第2話 御門陽子は叫びたい。


『私達の祈りは折れない! あの子の分も、祈り続けるんだから!』


 夕陽をバックに決め台詞を言い放つ魔法少女イノリ。そして、第一話らしく終盤で流れる新しいオープニング曲。ポップさの中にややアクション性を取り入れたオープニングと、画面の中で微笑み合うイノリとその仲間達を二つの眼で凝視しながら、私こと御門陽子は彼女達とはまるで正反対の表情を浮かべていた。


「……いいっ! 最高だ……! 第二シーズンも、最高の出来だ……!」


 泣いていた。そう、号泣しているのだ。第二シーズンが始まった感動もさることながら、第一シーズンでイノリ達が積み重ねてきた人生を下地にしてしっかりと物語が描けていることに涙が止まらない。感涙に咽び泣くとはまさにこのことと言わんばかりに、私は大量の涙でパジャマを濡らしながらもチーンと鼻をかんだ。あまりの感動にティッシュを一箱消耗する勢いである。

 ぐしぐしと顔を拭いてある程度の体裁を整え、新オープニングを十回ほどリピート再生したところで、私は満を持してパソコンを立ち上げた。起動状態になった後に開くのは、今や世界規模で利用されているソーシャル・ネットワーク・サービス……【Talker】だ。自分の思うように言葉を垂れ流せるこのSNSの匿名性によって、私は【魔法少女イノリ・マジック】を愛する同志たちと繋がっている。この世界においては、私は優等生の御門陽子ではない。ただ一人の【イノリ・マジック】ファン、【ゴモン】として生きているのだ。

 トークメニューが開かれると同時に、フォロワー達のトークが画面に表示される。今回は不慮の事故により放送時間に間に合わず、録画視聴とかいう失態を犯してしまった私ではあるが、【魔法少女イノリ・マジック】を愛する者たちは視聴からどれだけの時間が経とうとも【イノリ・マジック】の話をしているのだ。少々遅れてしまったが、早速第一話の感想をトークする。


《よかった。本当に最高だった。イノリファンの一人として今まで生きてきて本当に良かった》


 一見すると中身も語彙力もない頭の悪い文章に思えるこのトーク。しかしながら、全世界の人たちと繋がるSNSにおいて最低限以上のネタバレは避けなければならない。たとえこちらが第一話を視聴していたとしても、そのチャンネルを契約していなかったり、ウキウキ動画でのタイムシフト視聴や公式配信視聴を待っている仲間たちも少なからず存在する。そんな彼らの楽しみを少しでも奪うような行為は、ファンとして絶対にやってはいけないのだ。逆の立場で私がネタバレされた場合、おそらく一週間はそのアカウントを怨む。怨みでアカウント凍結さえ狙ってしまう程に。

 目的のトークを終えて一段落つくと、フォロワーのトークを眺めていく。画面は【イノリ・マジック】の話題で持ちきりだ。自分の推しキャラがどうだっただの、オープニングがどうだっただの、その詳細はまちまちだが、彼らの愛が伝わってくるトークの数々に自然と表情が緩む。【イノリ・マジック】の素晴らしさを共有できているというだけで、心がリラックスしていくようだ。あぁ、幸せ……。


「……っと。おぉ、【Gira】先生も【イノリ・マジック】を大絶賛しておられる……」


 画面をスクロールしていくと、顔馴染みのアカウントが目に入った。デフォルメされたイノリをアイコンにしているそのユーザーは、今やフォロワー数一万人を超える新進気鋭の神絵師【Gira】先生。新刊を発表すれば開会数分で完売し、委託販売も入荷待ちという超大手。最近ではソーシャルゲームの仕事まで手掛けているという、私達【イノリ・マジック】ファンの中では神とも評される人なのだ。

 そして何を隠そう、そんな【Gira】先生を活動当初から応援していたのがこの私である。まさかわずか三年でここまで名が知られるとは夢にも思って……いや、私は確信していた。この人ならば、【イノリ・マジック】を背負って立つような存在になってくれると。

 そんな感慨に耽りつつも、【Gira】先生のトークにコメントを記入する。


《三年間待った甲斐がある最高の第一話でしたよね!》

《ゴモンさんこんばんは! はい! 今週もイノリの可愛さと一生懸命さが胸に染みました!》

《新しいライバルも現れて、来週も楽しみです!》


 数回のラリーを経て、ふぅと満足感に浸る。尊敬する絵師さんとこうしてコミュニケーションが取れるというのはどうしてこうも幸せなのだろうか。もうなんていうか、にやにやが止まらない。承認欲求という程ではないが、憧れの人と会話できているという実感が、なんともいえない充実感を味あわせてくれる。

 幸せだ。こんなに幸せなことはない。

 数時間前の事件はどこへやら。完全に自分の世界に没入している今の私はまさに無敵。誰にも邪魔されないこの時間、空間が私のテリトリー。今この瞬間、日頃のストレスから私は完全に解放されている。

 その後も画面に表示される【イノリ・マジック】についてのトークを眺めていると、不意に通知欄がピコンと光った。表示を見ると、差出人はなんと【Gira】先生。


「会話は一段落したはずだが……」


 怪訝に思いながらも、私は通知されたトークをクリックし、全体に表示する。

 その瞬間、世界が停止した。


「な、なんだ、と……!」


 思わず目を見張る。目の前で起こった出来事があまりにも現実離れしていて、頭の整理が追い付かない。先刻葛城にアニオタがばれた時とはまた違った衝撃が、私の頭から爪先までを一瞬で貫いた。信じられない。信じられるわけがない。予想外すぎるインパクトに、自分の意識とは無関係に全身が震え始める。

 表示されたトークに書かれていた文面の冒頭は、こうだ。


《第二シーズン開始を記念して、イラストを描いてみました!》


 それだけならまだ普通。そもそも【Gira】先生が描いたイラストだという時点で普通ではないが、世間一般的に考えれば有り得ない話ではない。好きなアニメのイラストを描くというのは至極当たり前の事だ。【イノリ・マジック】をこよなく愛する【Gira】先生なら尚の事、である。そこに関して違和感はない。

 だが、問題はトークの後半だ。

 前半から、トークはこう続いている。


《今回は第二期記念と並行して、活動初期からずっと応援してくださっているゴモンさんに感謝の気持ちを込めてみました! 応援ありがとうございます! そして、これからもよろしくお願いします!》


 尊敬する人、それも世間的には神絵師とまで評される【Gira】先生から名指しでトークされていることの衝撃。そして何より、私に感謝しているという本来なら真逆もいいところな事態への感動。様々な感情がない交ぜになった今、私は全身にじっとりと汗をかきながらパソコンの前で震えている。何が、いったい何が起きているというのだ。

 これ以上の衝撃を受けたら死んでしまう。私の心臓が耐えられない。頭では分かっているのに、右手は画面を徐々に下へとスクロールしていく。トークの最下部に添付されている件のイラスト。私に対するお礼という名目で貼られているその絵は、私が数年前から憧れ続けてきた集大成。私という存在を形作ったと言っても過言ではない創造主の結晶。

 それが、今。

 私の目の前に、光臨する。


「い、いくぞ……!」


 ゴクリと生唾を呑み込んで意を決する私。おそらくは人生最大の覚悟。兵士が死地に赴くよりもなお困難な決心。それほどまでのプレッシャーに包まれながらも、私はゆっくりと、それでいて確かな手つきで画面を下に動かしていく……。

 ――――そして、


「ぐ、ぐぁあああああああああああああああああああああ‼」


 夜中。それも深夜は三時半。本来なら誰もが寝静まっているであろう時間帯に響き渡る断末魔の叫び声。その主は紛れもない私。両目を押さえ、あまりの感動に部屋中をごろごろと転がりまわる私の絶叫。近所迷惑がどうとか苦情が云々とか、そんな些細な考えは一瞬で吹き飛んでいた。家族が起きてこないのが不思議なくらいだが、それすらもうどうでもよくなっていた。

 あまりに美麗なイノリのイラストに、まともに直視できない。吹き出し状に囲まれた空間には『ゴモンさんいつも応援ありがとうございます!』の文字。まるでイノリ本人がそう言っているかのように錯覚するデザインに、全身の汁がとめどなく吹き出してくる。涙、鼻水、涎……もはや淑女然なんて宇宙の彼方に投げ捨てた、一般的に言われる『キモオタ』と呼ばれる姿となった私がそこには存在していた。

 感謝。圧倒的感謝。

再びティッシュが減っていく。酷い顔をしているだろうと我ながら思うが、体裁なんてどうでもいい。今は、神から与えられたこの素晴らしき財宝を保存して印刷して二次元と三次元の両方に保管するのが先決だ。

 プリンターの電源を入れる。その間に、私は持てる限りの感謝の言葉を文字数限度いっぱいに詰め込んで、ありたっけの想いと共に返信した。今まで応援してきたことは、決して無駄ではなかったのだ……。私の些細な応援は、確かに【Gira】先生の力になっていたのだ……!

 ぐい、とすでにぐしょぐしょに濡れた袖で顔を拭う。神より授かりしこの聖遺物を汚すわけにはいかない。細心の注意を払って、我が家の家宝とさせていただこう。


「我が生涯に、一片の悔いなし……!」


 印刷された宝物にラミネート加工を施しつつ、私は心の底からガッツポーズを決めるのだった。






                ☆






 翌日。


「アンタどうしたのよその顔。泣き腫らしたみたいに真っ赤になってるけど、なに? 泣きゲー耐久プレイでもしてたの?」


 朝食を摂りに居間へと降りた私を見るや否や、そんな言葉を投げてくる我が母親。年齢不相応な若々しい外見とこれでもかと言わんばかりに張った胸がいちいちこちらの神経を逆撫でする忌々しい存在だが、私の趣味に理解を示す寛大な母親でもある。

 しかしながらさすがは私の母親。一目見ただけで娘の異変に気がつくとは。若作りに反してなかなかに大人な内面をお持ちなようだ。若作りに反して。


「朝ご飯がいらないなら初めから言いなさいこの馬鹿娘。ちなみにお弁当も没収よ」

「申し訳ございませんでした麗しき母上殿。私めのような惨めな下等生物がご意見したことをお許しください」

「最初からそういう態度でいればいいのよ。この猫かぶりオタクが」

「朝っぱらから辛辣すぎやしないか⁉」

「いいからさっさと座って食え」

「ぐ……」


 それが実の娘に対する態度か、と声を大にして異論を唱えたいところではあるが、どうせ最終的に武力で制圧されるのが関の山なので文句は胸の中に仕舞っておく。御門家のヒエラルキー頂点は母親なのだ。ちなみに最下位は父である。世知辛い。

 隠すことなくメンチを切ってくる物騒な母親から目を逸らしつつ味噌汁を啜る。泣きすぎて水分不足な身体に染みるぞ……いい……。


「そういえばさ、陽子」

「うん?」


 味噌汁二口目に挑戦しようとする私に唐突に話しかける母。一応反応はするものの、どうせ大した話ではないだろうからずずずと水分を摂取しつつ耳を傾ける。あぁ、この小さく切られた豆腐と刻みネギが絶妙なハーモニーを醸し出して……、


「葛城竣太君って子は、どうなの? アンタ的には良い感じなの?」


 むせた。


「ゲホゴホガホッ! エホッオウハッ!」

「盛りのついたゴリラみたいな声で咽ないでよ気色悪い」

「殴るぞ貴様!」

「やってみなさいよ」

「ごめんなさい」


 唐突に訳の分からない質問を飛ばして来る方にも問題があるんじゃないのか⁉

 とは言うものの、どこからか取り出したフライパンを片手に恐ろしいほどの満面の笑みを向けられれば頭を下げるしかない。暴力女め……。

 というか! 急に何を言い出すんだこの母親は!


「なによそんなに取り乱して。いいじゃない、オタク趣味がバレても引かなかったんでしょう? 良い子じゃないの」

「そ、それはそうだが、別に私は葛城をどうこうとか微塵も考えていないからな! あいつは、ただのクラスメイトだ!」

「アンタが他人をクラスメイトとして認識したのって、何年振り? そんだけ嬉しかったのねぇ」

「だからそんなんじゃないと……」


 確かに私がクラスメイトを一個人として認識したのは相当久しぶりなことではあるが、だからといってそれだけで彼を好意的に見ているかというとそれは圧倒的に間違いだ。むしろ私の秘密を握っている者として危険視しているくらいなのに。警戒こそすれ、受容するなんてとんでもない。

 私の全力否定をどう捉えたのか、どこか微笑ましげな表情でにやにや笑っている忌々しい母。その「全部わかってますよ」感全開な顔に殺意すら湧いてくる。朝っぱらからなんて嫌な話題を振られているんだ私は……。

 はぁ、と大きな溜息が零れる。せっかく昨晩人生最高の体験をしたというのに、台無しではないか。もう少し余韻に浸らせてくれても罰は当たらないだろうに。

 ぶすっと彼女から顔を逸らしつつ残りのご飯を平らげていく。


「まぁ私から言っておくと、あんまり他人を拒絶するもんじゃないわよ?」

「……ふん」


 肩を竦めながらの台詞に相槌のみを返す。こちらの気も知らないで、勝手なことを言わないでほしい。私だって色々と考えて行動しているのだから。横からとやかく言われる筋合いはこれっぽっちもない。


「やれやれ……どうしてこう小難しい女の子に育っちゃったのかしらねぇ」


 十中八九アンタのせいだよ。

 そんな毒は白米と共に呑み込みつつ、私は箸を置くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る