第5話 御門陽子は抗えない。
普段から他人との関わりを積極的に遮断し、孤独に生きようと努めている私ではあるが、他人というカテゴリーの中でも特に苦手とする類の人種が存在する。
それは圧倒的に、こちらの意思などまったくお構いなしとばかりにずけずけとプライバシーに干渉してくるデリカシーの欠如した人間だ。そういう奴に限って気の赴くままに好き勝手荒らしまわって、一切のフォローをしない。今までの経験上、他人と距離を置こうとしない自称世話焼きタイプにマトモな性格がいたことがない。
「うにゃー! ここがヨーコちゃんのおうちかー! 普っ通ぅー!」
「普通で悪かったな」
二階建て一軒家という典型的な『家』を前にして何やらハイテンションな様子でギャースカ騒ぎまくっている四月一日にしかめっ面を返しながらも鍵を開けて中に入る。スーパーでの遭遇からなし崩し的に家に招いてしまった次第だけれど、この道中だけで既にお腹いっぱい感が半端無い。もう胃もたれがしそうなくらいだ。最近はストレスの連続で胃痛が頻繁気味だから、そろそろ胃薬を常備しないといけないのかもしれない。
「おっじゃまっしまぁっすー!」
意外にもしっかり靴を並べてリビングへと走っていく四月一日。さすがに一般常識くらいは持ち合わせているらしい。しかしながら、どこまでも私の苦手な人種だ。騒がしい上にデリカシーが無く、悪知恵も働くときた。これはもう私だけではなく全国の静かに過ごしたい人間全員にとっての害悪ではないだろうかと割に失礼なことまで考えてしまう始末である。
夕飯の材料が入った買い物袋をリビングのテーブルに置くと、鞄を持ち直して自室へと向かう。
「私は風呂に入ってくるから、貴様はここで大人しく座ってろ」
「えー。一緒に入ろうよヨーコちゃぁーん」
「黙れ。私が入った後にでもゆっくり浸かれ」
何やらとてつもなく傍迷惑な申し出をされた気がするが、ぴしゃりと拒否して階段を上がる。結局家まで連れてきてしまったが、これ以上余計なコミュニケーションを取る道理はない。必要事項をささっと済ませ、早く就寝してしまわねば。着替えを用意し、すたこらさっさと風呂場へ。
途中リビングを通る際にちらと四月一日の様子を窺ったものの、彼女はテレビを見ながら気ままにソファで寛いでいた。スカートから伸びるジャージのズボンがバタ足をしていたから機嫌がいいのだろう。にしても、スカートの下にジャージを穿くとは随分と面妖な格好をしているものだ。部屋の中でも長袖カッターシャツは脱いではいないようだし、もしかすると冷え症なのかもしれない。
そんなどうでもいい思考に耽りつつ、下着類を洗濯籠に放り込んで入浴。
扉を開けると、もわっとした湯気が全身を蒸らす。母のなけなしの気遣いで、風呂だけは沸かしてくれていたらしい。少し冷めている分はお湯を継ぎ足しながら調整していけばいいだろう。軽く身体を洗い、自慢の長髪をタオルで掻き上げて湯船に浸かる。
「ふぁあ~……」
全身がお湯に揉まれていくような心地良い感触に思わずにへらと表情が緩む。やはり風呂というのは人類が生み出した文化の極みだ。よくもまぁこのような最強のリラックス兵器を開発してくれたものである。日頃のストレスが一気に霧散していくようだ。……実際には蓄えたストレスがあまりにも巨大すぎて、解消にはほど遠いが。野暮なことは言うまい。
「……それにしても、家に他人を招き入れるのは何年ぶりだろうな」
ふと呟いてしまう。友人というものを長い間持っていなかった私にとって、今回のように他人を招待したのは相当に久方ぶりのことだ。……いや、別に彼女は友人でもないし、今回に限っては招待どころか押しかけられたのではあるが。どちらにせよ、家族以外がこの家にいるという状況自体が、それなりに久しぶりである事は事実だ。
そう考えると、それなりに緊張してしまう。あっちは私の事をどう思っているのだろうか。仲の良い幼馴染の思い人……という根底を理解しているのだろうか。先刻の会話を思い出す限り、私と葛城の関係についてはそれなりに把握している様子ではあったが……四月一日的には、御門陽子という存在はどういうジャンルに分類されているのだろうか。
学校ではいつも葛城と共に行動しているらしい四月一日は、その半身と言っても良い葛城の好意がこちらに向けられていることにどう思っているのだろうか。別段思い上がっているわけではないが、無駄に恋愛シミュレーションやアニメを見まくっているからこそ、そんなありきたりな展開を想像してしまう。幼馴染だから好意を向けているとは限らないだろうに……。
『ヨーコちゃぁーん! そろそろ晩御飯できるよぉー!』
「ふぁっ⁉ お、おぅ!」
不意に飛んできた四月一日の声に若干上擦った声が漏れてしまうが、ぎりぎりで体裁を整える。どうやら入浴の準備はせずに、晩飯の用意をしてくれていたらしい。第一印象からは程遠い気の使いように不覚にも感心してしまう。早くも私の中の傍若無人像が揺らぎ始めているが、油断しては駄目だ。あぁいう類の人間は、悪賢いと相場が決まっているのだから。
しかしながら、せっかく晩御飯を作ってくれたのなら冷めないうちに食さなければなるまい。これはあくまでも冷めてしまうと料理に失礼だという訳であって、決して四月一日への罪悪感とかそういうものでは一切ない。食べ物を粗末にするのは私の礼儀に反する。ただそれだけだ。それ以上の理由はない。
とまぁそんな感じで誰にともなく言い訳を飛ばしながらも、水滴を散らしながら脱衣所へと身を躍らせるのだった。
☆
「はぁーい! 今日の晩御飯はぁー、アカリン特製カレーでーっす!」
「う、うおぉ……!」
リビングへと戻った私を出迎えたのは、食欲を刺激するあまりにも美味そうなカレーの香り。香辛料と季節の野菜をふんだんに使ったらしい黄金色のご馳走は、一切の遠慮なく私の鼻孔をこれでもかとくすぐる。わざわざ作ってやるとか言い出したくらいだからそれなりに料理は得意なのだろうとは思っていたが、これは想像以上だ。見た目だけなら、完全にウチの馬鹿母を凌駕している。
「んっふふー♪」
「はっ。ま、まぁ見た目は及第点だなっ! 後は食べてみないことには分からん!」
あまりにも魅力的なカレーを前に立ちつくしている私に得意げな視線を送ってくる四月一日。このまま敗北を認めるのはあまりにも悔しい。少しでも虚勢を張っておかねば、私にも立場というものがある。……何と戦っているのかは自分でも不明だが。
減らず口を返しながらも椅子に座る。既に用意されている食器や添え物にまでいちいち驚きの声を漏らしてしまうのは致し方あるまい。
……あれ? そういえば。
「なんだか部屋が綺麗になっているような……」
何の気なしにリビングを見渡すと、心なしか部屋中がピカピカと光り輝いているようにも見える。いや、元々汚れていたというわけではないのだが、塵一つないというか……つい今しがた清掃されたかのように整頓されているではないか。
まさか、と一つの可能性に行き当たった私は咄嗟に四月一日の顔を見上げる。
「あー、ちょっと汚れが気になったんでー……ヨーコちゃんがお風呂ってる間にパパッとお掃除しちゃいましたー♪」
「てへっ☆」と片目を瞑り舌を出して軽く首を傾げるあざとさマックスな四月一日だったが、かくいう私は驚きと衝撃で二の句を告げない状態と化している。なんだ、いったい何者なんだ四月一日朱莉っ……! この短時間でこれほどまでに完璧な炊事掃除をやってのけるなんて、貴様は家政婦か何かなのか⁉ しかも相当にレベルが高いぞ!
「あっ、ちなみに洗濯機も回しているから、後でちゃちゃっと仕上げとくねー」
「もうどこまで完璧なんだよ貴様は! 世界一のお嫁さんになれるよ!」
「もぉー、お嫁に来てくれだなんて……ヨーコちゃんったら、だーいーたーんー」
「言ってないわ!」
四月一日の完璧メイドっぷりに一周回って恐怖すら覚える。現実にこんな二次元めいた美少女家政婦が存在したということがそもそもの驚きだが、そのキャラの濃さにも戦慄を覚えるレベルだ。いや、彼女は家政婦ではないけども。ていうか! ここまで完璧なスーパー幼馴染がいるならば、もういっそのこと弁当も作ってもらえよ葛城竣太!
ツッコミ量の多さで疲労の余り肩が上下しているが、一旦落ち着こう。目の前に鎮座するご馳走が冷めてしまう。用意された麦茶を煽って息を整えると、スプーンを手にカレーと対峙する。
万能人間四月一日朱莉が作ったカレーの性能とやらを、見せてもらおうか……!
ルーを白米に絡め、ゆっくりと口の中へ運ぶ。
――――そして、
「っっっ⁉⁉⁉」
口に入れた瞬間、何かが弾けた。
カレーが舌に触れるや否や、全身に走る独特の甘み。じんわりと広がる温かさと、今まで感じたことがない美味しさがすべての細胞を活性化させる。この甘み……蜂蜜と林檎はかろうじて判別ができたが、それ以外の何かが含まれた別格の味。それらとスパイスが奏でるハーモニーが、私の味覚という味覚を支配していく。
こ、これは……! うますぎる……! 犯罪的だ……!
スプーンが止まらない。私の頭から理性が吹っ飛ぶ。今は目の前のご馳走を完食するのが最優先だと脳が全力で告げている。胃袋が歓喜の歌声を上げ、次から次へと栄養を吸収していく。
もう私は、すっかり彼女の手料理に惚れていた。
「――――おかわりっ!」
「あいあいさー」
まるで子供を見るように微笑ましい笑顔で渡された二杯目のカレーを引っ掴むと、がつがつと平らげていく。そこには普段の優等生然している私の面影など1ミクロンも存在せず、ただ純粋無垢に食欲を満たす御門陽子が座っているだけだ。
この時の私は随分と輝かしい、幸せそうな顔をしていたと、後に四月一日朱莉は語る。
☆
この世のものとは思えない最高級のカレーをご馳走になった私は、彼女に対する警戒を完全に解いてしまっていた。
「朱莉、ありがとう……貴様に出会わなければ、あれほどまでのご馳走を知ることはなかった……」
「もぉー、大袈裟だにゃーヨーコちゃんは。それと、もうすっかり名前呼びになっているけど大丈夫なのー?」
「無論だ。もはや貴様は親友も同然。あのような超絶美味な料理を作る完璧な貴様が、悪人であるはずがないのだからな!」
「う、うーん。ここまでちょろいとアカリン逆に心配になっちゃうぞー?」
私に抱き着かれたままやや複雑気な表情で頬を掻く朱莉が何やら呟いていたが、そんな些細なことはどうでもいい。気を許しても問題ないと判断できる友人が、私にもついにできたのだ。さすがに校内で普通に接することは私の周囲からの評価上難しいが……こうして誰の目にも止まらない場所ならば、遠慮することはない!
おおよそ数年ぶりに関する他人の温もりにすべてを委ねる。
しかし。
「う……ん……」
「ヨーコちゃん? もしかして眠たくなってきた?」
「うみゅ……」
瞼が重くなり、目を開けているのがだんだんと辛くなってきた。基本的に夜行性である私にしては珍しい。まだ十一時だというのに、三日三晩徹夜した時のような睡魔に襲われている。今日一日がかつてない程に濃く、ハードだったから疲れが溜まっているのだろうか。もしくは、超絶久しぶりに友人ができたことで諸々のストレスから解放され、気が緩んだのかもしれない。
「もう寝る? 部屋まで送るよー」
「あぃ……ぁと……」
「よいしょっと」
既に舟を漕ぎつつある私を容易く背負うと、そのままリビングの片付けを行う朱莉。どこまでも気遣いのできる完璧超人だ。私を搭載したままでもその手腕は衰えない。ほれぼれするような手つきで消灯まで済ませると、リビングを出る。
「ヨーコちゃんの部屋は二階?」
「ん……」
覚束ない意識ながらもコクンと頷く。それなりに罪悪感を感じるが、これ以上まともに何かを行動できるような余裕はなかった。今はとにかく睡眠欲求最優先。
大雑把ながらに道筋を伝えると、彼女の髪に顔を埋める。入浴後に下ろされた赤茶色の髪は、若干の荒さながらも女の子らしい良い香りに包まれている。これが幸福感か、と遠くなる意識の中で口元が緩んだ。
――――だが、この時の私は完全に失念していた。
事情を知らない赤の他人を部屋に招くということを……その危険性を、睡魔と安心に支配された御門陽子は、物の見事に頭の中からすっぽ抜けていたのだ。
オタク女子として絶対に忘れてはいけないことを、完全に。
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