エピローグ 始まりを導く歌声

エピローグ 始まりを導く歌声

 あれから日にちが経ち、夏も終わり、少しずつ秋へと移り変わっている季節になっていた。

 まだ暑さは残っているものの、陽が落ち、夜を迎えればさすがに肌寒い。いつのまにか陽が上がっている時間の方が、上がっていない時間より短くなってしまっていた。

 そんなある日、とある芸術ホールの中には大勢の制服姿の高校生で溢れていた。ブレザーや学ランを着ている少年、セーラー服を着ている少女も多く見受けられる。入り口には“全日本合唱コンクール支部大会”と書かれた看板があった。

 そんな中、淡い赤色のネクタイが映えるセーラー服を着ている少女は、学ラン姿の少年を見つけると声をかけた。

「こんなところにいた。遼平!」

 少年は振り返ると、少し驚いた顔をしていた。

「どうした、響香、何か用か? 今は休憩時間だろう」

 響香は長い髪を振り払いながら、遼平の横に付いて、歩き始めた。

「飲み物を買いに行くって聞いて、私も何か飲みたいなって思っただけよ」

 少し頬を赤らめながら、そっぽを向いて答える。本当は絵里にはやし立てられて、慌てて追いかけたのだ。

「……傷はもう治ったの?」

「そんなに深手でもないから、さすがに塞がった。跡は残るが、どうせだいたいが見えない部分だ、構わない。響香の方こそ、撃たれた傷跡はどうにもならなかったか」

「まあ、しょうがないってところ。こうして歌えるだけでいいわよ」

 そう言いながら、ふとあの時のことを思い出していた。



 * * *



 あの日――コンクールの都道府県大会であり、響香の誕生日であった日、白鳥と羽川と衝突し、その際に歌い切った後は意識を失ってしまった。目覚めたときは病院のベッドの上で同じ部屋に遼平と黒野が眠っていたのは覚えている。

 断片的な話でしかわからないが、意識を失った後、その前に白鳥が発砲した銃声により、間もなくして警察が駆けつけ、それに気づいた白鳥と羽川たちは急いで退散したらしい。そこで血を流している二人を見つけて、急いで病院に搬送された。

 幸い響香の方は、撃たれたとはいえ、貫通したのが功を奏したのか、そこまで重傷ではなかった。だが黒野の方は――と思ったが、なんとほとんどの傷穴は小さく、出血は止まっていたらしい。ただ流した分は取り戻せてはいなかったため、輸血をしてどうにか助かったのだ。

 目が覚めた後、響香は喉に若干ながら違和感がしたので、声を出すのを始めは躊躇われていた。もしかしたら出せなくなっているかもしれないと思ったが、恐る恐る声を出すと、普通に出せていた。それでも違和感は拭えず、もしやと思い、花瓶を浮かすというささいなことを念じながら想いを声に出したが、まったくそのようなことは起こらなかった。

 あまりの突然のことに嬉しい反面、怪我による体力の一時的な消耗のためかと考えたが、目覚めた黒野の助言により、その疑問はなくなった。

「力が本当になくなったと思う。あれだけ大掛かりな言葉の力を使って、生きているんだ。きっと限界点すれすれだった。それに……」

 横になりながら、目を細めた。

「歌がとても綺麗だった。あの歌の内容に未来を覆うものはない。初代の言葉の力の持ち主、セイレンも人々の心に残る綺麗な歌声を最後に響かせたと読んだことがある」

 少し寂しそうな顔をしながら、そう言ってくれた。

 やがて響香と遼平は、傷も深くはなかったので、早々に退院し、学校生活へと戻って行った。黒野は様子を見て長めに入院することにしていた。

 一方、白鳥や羽川側は武中から聞いた話によると、言葉の力がなくなったとわかった響香には興味がなくなり、どこかに雲隠れしたらしい。実は元々警察にも睨まれている部分が多数あった両者だったため、今回の機会にさらに迂闊に動きにくくなったのも理由だという。

「でも、特に羽川さんなら、例え力が無くなったとしても、言葉の力を持っていた者の声帯と普通の人の声帯と比べたがるんじゃないですか?」

「……よくもまあ、自分に対して恐ろしいことを涼しい顔で言うな」

 武中が苦笑いで質問してきた響香を見た。

「ちらっと羽川に聞いた話によると、お嬢ちゃんが最後に放った力に神経を少しやられたようだ。今までメスを刺してきた相手が目の前に幽霊となって現れたとか、よくわからないことを言っていた。それは白鳥も同様だって。ほら、魔女は白魔術と黒魔術を使うと言われているじゃないか。黒野さんには白魔術を、あいつらに黒魔術を無意識のうちに使っていたんじゃないか?」

「さあ、どうなんでしょうか……」

 本当にあの時は夢中であったため、記憶が曖昧である。ただ二人が蒼白な顔をして、立ち竦んでいたのは記憶の片隅に残っていた。

「……私、もう大丈夫なんですか。もう追いかけられなくなる心配はないんですか?」

「大丈夫だ……って、俺が言っても信憑性はないか。じゃあ、聞くけど、お嬢ちゃんの心の奥はどうなんだ? 突っかかるものは、もうなくなったんじゃないか?」

 胸に手を当てて、ゆっくりと呼吸をした。前よりもだいぶ落ち着く。力を得た数週間は何かが潜んでいる気配があったが、今はもう感じられない。

 安堵の表情を浮かべていると、武中は嬉しそうにこくりと首を縦に振った。



 * * *



 退院してからとは言うものの、授業も始まっているし、何より合唱部は都道府県大会を突破し、支部大会にまで進んでいるため、練習もいつも以上にハードであった。

 体力的に辛い部分もある。だがそれよりも伸び伸びと歌えるのが嬉しくて、ただひたすらに歌い続けた。そしていよいよ支部大会の当日を迎えた――。

 会場のロビーでは響香たち以外でも、気分転換に新鮮な空気を求めて出てきている生徒たちが何人かいた。自動販売機でペットボトルのお茶を買い、少し腰を下ろそうかと考え、椅子を探している時、響香は一人の青年と目があった。

 髪を適当に整えた黒いスーツを着た青年。そしてその手には車椅子が押されていた。

「黒野さん!」

 久々に会った人物に、思わず声を出して駆け寄る。それを遼平は少しふて腐れつつも、肩をすくめながら後を付いてきた。

前より、少し痩せているのは入院生活が長かったためであろう。だがそれとは別に満ち溢れた顔だった。

「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」

「そっちも元気に歌っているらしいじゃないか。ちょっと近くを通りかかったから寄ってみた。真ん中くらいだろう、君の学校は。最終チェックとかしなくていいのか?」

「もうここまで来たら、直前の音合わせくらいしかできませんよ。今はリラックスする時間です」

 笑いながら、そう言葉を弾ませた。そして視線を下げて、車椅子に乗っている人を見たとき、思わず目を丸くしてしまった。

「あれ、えっと……黒野さん、この方は?」

「武中に聞いていないのか? 最後に言葉の力を使った翌日に意識を取り戻したんだよ。まだ体力が戻っていないから、車椅子生活が続いているが。……本当に、一生響香には頭が上がらないな。――偶然の出来事だったかもしれないが、俺にとっては響香によって起こされた必然だと思う」

 頭をかきながら、少し照れくさそうに言ってくれた。車椅子に乗っている女性は響香を見ると、にっこり微笑んだ。恥ずかしそうな顔をしている黒野と顔がよく似ている。

「初めまして、黒野薫です。ありがとう、兄に、そして私を助けてくれて」

「倉田響香です。いえ、こちらこそあなたに叱咤されて、動けたようなものですから……」

 知っているわけはないだろうが、間接的に助らえたのは事実であった。

 ロビーに休憩時間が間もなく終わるというアナウンスが入る。それを聞いて、遼平は目で響香を促した。

「では、私たちはこれで。次の休憩の直前で歌うので、よろしかったら聴いて行ってください。私たちの想いを込めた、歌声を――」

 表情を緩めつつも、しっかりと言葉を出し、黒野たちに背を向けて、ホール内へと戻っていく。首には音符のペンダントが揺れながら。

 そんな二人の背中を、黒野兄妹は微笑んで見ていた。



 ホールの中からは歌声が響き始めていた。

 それぞれの生徒たちの、様々な想いを乗せた歌声が。

 新たな始まりを導く歌声が――――。






 了

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言葉の響応者 桐谷瑞香 @mizuka_k

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