終章『二人の 新しい 始まり』


 それからしばらくして。

 今日は終業式。


 始業式には、僕らの運命を大きく動かすきっかけとなった佐野会長の話があった。

 だけど今日は、その壇上には志摩先輩が立っている。


『前生徒会長の佐野真澄さんですが、ご両親の仕事の都合で遠くへ引っ越すことになってしまいました。後任は私、志摩由子が務めさせていただきます――』


 あの事件の後、佐野会長は誘拐と公的文書不法所持及び漏洩の罪で逮捕された。面会したホークの話だと、まるで生気のない抜け殻だったらしい。

 信じるものすべてに裏切られた彼女は、その居場所すら失くしてしまったのだろう。


 それを聞いた志摩先輩は言っていた。


「今度は私たちが、あの人の居場所になってあげましょう? 敵とか味方、宿命なんて関係なく。ただの友達として――」



 そして式が終わり――


 志摩先輩と比呂、そして僕の三人は、渡り廊下からどこまでも高い澄んだ青空を眺めていた。


「そうなの……それじゃ理恵ちゃんの記憶は――」

「まぁ、結果としちゃよかったんじゃねぇか? 彼女の真実は抱えて生きるにゃ、ちと重過ぎるぜ」


 僕は二人に理恵のことを話した。


 理恵の記憶から、あの日の出来事はすべて消えていた。

 帰宅途中にヘリが現れて気を失い――目覚めたときには既にあの場所に倒れていたと言うのだ。


「僕もそう思うよ。すべてを知って、それでも微笑み続ける理恵を、僕は見ていられなかった……」

「弾劾多数決……だったかしら? 佐野さんはそうまでしても、運命の子供の呪縛から逃れたかったのね」


 僕はうなずく。


「結果は圧倒的多数でした。それは皮肉にも、佐野会長と同じような考えを持つ人間が大勢を占めていたことを示しています。それを思うと、ちょっと複雑ですけど」

「でもね、カツキ君。よく考えてみて? ネットをやる世代っていうのは、若い世代が大半よ。それにいくらネットの中とはいえ、大人がそんな大胆な行動を取れるかしら? いざとなったとき、大人は現状維持を――自分たちの作った世界の存続を望むものだと、私は思うわ」

「じゃあ、あの結果は、僕らと同じ子供たちの総意……?」


 飛行機の後を追うように、飛行機雲が青いキャンパスに一筋の線を引いた。


「……まぁ、俺たちはホークたちの世代と違って、空耳事件に居合わせたわけじゃないからな。運命の子供ってものの捉え方が違ったんだろうよ」


 ――ホークたちの世代。それは言い換えれば、運命の子供に囚われていた世代だ。


「それにしてもホークさんも、よく生きていたよね。ヘリの爆発から生きて戻るなんて、普通考えられないよ」

「それを言ったら理恵ちゃんだってそうよ? 記憶障害を起こしたとはいえ、雷に打たれて無傷だなんて。まるで奇跡よ」

「奇跡――なのかな。やっぱりあれは?」


 だとしたら、理恵は――


「ごめーん! お待たせ!」


 職員室のドアが開き、理恵が手を振りながら駆け寄ってきた。


「先生たちったら、なかなか解放してくれないから。わたし、事件のことはよく覚えてないのにねぇ」

「センコウたちも心配してんだよ。芸能活動は一時休止中とはいえ、理恵ちゃんはこの学校にとってもアイドルだからな」

「仕方ないかもしれなけど、残念よね……。でも、いつかは復帰するんでしょう?」


 理恵は「えへへ」と笑いながら言った。


「うーん。いつかは、ね。それにね。あの事件の後、なんかわたし、このままじゃアイドルとしてやっていけないような――そんな気がして。ホント、なんでだかわからないけど」


 もしかすると記憶は失っても、その深層心理にはあの日の出来事が色濃く残っているのかもしれない。


『大変なことがあった後だからね。しばらくはゆっくり休んだほうがいいよ』


「大変なことがあった後だからね。しばらくはゆっくり休んだほうがいいよ」


 実は今も大島さんを始めとするフェイト部隊からの指示は続いている。

 フェイト部隊は再編され、従来通りの任に就いているのだ。


 あの事件が契機となって公的機関の監査が徹底され、運命の子供の存在を快く思わない人たちは退陣、もしくは鳴りを潜めて静かに生きることを余儀なくされた。


 終わってみれば、『雨降って地固まる』だったわけだ。


「うん。ありがと」


 だけどそんなこと、理恵が知る必要はない。

 今までと変わらず微笑んでくれていれば、それでいい。


「さて、それじゃ俺らは退散しますか」

「ええそうね。では、後は二人でごゆっくり」


 志摩先輩までくすくす笑いながら冷やかして去っていった。


 確かに――ここしばらくは色々あったから、理恵と二人で会うのは久しぶりだけど。


「あ……それじゃ、行こうか」


 理恵と目を合わせると、なんか照れてしまった。


「う、うん」


 理恵も心なしか、ちょっと頬が赤くなっていた。



「あ! もう出てたんだ!」


 学校帰りの寄り道で本屋に寄った僕らは、ある本を見つけた。


「へぇ……こうして本屋に並ぶのを見ると、なんか感動するね」


 僕は肩からかけた愛用のカメラを見ながら、感慨にふけった。


 それは僕の写真を表紙にした、理恵の写真集だった。

 舞い散る桜の中、微笑む理恵。


 そしてタイトルは――『彼女のご機嫌ニアイコール世界ノ終末オワリ』。


 いつも笑顔を絶やさない彼女がその笑顔を絶やすようなときが来るとしたら、そのときは世界が終わる日くらいだろう――そういう意味でつけたと、荒川さんは言っていた。


 だけど僕の捉え方は違う。

 太陽のようにまぶしい彼女の笑顔が消えたとしたら、その日が世界の終わりだろう――と。


 だけどなんにしろ、彼女が運命の子供であることを知っていると、このタイトルは言い得て妙だと思う。


 理恵を見る。

 すると、彼女は首を縮めてどこかこそこそとしている。


「……なにしてるの?」

「え? だって、こんな堂々と本が出てちゃ、わたし外歩けないよ。見つかったら、きっとサイン攻めだよぉ」


 僕は「はぁ」とため息をつくと、


「あのねぇ。理恵は元々アイドルでしょ? ついさっきまで平気な顔で外歩いてたのに、なんでそうなるのかなぁ?」


 理恵は目をぱちくりとさせてから、


「……あ、そっか。へへ。なに言ってんだろね」


 ちろっと舌を出して笑った。


「でもわたし、サイン攻めなんてことなかったからなぁ。て、ことは、やっぱりわたしってその程度のアイドルだったのかもね――」

「――あ! 篠宮理恵さんですよね!?」


 振り向くと、理恵の写真集を手にした少女が、紅潮した顔で理恵を見つめていた。


「え、ええ。そうですけど」

「きゃー、本物だ! あの、わたし、篠宮さんの大ファンなんです! 一目見たときに、あなたの笑顔が大好きになって。あの! どうしたらそんな風に笑えるんですか!?」


 理恵は「うーん」と、少し考えてから、


「好きになることかな? 友達でも、両親でも――そして恋人でもいいの。自分の周りの世界をね、まるごと好きになればいいのよ」


 ――そう。

 世界中の人間から『不必要』の烙印を押されたそのときですら、理恵は世界を愛していた。


 世界を好きになる。


 言うのは簡単だけど、実行するのは恐ろしく難しい。

 それがさらりとできてしまうからこそ――理恵は運命の子供なのだろう。


 会計を済ませ、少女の写真集にサインをしている理恵を見ながら、僕はそう思った。


「ありがとうございます! わたしも、あなたみたいに笑えるよう、がんばります!」

「うん。がんばってね」


 だけどおそらく――理恵はもう、運命の子供ではない。


 ホークの生還。

 そして、理恵の無事。


 あの短時間に、奇跡としか思えないような出来事が立て続けに起こった。

 佐野会長の言葉を信じるなら、運命の子供は『すべての偶然』を封印する存在だったはず。

 にもかかわらず――奇跡は起きた。


 彼女はまた、運命の子供のことを『器』とも言っていた。

 僕が思うに、過度の精神的ショックによって、その『器』に穴が空いてしまったのかもしれない。

 そして『偶然』は世界に流れ出した――


「こら、カツキ君!」

「え? な、なに?」

「カツキ君、なにか言いたそうな顔してる! ダメだよ! 言いたいことはちゃんと言わないと、伝わる気持ちも伝わらないよ!」


 そう、人差し指を立ててお説教してきた。


「そ、そうかな? 僕は別に――」


 ――言いたいことなんか。

 そのとき僕は、はっと思いついた。


 佐野先輩はあの雷を『天罰の光』と形容していた。


 もし、それがまったくの逆だとしたら?


 あの光は、神様からの『祝福の光』だとしたら?


 運命の子供は世界を滅ぼす存在ではなく、人類を審査する存在だったのかもしれない。

 人類が世界衰退による安楽死のような痛みのない破滅を良しとせず、激痛に耐えながらも前に進もうとする、強き意志を持った生き物かどうかを確かめるため。


 そして人類は――中でもこれからを生きる、僕らと同年代の子供たちが、自分たちの意志を示した。


《僕らは古い世界を壊し、新しい世界を生きる》と。


 あの光は、運命の子供という辛い任を解く『祝福』だったと考えれば、すべてつじつまが合う。


 ――佐野先輩は、本当に世界を救ってしまったのかもしれない。

 世界の、そして、自分自身の宿命をも解き放ったのだ。


 僕はちょっといたずらっぽく笑って、


「いや。理恵にはそのうち言うよ」


 指示を無視しても、ホークはなにも言わなくなった。

 もしかしたらホークも僕と同じ結論に行き着いたのかもしれない。


 だけどこれはすべて僕の推論。

 本当のことは、まさに神のみぞ知る。


「あ! やっぱりなんかあるんだ! もう~教えてよぉ!」

「だからそのうち、ね!」


 そう。そのうち時間が経てば、統計結果から真実が明らかになるだろう――彼女が運命の子供かどうか。


 もしそのとき、彼女がただの『篠宮理恵』になっていたのなら、僕の口からすべてを語ろう。


「カツキ君、ひどいよぉ」

「そんな顔するなって。すぐに言うからさ、きっと」


 そう言って、僕は理恵の髪をくしゃっと撫でた。


「……うん。わかった。わたし、信じてるよ」


 理恵はまた、いつものように笑ってくれた。



 僕は奇跡のような出来事も、悪夢のような出来事も望まない。

 ほんのちょっとの幸せと、ほんのちょっとの不幸せ。


 そして願わくば――


 彼女の笑顔を見守りながら、ずっと一緒に生きて行けますように。


 僕らの世界の真実は、二人で歩く道の先にあるのだから。



――了

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彼女のご機嫌≒世界ノ終末/天埜冬景 カドカワBOOKS公式 @kadokawabooks

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