第二話20〜23

20


 その後、渼羽と分かれ僕は家に帰った。


「ただいま」

「おかえりなさい、満月君」


「それで」奏は少し機嫌を悪そうにしながら、少し悲しそうにそう言った。


「それで、どこに行っていたの?」

「言ったろ? 友達を助けにだよ」

「……友達って、渼羽さん?」

「うん……」

「助けるってことは…………もしかして」

「ああ、渼羽の親友が欲しいって言葉は嘘じゃあなかった。あれには理由があるんだよ」

「……理由。もちろん、聞かせてくれるわよね?」


僕は頷く。そして、説明を始めた。

渼羽の異常性、ゾンビのこと、そして僕が鬼であることまで、余すことなく……。


「……ゾンビに、取り憑かれているなんて…………」

「奏、僕はゾンビを殺して、渼羽を助けたいと思っている。その為にはお前の力も必要なんだ……協力してくれるか?」

「……当然よ。渼羽さんの為だもの」


そう言って奏は真剣な顔つきになり、「それで……私は何をすればいいの?」と僕に聞く。


「走ればいい」

「え?」

「今週、体育大会があるだろう? それの百メートル走で、渼羽に勝って欲しいんだ」

「それで……渼羽さんを救えるの?」

「うん、勝ちさえすれば……」

「……そう」


奏は考えるようにして、下を向く。そして難しい顔をしながら「はっきり言うと、かなり大変ね」と言った。


「大変……?」

「ええ、私が最後に本格的に走ったのは中学三年の前半……確か夏休みの少し前。だから、かなり体力は落ちているし、それになによりも……渼羽さんは速すぎる」

「速すぎるって……奏も一年と二年の全国大会で優勝しているんだろう?」

「何故知っているの……? いえ、今はそんなことを話している場合ではないわね。えっと……確かに、私は一年と二年の全国大会において優勝しているわ。でも、渼羽さんが三年の全国大会において優勝した時のタイムは、私の全盛期のタイムはより遥かに速いのよ」


全盛期より……速い。

つまり、体力が落ちている今この状況から、体育大会までに、全盛期以上にならなければならない……。確かに、かなり大変だ。

否、大変どころかほぼ不可能に近いと言ってもいいくらいだろう。


「更に言うならば、その時から時間は経っているし、渼羽さんはより速くなっているかもしれない……」

「より速く……か」

「ええ」


そうなってくると……ますます不可能に近づく。

……くっ、どうすれば良いんだ……!

どうすれば、圧倒的に速くなる?

生まれつき身体能力の高い僕は、走ることについてアドバイスができる訳ではないし……。


「死ぬ気で練習するしかないわね」

「へ……?」

「どうすれば速くなるかを考えている暇もないわ。本番の日まで、走って、走って、走り続けて、速くなるしかないのよ」

「でも、そんなことしたらお前の身体が……!」

「そうね。二日ともたないでしょう。でも、それでも……やるしかないわ」


そう言って奏は立ち上がり「着替えたらすぐに走ってくるわ……。こうして話している時間も惜しいし」と、僕に伝え、着替えるためか脱衣所へと向かった。

……確かに、速くなるためには走るしかない。

でも、体育大会の日までずっと走り続けるなんて不可能だ。

仮に、無限の体力でもない限りは……。


「いや……」


無限の体力とまではいかないが、無限に体力を回復する方法ならある……!

アンリだ。

アンリニューゼ・ヘビル・リーフェスト……あの天使ならば、体力を永久に回復させ続けることも出来るはずだ。

一度は奏を大変な目に合わせたあの天使に、今度は奏を助けてもらうとしよう。


「満月君、では、行ってくるわね」


すると、ジャージに着替えを済ませた奏は、そう言って脱衣所から出てきた。

それに対して僕は「ちょっと待て」と言い、奏を止める。


「走るのは止めない。これから奏には走り続けてもらう。でもその前に……準備が必要だ。白木病院……白木異学団にちょうど良い知り合いがいるんだ。まずはそこに向かおう」

「……分かったわ。満月君が言うなら、その準備というのは凄く大切なものだと思うし」

「うん、ありがとう」


僕はそう礼を言って、立ち上がる。

そして、僕たち二人は白木異学団へと向かった。

せっかく遠いところなのだし、もちろん走って……。


21


 白木異学団に着いた。

僕は服の袖で軽く汗をぬぐいながら、奏の方を見る。

ぜぇぜぇと息を荒くし、大量の汗で服を濡らしながら、病院の柱にもたれかかっている。

やはり、僕の家から走ってくるには遠すぎたのかもしれない。

時間も時間だし、タクシーを使ったほうが良かっただろうと今更後悔する僕であった。

だが、走って疲れさせたことは無駄ではない。

一応は意味がある。

……身をもって、アンリの回復能力を体感してもらおうと思うのだ。

もちろん、本格的に走る前のウォーミングアップの意味合いもあったが、やはりメインは回復能力を味わってもらうことにある。

回復してもらい、その凄さを実感させるのだ。


「受付ロビーにあるソファーで休憩でもしておいてくれ。僕はその知り合いを呼んでくるから」

「え、えぇ。分かったわ」


奏の返事を聞いて、僕は地下へと向かった。

さて、エレベーターの中で考える……。

……アンリに回復してもらうのは良いが、問題は、奏が天使アンリの顔を知ってしまっているということなんだよなぁ。

奏は僕が天使を完全に殺したと思っているから……いや、殺しはしたけれど、まさか生き返っているとは思っていないので、その天使が生きているとなると、パニックを起こすかもしれない。

あの冷静な奏だし、まあそんなパニック状態にはならない可能性もあるけれど、それでも何かしら面倒臭いことにはなるだろう。

そうすると……どうするべきだろうか?

わざわざ奏を連れ、ここまで来た以上は、もうアンリに手を貸してもらわないという選択肢はないわけだけれども……うーむ。

本当に困った。

困りはしたものの、だがしかし時間は進む。

僕が困っていると、いつも通りの愉快な機械音と共に、エレベーターの扉が開いた。


「やあ、フフフーンさん」

「フルムーンさんならまだしも、そんな鼻歌みたいなあだ名をつけるな。アンリ」


扉の前には、まるで待ち構えていたかのように、仁王立ちで立っているアンリがいた。


「待ち構えていたのですよ。フルムーンさん」

「待ち構えていたのかよ……僕の行動は筒抜けって訳か」

「そりゃあまあ、天使ですし」

「じゃあ僕がなんで来たのかも分かってるんだな?」

「はい。ワタクシの回復能力を求めているんでしょう?」


その通りだ。

話がスムーズに進んで嬉しい。


「まあでも、問題があるんだよ」

「問題……? ああ、奏さんがワタクシの顔を知ってしまっていることですか?」

「ああ」

「ふむ、そんなことでしたら一切の問題もありません」

「……ん?」

「ワタクシ、前も言ったでしょう? 性別を変えられるって……。それなら年齢を変えて少し顔を変えることくらい簡単なことだとは思いませんか?」


そういえば……ロリだが、ショタにもなれると言っていた。

性別を変えられるなら、確かに年齢を変えることにより顔を変えることくらい余裕なのかもしれない。


「かもしれないじゃあありません。余裕なんです!」

「はぁ……、じゃあさっさと変身してくれ」

「変身というのは少し違う気がしますが……どちらかというと成長って感じがしますが……まあその辺は気にしません。えーっと……何歳くらいにすればいいですか? フルムーンさん」

「任せるよ」


はっきり言うと何歳でも良い。

奏にバレなければそれで良いのである。


「ではまあ、中学生くらいで良いですかね……。これ以上成長するとロリコンのフルムーンさんは萎えちゃいそうで可哀想ですし」

「だからロリコンじゃねえって! それは三ヶ月後の話なんだろ?」

「まあ前も言った通り、あなたが三ヶ月後にロリコンになるというのはただの感なんですけどね」


その感が五割も当たるのが怖いんだよ。

……なんだよ、二分一当たる感って。


「さて、ではそろそろ年齢変化しますよ?」

「ああ、早くしてくれ」


僕がそう言うと、アンリの身体は光り始め、少しずつ変化していく。

壁ような胸は少し膨らみ、髪は長くなり、脚も長くなっていく。

まるで、魔法少女の変身ようだ。

そして光が収まると、そこには女の子らしい身体つきになったアンリがいた。

裸で……。


「……」


沈黙するしかない。

こういう時は下手に何も言わない方が良いのだ。


「さて、フルムーンさん。準備は完了しました。外へ出ましょう!」

「気づいてない⁉︎」

「気づいてない……? 何を言って…………」


アンリは自分の身体を見て、硬直した。

もうこのまま動かないんじゃないかと思うくらいに、完全に固まってしまった。

顔は真っ赤である。


「…………服くらい、作れるんだろ?」

「…………はい、天使ですから」


気まずい空気が流れる中、そんなやりとりをし、アンリは即座に服を作り出し、それを着た。

いつもの服よりオシャレなのは、やはり中学生の体格に合わせてだろうか?


「さて、フルムーンさん。準備は完了しました。外へ出ましょう!」


今のくだりをなかったことにしやがった……⁉︎


「あ、ああ……そうだな。行こうか」


そう言って僕はエレベーターに乗り込んだ。

続くようにして、アンリも入ってくる。

そして扉が閉まり、エレベーターは上へと向かった。


「あ、そういえばフルムーンさん」

「なんだよ」

「この病院にいる知り合いとしてワタクシを紹介するのでしょう?」

「ん、ああ。そうだけど?」

「それなら、医者っぽく白衣とか着ておいたほうが良くないですか?」

「ああ……うーん、そうだな。いますぐ作れるのか?」

「余裕です、天使ですから」

「なら、着替えておいてくれ」


僕がそう言うと、アンリは即座に白衣を作り出しそれを着た。

ついでにメガネも作ったのか、やけに格好つけてメガネもかける。


「どうです? リケジョっぽいでしょう?」

「うーん、まあ……見た目だけは」


そんなやりとりをしていると、エレベーターは上に着いたようで、扉が開いた。


「久しぶりの地上です」

「お前ずっと地下にいたのか……?」

「ええ、特に外に出る予定もなかったので」

「だからって、身体に悪いし……あんな食っては寝の生活してたら太るぞ?」

「女の子に太るとか言ってはいけませんよ? それにその点に関しては大丈夫です」

「なんで?」

「天使ですから」


……天使だと言えばなんでも納得すると思うなよ?

いや、納得するんだけれども……。

これまでも納得してきているんだけれども……。


「さて、じゃあ行こうか」

「はい!」


アンリのそんな可愛らしい返事を聞き、僕は奏を探す。

……えーっと、どこかのソファーに座っていると思うんだけどなぁ。

僕は辺りをキョロキョロと見渡す。

すると、アンリに服の裾を引っ張られた。

なんだと思い下を向く。


「あの人じゃあないですか?」

「ん?」


アンリの指差すほうを見てみる。

するとそこにはまさしく奏がいた。

一番奥のソファーに、ぼーっと座っている。

かなり疲れているのだろう。

そういえば夜ご飯も食べずに来たし、お腹も空いているのかもしれない。

やはり久しぶりに走るというのに無茶をさせすぎただろうか?


「ありがとう、アンリ。うん、あいつがまさしく奏だよ」

「はぁ〜……前にワタクシが見たときより圧倒的に元気なのでどうかと思ったんですが正解でしたか。奏さん、随分雰囲気変わりましたねぇ」

「まあ、お前が前に奏を見たときは奏の両親が死んですぐ——奏が死にたいと思っていた頃だろうしな」

「ええ。死ねと言えば死ぬんじゃないかと思うくらいには精神が脆かったです」

「お前に存在感を消されてからは強く生きるようになったのか、死ねと言われれば死ねを百回返すくらいには刺々しい性格になってたけどな」


今でも思い出す……奏との出会い。

眼球を思いっきりナイフで刺されたんだよなぁ……。


「まあそんな刺々しさも今は消えているようですね。あなたとの出会いが大きかったのでしょう」

「うん……まあ、まだたまに過激な発言はあるけれども、基本的には常識人になっているよ」

「さてと、ではそろそろ雑談もお開きにして奏さんのもとへ向かいましょう。渼羽さんに勝つ為には生半可な努力じゃあ足りませんからね。時間は無駄に出来ません」


そうだ……時間は無駄には出来ない。

いくら体力を無限に回復出来ようとも、時間は無限ではないのだ。

まあそういうことで、僕らは軽く急ぎ足で奏のもとへと向かう。

すると、ある程度まで近づいたところで奏も僕たちに気づいたようで、さっきまでぼーっとしていたというのに、途端にシャキッとなった。

……切り替えの早いやつだ。


「おつかれ、満月君。その可愛らしい女の子があなたの言っていた知り合い?」

「ああ、そうだよ」


よし! どうやらこいつが天使であることは気づいていないようだ。

むしろ、先ほどからアンリの顔を見て頬を緩ませている。

そういえばこいつ……可愛い子が好きなんだっけか?


「お初にお目にかかります。ワタクシ、白木杏理アンリと申します。因みに、白木ゐ譚いたんの妹です。よろしくお願いします」


すると、アンリはそう言って奏に挨拶をした。

やけに丁寧な言葉遣いである。

というか…………白木の妹?

微妙にそれっぽい嘘を吐くな、こいつ……。


「へえ、白木さんの妹さん。まあ私は白木さんにあったことがないから、妹と言われてもいまいちピンとこないのだけれど……えっと、白木さんではややこしいので、杏理さんと呼ばせて貰ってもいいかしら?」

「はい! お好きに呼んでもらって結構です」

「では、『あああああ』さんと呼ばせてもらうわ」

「流石に、そんなゲームする時に適当に付けたみたいな名前はやめてほしいです」

「冗談よ」


そう言って笑う奏。

どうやら可愛い年下との会話をとても楽しんでいるようである。


「それで満月君、この子はいったい何の役に立つのかしら? ただの癒し要素?」

「まあ別に、癒し要素として使ってもらっても良いけど……違うよ。もっと別の面で役に立つんだ」

「ふむ……なるほど。では治療班といったところかしら? 一応白木さんの妹なのだし、腕は相当なのでしょう?」

「まあ近いけど違うかな。正確に言うと回復班。お前の体力を一瞬で完全に回復させてくれる」

「完全に回復……? それも一瞬で……? そんな魔法みたいなことが出来るの?」

「まあ、世の中には色んなやつがいるんだよ」


僕がそう言うと「ふぅん……」と、奏は微妙に疑いの眼差しを向けながらも、どうやら納得してくれたようだった。

まあ、納得するしかあるまい。

僕が、天使のことを何も知らない為、アンリに『天使ですから』と言われると納得するように、裏の世界のことを何も知らない奏は、僕に『こんなやつもいる』と言われると納得せざるを得ないのだ。


「では、とりあえず回復させてもらいましょうか。どんなものかお手並みを拝見させてもらうわ」

「ああ、じゃあ頼むよ。アンリ」


僕がそう言うと「はい!」と、アンリはやっと自分の出番だと喜ぶように返事をし、奏に近づく。

そして、奏の肩辺りにポンと触れた。

僕を治した時と同じである。


「回復完了です」

「え? あ! 本当……回復してる」


笑顔でアンリが回復完了と言うと、驚いたようにして手のひらを見ながらアンリはそう言った。


「な、これで分かっただろ? 奏」

「ええ、凄いわ。本当に魔法みたい……」

「こいつの能力があれば、いけそうか?」

「ええ、後は任せて、満月君。私は体育大会まで学校を休んで永遠と走り続けるわ」

「おいおい、なに言ってんだよ奏。僕も協力するに決まってんだろ? いくら体力が減らないからと言っても、ストレスは溜まるし腹も減る。だから、そういう面でのサポートも必要だろう?」

「そうね……ありがとう。満月君」

「いいよ。当然のことだろ?」



22


 こうして、学校を休んででの僕たちの地獄の特訓は始まった。

永遠と走り続ける……例え体力が尽きないとしても、それは尋常でないほど辛いことだった。

まずはストレスだ。

休憩が出来ない。ただ走るという同じことだけを永遠と続ける。

それがどれほどストレスになるのかを、僕たちは想像もしていなかった。

開始三日目……それでももったほうだとは思うが、奏は発狂した。

つまりは狂った。

叫び続け、足に負担をかけるように滅茶苦茶に走っていた。

足はアンリに回復してもらうとしても、精神面はさすがの回復能力でも完全には回復できない。

僕は奏を何度も何度も慰め、励ました。

永遠と眠れないストレスから、僕にとんでもない暴言を吐いてきたりもしたけれど、それでも僕は慰め、励ますことはやめずに続けた。

結果、割と早めに狂った状態は治ったけれど、それでも完全には治らなかった。

不定期に、最初とは違い軽めではあるが……奏は、何度も何度も発狂した。

もう嫌だと奏が何度呟いていたかは覚えていない。

そしてもう一つ、この特訓を地獄にした原因は食事だ。

もちろん、人間であるから腹は空く。

だが、食べている時間も惜しいと、奏は食べなかったのである。

無理矢理食べさしもしたが、吐いた。

途中、極度の空腹からか、奏はぶつぶつと下を向きながら食べ物の名前を呟くようになったが、その状態でも、食べ物を食べることはなかった。

食べたとしても……やはり吐いていた。

そんな、とにかく辛く酷く地獄のような特訓だった。

もちろん、僕は何度もやっぱりやめようと言った。

だが、奏はどんな状態でも、どれだけ狂っていた状態でも、その時だけは僕の目をしっかりと見て言うのだ。

「やめない!」と……。

渼羽の為にここまでやっているということは、よほど楽しかったのだろう。

三人での毎日が……。

そんな奏の気持ちを考えると「やめない!」と断固たる姿勢で奏が言う限り、僕は奏を止めることが出来なかった。

そして最後まで奏は「やめない!」を貫き、体育大会本番一時間前……ついに特訓は終了したのだった。


23


 場所は公園。疲れ切り、精神を疲労させた奏に、アンリは精一杯で最後の回復能力を使った。

三十分間もかけてじっくりと……だ。

精神面に関して完全に回復させるのには、いくら万能の回復能力とはいえ、それくらいの時間がかかるのである。


「なあ、アンリ」


僕はこっそりと回復能力を使い続けるアンリに話しかける。


「はい?」

「奏の特訓の記憶を消してくれないか? このままじゃあ奏が可哀想だ。もちろん、この特訓で身につけた速く走るコツだとかは忘れないようにして」

「そうですね。確かに、このままじゃあ可哀想ですし……記憶は消させてもらいます」


そう言ってアンリは回復能力を使っているのとは別の手で、奏の頭に触れた。

恐らくそれで奏の特訓に関する記憶はほぼ消えたのだろう。

それにしてもあのアンリが人間に対して可哀想だなんて思うとは……もしかしたらこの数日間で少しは更生したのかもしれないな。

と、僕は思った。


 三十分後、奏の回復が完了した。

記憶も消したし、完全回復である。

アンリが見る限り精神も安定しているらしい。


「……満月君、後何分ほどで体育大会なの?」

「三十分……後三十分だ。学校までは十分もかからないし、約二十分間しっかり休憩してくれ」

「休憩って……もう体力は回復しているわよ?」

「それでも休憩したほうがいい。リラックスするのも大事だ。よし、軽く朝食を済ませようか。昨日近くで買ってきたものがあるからそれを食べよう」

「そうね……もうお腹がペコペコだわ」


ということで、僕たち二人は公園のベンチに座り、朝食を食べ始めた。

アンリはさっきからブランコに座ってぼーっと空を見ている。

なんだか……これだけリラックスしたのは久しぶりだなぁ。

僕はそんなことを思いながら菓子パンを一口。

パンといえばやはり渼羽を思い出す……。

……絶対に助けてやる。

渼羽の為にも、そしてこれだけの努力をした奏の為にも。

僕は改めてそう決意し、菓子パンを食べきった。


「ごちそうさまでした」


小さく呟く。

そして横を見ると、どうやら奏も食事を済ませたようで、立ち上がっていた。

そしてクンクンと自分の身体の匂いを嗅いでいる……何をしているんだ?


「どうした?」

「私たち何日もお風呂に入っていないじゃない? 臭くないかなーって……」

「ああ、そういえば……」


確かに、風呂には何日も入っていない。

学校に行く以上、流石にそれはまずいだろう。

でもなー……間に合うか? 今から。

二人で一緒に風呂に入ったとしても間に合わないんじゃないか?

近くに銭湯も無いし……。


「大丈夫ですよ」


すると、アンリはそう言ってブランコのところから歩いて来た。


「大丈夫って?」

「ワタクシの回復能力には身体を綺麗にする効果もありますから。むしろお風呂に入った時よりも綺麗になってるくらいなのですよ」

「おいおい、すげえなぁ……」

「はい。ワタクシ、天……おっと」

「おっとじゃねえよ!」


危なかった……。

こいつ、口癖のように『天使ですから』と言おうとしていたじゃねえか。

ここにお前が存在感を消した臼白奏さんがいることをしっかり考えて話せよ。

まあ、今回はこいつに結構頑張ってもらったからそこまで強くは言えないけれども……。


「えっと……まあとにかく、お風呂の心配はいらないのかしら?」

「そういうことだな」


奏の質問にそう返すと、奏は少し悩むようにしてから「でも、満月君は回復能力を使ってもらってないんじゃないかしら?」と言った。

……あ!

確かに……使っていない。

僕は別に走った訳じゃあないから……すっかり失念していた。

ということは今、僕は相当にやばいことになっているんじゃあないだろうか……?


「あ、アンリ! 僕にも回復能力を使ってくれ!」

「いや、体力減ってない人には使えませよ。身体を綺麗にするのはあくまで付加効果ですし……」

「なんでそんな微妙なところで使い勝手悪いんだよっ!」


そう言って僕が悩んでいると「満月君」と、奏に呼びかけられた。

何だと思い振り向くと、奏は携帯を見せてきた。


「なんだよ……」

「時間、よく見て」

「ん……? って、え! 嘘だろ? 後五分じゃねえか!」

「満月君の携帯の時計、かなりズレていたわよ」

「くっ、マジかよ……こんな時に」


どうすれば良い……? どうすれば良い……?

遅刻すれば競技も棄権扱いになるから参加出来なくなるし……。


「満月君、私は先に行っているわ。あなたは風呂に入ってから来て」

「え? 風呂に? でももう遅刻してしまうし……」

「満月君、あなたは数日間お風呂に入っていない状態の匂いで学校に来る気なの? 多分三年間、クラス全員からあだ名を『シュールストレミング』にされるわよ」

「それは嫌だあぁっ!」


世界一臭い食べ物と同じにされるなんて勘弁してもらいたいところだぜ……。

僕のハートが傷つき、壊れちまう。


「さて、じゃあ私は行くわね。あ……杏理さん」

「はい?」

「回復ありがとう。とっても助かったわ。凄く頑張ってくれたようだし……そうね、私の存在感を消したことは許してあげる」

「はい! ありがとうございます…………って、え?」

「では今度こそ、さようなら〜」


そう言って奏は去っていった。

アンリはブルブルと震えているようだ。

「フルムーンさん……」アンリは言って僕を見る。


「あの人……なんなんですか? なんで気付いたんですか? ここまでの変装、普通気づきます?」

「多分、普通は気づかないと思う。けどまあ、奏もいろいろ特殊だしなぁ……やけに鋭いところがあるというか」

「奏さん、実は何かしらの能力者なんじゃないんですか? 心を読めるとかそんな感じの」

「それはないと思うけど……。というか、実在しているのか? 能力者なんて」

「まあ超能力者くらいならいますけど……ほとんどの人が想像するであろう炎を出したり水を出したりなどの能力者は聞いたことありませんね」

「ふうん」


というかいるのかよ、超能力者。

やっぱり、物浮かせたり空飛んだり出来るのだろうか?


「さて、ではではフルムーンさん。そろそろお別れとしますか。あなたはさっさとお風呂に入って体育大会に行かないといけないのですから」

「うーん……僕もう遅刻だから競技に参加出来ないし、そんなに急ぐこともないんだけど」

「何を言っているんですか。競技が出来なくても、応援があるじゃないですか。精一杯、奏さんの応援をしてあげて下さい。それが、青春というものでしょう?」

「はっ、幼女が青春について語ってんじゃねえよ……。でもまあ、そんなことをするのも悪くないか」

「はい! 悪くないです!」


アンリは笑顔でそう言った。


 その後、僕とアンリは軽く別れの挨拶をし、互いに公園を立ち去った。


僕は走る——————!


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