第二話24〜30

24


 家に着くと、僕は脱皮するかのようにスルリと即座に服を脱ぎ、風呂へと飛び込んだ。

……時間が無いし、シャワーで済ますか。

僕は蛇口をひねり、シャワーを浴びようとする。


「冷たっ!」


……あぁ、まだ水か。

でも丁度良い。眠気がばっちりと吹き飛んだ。

少しの間水に打たれていると、水はお湯に変わっていく。

暖かさに包まれ、汚れが洗い流されていくのを感じながら頭、身体……と、僕は順に洗って風呂を出た。


「えっと、体操服は……」


体育大会は体操服登校なのに……体操服が見つからねぇ。

制服しか見つからねえよ。どうすればいいんだ?

そう思っていると、あるものが目に入った。

“奏の”体操服の予備である。


「……」


夏服ではなく冬服……つまりジャージタイプの体操服なので、男女に違いはない。

名前が表に縫われているということもないので、僕以外はこの体操服が奏のものだと気づくこともない。

…………それで、どうしろと?

え、何ですか? 着ろと?

僕に奏の体操服を着ろと言いたいんですか?

おいおい、何とか言えよ神様!


「……はぁ、女性の服を着て興奮するほど僕はレベルの高い奴じゃあないんだけどなぁ」


そう一人つぶやき、奏の体操服を拾う。

そしてそれを握りしめるようにしながら、泣く泣く僕は奏の体操服を着ることを決意したのだった。


25


「くっ……思わぬところでタイムロスしてしまった」


僕はしっかりと自分の体操服を管理していなかったことに軽い後悔の念を感じながらも結局、奏の体操服に身を包み、微々たる罪悪感に襲われつつ、全力で走って学校へと向かっていた。

それというのも、もうすぐ奏と渼羽が出る競技……百メートル走の始まる時間なのである。

僕は昼前に始まると思っていたのだが、奏の体操服に着替えた際、ポケットの中に体育大会プログラムと書かれた紙が入っており、それをよく見ると、なんということか僕が着替えていた時間から十分後——たった十分後に始まるらしいではないか。

もちろん急いだ。

早急に着替え、走った。

今は丁度、学校まで後半分というところだろうか?

だが、急ぎはしたものの、奏の体操服を着るのに思ったより時間をかけてしまったがため、百メートル走開始まで残り二分程度……。

間に合うか間に合わないかギリギリである。

しかし、僕が諦めることはなかった。

走った。全速力で……。

ずっと奏が走るのを見ていたせいか、走り方は少し奏に近くなっている。

そして、なんとか僕は校門に辿り着いた。


「はぁはぁ……まだ始まってないよな?」


そう呟きながら、時間をセットし直した携帯を確認する……。

その瞬間、学校の中で銃声が鳴り響いた。

僕は何だと思い中を見る……そして改めて思い出した。

今は体育大会をやっているということを。

体育大会で銃声といえば決まっている……位置について、よーい、ドン! の『ドン』の部分において放たれるスタートの合図だ。

つまり…………もう百メートル走は始まっている。


「くっ、急がないと!」


僕はそう言って校門をひとっ飛びし、再び全力で走り、自分のクラスの応援席へと向かう。

そして応援席に滑り込むような勢いで突っ込んでいき、グラウンドを見た。

やはりトップは奏と渼羽……、ゴールまでは残り三分の一というところである。

……奏、勝ってくれよ。

僕はそんなことを思いながら、心の中で応援する。

が、その時、奏と渼羽の間でついに差が開いた。

渼羽がスピードアップし、奏より一歩前に出たのだ。


「…………っ⁉︎」


やっぱり化け物だぜ……渼羽。

心底呆れるようにそう思っていると、歓声が巻き起こった。

『いけーっ!』やら『頑張れーっ!』やらそんな感じの歓声……応援団をしている先輩の周りに女子が群がるように、男子も後ろのほうから、みんながみんな、歓声をあげ、応援していた。

…………渼羽だけを。

そして、その応援の盛り上がりにより、渼羽は更にスピードを上げる。


「……なんでだよ」


僕は誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟く。

……なんで、誰も奏を応援してやらねえんだよ。

僕の周りのお前ら……お前ら全員クラスメイトだろうが!

確かに、美人ではあるが話しかけにくい奏より、人望もあり勉強も運動も完璧な渼羽のほうを応援するというのは、理解できなくもない。

だけど! それじゃあ、余りにも報われないだろうが……!

奏だって二位……十分に頑張ってくれてるじゃねえかっ!

別に渼羽の応援を止めて奏を応援しろとは言わない!

けど……少しくらい、お前らもクラスメイトなら、奏のことを応援してやっても良いんじゃあないのか……?

そう思った時……アンリの言葉を思い出した。

——精一杯、奏さんの応援をしてあげて下さい。それが、青春というものでしょう?

という言葉を……。

精一杯……か。

そうだな。心の中で応援してるだけじゃあ精一杯とは言えねえよな。

よし、青春をしよう。

恥ずかしさも何もかも捨て去って、自分の殻を破って、自分を殺すように精一杯大声を張り上げて、応援しよう。

応援団の声もクラスメイトの声も掻き消してやるぜ……。

僕は息を大きく吸う……そして、僕は精一杯声を張り上げた……!


「奏————! がんばれえぇぇえええっ!」


僕の唐突な大声での応援に、固まる空気、止まる渼羽への声援……。

奏も僕のほうを見ている……。

それに対して僕は頷く。

『お前なら出来る』という気持ちを込めた頷きだ。

気持ちを受け取ってくれたのか、奏も頷き、スピードを上げる。

一方、渼羽は唐突に止んだ声援に驚き、多少の混乱状態に陥っているようだった。

その隙を突くかのように、奏は渼羽を追い抜き、よりスピードを上げる。

その衝撃の事実に、渼羽も、そして応援団やクラスメイトも、はっと意識を取り戻したかのようになり、渼羽は再び全力で走り出し、応援団やクラスメイトは再び全力で応援を始めた。

だがしかし、今回の応援は渼羽にばかり向けられる訳ではなかった。

僕の必死な声援に心打たれたのか、それとも奏が渼羽を追い抜いたからか、なんと応援の約二分の一が奏に向けられるものになっていたのである。


「よし……! 奏! 後ちょっとだ! 頑張れっ……!」


二分の一の奏に向けられた応援に促されるようにして、僕は奏の応援を続けた。

残りわずか数メートル……渼羽も負けじと奏に追いついてくる。そして、二人の位置が並ぶ。

奏、渼羽、両者共に一歩も譲らない白熱した戦いだ。

僕の見る限り、二人の力はほぼ同程度だと言えるだろう。

どっちが勝ってもおかしくはない。

だが、僕は確信した。


「この勝負……奏の勝ちだ」


そう呟いた瞬間、奏は渼羽より一歩前に出た。

決して、奏が速くなったのではない。

……渼羽が遅くなったのだ。

確かに、『力』だけならば、ほぼ同程度だった。

が、『意識』に差があった。

本気で勝とうとする奏と、恐らく体育大会だからと遊び気分でいた渼羽との、『意識』の差。

それが大きかった。

その部分が一番大きく現れているところは靴だ……奏がランランニングシューズ、しかも最新のものなのに対して、渼羽はお洒落を重視した、とてもじゃないが走りにくいであろう靴なのである。

後半……走り、疲れ、消耗し切った後半において、その差が現れたのは無理もない話だった。

結果、ゴールテープを先に切ったのは……つまり勝利したのは、奏となった。

奇を衒ったり、裏をかいたり、意表をついたりはせず、意外性もない。ただひたすらに王道に、努力したものが勝利を収める結果となったのだ。

巻き起こる歓声、疲れ切った選手達。

こうして、百メートル走は終了した。

しかし……体育大会はまだ始まったばかりである。


26


「満月君……!」


走り終わり、クラスの応援席に戻ってきた奏はそう言って僕に近づいてきた。

額を汗で濡らしており、先ほどまでの激戦を思い出させる。


「頑張ったな、奏」

「えぇ、私……勝ったのよ! 渼羽さんに勝ったの……!」


少し泣きそうになりながらも、そう言って奏は勝利を心の底から喜んでいるようだった。

僕の顔も自然と綻ぶ。


「奏さん」


すると、そんな奏の名前を呼ぶ声が後ろから聞こえた。

僕と奏は後ろを向く。


「渼羽……」

「渼羽さん……」


僕、奏と続いて、声の主の名をよんだ。

声の主は渼羽……渼羽哀無であった。

渼羽も奏同様疲れた様子で額を汗で濡らしている。


「おめでとう、奏さん。私負けちゃった……!」

「ええ、私が勝っちゃったもの」

「ふふっ、そうだね。……えっと、さ。二人とも」


僕と奏と交互に見るようにして渼羽はそう言う。

そして、頭を下げた。


「ごめんなさい!」


なんと、渼羽は僕と奏に謝罪したのだ。


「おいおい、どうしたんだよ。渼羽」

「えっと……二人とも、私のために頑張ってくれたんでしょ? 分かったよ。必死に走る奏さんと、必死に応援する満月君を見て。それに……走り終わった後ね。なんだかずっと頭の中を渦巻いていたモヤモヤとした何かが、スーッと抜けていったような気がしたんだ。これって、二人が助けてくれたからなんだよね? だから、ごめんなさい。私のために……」

「お前のためじゃねえよ」

「え?」

「僕たちのためだ。僕たちがお前を助けたいと思ったから……お前と親友になりたいと思ったから、勝手に助けただけだよ」

「……うん。ありがと」


そう言ってから渼羽は、僕と奏に抱きついた。

「二人とも、大好き……!」嘘偽りのない、偽物ではなく本物の笑顔で……。

そして僕は思う。

この時、ついに僕と奏は、渼羽と親友になれたのだろうと……。


 その後、体育大会はまだまだ続いた。

様々な競技にみんな全力で取り組み、みんな全力で応援した。

昼休みは、お弁当を忘れてしまった僕と奏に、渼羽が少し恵んでくれて、三人で一緒に食べた。

僕は競技には出れなかったけれど、とても楽しかった。

なんというか……こういうのが青春なんだろうな、と思う。

まあそして、体育大会は終わった。

結果としては、僕たちのクラスは二位と、惜しいところで終わったのだが、まあ来年も再来年もあるということで、そこまで落ち込むこともなく解散した。

僕と奏は渼羽と別れ、家に帰る……。

帰ってからは、ダラダラと体育大会の話をしながら夜を待った。



27


 そして、ついに夜……。

奴が現れる時間だ……僕と奏は、地獄の特訓をした公園、黑円坂くろまるざか公園に来ていた。

今か今かと……奴が現れるのを待つ。

すると、奴は現れた。

ドロドロとした気味の悪い肉体の割には、何の苦労もなさそうにグチョグチョと気持ちの悪い音を立て、こちらに向かい、歩いてくる。

完璧パーフェクトゾンビ……完璧な肉体を求め、完璧な人間の身体を乗っ取るために、人間の求めるものを与え、契約するゾンビだ。

渼羽に取り憑いていたこいつは、きっと渼羽に勝った奏に取り憑きに来たのだろう。

奏の身体を求め、取り憑きにきたのだろう……。

実際、今も僕を無視して奏のほうへと向かっている。

だが……。


「そんなことはさせねえよ……!」


僕はそう言ってホルダーから取り出したナイフを、ゾンビの腹に投げた。

一瞬、気味の悪い声をだすゾンビ……そしてゾンビは僕のほうを向いた。


「ああああああああああっ!」


そう叫びながら、ほとんど溶けてしまっているような目で、ゾンビは僕を睨みつけているようだった。

そして僕が睨みつけられていると認識したその刹那……!

ゾンビは僕の目の前にいた。


「えっ……⁉︎」


瞬間移動とも思えるその速さに、僕は一歩引こうとする。

だが、そんなことをする間もなく、僕は頭を掴まれた。

大きく太いが、これまたドロドロの腕で、思いっきり、掴まれた。


「うぐ……あ、な、なんだよ……っ⁉︎」


思わず、そんなことを呟く。

……嘘だろ。ゾンビが、こんなにも速いなんて。

僕の中にあったゾンビ像と、実際のゾンビとの差に驚きを隠せない。

これじゃあ……こんな速さじゃあ……余りにも勝機が無さ過ぎる!

そう思ったその瞬間、ゾンビは僕の頭を掴んだその腕に、力を加えた。


「あ、うぐああっ⁉︎」


ドンドンと頭に力が加わっていき、頭が潰されていくような感覚に陥る。

昔、万力に挟まれるといった地獄のような体験をした僕だが、そんなものの比ではない。

やはり鬼だったからか、万力にはなんとか耐えられはしたが……これは、耐えられない。

こんなもの、耐えられるわけがない。


「あがあああああああああっ!」


叫ぶしかなかった。

頭がボーッとする。もうすぐで脳が潰れでもするのだろうか?

僕は、余りの苦しさに、むしろ冷静になっていた。

そして、冷静になって考える。

まず僕の状況は、手は動く、足も動く……身体にダメージはないし、固定されているのは頭だけだ。あれ? 大したことないじゃないか。

次にゾンビの状況は、頭は動く、足も動く……身体にダメージはないし、固定されているのは僕の頭を掴んでいる手だけだ。

なーんだ、僕と似たようなものじゃあないか。

これなら勝てるんじゃないか?


「ん?」


何故だろう? このゾンビ、僕を睨んでいるようだ。

鬱陶しいなぁ……あ、そっか。

目が無ければ睨んでこないよね。

うん、確か相手は僕の頭を掴んでいるせいで手が動かなかったと思うし、僕の攻撃は手で防げないだろう。


「えいっ」


予備で用意しておいたナイフでゾンビの目を刺した。

すると、ゾンビは僕の頭から手を離し、目を押さえた。

ドスンと音を立てて下に落ちる僕。

一瞬、何が起こっているのかとパニックになる。

が、僕の頭を圧迫していた手が離されたお陰か、段々と頭が冴え、今の状況を思い出し、サッと急いで後ろに下がった。


「はぁ……はぁっ……」


……危なかった。

でも……分かったことがある。

奴は攻撃が効かないわけじゃあないんだ。

前回、首を切ったら反応したように……。

さっき、腹を刺したらこちらを向いたように……。

今、目を刺したら目を押さえたように……。

ダメージは、確実に与えている。

あのドロドロの身体と、ゾンビ特有の再生能力があるから分かりにくいけれど、それは確かだ。

なら、攻撃し続ければ……!

奴は……ゾンビは殺せる!

問題は奴の予想外の異様な速さと異様な力だが…………大丈夫だ。

確かに僕に近づいた時は速かったが、近づいてから攻撃に移るまで……そこまでは遅かった。

恐らく、スピードは速いがそのスピードに自分自身がついていけていないのである。

だから、移動をしてから攻撃への切り替えが遅くなっている……というわけだ。

それなら避けられる。

どれだけスピードが速かろうと、そこから攻撃に転じるまでの隙が少しでもあれば、僕に避けられない攻撃などない。

これは断言出来る。

よし、ならば早速行動に移さなければ……いくら思い切り目を刺したといっても、奴はゾンビ。

頭をぶち抜きでもしない限り、無限に再生してくる………………なっ⁉︎


「ああああああああああああっ!」


そのゾンビの声が聞こえた時、僕の腹にはもう既に拳がめり込んでいた。

臓器が飛び出すかと思う位に、勢いよく血を吐き、僕は吹き飛ぶ。

そして、公園の滑り台に叩きつけられるようにして崩れ落ちた。

脳はグラグラと揺らされるようで、口の中は気持ち悪い。身体は悲鳴をあげているし、視界は歪み、はっきりとしない……が、このままじゃあ危険だ。

すぐにでも移動しなければ、奴はまた高速で近づいてきて、僕にとんでもない威力の攻撃を放ってくる。

大丈夫だ……さっきも思った通り、避けられない攻撃じゃあない。

ダメージのせいでいつも通りとはいかないまでも、一応まだ避けられるはずだ。

後は……五本中、この残った三本のナイフで攻撃すればいける!

そう思い、立ち上がろうとすると、目の前にはもうゾンビがいた。


「…………マジ化け物だよ。お前……」


僕は諦めたように手を上げながらそう言う。

しかしゾンビは、それを気にもしないようにして、僕の顔に攻撃を放っ————!


28


 ゾンビは攻撃を放つことなく落ちた。二メートルほどはあるであろう高さの落とし穴に落ちた。

古典的にもほどがある罠だが、見事引っかかってくれたようだ。


「確かに化け物だ……けどな、それは知性があればの話だ」


僕はそう言って立ち上がる。

身体が随分と痛むが、耐えられないほどじゃあない。

まだ少しは動ける。

全く……それにしても、とんでもない奴だったぜ。


「良く覚えておけ、ゾンビ野郎。殺人鬼ってのはな。ただ殺す鬼とは違うんだよ。確実に殺すために、策を張り巡らし、何重もの罠を仕掛け、無数の作戦を考えてんだ。はっきり言って、ただ力が強くて速いだけの奴なんて敵じゃあねえよ」


そう言って僕は残った三本のナイフのうち一本を取り出し、構える。

相手は穴の中……上から脳を突きさせばいいだけだ。

「じゃあ、死ね」僕は呟いて手に力を込め、腰を低くし、ナイフを下に突き出した。

だが……僕のナイフが当たる寸前、奴はジャンプした。

ジャンプして……外に出た。

そして、地震でも起こったのかと錯覚させるほどの重く大きい音を立て、地面に着地する。

地面に軽いクレーターのようなものが出来ていて、僕は改めてこのゾンビの規格外さに驚く……。


「あああああああっ!」

「あああああああああっ!」

「ああああああああああああああっ!」


ゾンビは叫び、叫んで、また叫び、僕を睨みつけた。

それを見た僕はまた攻撃が来ると感じ取り、近くにあった滑り台の上へと急いで上る。

すると、予想通り先ほどまで僕がいた滑り台の下に突進してきた。

それにより滑り台は壊れ、崩れる。

もちろん滑り台の上にいた僕も下に落ちていく……が、僕はそれを利用し、勢いよくゾンビの首を左手で掴み、背中に乗るようにして後ろに回る。

そして、右手に持ったナイフで頭を狙った。


「ぐおりゃあっ……!」


気合をいれ、そんな声を出しながらぶっ刺した。

手応えあり……!

そう思い、ナイフを引き抜く。


「……な、嘘だろ」


そこで気付いた。

僕はなんと……頭ではなく、背中を刺していたのだ。


「僕が……狙いを外した?」


そう呟き、僕は地面に落ちた。

ん? 地面に落ちた……? なんで僕は地面に落ちているんだ?

しっかりと左手でこいつの首に掴まっていたはずなのに…………なんで?

そう思い左手を見る。

そして気付いた。……そうだ……義手だ。

白木がちゃちゃっと適当に作ってくっつけた義手。

こんなもので、このゾンビの首をずっと掴んでいられる訳もあるまい。

なるほど……だから狙いも逸れたのか。


「クソっ! 左手が万全の状態だったらっ!」


悔しく思いながらも、僕は作戦を考える。

が、思いつかない。

否、思いつかないというより、作戦なんて必要ない。

……攻撃を避けて頭を刺す。

これだけを考えて、本能的に行動するしかない。

殺人鬼としての——鬼としての本能に従うしかない!


「…………っ!」


僕は数多の攻撃に耐えきれずボロボロになった上着を脱ぎ捨て、三本あるナイフのうち二本を捨て、軽装になり、右手に一本のナイフを握りしめ、構えた。

そしてゾンビを睨みつけ、集中する。

……攻撃を避けて頭を刺す。

……攻撃を避けて頭を刺す。

……攻撃を避けて頭を刺す。

何度も頭の中で繰り返す。

それだけだ。それだけでいい。

それだけで……こいつは殺せる!


「あああああああああああっ!」


背中のダメージが回復したのか、ゾンビは勢いよく叫ぶ。そしてまた瞬時に……僕の前へと現れた。

ゾンビの右拳が振り抜かれる。

当たれば死ぬ……いや、後数発は耐えられるかもしれないが、僕はそれくらいの気合でゾンビの攻撃を避けることに集中する。


「……っ!」


紙一重で、僕は攻撃を避けた。

……危なかった。けど、一度避ければこっちのものだ。

ゾンビ、お前の攻撃が僕に当たることはもうない!

僕は大きく踏み込み、まだ攻撃動作を終え切れていないゾンビの後ろに回り込む。


「でりゃあっ!」


勢いよく声を出しながら、思い切り背中に回し蹴りを叩き込んだ。

不意のそれには流石のゾンビもよろける。

僕はその隙を見逃さなかった。

背中に飛び乗り押し倒す。

そしてそこに馬乗りになり、僕はナイフを両手で構えた。

狙いは頭……脳みそだ。


「随分手間取らせやがって……!」


僕はゾンビに聞こえるよう呟きナイフを上に振り上げる。

そしてそのナイフをゾンビの頭を狙って一直線に突き刺した……!

今度こそ手応えありだ。


「うううううううううっ」


ゾンビはそんな声をあげて苦しがっているようだった。

どうやら、殺すことに成功したようである。

……ふぅ、本当に化け物みたいな奴だったな。アンリの話だとそこまで強いイメージは無かったんだが。

ま、今度アンリに会った時にでもゾンビがなぜここまで強かったのか聞くとしよう。


「ううううううううううっ」


……いつまで苦しがってるんだ? こいつ。

馬乗りのまま、そんなことを考えていると、急にゾンビは前会った時のように首を百八十度回転させ、こちらを見た。

そして、ドロドロだから分かりにくいが、ゾンビはニヤリと笑った。

……ニヤリと笑った?

何故だ? こいつはなぜ今から死ぬという時に笑っていられるんだ?

いや、ゾンビだからもう既に死んではいるのだが、それでもおかしい。

どういうことだ? 何を企んでやがる。

ゾンビの謎の行動に、困惑し、考えを張り巡らせる。

が、分からない…………否、一つだけだが可能性は思い浮かべていた。

もしかすると、ゾンビはまだ生きているのかもしれないという可能性だ。

いや、でも確かに僕はこの手で、正確に言えばこのナイフでゾンビの頭を刺したはずだ。

それなのに……なぜ生きている?

いやいや、少し落ち着け……僕。

まだ生きていると決まっているわけじゃあない。

まだあるかもしれない他の可能性を考えろ……。


「…………もしかして、脳は完全に潰さないといけないのか?」


結局のところ、やっぱりこのゾンビはまだ死んでいないというところに考えは落ち着き、僕はそんな可能性を考えた。

そうだ、僕はゾンビの頭にナイフを刺しただけだ。

だけというには結構なことをやっているが、まあとにかく……刺しただけなのである。

人間ならば間違いなく致命傷どころか即死するレベルではあるが……相手はゾンビ。

再生能力の高いゾンビだ。

冷静に考えれば、そんなもので済むはずがない。

しっかりと、切って、切り尽くして、切り刻むくらいしなければゾンビはいくらでも再生してくるだろう。

っと、そんなことを考えている場合じゃあない。

もし本当にそうなら、今の有利な状態で、さっさとケリをつけなければ!

そう思い、再びナイフを構えたその時だった。


「ああああああああああああっ!」


ゾンビは叫んだ。「うううううう」と、苦しがっているのではなく、叫んだ。

つまり……完全に再生した。

やっぱり、僕の仮説は正しかったようだ。

こいつは、脳を完全に破壊しなければいくらでも再生する……再生してしまうのである。


「くっ……!」


……まだ馬乗りだし、完全に再生したとはいえ、今なら殺れる!

僕はゾンビの身体にしがみつくようにして、ナイフで頭を狙う。

狙い……刺した。

だが終わらない。

刺して、刺して、刺して、刺し続ける……刺し続け、完全に潰す!


「ぐりゃあっ!」


一回一回そんな気合の入れた声を出しながら、何度も何度もナイフを刺していく。

その度にゾンビは苦しがる。

が……それだけだった。

何度刺しても、違うところを刺している間にさっき刺した箇所が再生してしまう。

再生スピードに刺すスピードが追いついていないのである。

それはつまり……殺せないということだった。

僕の刺す速さでは、ゾンビは殺せないということだった。


「……どうすれば良いんだ」


呟く。

今こうして呟いている間にも回復しているこいつを、どうやって殺せばいいのか分からない。

爆弾でも使って一気に頭を爆散させられれば良いのだが、爆弾なんてここにはないし……今使えるのはこのナイフだけ。

このナイフだけだが、このナイフでは殺せない——殺しきれない。


「……っ! 僕がもっと強ければ」


僕がもっと速く、速く攻撃が出来れば……!

この異様な速さの再生力を超える攻撃の速さがあれば……!

勝てるのに……殺せるのに。

殺すことができるのに……!


「くっそおっ!」


怒り、叫んで、ゾンビを殴った。何度も何度も殴った。

だが、そんな打撃がゾンビに通じる訳もなく……なんとゾンビは立ち上がった。

ゾンビの背中に乗っていた僕は滑り落ちる。

……しまった。

落ちながら反省する。なんて馬鹿なことをしているんだ僕は……。

きっと殴っている間に再生されてしまったんだ。

完全に……動けるくらいまで、再生されてしまったんだ。

すると、目の前に拳があった。

裏拳……だと?


「…………っ⁉︎」


背中から落ちていき、宙に浮かんだ状態である僕は、ろくにガードも出来ず、そして受け身を取ることも出来ずに、顔に拳がめり込み、無抵抗のまま吹き飛ばされた。

そしてそのまま公園にある太い木にぶつかり、血を吐いて止まった。


「あ……あ……あぁ……」


視界が霞む。

手を見た。赤い。

血の色だ……何度も何度も見た色だ。

こんなに真っ赤になって……僕は死ぬのか?

身体中が痛い。痛みで頭がボーッとする。

なんだか瞼が重い……そして熱い。

スッと目を閉じた。

ふわふわした気分になる。

このまま寝るか……。

なんだかとっても気持ち良いし……。

あ、そうだ。寝るならお休みを言わないとな。


「お休み…………奏」


29


「あれ? 奏?」


言ってから気づいた。

そういえば……奏はどこだ? どこに行ったんだ?

確か、僕は奏と公園に行って……ん?

そこからの記憶が曖昧だ。

というか、ここはどこだ?

僕はどこで何をしているんだ?

目を開ける。

すると、ゾンビが奏に近づいていた。


「あいつ……なんで奏に近づいているんだ?」


状況が良く分からない……。

あ、でも……。


「殺さないと」


あのゾンビは、僕が殺さないといけないんだ。

それだけはしっかりと覚えている。

えーっと……殺すための武器はどこだ?

探していると、横にナイフが落ちていた……拾う。

そして構えた。

ゾンビに狙いを定める。

そこで僕の意識は途切れた。


30


「満月君!」


奏の声が聞こえ、僕は目を覚ました。

どこだ……ここ?


「ここは白木病院よ」

「あぁ……」


えっと、それでこれはどういう状況なんだ?

僕は白木病院で寝ていて、横には奏と……ん?


「アンリ?」

「はい。なんですかフルムーンさん」

「あぁ、そっか。僕がゾンビと戦ってボロボロになったから……お前が回復してくれたんだな」

「ええ。酷い傷でしたよ。それでよくゾンビに勝てましたね?」

「ん? あぁ……思い出してきた。確か僕はゾンビと戦って負け……勝った? どういうことだ?」

「え? どういうことって言われましてもねえ? 奏さん」


そこでアンリは奏に話を振る。

すると奏はこくりと頷き、「ええ、どういうことと言われても、あなたは勝ったのよとしか言えないわ」と言った。


「でも僕……確かボロボロにされて、立ち上がってナイフを構えたけど、その後気絶したんだぜ?」

「気絶……? じゃあ最後のあれは無意識でやってたってこと?」

「無意識? 最後のあれ?」

「ええ。最後、ゾンビを倒した時。あなたの右手に赤い紋章のようなものが浮かんできて、あなたは鬼神のごとく凶暴な感じで、とてつもない速さでゾンビを切り刻んでいたのよ? 覚えていないの?」

「紋章……?」


僕は自分の右手を視界に映るよう目の前に持っていく。

……紋章なんてどこにもないけどなぁ。


「紋章はあなたがゾンビを倒した後に消えたわ。そして気絶。私はあなたを必死で病院に運んだの」

「それでアンリに回復してもらって……今、と。そういうことか」


うーむ、分からないなぁ。

紋章?


「なるほど……紋章ですか」


すると、アンリはそう呟いた。

僕はそれを聞き逃すことなく、「なるほどって? 紋章について何か知っているのか?」と聞いた。


「ええ、紋章は……鬼の力が覚醒した目印です」

「鬼の力が……覚醒?」

「あなたに秘められし鬼の血。代を重ねるにつれ薄まってきたその血ですが、その血が覚醒したのですよ。何が原因かは分かりませんが、つまり紋章はそれを表すためのただの目印みたいなものだってことです」

「はぁん……なるほどなぁ」


覚醒……ねぇ。

つまりは強くなったりしたのだろうか?


「ええ、確実に強くなっています。あなたの代で、再び鬼の血は濃くなったのではないでしょうか?」

「ふぅん……ま、とりあえずゾンビは殺せたんだよな?」

「ええ、間違いなく」


その言葉を聞いて、安心する。

訳の分からないうちに殺してしまったらしいが、殺せて良かった。


「これで……渼羽も完全にゾンビから解放されたってことか」


僕は呟く。

そして身体の調子を確認する。

うん、どうやらもう完全に回復しているようだ。


「よし、帰るか。奏」

「そうね。明日は渼羽さんと遊ぶ約束もしたし、速く帰って寝ないといけないわ」

「マジかよ」

「マジよ」


ということで、僕たちは帰った。

明日を楽しみにして。

そして……『親友』と会えることを楽しみにして。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕は青春殺人鬼 蒼遥 極 @haruharu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ