき、落ち着いて考えればいいと頭でわかってはいても、精神の虚脱感に襲われる時がある。その気持ちから逃れ、心を一新するためにも、さっぱりした茉莉花茶ジャスミンティーと、甘い杏仁餅シンレンビンによるワンのもてなしは有難かった。


「相変わらず苔のモスハウスの人気は高くてですね、新たな壁材ウォールマテリアルもどんどん出てきているため、新築はもちろん、建て替え、交換の需要も多いんですよ」

 にこにこと微笑みながら言う。ワンは20歳を過ぎてから故郷の福建省フージェンシェンからここアメリカに渡ってきたのだが、訛りのほとんど感じられないきれいなアメリカ英語アメリカンを話した。中国ではさほど裕福な家庭に生まれず、ここアメリカに渡ってから本格的に英語を勉強し始め、その際チップによる神経の反復刺激学習を用いたのはもちろんだが(今時実用面での学習、技術習得――特に語学はそうだ――にチップ学習を使わない人間などいない)、より細かい英語のニュアンスやイントネーションを身に着けるのに、高価な上位モデル学習チップを使用せず――故郷中国の骨董品集めに夢中になり、そちらに金を費やしていたというのもあるが――、また、言語使用時に直接語学情報の出し入れ、使用者チッパーの能力修正を行う補助チップに頼ることもせずに、日常の他人とのコミュニケーション、テレビやサイバー空間で得られる情報、読書といった前時代的な方法で恐ろしく勤勉に語学能力を伸ばしていき、自分の英語の細かな粗を磨いて直していった。左手の壁に掛軸があり、そこに、


『過香積寺     

 不知香積寺 数里入雲峰   

 古木無人逕 深山何処鐘   

 泉声咽危石 日色冷青松   

 薄暮空潭曲 安禅制毒龍』


と漢詩が草書で大書されている。唐代の大詩人、書家の王維ワンウェイの詩で、ワンが飾っているこの掛軸自体は当然後代の作だが、内容は、木が鬱蒼と茂る深い山の中に分け入ると、どこからか鐘が響き渡ってくる。思いがけず寺に行きつくと、泉の音が石いわに当たってむせび泣き、傾いた日が松の上に冷たく光っている。夕暮れ時に、潭ふちのほとりで一人の僧がじっと座禅を組んで、潭中の毒竜を沈めている、という、深山幽谷を聴覚面と視覚面から活写し、その清冷さが肌にも伝わってくるような見事な詩だが、この中の座禅をする僧に時々、俺はこれを飾ったワン自身に似通ったものを感じていた。ワンの何かを学ぶにしても手軽な手段に頼らずにじっくりと時間をかける態度に、この詩内の僧の過ごしたであろう(ひょっとすると今も座禅を組み続けているのかもしれない)気の遠くなるような時間のイメージを重ね合わせてしまう。

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