第6話 四月一日朱莉は嗤わない。


「ヨーコちゃーん。部屋についたよー?」

「んー……」


 朱莉におぶられたまま二階に上がった私であるが、彼女の呼びかけで若干意識を浮上させる。どうやら自室に着いたらしい。未だに混沌とした覚醒状態ではあるものの、寝る際にまで迷惑をかけるのは忍びない為起床しなければ。ここまで運んでもらっているだけでも申し訳ない限りではあるが。

 ……しかしながら、何か忘れているような気がする。具体的に言うならば、何かを片付け忘れているような……。


「あけるよー?」

「んぁ……ま……」


 妙に引っかかる感じを覚えて慌てて止めようとするが、睡魔に支配されている今の状態ではまともに声が発せない。結果、寝言か何かだろうと判断したらしい朱莉は非情にも部屋の扉に手をかけてしまう。ちょ、ちょっと待ってくれ朱莉! 私の部屋は……今の私の部屋はとても他人にお見せできるような状態では……!

 そんな私の悲鳴とは裏腹に、無情にも開け放たれる自室の扉。


 ――――そして、それは私達の目に飛び込んできた。


 壁中に所狭しと貼られた無数の【イノリ・マジック】ポスター。その中の幾つかは肌色率がどエラいことになっている、いわゆる「大人のお友達向け」。本棚には数々の同人誌やファンブック。極めつけに異様な存在感を放ち続ける、大量の美少女フィギュアが並べられた陳列専用フィギュア棚。

 俗にいう「オタク女子」な……その中でもイメージの点で言うならばよっぽど重傷なオタ部屋が、私と朱莉の前に広がっていた。


「…………えっと」


 どこか困ったように、それでいてなんとかフォローしようと苦悩しているような呟きを漏らす朱莉に、私は絶望感にも似た感情を抱いてしまう。恐れていたことが現実に起ころうとしている。その恐怖に全身が震えだす。

 思い出されるのは、中学時代。

 かつて仲の良かった友人達。「ずっと友達」だと、そう言ってくれた学友達が、私の部屋を目の当たりにした時に漏らした言葉が、数年ぶりにフラッシュバックする。


『御門さん、気持ち悪い。もう話しかけてこないで』


 たった一度。たった一回の失敗で、すべてを失った。せっかくできた友達も、やっと手に入れた友情も、すべてが私から遠ざかっていった。

 全身に力が入らない。手足が震え、思考が止まる。あまりの脱力に重心がいかれたのか、朱莉の背から床に落ちてしまう。尻餅をついた状態で、明らかに正常ではないであろう様子で虚空を見つめるしかできない。

 終わった、何もかも。数年ぶりにできた友人を、また失ってしまう。

 無意識に、彼女から視線を逸らしてしまう。顔を見ることができない。朱莉がこの惨状にどのような表情を浮かべているのか、直視することができない。恐怖が……かつて身を滅ぼしかけたトラウマが、私のすべてを抑制していく。


「……ヨーコちゃん」

「ひっ」


 ぼそ、と名前を呼ばれ、反射的に肩が跳ね上がる。次に何を言われるのか、何をされるのか容易に想像できてしまい、身体中の震えが止まらない。涙が、鼻水が……恐怖を象徴するすべてのものが、とめどなく溢れ出す。


「ごめんなさい……ごめんなさいっ……ごめんなさいっっ……!」


 何も悪い事はしていないのに、身体に、心に染みついた過去の闇から謝罪の言葉が湧き出してくる。どうすればいいのか分からない。過去から逃げて、他人との関わりを絶ってきた私には、どうすればいいのか分からない。

 その内に、朱莉の手がポンと私の肩を叩いた。次に浴びせられるのは決別の言葉か、はたまた侮蔑の言葉か。そのどちらにせよ、彼女との交友が途切れることを意味している。ようやく友達ができた嬉しさから一転、忘れたはずの暗黒時代が再び顔を覗かせる。

 朱莉が口を開く。私は涙に顔を歪ませたまま、目と耳を必死に塞ごうと顔を俯かせ――――



「もぉー! ヨーコちゃんも【イノリ・マジック】好きだったのー? 言ってよー!」



「…………はぇ?」


 そのままの状態で、完全に思考回路がフリーズした。

 思わず我が耳を疑う。二十回は彼女の言葉を脳内でリピートした。余程間抜けな顔をしていたのだろうなと後になって思う。今、目の前で起こっていることが……現実に起こっていることが理解できない。え、えぇ? なんで? なんで私は今、侮蔑されるどころか、朱莉に肩を叩かれながら嬉しそうな表情で抱き締められているんだ?

 ポカンと口を開けたまま、涙を拭うこともせずに尻餅をつく私。そしてようやく私の異変に気が付いたのか、急に慌てたように私の顔を自らの服で拭ってくれる優しい彼女。


「ちょっ⁉ なになにどうしたのなんでそんなに泣いてるのヨーコちゃん⁉ アタシなにかヨーコちゃんを傷つけるようなこと言っちゃった⁉」

「ふぐ、ぐず……ふえぇえええ」

「おぉぅめちゃくちゃ可愛い泣きっぷり……じゃなくて! いきなりどうしちゃったのさヨーコちゃーん! ほら! アカリお姉ちゃんに全部ありったけ心の中を吐き出してみなー!」

「びぇえええええ‼」

「幼児退行ヨーコちゃん可愛すぎキタコレ!」


 困惑混乱大焦燥! な朱莉に抱き締められたまま、私はその後三十分に渡り、子供のように泣きじゃくっていた。






                ☆






「なるほどねー。昔そんなことがあったんだ……」

「ふぐ……すまない、取り乱してしまった……っぐ」

「よしよーし。ほら、とりあえず鼻かもうにゃー」


 ちーん、と差し出されたティッシュで鼻をかむ。結局あれから泣き止むまで朱莉に抱き締められ、慰められていた私だ。しかも、流れ的に過去のトラウマについてまで話してしまった始末である。いきなり過去話とか聞かされてもリアクションに困るだろうに、彼女は嫌な顔一つせず、それどころか私に共感までしてくれていた。かつての友人達とは違う反応に、感極まって再び涙が溢れる。

 私の頭を撫でながら、朱莉は溜息を一つ。


「まー確かに、そんなことがあったら友達を作るのにも抵抗ができるのは当然だにゃー」

「面目ない……」

「ヨーコちゃんは悪くないじゃん。悪いのは、ヨーコちゃんに勝手なイメージを重ねたくせに、いざ理想と違った瞬間に幻滅して離れて行ったその友達でしょ? ヨーコちゃんが謝る事じゃないよ」

「そう、なのだろうか……」


 普段の話し方をやめてまで真剣な表情でそう言ってくれる朱莉だが、果たして全面的に友人達が悪いかと言われると、それはどうなのだろうか。本当に、私には非が無かったのだろうか、と考えてしまう。


「……納得いってなさそうだね」

「そういうわけではないのだが……あの時、本当に自分には何もできなかったのか、と思ってしまうんだ。あの日、ちゃんと自分でフォローできていれば、あんなことにはならなかったんじゃないかって……。理想通りに行動できていれば、幻滅されることもなかったのではないかって……」


 それは、あくまで理想論にすぎない。

 その時の私は、友人の言葉に何も言い返せなくて、自分でも「その通りだ」と思ってしまったから。こんな趣味をしている自分が侮蔑されるのは当然で、向こうには何の非もないと納得してしまったから。

 今も昔も、「御門陽子」という人間は皆の憧れだった。生徒教師問わず、完璧を擬人化したような評価を受ける優等生だった。

 そんな「私」を裏切ったのは、他でもない私だ。だから、本当に悪いのは期待に応えられなかった私自身ではないのか。

 そんな自虐的なことを、時折。


「……あのさ、ヨーコちゃん」


 だが、そんな私の訴えに、朱莉は不機嫌そうな表情を浮かべる。ぐい、と私を引き離すと、普段のへらっとした飄々さを捨てた顔で、まるで子供を説教する母親のような面持ちで、私の瞳を射抜く。

 不覚にも、その凛とした風貌に胸が高鳴った。

 彼女は言う。私を見据えたまま。


「ヨーコちゃんの上っ面しか見ていないような連中との友情に、何の意味があるの? 本当のヨーコちゃんを見ようともせず、勝手に理想を押し付けるような馬鹿共との付き合いが、何を生んでくれるの?」

「そ、それは……」

「確かにそういう付き合いもあるかもしれないし、社会においては大事かもしれないよ? でもさ、でもだよヨーコちゃん。一つだけ……これだけは分かっていてほしいんだ」


 そこで一度言葉を切ると――――本当に伝えたいことなのだろう――――ガッと私の両肩に手を置き、今まで以上の剣幕で、こう、言い放った。


「そんな形だけの友人関係で、ヨーコちゃん自身が苦しむなんて間違ってるよ!」


「っ⁉」

「間違ってるよ、そんなの……」


 心からの叫び。自身も感極まったのか、目の端に涙を湛えながら、再び私を抱き締める朱莉。つい数時間前に出会ったばかりの私に対して、こんなにも感情を込めて怒鳴ってくれる友人。言ってしまえば、かつて私を拒絶したあの子よりも友人である期間は短い。

 それなのに、何故だろう。

 どうして彼女の言葉は、こんなにも胸に突き刺さるのだろう。


「朱莉……貴様は、どうしてそんなに……」

「分かんない……自分でもわからないけれど、どうしても貴女を放っておくことができなかった……」

「…………」

「どうしてか、ヨーコちゃんとシュンタが被ってさ……昔のシュンタに似ていて、我慢できなかったんだよね……」


 何故そこで葛城の名前が出るのか、という疑問はあるが、おそらくはかつて彼も私と同じような経験をしたのだろう。そして、朱莉は彼と幼馴染。それならば、私の境遇に葛城を重ねてしまったのにも頷ける。元が世話焼きな性格らしい、朱莉らしい行動だ。

 ……まだ、自分の中で明確な答えは出ない。あの時本当に悪かったのはどちらなのか、自分が納得できる解が出ているわけではない。そしてたぶん、その答えを得られるのは当分先になるだろう。そんな簡単に解決できるのなら、そもそもこんなことで悩んですらいない。

 でも、その答え一つ持っていない私の事を、友達だと言ってくれる人に出会えた。

 不器用で、不格好で、無愛想な私を、受け入れてくれる親友に出会えた。

 だから、これだけは言える。外面だけの私にも、これだけは自信を持って言える。


「朱莉」

「ふぇ……?」


 名前を呼ぶと、素直に目を合わせてくれる朱莉。泣き腫らした目は兎のように真っ赤だ。自分の事ではないのにそこまで泣いてくれる彼女の優しさに胸が痛くなるけれど、今私がすべきはそんなことじゃない。

 先程彼女がしてくれたように、指で涙を拭うと、


「ありがとう」


 不器用ながらも、私ができる精一杯の笑顔を彼女に向ける。今胸の中にある感謝の想いを、最大限に伝えられるように。

 まさか謝辞を伝えられるとは思っていなかったのか、最初はぽかんと呆けたような表情を浮かべていた朱莉。だが、すぐに表情を綻ばせると、私を押し倒す勢いで抱き着いてくる。まるで子供同士がじゃれあうように、そのまま二人で床を転げ回る。

 ――――いつの間にか、悲壮感はなくなっていた。

 天井を見上げたまま、二人して笑い合う。「楽しい」という気持ちを誰かと共有できたのは何年振りだろうか。もう二度と手に入れることはないと思っていたものが傍にある。それだけでこんなにも穏やかな気持ちになれるのか。

 今までの自分をすぐに変えられるとは思えないし、思わない。そんな器用な真似ができるほど、御門陽子は完璧ではない。

 でも、だけど。

 そのために努力していくのは、なんら滑稽な事ではない。


「ヨーコちゃんの友達一号、もーらいっ♪」

「二号以降ができるかは分からないがな……」

「だいじょーっぶ! 私がついているから、きっとできるよ!」

「……ありがと」

「もぉっ! かーわーいーいー」

「なっ⁉ こ、こら茶化すな!」


 馬鹿にするような声色で頬を突いてくる朱莉に怒鳴り返しながらも、心のどこかでは嫌がっていない自分に気が付く。つくづく単純な人間だな、私は。

 明日から頑張ろう、と隣で笑う友人の顔を見ながら密かに決心した。






                ☆






「あれ? 朱莉と御門さん、そんなに仲良かったっけ?」

「えへへー、親友だにゃー☆」

「あ、あぁ……」

「羨ましい……僕も御門さんと肩を組みたい……」

「気持ち悪い事を堂々と言うな」


 翌日、一緒に登校してきた私と朱莉を見て驚いたように目を見張る葛城。周囲のクラスメイト達も、私が誰かと仲睦まじくしている光景が不思議なのか、それぞれがひそひそと耳打ちをしあっている。少々恥ずかしいし慣れない光景ではあるが、この変化を受け入れられるように頑張ろうと決めたのだ。今更物怖じはしない。


「でも、御門さんにも友達ができたのならとりあえずは大丈夫そうだね」

「何の話だ?」


 うんうんと勝手に頷く葛城に問いかける。何が大丈夫なのか。一抹の嫌な予感を覚えながらも、彼の答えを待つ。

 葛城は「え、忘れたの?」と何でもないように言葉を繋ぐと、相変わらずの腹立たしい爽やかな笑顔で眼鏡のブリッジを指で上げながらこんなことを言うのだった。


「学園祭だよ学園祭。さすがに独りぼっちで回るのは辛いでしょ? よかったねぇ」

「学園祭、だと……⁉」

「ヨーコちゃん?」


 思わず後退りしてしまった私を怪訝そうに見やる朱莉。そんな彼女を他所に、私は衝撃を隠せなかった。完全に忘れていたのだ、その学校行事の存在を――――


 ――――非リアにはあまりにも過酷な、リア充共の祭典の存在を……!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

御門陽子は胃が痛い。 ふゆい @fuyufuyufuyui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ