第八章『世界の 真実』

 目覚めたとき、僕は病院のベッドの上にいた。


 まっ先に目に飛び込んできたのは、母さんの涙だった。

 ふと、理恵と付き合うことが決まった夜のことが思い出された。

 あの日、僕はホークとともに帰宅し、ホークは母さんに事態の説明をしたのだった。


「勝紀君は運命の子供の恋人という大任に就くことになりました。ですが心配はいりません。私たちが全力で彼をサポートします」


 ――と。

 あのときも母さんは泣いていた。


「ゴメン。また、泣かせちゃったね……」

「勝紀……」

「僕はどれくらい寝てたの?」

「丸一日よ。でもいいの。今はとにかく、ゆっくり休んで」

「そうだ。今は無理をしないほうがいい」


 ドアが開き、ホークが現れた。ホークは母さんに頭を下げた。


「この度は私たちの力及ばず、ご子息を危険な目に遭わせてしまい、申し訳ない」

「いえ、とんでもない。この子、とってもあなたのことを信頼しているのよ。『ホークさんがいたから僕は理恵と付き合えたし、これからも安心して付き合っていける』――そう話していたこともありましたわ」


 ――そうだ。理恵は、どうなったんだろう?

 もし理恵が助けを求めているなら、僕は行かないと。


 僕は鉛のように重い身体を引きずり、ベッドのパイプに捕まり立った。


「か、勝紀! ダメよ、まだ起きちゃ!」

「でも、今この瞬間、理恵は僕よりも苦しんでいるかもしれない。だから――」

「勝紀君。今はまだ寝てるんだ。ここで立ち上がっても、君を待ってるのは身を裂かれるほどに辛い現実だけだ。それでもまだ――君は立つというのか?」


 僕は――答える代わりに、支えから手を離して二本の足で立ち上がった。


「……それが、君の答えか」


 ホークは僕に肩を貸すと、母さんに敬礼をした。


「申し訳ありません。無理を承知で、ご子息をお借りします。ですが今度こそ、フェイト部隊の名に賭けて、ご子息は無事にお返し致します」


 母さんは――覚悟を決めたように微笑んだ。


「……行ってきなさい、勝紀。人に興味を持つのがなにより下手だったあなたが、今、こんなにも人のために動こうとしてる。例えどんな結果になろうとも、母さんは後悔しないわ」

「ありがとう、母さん。それじゃ――行ってきます」


 僕はホークの見様見真似で、敬礼をした。



「理恵は――拉致された」


 僕らがフェイトのトレーラーに着くと、ホークは開口一番そう言った。


「君も目撃したと思うが、実行犯はフェイトの隊員、松村。だが、その黒幕はおそらく佐野真澄だ」

「佐野会長……」


 ついに行動を起こしたのか。

 僕やホークがそうであるように、彼女は彼女の信念に殉ずるつもりなのだ。


「武装ヘリに関しては運命省の圧力でもみ消せたが、事件そのものは――」


 そう言ってホークがぱちんと指を鳴らすと、モニターからテレビのニュースと思われる映像が流れ始めた。


『昨日の夕方、新人アイドルの篠宮理恵さんが誘拐されるというショッキングな事件が起きました。犯人からの連絡はなく、目的は依然不明のまま。篠宮さんの安否が気遣われています――』


「――と、ご覧の通りだ。ニュースでは犯行声明はないと言っていたが、実際は反抗直後に送られてきた。だがそれはフェイト部隊――ひいては運命省や日本政府へ向けてのものだった」

「声明には、一般に知られてはまずい極秘事項があったんですね?」

「その通りだ。君が佐野真澄から聞いた話――運命の子供の真実が暴露された。今、上じゃ大騒ぎだ。末端の俺たちフェイト部隊の隊員も、半数近くが反・フェイト陣営に寝返った。当然といえば当然か……今まで自分たちが命を賭けて守ってきたものが、世界を滅ぼすかもしれないと聞かされてはな――」


 確かにそれはそうかもしれない。価値観が逆転してしまうのだから。このホークのように――よほど強靭な意志や信念を持っていないと、自分自身の存在意義アイデンティティーすらあやふやになってしまうだろう。


「――あの事件前に、既に松村はその話をネタに部下数人を篭絡していたようだ。そして、理恵は拉致された……。これは隊員の変化に気付けなかった――俺のミスだ」


 そう言って、ホークは拳を手の平に打ちつけた。


「そんな……自分を責めないでください」

「いや、俺の責任だ。上が混乱していることもあるが、フェイトの一時活動停止も当然の措置だろう」

「活動停止!?」

「そうだ。監視対象である理恵の不在、隊員の激減、上層部の混乱、隊長の不始末――これらすべてを加味しての処置だそうだ」

「だけど、今もこうして活動しているじゃないですか?」


 隊員の数は減ったとは言え、このトレーラーが稼動しているのがその証拠だ。


「実は先ほど起こった事件のせいで、そうも言っていられなくなったのでな。厳罰を覚悟で、みな自発的に活動している」

「先ほど起こった事件? なんですか、それは?」

「これだ」


 ホークにしては珍しく、モニターではなく書類を僕に提示してきた。


「つい二時間前、SNSで拡散された情報だ」


 ――運命の子供に関する極秘情報を公開します。そして二十四時間後、この件に関するあなたの考えを伺いに参ります――


 その文章の下には、世界各国の言語が書かれていた。おそらく同様の文章が、様々な言語に翻訳されているのだろう。


「この手の悪戯いたずらは、過去にも何度もあった。だが、今回は違う。ページをめくればわかるが、膨大な資料が添付されている。それらはすべて――運命省の最重要機密だ」


 そう言えばあの日、佐野会長が言っていた気がする。「運命省のコンピューターをハッキングした」と。

 それじゃ――


「まさか――佐野会長の仕業!?」

「十中八九そうだろうな。だが問題はそれだけじゃない。公開された情報の中には――運命の子供の真実に関する記述もあったんだよ。事態に気付いた運命省が元々のデータを削除したが、既に時遅しだ。データにはウイルスが仕掛けられていてな。感染した端末は、その極秘事項を無差別に拡散し続けている。それは――今この瞬間も、だ。もはや情報の漏洩は食い止められないだろう」

「そんな……」


 これで、世界の抑止力だったはずの運命の子供が一転、世界を滅ぼす敵に仕立て上げられてしまったわけだ。

 この先世界がどう動くかは――誰にも予想すらできないだろう。


「事態を重く見た政府は公的機関の全捜査能力を駆使し、このデータを公開した者を電撃逮捕して取り調べたが、佐野真澄本人はおろか反・フェイト派の人間でもなかった。報酬と引き換えにデータをアップしただけの、一般人だった。さすがあの佐野県知事の娘だ。狡猾さは親譲りだな」


 ――佐野会長は言っていた。

 父親の権力を逆手にとって、世界を解放する、と。


 だが彼女は自分でも知らず知らずのうちに、権力どころか嫌悪してきた父親と同じ手段までとっている。それがどんなに皮肉なことか、彼女は気付いていないだろう。


 と――僕の携帯に電話がかかってきた。

 相手は――


「理恵!?」

「なに? ちょっと待て!」


 ホークはモニター脇からコードを引っ張り出すと僕の携帯に繋ぎ、無言でうなずいた。逆探知をするつもりなのだろう。


 僕は通話ボタンを押した。


「理恵! 無事なのか?」


『あら、篠宮さんじゃなくてごめんなさい』


「その声――佐野会長ですね!?」


『ええ、そうよ。あなたの意識が戻ったって聞いたのでね。ちょっと篠宮さんの携帯を拝借したのよ』


 この口ぶりは、まさか……? 今この場に残っているフェイトの隊員にも、裏切り者がいるのか!?


 ホークを見ると、神妙な面持ちでうなずいた。


『拡散された情報は見ていただけたかしら? それで明日ね、運命の子供の真実を知った人に向けてネット上でお祭りを行うの。中でもあなたには、ちょっと趣向を凝らした現実のステージを用意したわ。どうせ逆探知はしているんでしょう? 今からここでお待ちしているわ。明日、山口君一人でお越しになられて』


「理恵は……理恵は無事なんですか!?」


『明日のステージまでは無事よ。それは保証するわ。ただ山口君以外の人物が半径一キロ以内に侵入した場合、即、篠宮さんの命を奪います。今や反・フェイト派の考えに賛同する人間は、運命省の中枢にもいるわ。フェイト部隊に限らず、なんらかの部隊が動いた場合もその情報はすぐに届きます。その場合、篠宮さんの身の安全は保証しませんので、あしからず。では、お待ちしてますわ』


 その言葉を最後に電話は切れた。


「ホークさん。佐野会長は、どこにいるんですか?」

「……郊外の遊園地跡。その中央にある、屋上にイベント会場を設けた展望ビルだ。まさか、行くのか?」

「はい。理恵を助けることができるチャンスですから」

「バカな! 君一人でなにができるという!?」

「でも、こちらの動きは相手に筒抜けなんでしょ? だったらほかに方法はないですよ」


 ホークは「ぐ……」と言葉に詰まると、ため息を一つついた。


「……わかった。君は好きにしたまえ。俺たち残存フェイト部隊は、明日の祭りとやらをなんとしても食い止める。なにをやる気かはしらんが、これ以上騒ぎを大きくすることは避けねばならない」

「お願いします」

「だが勝紀君。相手の目的はあくまで理恵だ。君じゃない。酷なようだが――万一のときは理恵を見捨ててでも、君は無事に帰るんだ。またお母さんを泣かせてはいけない」


 ――母さんの涙。

 そして、未だ見たことのない、理恵の涙。


 もし今、理恵が泣いているとしたら――


「――すみません。そればかりは、なってみないとなんとも言えません」


 僕はそう、困ったように笑った。



 そして、翌日。


 空は真っ黒な雲に覆われ、正午過ぎにも関わらず薄気味が悪いほどに暗かった。

 僕はホークの操縦する武装ヘリに乗り、佐野会長の待つ遊園地へと向かった。


「ここが展望ビルから半径一キロ地点だ! 着陸するぞ!」


 ローターブレードの轟音にかき消されないよう、ホークは大声を張り上げた。

 ヘリは遊園地脇の空き地に着陸し、僕とホークは地上に降りた。よく見渡せばここは空き地ではなく、無人の広大な駐車場だった。


「俺は万が一に備えてここで待機している。……勝紀君、くれぐれも気をつけてな」

「了解です。それで、ネットの件は……?」

「ああ。米国の国家安全保障局N・S・Aと協力してネットを監視してはいるが、日本政府の中にも反・フェイト派に賛同している輩が多いらしくてな。現状はあまりよくないというのが本当のところだ。だが――いつだったかも言ったが、これは俺たちの仕事で、俺たちの戦い方だ」

「僕は僕の戦いをすればいい――そうでしょう?」

「そうだ。だが忘れるなよ。君の作戦の最優先事項は『君自身が生き残ること』だ」

「はい。了解しました」

「よし。では、作戦ミッション開始スタート!」


 僕とホークは、同時に敬礼した。



 展望ビルの横には、今日僕が乗ってきたヘリと同じものが着陸していた。

 あの日、僕らの前に現れたのと同じものだろう。


 ビルの入り口には重厚なアサルト・ライフルを構えたフェイトの隊員が二人と、髪をオールバックにした黒スーツの男性が立っていた。


「お待ちしておりました。山口君。私、松村と申します。以後お見知りおきを」


 スーツの男性が恭しく頭を下げた。


「松村……あなたですね? あの日、理恵を誘拐したのは――!?」

「はい、そうです。私が誘拐しました。おっと、彼女は無事ですから。そんな怖い顔なさらないでください。さ、真澄お嬢様がお待ちです。どうぞこちらへ」


 僕は男に付き添われ、エレベーターに乗り込んだ。最上階からは階段を使い、重そうな鉄製の扉を開けると――

 強烈な光が飛び込んできた。


「……スポットライト?」

『さぁ! 本日のゲストのご登場よ』


 スピーカーから佐野会長の声が聞こえてきた。

 まぶしさに目をしばたかせながら、眼前のステージを見る。あれは――


「理恵……?」

「カツキ、君……」


 そこには色鮮やかなステージ衣装に身を包んだ理恵が、マイクを持って立っていた。

 後方にはバックダンサーやコーラスの代わりに、銃を構えたフェイト部隊の隊員が整列している。

 それは恐ろしくアンバランスな画だった。


 そして――


『お待ちしてましたわ。山口君。本当に一人で来てくれたのね』


 ステージの左端、司会者役のマイクの前には、一人学校の制服を着た佐野会長がいた。


「……そう指示したのはあなたじゃないですか?」


 僕はステージに向かって歩きながらそう言った。


『そうね。でも指示されたからって、そう簡単にできることじゃないわよ? 恋人のために、敵陣の中心に一人で乗り込んでくるなんて。この間の志摩さんとの姉弟愛といい、あなたには良い物を見させてもらってばかりね。だから今日はお返しに、素晴らしいショーをお見せしようと思ったのだけど……まだメインイベントには時間が早いようね』


 佐野会長は「篠宮さん」と理恵を呼ぶと、


『その間、あなたの歌でも聴かせてあげたらいかが? あの聴くに堪えない歌を』


 マイクを握る理恵の手が、びくっと震えた。


「佐野会長!」


 僕はステージの段に手をかけ、よじ登ろうとした。が――


「お客様がステージに上がるのは感心しませんよ。山口君」


 気が付くと僕のこめかみに、松村の握る拳銃の冷たい銃口が押し当てられていた。


「くっ……」


 ――いつの間に!? 

 これが、ただの高校生に過ぎない僕と、戦闘訓練を受けた兵士の差……。

 ホークの言葉の意味が、ようやくわかった。


 悔しいけど、確かに僕一人ではなにもできやしない――!!


 僕はおとなしく、ステージにかけた手を下ろした。


『そうそう。お客様はお行儀良く、ね。でも困ったわね、アイドルが歌えないんじゃ。それじゃ、トークショーにしましょうか? 題して――運命の子供が語る本音』


 ――!?


「佐野会長ぉっ!! あなた、自分がなにを言ってるのか、わかって――」

「――いいの、カツキ君」

「……え?」

「わたしね……全部知っちゃったんだ。自分が運命の子供だってことも、そして、わたしのせいで世界が滅ぶかもしれない、ってことも……」


 ――なんでだろう?

 こんなときでも。


 こんなときでも理恵は、見ているほうが悲しくなるほど――笑顔だった。


「……理恵」

「この衣装だって、わたしには着る資格ないよ。……不正、だったんでしょ? オーディション」


 もし自分が理恵の立場だったら、どれだけの衝撃を受けるかわからない。取り乱し、わめき散らすかもしれない。

 それなのに――理恵は笑っている。

 こんなときくらい、泣いたっていいはずなのに……。


「そんな顔しないで、カツキ君」


 そう言われても、僕が今どんな顔をしているのか、わからないよ。


「ゴメンね。わたしといるの、辛かったよね? 大変だったよね? 言いたくないこと言わされて、したくないことさせられて……ホント、ゴメンね」

「違う……違うよ! 僕は本当に、心から君のことが――」

「いいんだよ、もう。無理しなくても。今までありがとう。こんなわたしと一緒にいてくれて。だから――」


 そう言って理恵は僕の前まで歩み寄ってかがみ――ステージの上から、僕の頭をくしゃっと撫でた。


「――だから、もう泣かないで」


 あ――そうか。僕は、泣いていたのか。


 泣いてもいいはずの理恵じゃなくて、僕のほうが泣いている。

 好きな女の子一人助けられず、あまつさえその子に慰められて――


 そんな自分が、どうしようもなく情けなかった。


「僕のほうこそ、ごめん。約束したのに――理恵のこと、守るって」

「カツキ君……もしかして、本当にわたしのことを……?」


『はい、メロドラマはそこまで。残念ながらメインイベントの時間よ』


 佐野会長がアナウンスすると、フェイト隊員が部隊袖から機械を台車に乗せて運んできた。

 パラボラアンテナが付いた、軍隊で使うような大型の通信機器とノートパソコンという、変わった組み合わせだった。


 まさか、佐野会長はこれを使ってネット上で『祭り』をするつもりなのか?


 だけど盲点だった。インターネットは元々、一つの基地が壊滅しても別の場所のコンピューターにデータを残しておくための、軍用に生まれた通信システム。

 言い換えれば、通信は軍の要でありライフライン。フェイト部隊の半数が寝返った今なら、通信機材から通信システムまで自前で用意することなど、造作もなかったのだろう。


『さぁ世界のみなさん、長らくお待たせしました! 現時刻をもって、【運命の子供の弾劾だんがい多数決】を始めます!!』


 その言葉を合図に、ステージ後方の壁が一部だけ開いた。強風が吹き込み、僕は腕で顔を覆った。


「運命の子供の……弾劾だんがい多数決?」


 僕の疑問に答えたのは、佐野会長ではなく理恵だった。


「世界中の人たちにね、決めてもらうんだって。運命の子供の真実を公開した上で、わたしが――本当に必要かどうかを」


 カッという音と共に、スポットライトが四方から理恵を照らした。

 そして壁に開いた穴を中心として、左に【必要】、右に【不必要】の文字が映し出された。両者とも、カウントはゼロ。


『ルールは簡単! SNSで運命の子供の真実が届けられた端末に、今度はこちらから質問を送ります! 人類にとって、運命の子供は必要か否か!! この世界の未来を決めるのは、皆さんの清き一票です!! さぁ篠宮さん、ステージ中央へどうぞ!』


 吹き続ける風に衣装の裾をはためかせて、篠宮は歩き出した。


「理恵……!」

「おっと、動かないでくださいね」


 松村の目配せでフェイト隊員が二人駆け寄ってきて、僕に銃口を突きつけた。


『制限時間は三分間。それでは――集計スタート!!』


 佐野会長の声と同時に、すごい勢いでカウンターが回り始めた。

 ステージ中央でスポットライトを浴びて目を閉じている理恵は、ライブで曲が始まる直前のアイドルそのものだった。


『さぁ、この多数決で運命の子供が必要という結果が出れば、篠宮さんは無罪放免。代わりに私が、この拳銃で自らの命を絶ちます』


 そう言って、佐野会長は懐から拳銃を取り出した。


「そんな! あなたが死ぬ必要なんか、どこにもないじゃないですか!?」


『あるのよ。私にとって運命の子供は宿命そのもの。その運命の子供を世界が受け入れるというなら――そんな世界、私の方から拒絶してあげるわ』


 彼女はにこっと笑った。

 おそらく、本当に心からの言葉なのだろう。


『それにあなた、私の心配なんかしてる余裕はあるのかしら? この多数決で不必要という結果が出れば、篠宮さんにはそこからビルの下へ飛び降りていただくのよ。もちろん強制じゃないわ。彼女の意思で――ね』

「嘘……だろ?」


 ――いや違う。理恵のことだ。おそらく本当に『彼女自身の意思』で飛び降りるつもりなのだろう。

 そう考えると、理恵の姿は目に見えない死刑台に上る前の死刑囚にしか見えなくなり――僕は彼女を直視できずに目を閉じた。



 そして、永遠とも思えるほど長かった三分が過ぎ――


『集計、終ー了ー!!』


 僕は恐る恐る目を開けた。

 結果は圧倒的多数で――


【不必要】の勝ちだった。


「理恵!」

「……うん。多分こうなるだろうなーって、わかってた。だから大丈夫。覚悟は決まってるから」

「そうじゃないだろ!? 理恵は生きたくないのか? もっともっと、やりたいことだってあっただろ?」

「そうだね。できることなら、今度は実力でオーディションに受かって、もう一度この衣装を着て歌いたいね」

「だろ!? だったら――」

「――でもね、カツキ君。わたし一人の幸せと世界中のみんなの未来とじゃ、釣り合わないんだ」


 まだ、こんな状況になっても、理恵は笑顔だった。


「……くそっ!」


 業を煮やした僕は、ステージに上ろうと再び手をかけた。


「待て!」


 ステージの上から下から、計四つの銃口が向けられた。

 僕はそのうちの一つを鷲づかみにすると、自分のこめかみに突きつけて叫んだ。


「撃つなら撃てよ! 理恵と生き、理恵を守ることが僕の宿命フェイトだ! それが叶わないなら――生きてく意味なんかないんだ!!」


 僕の気迫に気圧されたのか、隊員は少しだけひるんだ。


「どけよっ!」


 僕は隊員を突き飛ばし、理恵に手を伸ばして駆け寄った。


「理恵っ!」

「ありがとうカツキ君。その言葉だけで、わたしは生まれてきて良かったと思えるよ。だから――あなたは生きて」


 理恵は泣きながら微笑んだ。

 それは、彼女が見せた初めての涙だった。


 そして――


「さよなら。カツキ君……」


 理恵が暗く曇る空に身を躍らせようとした、そのときだった。


 ――閃光が、僕の網膜を焼いた。

 瞬間遅れて、大気を焼く轟音。


「――雷!?」


 うすぼんやりとしか見えない視界で理恵を探すが、その姿はどこにもない。

 きょろきょろと辺りを見回すと、ステージの右端、舞台袖のほうで倒れている人影が見えた。


 目をこする。

 ――間違い、なかった。


「……理恵」


 僕はその場にひざからくず折れた。


 おそらく雷の直撃を受けて吹き飛んだのだろう。

 そんな目に遭って、生きていられるわけがない。生きていたらそれこそ奇跡だ。


『運命の子供は天罰の光に焼かれました、ってとこかしら。神様がいるとしたら、ドラマティックな演出をするものね』


 僕は佐野会長を睨みつけた。


『……事実よ。でもいくら運命の子供であっても、人間は人間。最期は愛する人に看取らせてあげようと思って、あなたを呼んだのよ。少しは感謝して欲しいわ』


 そのとき、スピーカーに別の声が割り込んだ。


『そうですか。では誰にも看取られずに死んでゆくあなたは、とても寂しい人間ですね』


 ――松村の声。だが、その姿はどこにもない。

 すると、ローターブレードの回転音を響かせ、武装ヘリがビルの下から姿を現した。


 佐野会長の落としたマイクが、『ゴォン』と音を立てた。


「松村――あなた、裏切ったわね……」


『裏切ったとは人聞きが悪い。私は元々、反・フェイト派幹部の部下ですから。あなたの下へは、出向で来ていたに過ぎませんよ』


 フェイトの隊員たちにも動揺が広がり、ざわめき始めた。

 彼らの目的は世界の破滅を回避することであり、その目標が達成された今、彼らは宿命と戦う騎士からただの傭兵へと成り下がったのだ。


『真澄お嬢様。あなたは大変よく動いてくれました。今回の作戦も、あなた抜きでは成しえなかったでしょう。ですが、やはりあなたは部外者。あなたにはここで、篠宮理恵拉致事件の犯人として死んでもらいます。もちろん、表向きには自殺でね』


「なるほど……私をとかげの尻尾にして、あわよくば口封じも、という筋書きなわけね。まさに一石二鳥だわ」


『申し訳ありません。反・フェイト派幹部の方々の情報は、公に発表されるとお困りになられるので。あぁそれと。お気の毒ですが、目撃者となってしまったあなたたちの口も封じさせてもらいますね』


 その言葉が、彷徨える傭兵たちに戦う相手を与えた。


「う、撃て! 撃てぇ!」


 誰かの一言が口火となり、武装ヘリに向かって嵐のような弾幕が撃ち放たれた。

 だが、その攻撃は防弾処理されたヘリに対してはあまりに非力だった。


「結局……私を受け入れてくれる世界なんて、本当はどこにもなかったのね……」


 弾雨を横目に佐野会長はそう言って、悲しそうに笑った。


『……さようなら。一人ぼっちの反逆者トリーズナー。そして、扇動者アジテーターに惑わされた哀れな子羊たち』


 ――僕は、死を覚悟した。


 だけど、それもいいかもしれない。

 理恵のいない世界に生きていたって――


『あきらめるな! 勝紀君!』


 ホークの声が聞こえたような気がした。

 いや――気のせいではない。


「ホークさん!」


 振り返ると、もう一機の武装ヘリが猛スピードでこちらに向かってきていた。

 そうか! 小型無線機からの情報で僕たちの状況を察知したんだ。通信のプロは、こっちにもいたということだ。


『さん、は不要だ! 君にはまだ、帰りを待っている人がいるだろう? その人のためにも、そして理恵のためにも、君は生きろ!』


 松村のヘリの機関銃ガトリング・ガンがホークの機に照準を合わせ、すさまじい轟音を響かせて銃火を放った。


『松村ぁ! 貴様は俺の宿命フェイトの汚点だ! 俺と一緒に――地獄に落ちろぉっ!!』


 ホークの機は被弾しながらも突撃し――松村機の横っ腹に激突した!

 灰色の空はオレンジ色の爆発に染まり、オイルや火薬の焼ける匂いが辺りに充満した。


「ホーク……さん」


「……さん、は不要だ」


 もう聞けないと思っていた言葉が聞こえ、僕は耳を疑った。


「ここだ、ここ。おーい、誰かなんとかしてくれ」


 声のする方――頭上を振り仰ぐと、避雷針の先にホークが引っかかっていた。フェイトの隊員たちもホークを発見したのか、彼の救出に向かって行った。あの様子なら彼は無事だろう。


 だけど――


 僕は理恵の傍らに腰を下ろした。

 身体には傷一つなく、まるで寝ているようだった。


「……理恵」


 僕は理恵の髪を撫でた。

 さっきの爆風のせいか、ちょっとだけ埃っぽかった。よく見ると顔も少しすすけている。

 僕はそれを払うべく、顔に手をやった。すると――


「――う、ううん」


 ――信じられなかった。


「理恵……。生き……てる……」


 理恵はゆっくりと目を開けた。


 あれだけ厚かった雲も晴れ始め、切れ間から光が降り注いだ。


「理恵! 理恵!」


「……カツキ君。わたし」


「うん。なんだい?」

「わたし……どうして、こんなところにいるの?」

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