第七章『理恵の 真実』


 写真集の撮影が無事に終了すると、一息つく間もなく期末テストが始まった。勉強なんかする時間はなかったから結果は散々だろうけど、まぁしょうがない。


 それになにより、僕はテストの結果とは比べようもない、かけがえのないものを手に入れたのだ。


 大切な人。

 そして、夢。


 理恵の言葉じゃないけど、僕は幸せ者だと思う。

 けれど、その幸せをより確固たるものにするために、僕にはまだしなくちゃいけないことがある。


「大丈夫なんだな、カツキ?」


 廊下で比呂とすれ違った。


 テスト最終日、そして夏休みという生徒たちの解放感からか、今日は学校そのものの雰囲気もどこか明るかった。


 そんな中、真剣な顔で向かい合う僕ら二人は、どこか周りから浮いていたかもしれない。


「うん、大丈夫さ。答えはもう、僕の中で出てるから」


 ――志摩先輩への返事。


 先輩は僕にとって恩人であることに変わりはないし、理恵とは別の意味で大切な人だと思う。どういう結果が待つにしろ、このまま返事を保留するわけにはいかないと思う。


 このことに関しては、ホークの了解も得ている。


「そっか。ならいいけどよ。理恵ちゃんへの気持ちもしっかりと自覚できたお前なら、妙なことにはならないだろうしな」

「――比呂は、いつから僕の変化に気付いてたのさ?」


 そう。比呂は僕の感情の変化を敏感に察していたらしい。


「ああ、春過ぎくらいかな? 理恵ちゃんのデビューが決まって、お前がコンテストに送るって言ってた、あの頃か。演技って言葉だけじゃ説明できないくらい――そうだな、自然すぎるほど自然に振る舞ってたお前を見たときに確信したんだよ」

「そっか……けっきょく気付かなかったのは僕だけだったんだね」

「いや、そうでもないさ。ホークのおっさんも気付いてなかったんじゃねぇか?」

「ああ。そう言われれば」

「何度か話してわかったけどさ。やっぱあの人も根本的に子供なんだろうな。それこそ俺らとそう変わらないくらいに。集団同時空耳事件――あの日から、おっさんの時間は止まったままのかもしれねぇな」


 ホークが前に言っていた。


 ――人を超えた存在の声だった、と。


 きっとそのときホークの時間は止まり、運命の子供――篠宮のために生きる、新たな人生が始まったのだろう。


「カツキ。お前はあの人のようにはなるな。お前には理恵ちゃんがいる。二人で一緒に歩いて行け」

「――うん。そのためにも、今ここで立ち止まってるわけにはいかないから。けじめをつけに、行ってくる」


 そう言って二人腕を上げ、ぱあんと手を打ち鳴らした。



 約束の体育館裏に赴くと、志摩先輩は既に来ていた。


 どこまでも高く昇る入道雲に日は隠れ、生ぬるい空気が足元から立ち上る。


「こんにちは。勝紀君。久しぶり」

「はい。お久しぶりです」


 ――いつもの先輩だ。

 知的で、冷静で、そして――優しい。


「びっくりしたわ。今日の朝、突然あんなメールが来るんだから」

「驚かせてすいません。でも、どうしても直接会って話したかったので」

「……そうね。私も、あなたと話したかった」

「ええ。あんな形のまま会えなくなるのは、僕も辛いですから。それで、あのときの答えだんですけど――」


 日が差し込み、セミたちがにわかに騒ぎ出した。


「――僕の恋人はやっぱり、篠宮理恵なんです。先輩の気持ちは嬉しいですけど……すいません」


 そう言って、僕は頭を下げた。


「それは――彼女が運命の子供だから?」


 真剣な表情で、そう聞いてきた。

 顔を上げ、しっかりと先輩の目を見る。


「確かに――最初は強制もされました。でも今は違います。僕は彼女を――彼女の笑顔を、好きになりました。他の誰の意思でもない。彼女の笑顔を守るため、僕は僕の意思で篠宮理恵と付き合っています」


 ――先輩はどう思うだろうか?

 はたして、僕の言葉を聞いた先輩は――ふっと優しく微笑んで、


「――そう。私は、その言葉が聞きたかったのよ。あなたなら、いいえ、あなたたちなら、例えどんな困難が立ちはだかっても、必ずそれを越えていけるはず」

「先輩……」


 僕の頭に傷の残る手を置き、髪をくしゃっと撫でてくれた。


「背、追い越されたわね。二年前はまだ私のほうが大きかったのに……。いつの間にかこんなに、身も心も大きくなって」


 なんだか照れ臭かった。


 先輩の言葉は、どことなく姉さんの言葉に聞こえる。姉さんが生きていたらこうしてくれただろう、こう言ってくれただろうという気がする。


 ――やはり、この人も僕の大切な人には違いない。


「――美しい姉弟愛と言うのかしらね? いいものを見せてもらったわ」


 パチパチと拍手をしながら、体育館の陰から現れた女性。

 彼女は――


「……佐野――生徒会長?」

「佐野さん! 勝紀君にこれ以上ひどいことをするのは――私が許さないわ!」


 僕をかばうように、先輩は佐野会長と僕の間に立ちはだかった。


「あら? どう許さないというのかしら? 私はまた、あなたの家族を人質に捕ってもいいのよ?」

「くっ……」

「人質? どういうことなんですか、先輩!?」

「まだ話していなかったの? それじゃ、私が教えて差し上げるわ。志摩さんはね、家族を人質に捕られて、あなたにしたくもない告白をしたのよ――私の命令でね。使いたくもない県知事ちちおや権力ちからも、こういうときには役に立つわね。一公務員を解雇することなど、造作もないもの」

「そんな……!!」


 あのとき、先輩がそんなことになっていたなんて!


 先輩は僕に背を向けたまま答えた。


「……許して、なんて言わないわ。理由はどうあれ、あなたと――あなたの大切な人を傷つけてしまったのは事実よ。――だから!」


 先輩は両手を広げ、叫んだ。


「もう二度と、同じ過ちは繰り返さない!」

「……後悔はしないわね?」


 先輩は首だけを僕に向けて、微笑んだ。


「あなたを弟のように思ってること、そして、あなたを苦しみから救いたい、というのは本当よ」


 佐野会長はふぅとため息をつくと、


「あなたたちの姉弟愛には頭が下がるわ。でも志摩さん。あなた、ひとつ思い違いをしているわ」


 ぴんと人差し指を立てた。


「……なんだというの?」

「今日はね。山口君を説得しに来たのよ。危害を加えるつもりはまったくないから、安心してちょうだい」

「だめよ! あの人の口車に乗っては!」


 先輩はなおも僕をかばい続けてくれる。

 僕はこの状況を打破する案が思い浮かばず、大島さんに助けを求めた。


(大島さん! どうします! 大島さん!)


「無駄よ。この辺り一帯には、妨害電波ジャミングをかけさせているの。ホーク隊長を始めとするフェイト部隊数十名も篠宮理恵の警護のため、この近辺には不在。市内に待機中の指示車にも連絡はつかない――さぁ山口君。お話、付き合ってもらえるわね?」


 妨害電波――!?

 それじゃあやっぱり、あの事件は佐野会長が起こしたものだったのか!


「佐野会長……。あなた、いったい何者なんですか……?」

「――宿命に抗う者」

「え?」

「フェイトの意味は『宿命』。運命の子供を守ることが彼らの――いいえ、全人類の宿命だというのなら……私はその宿命に抗う者。『アンチ・フェイト派』という組織の人間よ」


 彼女は懐から拳銃を取り出して僕らに突きつけると、そう静かに告げた。


「佐野さん、あなた――危害は加えないんじゃなかったの!?」

「もちろんそのつもりよ。ただそれは、大人しく私の話を聞いてくれれば、の話。それに用があるのは山口君だけ。言うことを聞いてくれれば、志摩さんは解放するわ」


 僕は考える。

 ここで拳銃を持った相手に二人の命を危険にさらすより、説得の名を借りた脅迫に一人で赴けば――確実に志摩先輩は助かる。


「そんな詭弁――」

「わかりました。僕があなたの話を聞きさえすれば、先輩は解放してくれるんですね?」

「ええ。約束するわ」

「だめよ! 私には、あなたのお姉さんの代わりにあなたを守る義務が――それが、お姉さんと――響子と交わした、最後の約束なんだから!」


 先輩の目には――涙が光っていた。

 そうか。先輩も、返せない借りを背負って生きていたんだ。


 永遠に果たされることのない等価交換――約束を。


 僕は一歩踏み出し、先輩の前に立った。


「大丈夫です。僕には帰りを待ってる人がいますから。理恵のためにも、そして、先輩のためにも、僕は無事に帰ってきますよ」

「勝紀、くん……!」


 そう言って、先輩はその場に泣き崩れた。


「さぁ、行きましょう」

「……はい」


 背にかかる先輩の嗚咽を振り払うように、僕は歩き出した。



「まぁ、そこの椅子にでもかけて。お茶も出さずに失礼するけど」

「構いませんよ。それで、話っていうのなんですか?」


 生徒会室は空調が利いていて、緊迫した雰囲気にそぐわないほど快適だった。


「単刀直入ね。いいわ。これを見て」


 佐野会長がパソコンを操作すると、天井からスクリーンが降りてきて画面を投影した。


 折れ線グラフ。

 なだらかに減少した値が、最後の少しで急に跳ね上がっている。


「これは運命省のコンピューターからハッキングした、ここ最近の犯罪発生件数よ」

「まさか――それじゃ!」


 日付をよく見る。

 値が跳ね上がった日は――僕が志摩先輩に告白された日だった。


「そう。奇しくもこれで、篠宮理恵が本当に運命の子供だということが証明されたわけね」

「あなたは――それを確かめるためだけにあんなことを!?」


 だとしたら許せない。

 そんなことのためだけに人の心をもてあそんで――


「そうね。彼女が本当に運命の子供か否かを確かめるために起こした事件であったことは、認めるわ。ただね。それはあくまですべての前提。彼女が運命の子供であるとわかった以上、私は――いいえ、私たちは、次の作戦を実行に移す必要があるの」


 その口ぶりに、僕はあることを思い出した。

 理恵の存在そのものを抹消しようという、過激思想集団。


「まさか――理恵を!?」


 彼女は僕の問いに答える代わりに、パソコンを操作して別の画面を投影した。


 本の文面を写真に撮ったものだと思うけれど、文字が読めなかった。


「これは……?」

「読めなくて当然よ。これは一万二千年前に書かれたものですもの」

「一万……二千年前?」


 あり得ない。

 人類最古の文明といわれるエジプトですら、その発祥は四千年前。一万二千年も前に文字を残し、本まで作っていた文明など馬鹿げている。


「そうよ。なぜならこれは――運命の子供によって滅んだ、超古代文明の文献ですもの。あなたの常識に当てはまらないのも、無理はないわ」

「超古代文明? それこそ馬鹿げていますよ! それにもしそんなものが存在していたとして、運命の子供が関係あるんです? 理恵は今、この時代に生きて――」


 そこまで言って、僕は思いつく。


 まさか、過去にも理恵のような運命の子供がいたというのだろうか――!?

 そして、その超古代文明が、遥か古代に存在した、先代運命の子供によって滅んだと――そう言いたいのだろうか?


「おそらく、あなたの思っている通りよ。運命の子供は、一万二千年前にも存在した。そして、その一人のために世界の全てが滅んだ――生き残ったわずかな人間を残してね」

「……まさか、その運命の子供が殺されてしまったり、死ぬほど悲しい思いをしたからですか?」


 そしてまた、時を経たこの世界も滅ぼす気なのか、この人は?


 だが、彼女は首を振った。


「いいえ。その逆よ」

「逆?」

「ええ。先代の運命の子供は、一生笑顔を絶やさず、平穏無事に生きたそうよ」

「なんで? それじゃ、おかしいじゃないですか!?」

「勝紀君。いつだったか、あなたには話したわね。悪夢のような不幸が減ると同時に、奇跡のような幸運も減っている、と」


 ――あの日だ。


 僕の写真が賞をとったと聞かされた梅雨のあの日、確かに僕と佐野会長は教室でそんな話をした。


「確かに、しました。でも、それがなんだっていうんです?」


 佐野会長は軽く深呼吸をすると、一つ一つ、慎重に言葉を選びながら話し始めた。


「集団同時空耳事件で、人々は何者かの声を聞いた。それは『ある子供に世界の運命を背負わせる』という内容だったらしいわ。文献によると、古代も内容は同じだったようね。だけどこの言葉には、ある真実が隠されていたの。それは――子供に背負わされたのは、『運命の名を借りた全ての偶然』だったのよ」


 全ての、偶然――?

 なんだろう、いまいちよくわからない。


「私も最初はなんのことだかよくわからなかったわ。でも世界の動向を調べていくうちにわかったの。『不幸も幸運も、全て偶然』ということが」


 あ――!!


 そういう、ことか……。

 僕の動揺が伝わったのか、彼女も小さくうなずいた。


「確かに運命の子供が笑っていれば、戦争や大災害、大事故など――世界に起こる悪夢のような出来事はその数を減らしていく。でも同時に、科学を飛躍的に進歩させるような発見や、奇跡としか思えないような人と人の絆や縁もその数を減らす――それは、良い悪いに関わらず、全ての偶然が運命の子供に封印されつつあるからなのよ!」


 あまりの衝撃に、僕は拳を固く握り締めた。


「それじゃ、この先世界は――」

「世界の全ては予定調和のまま、長い年月をかけて静かに衰退……いつかは滅ぶでしょうね」


 僕と佐野会長はしばし言葉を失い、エアコンの低い唸りだけが室内に響いた。


 運命の子供に隠された真実。


 けれど――!


「でもそれはあくまで、一万二千年前の場合は、という話でしょう? 今現在、世界が衰退に向かっていくなんて、とても思えませんよ!」

「それはね、偶然を封印する『器』である彼女が、まだ成長途中だからよ。まだ世界には、少ないながらも偶然というものが残っているわ。だから今は、人の生死に関するような大きな偶然にしか作用しないのでしょうね。けれど彼女が心身ともに成長しきった頃――おそらく二十歳前後になれば――器も完成し、世界の全ての偶然がそこに封印される。すると、本当に些細な偶然――例えば男女の運命的な出会いとそこから続く恋愛や、命の誕生というありふれた奇跡すら起こらなくなり――人類という種は滅亡する」


 想像してみる。

 恋愛のない世界を。


 それは――どんなに無味乾燥な世界だろうか。


「それを防ぐ手段はただ一つ――器が完成して封印が終わる前に、器そのものを破壊する。これは器が完成する前じゃないと効果が無いわ。先代の運命の子供が永眠してからも、数千年も世界に偶然が戻らなかったことを考えるとね」


 それはやっぱり――


「理恵の――命を奪うんですね?」


 佐野会長は悲しそうな目をして「ふっ」と笑った。


「罵りたければ罵ればいいわ。でも世界の未来と、女の子一人の命――天秤にかけるまでもなく、どちらが重いかはあなたにもわかるでしょう?」

「それは――理屈ではわかります! でも、理恵だって――運命の子供故の孤独にも耐えて、今日まで世界の全てを愛しながら生きてきたんですよ!?」

「それがどうしたというの!?」


 佐野会長は激昂し、机を叩いた。


 音は狭い室内に反響し、予想以上に大きく感じた。その音に彼女自身が一番驚いたのか、机を叩いた右手を左手で覆い、


「ごめんなさい。でもね山口君、辛い宿命を背負っているのは、なにも運命の子供だけではないのよ――」


 そう、目を伏せてつぶやいた。


「――私はね、世界の全てを憎悪して生きてきたわ。親、友達、そして――運命の子供を。物心ついたときにはもう、私の父親が運命の子供を利用して、どんな汚いことをしているかはわかっていたわ。そして、運命の子供の顔色を窺うばかりの大人たちと、その大人を見て育った子供たち――私の周囲にいる人間は、そんな人達ばかり。私の『世界』は、運命の子供一人のせいで息苦しい閉塞した世界になってしまったのね」


 ホークが以前言っていた。佐野県知事は、運命の子供を利用して私腹を肥やしている、と。

 そんな親の姿を見て育っただろう彼女の苦悩はどれほどのものか、僕には想像もつかない。


 ただひとつ言えるのは。

 佐野会長にとって世界とは圧迫感そのものであり、そのすべての原因――諸悪の根源は、運命の子供だったのだろう。


「わかった? これが、私の『宿命フェイト』。そして、私はその宿命に反逆したの。アンチ・フェイト派に加わり……知ってしまった。運命の子供に隠された真実を。私の憎悪は――使命感へと変わったの。私が世界に感じてきた圧迫感は間違いではなかった。運命の子供の存在そのものが、人類の可能性を閉ざし、世界を閉塞させる元凶だったのだから!」

「……だから、自分がその戒めを解き放とうと思ったんですね?」

「そうよ! 皮肉なことに、私の周囲には人間クズどもが父親の権力に群がるように集まってきていた。私はその権力を逆手にとって、金に縛られた父親を、私を虐げてきた世界を――解放しようとしているのよ!」


 ――そうか。

 この人が本当に解放したいのは、『自分の宿命』なんだ。


 ホークは自分の宿命を受け入れ『フェイト』に加わり、佐野会長は宿命に抗って『アンチ・フェイト派』に下った。

 同じように運命の子供に囚われた二人の、この決定的な差は、いったいどこにあったのだろう?


 そして、僕は――?


「さぁ山口君。あなたも私と同じように、運命の子供に宿命を背負わされた人間。私とともに、あなた自身と、世界の宿命を解放しましょう?」


 佐野会長は右手を差し出し、握手を求めてきた。

 僕は――


「すみません、先輩。それでも僕は――理恵と一緒に生きます」


 決まっている。

 佐野会長の語ったことが真実であろうとなかろうと、僕は理恵を裏切るわけにはいかない。


 理由はつけようと思えば、いくらでもつけられる。

 けれど、百の言葉を並べるよりも確かな、たった一つの単純な感情で説明がつく。


「僕は彼女が――篠宮理恵が好きだから」


 これ以上に単純明快な回答はない。


 佐野会長は「ふっ」と嘲るように笑った。


「あなたがそこまで愚かだとは思わなかったわ。世界の命運より、一時の感情をとるなんて。でもね山口君、私の話を聞いてしまった以上、あなたはこれまで通り彼女と付き合うことはできなくなるわ。断言してあげる。……さ、私の話は終わり。今日はもう帰りなさい」


 そう言って、彼女は僕に背を向けた。


「……はい。失礼します」


 僕も彼女に背を向け、生徒会室を後にした。


 ――外の世界は平和そのものだった。

 照りつける夏の陽射しと、やかましいほどのセミの声。汗ばむ肌が季節を――世界が生きていることを実感させる。


 そう。世界はこんなにも生き生きとしている。


 理恵と付き合って半年。

 その間に季節は変わり、僕たちも変わった。このまま世界が衰退していくとは、とても思えない。


『カツキ君! 聞こえる!? 無事なら返事をして!』


 学校の校門を出たところで、大島さんから通信が入った。佐野会長がしかけた妨害電波ジャミングが消えたのだろう。


「はい。感度良好です。妨害電波は消えたみたいですね」


『そうね。おそらく前回と同一犯だわ。けど、わからないわ。なぜ理恵ではなく、カツキ君を……?』


「そのことなんですが、やはり犯人は佐野会長でした。詳しいことはそちらでお話します」


『――やはりそうだったのね。十五秒待って。迎えを出すわ』


 しばらく待っていると、校門の影から黒服の男性が現れた。十五秒きっかりだった。



 僕は黒服の男性の運転する車に乗り、理恵の自宅近くで待機していた指示車へ向かった。


 五分ほど待つと、妨害電波ジャミング発生の報せを受けて急行してきたホークが現れた。

 佐野会長の目的や、運命の子供の真実などを説明すると、ホークは無精髭を撫でながら答えた。どうやらこれは彼の癖らしい。


「――なるほど。佐野真澄の目的はやはり理恵の命だったか。だが、その理由がまさか、世界を救うためだとはな」

「ホークさんもこの話は知らなかったんですね?」

「さん、は不要だ。そうだな。俺たちも所詮は軍人だ。必要以上の情報は与えられもしなければ、知る必要もない。任務に支障をきたすからな」

「そうですか。でもいいですよ。なにが真実だろうと、僕の真実――理恵への気持ちは変わりませんから」


 僕の決意にホークもうなずいた。


「いい答えだ、勝紀君。俺も自分の信念に殉ずるつもりだ。なにがあろうと運命の子供を守る。佐野真澄の言葉を借りれば――それが俺の宿命フェイトだ」


 比呂の言葉を思い出す。

 ――ホークの時間は十五年前のあの日に止まった、と。

そしてそのとき、同時に宿命を背負ってしまったのだろう。


 比呂は僕に、ホークのようにはなるな、とも言った。運命の子供に囚われるな――そう言いたいのだと思う。


 事実、僕も一度は囚われ、そして抜け出した。


「僕が好きなのは『運命の子供』の篠宮理恵ではなく、『一人の少女』としての篠宮理恵なんです。僕はただ、理恵と一緒にいたい。例え――その先に待つのがどんな未来であっても」

「そうだ、勝紀君。世界の可能性を論ずるならば、このまま世界は真の平和を迎える可能性だってあるんだ。俺はその可能性に賭ける」


 佐野会長が語ったことは、あくまで過去の似た事例からの推論にすぎない――僕はホークの言葉に、勇気をもらった。


「ヘリ部隊の松村分隊長より入電!」


 大島さんが報告した。


「運命の子供は市内の駅を下車、自宅へ帰宅するようです」

「そうか。引き続き、上空から監視を続けるよう、連絡してくれ」

「了解!」


 ホークは僕のほうを向き直ると、


「勝紀君。じきに理恵が帰宅してくる。行って話してくるといい。君自身の決意を、確かめるためにもな」


 そう言って、文字通り僕の背中を押してくれた。


「はい。ありがとうございます」


 指示車を出ると、長い夏の陽も少し傾き始めていた。


 ――ホークは自分の正義を信じ、それを貫くつもりだ。

 なら、僕も自分の気持ちを信じて、それを貫くだけだ。


『その角を曲がれば、理恵がいるはずよ。では、作戦ミッション開始スタート


 指示に従い、角を曲がると――


「あっ、カツキ君?」


 ちょっとびっくりしたような理恵がいた。


「偶然だね。今帰り?」


 本当は偶然ではないのだけど。


「うん。ライブの帰り。ねぇカツキ君、テストはどうだった? いい感じ?」

「いや、全然ダメだよ。写真集の撮影で勉強する時間なんかなかったし」


 理恵は両手をぱんと合わせて謝った。


「あー……ゴメン。わたしのせいだよね?」

「いいさ、別に。テストなんかとは比べ物にならない、貴重な体験ができたからね。もしかしたら追試かもしれないけど……」

「あーあ。わたしも追試確定だよ。お仕事でテスト受けられなかったから、しょうがないんだけどね」


 そう、口を尖らせて言う。


 ――いつもの会話。いつもの二人。

 理恵は理恵。僕は僕。なにがあってもその真実は変わることなく、今日もこうして二人笑いあっている。


 願わくば、この幸せがいつまでも続きますように――。


「え? な、なにあれ……!?」


 ――だが。

 その願いは天に届かなかった。


 バタバタバタ――と、ヘリコプターのローター音が風を巻き起こして、耳をつんざいた。


『どうした松村!? なにか非常事態か!?』


 通信機の向こうで、ホークが叫ぶ声が聞こえた。


 頭上では黒塗りの武装ヘリが空中停止ホバリングし、傾きかけた太陽をバックにその威圧的な機関銃ガトリング・ガンの銃口を僕らに向けていた。

 兵員輸送用のハッチが開き、フェイト隊員がなにかを落とした。それは地面に落ちると猛烈な勢いで煙を噴き出した。


「ごほっ……カツキ、くん……」

「理恵……逃げよう!」


 僕は理恵の手をとり走ろうとした――が。

 急に膝から力が抜け、僕は地面に突っ伏した。


「な……んだ……?」


 そうして倒れたきり、指一本動かせなくなってしまった。


 後ろで理恵が倒れる音がした。どうやら理恵も動けなくなってしまったようだ。


 どうにか目だけ動かすと、フェイトの隊員の足が見えた。ヘリからロープで降りてきたようだ。


『松村、貴様ぁ……裏切ったな!!』


 隊員は倒れ伏した理恵の身体を抱え上げた。


「理……恵……」


 理恵が連れて行かれようとしている。だけど僕は、なにもできない。僕一人の力は、こんなものだったんだ。


 理恵を守る、って約束したのに――。


 涙で、視界が滲んだ。


『くそっ! 私服隊員はなにをしている!? 誰でもいい、現場に急行せよ!』


 深い海の底に沈むように、僕の意識はそこで途絶えた。

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