第3話 御門陽子は分からない。


「いってきます」

「葛城くんによろしくね~」

「いってきます!」


 腹立たしいほどのにやにや笑いを浮かべながら私を見送る母に腹の底から怒りを込めた挨拶を返しつつ、全力でドアを閉める。よくもまぁ朝っぱらから人の神経を逆撫でする親だ。あの忌々しい母親に子供を気遣うとかいう思考回路は存在しないのだろうか。

 まったく。昨晩は超絶神絵師【Gira】先生から至極の財宝を承って人生最高クラスにハイテンションだったのに、台無しだ。もう少し娘の精神衛生を守る気概とデリカシーを学ぶべきだと真面目に思う。あれで昔は学園のアイドルだなんて呼ばれていたらしいから、世の中というのは訳が分からない。

 そして、母のせいで余計なことを思い出してしまった。昨日私の秘密を握ったことを明かし、あろうことか交友関係を申し出てきた怨敵、葛城竣太。今までは歯牙にもかけていなかったが、私の平穏な学校生活を脅かす存在にランクアップしたことは紛れもない事実。彼自身は「誰にも言わない」と宣言していたが、手に入れた秘密は広めたいと思うのが人間の必然だ。それが超美少女優等生である私の秘密ならば尚の事。早いところ手を打たなければ、取り返しのつかない事態に発展するやもしれない。それだけは絶対に避けなければ……。

 しかしながら、未だに疑問な点がいくつかある。


「どうして葛城は、私がオタクであると知りながらも、交友関係を続けようとするんだ?」


 自分で言うのも可笑しな話ではあるが、オタク趣味というのは一般的には敬遠されやすい特徴の一つだ。しかもその中でもアニメオタクなんてのは言葉の響きからして忌避される。【イノリ・マジック】の名を知っている葛城なら、オタク趣味を持つことの危険性を理解していないはずがない。そんな関わるだけで色々とレッテルを貼られかけない相手とわざわざ交友関係を続けようとする意味はなんなのだろうか。自身がアニメ好きであるとしても、ストレートにフラれた相手と友達になることにメリットがあるとは思えない。精神的にも辛いと思うのだが。

 しばし考えるが、答えはいっこうに出てこない。他人との接触を避けて生きてきた私には、彼のように危険な橋を渡りながら友人になろうとする考え自体が理解できなかった。リアルな交友関係がある人間にオタク趣味が露見してしまうと、色々と面倒くさいことになるという実体験を持つ身としては尚更に。


「とりあえず、葛城についての情報を集めてから対策を――――」

「僕がどうかしたんですか?」

「ほわぁっと⁉」


 完全に意識外。思考に耽っていたところに不意に声をかけられ、それはそれは情けない甲高いボイスを発しながら飛び上がってしまう。我に返って咄嗟に周囲を見渡すが、幸い誰も居ないようだった。危ない……学園関係者がいようものなら、私の優等生生活がマッハで終焉を告げるところだった……。

 ほっと胸を撫で下ろすと、私を背後から襲撃した馬鹿野郎を悪意百パーセントの表情で睨みつける。


「おい貴様……唐突に話しかけるなんていい度胸しているじゃないか……」

「え? あぁ、やっぱり挨拶から入るのが礼儀ですよね。すみません。おはようございます、御門さん!」

「お、おはよう……じゃなくて! なんでわざわざこんなところで急に私に話しかけるんだ!」

「わーい御門さんが挨拶返してくれたー」

「話を聞けぃ! 喧嘩を売っているのか貴様は!」


 こちらが怒鳴っているにもかかわらずぽわぽわした雰囲気を全身から放出して心底幸せそうに微笑んでいる葛城。いかん、落ち着け御門陽子。相手のペースに呑まれては駄目だ。そもそもわざわざこいつと会話をする必要はないじゃないか。さっさと話を終わらせて、ガン無視で学校に向かってしまった方が得策だ。通学途中で出会ってしまったのは、運が悪かったと割り切ろう。


「ねぇねぇ御門さん」

「……」

「御門さんってばー」

「…………」


 何やら話しかけてくる葛城をひたすらに無視して歩き続ける。くっ……なかなかしつこいぞこの男! 告白現場ではおどおどしていたくせに、どうして今はそんなにメンタルが強くなっているんだ貴様は! なんだ、あの時のお前は世を忍ぶ仮の姿だったとでも言うつもりか⁉ あの草食系全開な姿が計算された末での演技だったなら、もう世界を狙えるレベルだぞ⁉

 すぐ隣から声をかけられているのに全力でスルーして競歩登校決めるのは体力的にも精神的にも、というか良心の呵責的にも辛いものがあるのだが、私の平穏な学園生活という背に腹は代えられない。一切の罪悪感を振り切って、十数分の道のりを歩き続ける私であった。

 ……終始葛城が幸福そうに満面の笑みを浮かべていたのが、気になる次第ではあったが。






                ☆






「葛城、ここの答えは?」

「3x+4です」

「正解だ」


 一時間目は数学だ。朝一番の授業である上に教科としては退屈な部類に含まれるものであるからか、睡魔に襲われている級友たちがちらほらと見られる。春の陽気のせいでもあるのだろう。どこかぬくぬくとした空気が教室中を包み込む中、教師と葛城の会話が耳に入ってくる。ちなみに私は寝ていない。当然だ、優等生だからな。

 生徒の大半が舟を漕いでいるにも関わらず、不意に教師に当てられても戸惑うことなくすらすらと問題を解く葛城。やはり見かけどおり成績は良いようだ。その後も数問連続して当てられていたけれど、そのことごとくを正解していく。眼鏡を掛けて勉強が得意なんてがり勉なイメージが浮かぶが、彼が纏う小動物系の雰囲気のせいで単純に真面目っ子な感じとは違ったものがある。なんだろう。平凡な高校生と言ってしまえばそれまでだが、どこか読めないというか。明るいオタクというか。

 そんなことを考えながら何の気なしに葛城の方を見ていると、着席した彼とふと目が合った。ちなみに私と彼の席関係は、葛城が私の右斜め前に座っているという次第である。しかも私は窓際最後方のVIP席。チカラがあると言わざるを得ない。

 さてさて。何故目が合ったかというと、座る際に彼が何故か私の方に視線を送ったからである。なんだなんだ、成績優良なところを見せ付けてドヤ顔をしているつもりか。そんなしょうもない理由でこちらを向いたのか。器量の狭い男だな。

 内心の罵倒を余すところなく表情に出し、彼を睨みつける。ほれほれ、こんな目つきの悪い女なんてさっさと諦めてしまえ。

 が、彼の反応は予想に反するもので。


「……(ニパッ)」

(ぐぅぅ⁉ なんだその子供のような純粋無垢な笑顔はぁあああ‼)


 睨まれたことなんてなんとも思ってないと言わんばかりに微笑みかけてくる葛城。そんなあまりに大人な彼の反応に、逆に私の方が小さな人間だと思い知らされているような気分になってしまう。納得がいかない……非常に! 納得が! いかない!

 ぬぐぐと唸る私を他所に、彼は再び黒板の方を向くと板書を再開する。やはり根は真面目な優等生らしく、授業態度は優良そのものだ。ケチのつけどころもない。


(なんなんだこいつは……)


 教師の声だけが聞こえる静まり返った教室に、私の溜息が小さく響いた。






                ☆






 それから何個かの授業を終え、昼休み。高校生的には一日で最も待ちに待った時間である。

 我が教室でも各々が弁当を開き、各スペースで談笑しているが、当の私は弁当を鞄から取り出すと、そのまま教室を出て階段を昇っていた。向かう先は屋上。普通ならば立ち入り禁止になっている場所ではあるものの、たった一人存在する仲の良い教師に無理を言って鍵を借りている次第だ。友人のいない(あくまでも自分から作っていないだけである。断じてぼっちなわけではない)私にとって、あの教室はあまりにも騒がしい。他人と関わるわけでもなく、ただ一人で黙々と弁当を食べる環境には相応しくない。もっと静かで、落ち着いた場所で食す方が私には向いている。

 階段を昇り切り、進入禁止の立札を避けるようにして通ると、鍵を開けて屋上へ。


「やぁ、こんにちは御門さん」


 …………。

 パタン、と扉を閉める。

 今、いてはいけない者がいたような……いるはずのない存在が目の前に出現したような気がするのだが、まさか気のせいだよな? 幻覚だよな?

 昨晩徹夜したから疲れているのだろう。ふっ、この私ともあろう者があんな幻を見てしまうとは情けない。学園生活に支障が出ないよう、今後はある程度睡眠時間を確保しておくようにしよう。

 ふぅ、と呼吸を整える。冷や汗なんて流していないし心臓が破裂しそうなくらいの速度で鳴っているわけなんてない。私はいたって平常だ。通常運転だ。不思議なことは何もない。そう自分に言い聞かせつつ、再び屋上への扉を開ける。


「御門さん。一緒にご飯食べましょうよ!」


 ……あぁ、幻であればどれだけ良かったことか。

 分かってはいたが、不意に涙がちょちょぎれる。弁当を持つ手は確実に震えているだろうし、もしかしたら全身に負のオーラを纏っているかもしれない。【イノリ・マジック】第一期第六話にて、友人に大好きなケーキを食べられて般若の如く激怒したイノリ並みの迫力を背負っている可能性も否定はできない。もうなんていうか、すごく目の前の馬鹿を殴りたい気分だ。

 こちらに笑顔を向けながら子犬のようにそわそわしている葛城の傍まで歩くと――――


「死ねぇっ!」


 全力で拳を振り抜いた。


「のわぁっ⁉」


 しかしながら反射神経は良かったらしい。殴打ギリギリのラインで咄嗟に顔を背け回避する葛城。私の正義の鉄槌は彼の頬を軽く掠るだけに留まった。チッ、運のいい奴め……。


「い、いきなり何するんですかぁ!」

「心当たりがないとは言わせないぞこの変態ストーカー野郎」

「悪口のブレーキング大丈夫ですか⁉ 一緒にお昼食べようって言っただけで殴るとかあります⁉」

「黙れこのコバンザメが。人の行くところ行くところに現れて……終いには警察に突き出して刑務所で卒業式迎えさせるぞ」

「普通に怖い! そしてやけにリアルですね!」


 尻餅をついたまま何やらギャーギャー騒いでいる葛城だったが、私の怒りが収まる訳はない。こちとら目の前の馬鹿のせいで平穏優等生生活に終止符が打たれかねない状況にあるというのに、何故この腐れ外道はそれに拍車をかけるような言動を繰り返すのか。しかも鍵がかかっている屋上にどうやって入り込んだんだコイツ。忍者の末裔だったりするのか。


「あ、それは単純に、仲の良い教師から合鍵を貰っただけですよ」

「その教師の名は?」

「的場先生です」

「あのサキュバス教師……次会ったらマンモグラフィー検診に強制送還してやる……」


 白衣に身を包んだ美人巨乳女教師とかいう色んな意味で振り切っているクソ教師に報復を誓いつつも、なんとか平生を装って会話を再開する。


「……それで? なんで貴様はわざわざこんな屋上くんだりまでやってきたんだ?」

「御門さんと一緒にお昼ご飯を食べるためですよ」

「いつも一緒に食べている友人はどうした」

朱莉あかりのことですか? アイツなら今日は部活の用事があるか何かで席を外してますよ」

「いや、名前までは知らないが……って、女子と食べているのか?」

「幼馴染ですし」


 色々と衝撃の事実が明らかになり始めているが、ここでいちいち反応してしまえば本題が進まない。好奇心は空の彼方に投げ捨てて会話を続行。


「私がいつ一緒に弁当を食べたいと頼んだ」

「頼まれてはいないですけど、僕が一緒に食べたかったんで」

「何故他人である貴様に気を使われないといけない」

「気を使っているわけじゃないですよ。だって、友達とご飯食べるのは普通の事でしょう?」

「誰と誰が友達だ」

「僕と御門さんです。友達になってくださいって昨日言ったじゃないですか」


 ニパッと眼鏡の位置を正しながら笑う葛城。もう呆れを通り越して頭痛がしてきた。


「その言葉に返事をした覚えは無いんだが」

「結局あれは、秘密を隠匿するための交換条件ってことになりませんでしたっけ」

「……脅迫には使わないとか言っていたくせに」

「そりゃあ僕だってこんなこと嫌ですけど、そんな言われ方をされるならそう言うしかないじゃないですか」

「……それはそうだが」


 確かに、元々はそういう話だったから、言われてみれば反論できない。今日半日様子を見た限りだと他人には秘密を漏らしてはいないようではあるし、何か企みがあるというわけでもなさそうだ。色々腑に落ちない部分はあるけれど。


「……それに、ですね」

「うん?」


 ポツリと何やら言わんとしている葛城にふと顔を上げる。彼は少し照れくさそうに軽く頬を染めると、後頭部を掻きながらにへらとした表情でこう言うのだった。


「好きな人と一緒にご飯を食べたいって思うのは、当然のことでしょう?」


 ――――やっぱり、コイツは根っからの馬鹿だ。

 大して仲良くもない異性、それもつい先日フラれたばかりの相手にこんな言葉を吐くなんて、少女マンガの読み過ぎだと痛烈に批判せざるを得ない。しかも、そんな心の底から嬉しそうに言われても、私としては反応に困るだけだ。状況は一ミリたりとも解決していないのに、さらに混乱してしまうではないか。

 黙り込んだ私に何を思ったのか、桂木は慌てて弁当を開くと世間話を始める。その話題も私に配慮してか、昨日放送開始した【イノリ・マジック】についてだったり昨今のアニメ事情だったりと、サブカル方面が多かった。変態的な行動力とは裏腹に、変な部分で気の利く男だと無駄に感心してしまう。

 こんな男に付きまとわれるのは心底迷惑だし、変な噂も立てられかねないので正直勘弁してほしいのだが……、


 不思議と、悪い気はしなかった。

《ルビを入力…》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る