第4話 御門陽子は抗いたい。


 四月も三週目に入り、桜もすっかり散ってしまった頃。屋上で春の心地よい風を受けながら、私は静かに呟いた。


「……春だなぁ」

「四月も終わりなのに今更何言ってるんですか御門さん」

「もうツッコむのも疲れたから普通に言わせてもらうが、私が一人でのんびりしている最中にしれっと屋上に忍び込むのはやめてくれ」

「まぁまぁ。最近は朱莉も部活が忙しいみたいで、昼休みは手持ち無沙汰なんですよ。こうして御門さんと二人っきりでアニメの話をできるいい機会ですし、許してください」

「その言葉のどの部分に私が許容する要素があったのかは甚だ疑問なんだがな」


 いつの間にやら隣に座っていた眼鏡野郎に毒を吐く。初めて共に食事をしたあの日から、週三日程度の頻度で屋上に出没するようになった葛城。幾度となくやってくる彼をとりあえず追い返している私なのだが、そんな文句はどこ吹く風といった様子で毎度毎度居座っているこの男。友達がいないのかと休憩時間の様子を窺うも、それなりに友人は多いようなのでますます疑問に思えてくる。まぁ、もう慣れたから別にいいけども……。

 溜息交じりに弁当を開くと、桂木は応じるようにレジ袋を漁っておにぎりを取り出す。


「貴様いつもコンビニ飯だが……もう少しちゃんとした飯を食った方がいいんじゃないか?」

「それはそうなんですけど、なにせ一人暮らしなものでして。弁当を作る手間暇がちょっと」

「一人暮らし? 待て、幼馴染とやらもこの学園に通っているのだろう? 実家は地元ではないのか?」

「えーっと、その辺は色々と複雑な事情があると言いますか……まぁ、色々あって一人暮らしなんですよ」


 苦笑しながらの返答だったが、言外に「これ以上聞かないでほしい」との雰囲気を纏わせているのを感じた。各々のプライバシーに関わってもロクなことにならないというのは、今までの人生で培ってきた経験だ。こういう時は黙ってスルーしておくに限る。余計な事をして蛇を出す趣味はない。

 若干暗くなった空気を悟ったらしい葛城は、咄嗟に話題を変更してくる。


「そ、そういえば昨日の【イノリ・マジック】は見ましたか?」

「勿論だ。リアルタイム視聴の上に夜通し十回は見たな。いやぁ、まさか第三話でイノリの魔法少女パワーが失われるとは……次回が楽しみ過ぎる幕引きで、夜も眠れなかったぞ」

「だからそんなにクマが酷いんですね。化粧で隠したりはしないんですか?」

「そういうのは性に合わない」

「さすがですね……」


 くつくつと笑う彼の楽しそうな様子に、こちらもつられて表情が綻んでしまう。最近、こういうことが多くなった。無愛想無表情だった私が、何故かコイツと話していると時折笑顔を浮かべてしまうようになったのだ。いったいどうしたというのか。自分でもわからない環境の変化に戸惑っているのかもしれない。気づいたら表情を戻すようには心がけてはいるが……無駄に友人を増やさない為にも、気を引き締めておかなければ。

 頬をぐにぐにとマッサージして表情を無に帰していると、不意にスカートのポケットに入れたスマートフォンが震え始めた。そもそも家族と最低限の連絡先しか入っていない私に連絡してくる物好きなんて数えるほどしかいないのだけれど……こんな時間にメールを送ってくる非常識はいったい誰だ。


「す、すまない。ちょっといいか」

「構いませんよ」


 他人の前でスマホを使うという行為に抵抗がある私は基本的に許可を取るようにしている。最初は不思議がっていた葛城も、何度目かになり手慣れたらしい。普段通りの笑顔で快く頷いていくれる。それにしてもこの男、私の前では八割方笑顔なんだが大丈夫か。

 画面を表示すると、そこには《From母》の文字。


《陽子ちゃんごめんねー! お母さん今日、悠馬くんと二人で仲良くイチャラブデートしてくるから、晩御飯勝手に食べててー! 明日には帰ってくるけど、寂しかったらいつでも連絡してきてもいいんだゾ☆》


 もはや悪意と煽り以外の何物にも感じない文面にスマートフォンを引き千切りそうになるが、貴重な電化製品をこんなクソ母からのメール如きでぶち壊すわけにはいかない。破壊するのは朝帰りしてきた年増女のメンタルだけにしておかないと。……ちなみに悠馬くんとやらは私の父親である。二人ともいい年いっているくせにどんだけ元気なんだ。それと、いちいちイチャラブがどうのこうのとか実の娘に連絡をしてくるな。普通に明日返ってくるから飯食っておけですむだろうが。

 若干というかそれなりにイラッとしつつ弁当を胃に入れていく。


「誰からだったんですか? なんか今まで見たことがないくらいに憎悪に満ちた顔で画面睨みつけてましたけど」

「……気にしないでくれ。ちょっと阿呆な身内が死亡フラグを立てただけだ」

「はぁ……」


 怪訝そうに首を傾げながらもそれ以上は何も聞くことなくおにぎりをもしゃもしゃ食べる葛城。無駄な干渉はしてこない辺り、変に男子力に溢れた奴だ。小動物系眼鏡少年とは思えない大人っぷりである。これは確実に見た目で損をしているなこの男。


「貴様、もうちょっと背が高くて爽やかだったら相当モテていると思うんだが」

「そんなこと言われましても僕は僕なので」

「まぁそうなんだけどな?」

「御門さんにさえ気に入ってもらえれば、僕は大満足ですから」

「その私本人があんまり貴様自身をお気に召してはいないけどな」

「そんなー」


 ややわざとらしく落ち込んだようにガックシと肩を落とす葛城に肩を竦めながらも、私は残りの昼食を頬張るのだった。






                ☆






 さてさて、今日は両親がいないということで、晩御飯を自力で用意しないといけない。

 学業優秀、運動万能の私ではあるが、こう見えて家事一般に関してはあまり得ではなかったりする。母親が無駄に万能であるのも一つの理由だけれど……まぁその、人間向き不向きがあるということだ。

 とにもかくにも放課後になり、私は近所のスーパーマーケットに足を運んでいた。


「料理なんてのは論外だから、大人しく弁当を買おう」


 手間暇を考えると明らかにコストパフォーマンスがいい弁当。午後五時を経過した今の時刻ならば、割引されたものも少なくはないだろう。別にお金がないわけではないが、節約できるところは節約しておくに越したことはない。その余ったお小遣いを趣味に回せるのだから。……今度新発売するイノリたんの抱き枕カバー、絶対に買わねばならぬ。

 ぐふふと内心気持ち悪い笑いをしつつも表情には出さないプロフェッショナルオタクな私はいたって涼しい顔でお惣菜コーナーを物色する。ふふ、今の私は優雅に買い物を行う美麗な奥様。決して萌えキャラグッズに思いを馳せながら涎を垂らすオタクなどではない。


「あれ、貴女は確か……ミカドさん、だっけ?」

(ひゃうっ⁉)


 不意に背後から話しかけられ軽く跳ね上がってしまう完璧優等生な私。なんとか声を上げることだけは持ち前の胆力で回避することに成功したものの、学園の外で話しかけられたことに驚きを隠せない。知人友人が極端に少ない私に対して、よりによってスーパーマーケットで話しかけてくる輩なんて、心当たりはないのだが……。

 無愛想オーラを全身に纏って対人準備を終えると、憮然とした表情で不届き者の方を向く。


「やー。同じクラスの四月一日わたぬき朱莉あかりだよー」

「…………どうも」

「うーん、相っ変わらず無愛想だにゃー」


 へらっとした態度でにゃはにゃはと笑うポニーテールの女性。私と同じ制服をはちきれんばかりにこれでもかと突っ張らせている胸部に軽く殺意を抱きかけるが、問題はそこではない。160cm後半で長身気味の私よりもさらに高い身長がどうとかも関係はない。

 学園の外で、わざわざ、私なんかに話しかけてきたというのが問題だ。しかも、よりによってこの四月一日朱莉が。

 この四月一日という少女のことは奇跡的に知っている。この数週間葛城の事を観察している際に、いつも彼と一緒にいた女子生徒だ。朱莉という名前からして、以前彼が言っていた幼馴染とやらだろう。抜群のプロポーションといっそあざといくらいの仕草がコアなマニアにはたまらないとかなんとか。これは葛城と仲の良いオタクが漏らしていた内容である。自分の趣味嗜好を表沙汰にするとは羞恥心というものがないのだろうか。そういうあけっぴろげなオタクはイマイチ気に入らない。

 閑話休題。

 葛城の幼馴染ということは、あまり余計な関わりを持つと私の秘密が露呈しかねない。大丈夫だとは思うが、不安の芽は摘み取っておくに限る。私は軽く会釈だけ済ませると、適当に弁当を掴んで足早にその場を――――


「にゃー。年頃の女子高生がスーパーのお弁当で食事を済ませようとするなんて、ちょっと褒められたことじゃないかなー」


 いつの間にか目の前に回り込んでいたらしい四月一日が私の手から弁当をひったくる。持てる限りのスピードで踵を返したのに、この女いったいどんな反射神経をしているんだ……⁉

 あまりにも読めない四月一日に軽く戦慄を覚えてしまう。


「あの、その……弁当、返して……」

「駄目だよー。今が一番輝かしい時期の女の子がこんな雑な食事をしようとしているっていうのに、そのまま帰らせるわけにはいかないよー」

「べ、別に……関係ない……」

「だーめー」


 やけに食い下がってくる四月一日に拳を握ってしまう私。な、なんなんだこの女……! 大して仲良くもない上に、一度もマトモに話したこともない人を相手にどうしてこうも強気な態度で出てこれる……? メンタルいかれてるんじゃないのか……⁉

 隙を突いて逃げ出そうと様子を窺って見るも、無駄に洗練された無駄のない動きにそれらしい隙は存在しない。つくづくわけが分からない。何者だこいつ。

 私の苦悩を知ってか知らずか、四月一日は満を持したようににぱーと笑うと、よりにもよってこんなことを言い出した。


「あ、そうだー。折角だし、今日はアタシがご飯を作ってあげるよー」

「なっ……⁉ そ、そんな勝手な……!」

「だってねー。シュンタの友達が粗末な食事をとろうとしているところを見逃すわけにもねー。いかないよねー」

「だから、そういうのは……って、え?」


 はた、と思考が一瞬止まる。さらりと流しかけたが、今この女、何か聞き捨てならないことを言わなかったか?

 思わず、彼女の顔を見上げる。


「……にゃー♪」


 どこか勝ち誇ったような、「アタシ全部知ってますよ」的な得意げな表情でこちらを見下ろす四月一日朱莉。

 これはまさか……もしかしなくても、私に勝ち目はないのではなかろうか。

 黙り込む私を他所に、彼女は言葉を続ける。


「別にいいんだけどなー。ミカドさんがシュンタと友達だろうがどうだろうが、アタシはいっこうに構わないんだけどなー。でもでも、日頃一匹狼気取って優等生ぶっている無愛想な貴女が、実はめちゃくちゃ毒舌で人には言えないムフフな趣味を持つ性悪女だってみんなが知ったらどう思うだろうなー。教師からの評判とか、どうなっちゃうんだろうなー」

「こ、こいつ……! 隠すこともなく真正面から脅迫してきやがっただと……!」

「出てる出てるー。ミカドさん、素の自分が出ちゃってるよー」

「はっ」


 指摘されてようやく我に返った私は、慌てて口を塞ぐも時すでに遅し。目の前にはにやにやとあくどい笑みを湛えたまま立ちはだかる四月一日朱莉が。

 なんだ……何故私はたかが晩飯の献立くらいでこんなに脅されているんだ⁉ おかしいだろう! 普通に弁当を買って家でのんびりする予定が、どうしてこうなった! 神様最近私に厳しすぎやしないか⁉


「アタシは単純に、ミカドさんの栄養面を心配して言っているだけなんだけどにゃー」

「ぐ……」

「まぁそこまで嫌がるのなら仕方がないねー。新聞部員としての力を最大限に振るって、貴女の優等生生活に終止符を……」

「わ、分かった! 今日の晩御飯は四月一日に作ってもらおうかな!」

「もぉー。そこまで言われちゃ仕方ないにゃー」

「こ、この野郎……!」

「にゃー。女の子に向かって野郎とか言ったら駄目なんだからねー?」


 どこまでも飄々とした態度に押し負けて、ついには折れてしまう私。これは私の精神が弱いというわけではない。この女の脅迫力が頂点を突き抜けているだけだ。断じて私が悪いわけではない。


「じゃーとりあえずー、おうちに案内してよヨーコちゃーん」

「うぅ……」


 いつの間にか名前呼びになっていることに指摘を入れる余裕もなく、私は再び人生の大ピンチに立たされるのであった。

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