御門陽子は胃が痛い。

ふゆい

第1話 御門陽子は帰りたい。

「貴女の事が好きです。僕と付き合って下さい」


 またか、と思った。

 放課後の教室。目の前で礼儀正しく、しっかりと頭を下げてそんなこっ恥ずかしい台詞を口にし、律儀にも告白をしてきた男子生徒を前にして、私は表情には出さないように心がけながらも、内心深い溜息をつく。

 もうこれで何度目だろうか。一ミリたりとも表情を動かさないロボット面の下で、私はいつにもなくダウナーな感情に襲われていた。同時に、早くこの茶番を終わらせて、すぐにでもこの場を立ち去りたいという衝動にも駆られる。断りの言葉を口にして、傷ついた顔ばかりを見せられるのはこちらとしてもいい気はしない。

 告白を受けるのは、正直言って慣れた。

 自分で言うのも可笑しな話ではあるが、私はどうやら美しい部類に入る外見をしているらしい。背も高く、手足も長い。豊かとは言えないながらも、それなりに育った胸部。引き締まった身体……。そのすべてを平均し、合算し、総合して判断すると、『美少女』の枠に属するらしかった。

 そして、得てして人間というものは美しいものを手に入れたがる。男子生徒はこぞって『高嶺の花』である私を自分の物にしようと奮闘していた。それは生徒だけではとどまらず、果ては教師の中にも私に好意を向ける者さえ現れる始末だった。さすがにそんな教師は理解のある理事長によって学校から追放されたものの、私にアプローチを続ける者が後を絶たないという事実は変わらない。

 どうしてだろう、とは思う。いくら外見が美麗だとは言っても、私は別段愛想がいい方でもなければ、むしろ悪い方だと自負している。そもそも他人とは距離を置くように心がけながら生活しているので、他人から好意的に見られるはずはないのだが。あまり他人と接さない態度が逆にミステリアスな印象を与えているのだとすれば、それはもう私にはどうしようもない。

 そしておそらくは、能力面での優秀さも私の評価に上昇補正を加えているのだろう。学業もそれなりの成績を収めており、運動神経も良い方ではある。愛想はないが、大人達からの人望も厚い。まさに優等生という肩書が似合うのが、私という人物なのだろう。

 目の前の男子生徒も、私のそういった面に惹かれて告白をしてきたに違いない。

 再び心の中だけで溜息をつく。好意を向けられること自体に嫌悪感があるワケではない。好意を向けられることは良いことだという世間一般的な評価思考は持っているし、私自身嬉しい事には嬉しい。十把一からげに告白されるのが迷惑だとかいう、そんな性格が破綻したお嬢様キャラみたいな考えを持っているわけでもない。

 だが、私には他人からの好意を受け取れない理由がある。

 容姿端麗、学業優秀、スポーツ万能と三拍子揃った優等生である私が、この私が。


 重度のアニメオタクだということは、誰にも知られるわけにはいかないッ!



「あ、あの、御門さん?」


 男子生徒の声ではっと我に返る。そうだ、今はこの人から告白をされていたのだった。返事もせずに黙り込んだままだったから、たいそう手持ち無沙汰というか、居心地が悪かったのだろう。少し大きめの眼鏡の位置を正しながらこちらを見てくるその姿は、どこか心もとない雰囲気を纏っている。

 自信なさげな様子をありありと見せてくる男子生徒を前にして、一瞬ではあるが返事をするのに躊躇ってしまう。もちろん返す言葉は「すまない」の一言なのだが、ここまでおどおどされると滅茶苦茶ショックを受けて、終いには窓から飛び降りてしまうのではないかといういらぬ不安さえ抱いてしまう。さすがにそんな突拍子もないことはしないだろうが、そこまでの危うさを感じた。

 しかしながら、このシチュエーションをいつまでも続けていくわけにもいかない。今日は夕方六時から、有料チャンネルで【魔法少女イノリ・マジック】の第二シーズンが放送開始なのだ。もちろん録画は回しているものの、私ともあろうものがリアルタイムでの視聴を逃すわけにはいかない。寝巻に着替えて愛用のクッションを抱えつつ正座待機というのが、私の神聖なスタイルなのだ。

 そんなワクワクドキドキは胸の奥にそっと秘めつつ、一刻も早く帰宅する為に心を鬼にして告白の返事を送る。


「すまない。気持ちは嬉しいのだが、私は君と付き合うことはできない」

「そ、そんな……り、理由だけでも……!」

「急いでいるんだ。申し訳ないが」

「御門さん!」


 何故かどこまでも食い下がってくる青年に苛立ちがウェイクアップ。えぇいしつこいぞお前! 今日は第一シーズンで親友を失い意気消沈したイノリが再スタートを決める大事な第二シーズン第一話なんだ! こんなところでいつまでも無駄足を喰らっているわけにはいかないんだよ!

 これ以上話をしていては泥沼化するだけだと判断した私は、無言で少年に背を向けた。心苦しいが、イノリ・マジックには代えられない。そもそも彼の好意を受け取るつもりなんて毛頭ないのだから、気に病む必要はないのだが。

 鞄を取り、廊下へと歩を進める。今日は生での視聴の後に三回は録画を見直そう、とか考えながら教室を出ようとする私だったが――――



「イノリ・マジックの放送時間には間に合わせますから!」



 叫ばれた台詞の内容に、私は思わず……いや、強制的に足を止めざるを得なかった。


「…………はぇ?」


 無意識の内に素っ頓狂な声が漏れる。今の私はおそらく、間違いなく阿呆な顔をしているだろう。普段の私を知る人からすれば、魂を抜かれたのではないかと勘違いされてもおかしくはない程に。しかしながら、それほどまでに彼の言葉は私にとって衝撃だった。

 待て。待て。待て!

 どうしてお前が、イノリ・マジックを……私がアニメ好きだということを知っている⁉


「お、おま、おま……お前ぇえええ!」

「ど、どうしたんですか御門さん! そんな【イノリ・マジック】の敵キャラである【オニ・ムーシャ】みたいな形相で僕を睨んで!」

「【オニ・ムーシャ】は顔は怖いが心は純粋で最終回近くに改心しただろうが馬鹿者! あぁぁ違う違うそうじゃなくて! どうしてお前は、私が、その……【イノリ・マジック】好きだと知っている⁉」


 何故か全力で墓穴を掘りつつも、胸倉を盛大に掴み上げて問い詰める。この時の私には、普段の体裁を繕うとかそういうところまで考えを回す余裕が存在しなかった。ただ、今までひた隠しにしてきたことがどうしてばれたのか、その真実を追求することにしか頭が回っていなかったのだ。

 私に胸倉を掴まれて頭をガックンガックン揺らされながらも、彼はなんとか意識を保ちながら質問への返答を行う。


「い、いや! 以前市内であった【イノリ・マジック】のオンリーイベントで、たまたま御門さんを見かけたので……」

「オンリーイベント、だと……?」

「は、はい。そういえば御門さん、帽子と伊達眼鏡着けていつもと雰囲気違うなぁとは思いましたけど、あれって変装していたんですね」


 さらりとそんなことを言ってのける彼――――いや、そろそろ名前で呼ぼう。もうその他大勢として処理していい段階はとうの昔に通り過ぎた――――葛城竣太であったが、私としてはそんな何事もなく流していい話題ではない。今後の高校生活を送る上で、最大の障害となり得る存在の出現である。

 葛城が言う通り、私は大好きなイベントに行く際にはそれなりに変装をしてから行くように心がけている、これは私が今までの人生で培ってきた経験と知恵から編み出した防衛策でもあるのだが、そこは割愛しよう。私の変装は母を以てしても「アンタ誰よ」と言わしめるほどの出来栄えで、到底普段の私と同一視はできないはずの完成度だったのだ。だったはずなのだ。

 それが、その完璧な変装が、何故かこの葛城竣太には見抜かれていた。それどころか、普通に正体さえばれていた。こいつ何者だ、と真剣に疑うレベルである。

 じっと彼を観察してみる。

 大人しい感じの雰囲気とやや幼い風貌を除けば、そこら辺にいる『一般的な』男子高校生となんら変わらない。むしろ下手したら目だたない部類に属する可能性が浮上するほどだ。やや大きめの眼鏡が、彼の印象を『優等生』に固定させている。私とは違うベクトルで『世間一般で言う優等生』をそのまま形にしたような外見だ。

 怪しい部分が無さ過ぎて、逆にむしろ一周回って怪しすぎる。


「……何が目的なんだ?」

「はい?」

「わ、私の弱みを握ってまで、お前はいったい何が目的なんだ!」

「いや、弱味を握るとか人聞きの悪い事は言わないでほしいのですが……御門さんを見かけたのも、あくまで偶然なんですし」

「嘘だ!」

「う、嘘じゃないですよ。僕は別に、御門さんをこのネタでどうこうとかはまったく考えてませんから」


 私の怒声にやや怯えながらも、それでも真っ直ぐにこちらを見据えながらそう言い放つ葛城。にわかには信じられないが、彼の言葉に嘘が含まれているようには感じられない。これでもそれなりに他人の顔色を窺って生きてきた人種だから、そういった機微には人一倍敏感なのだ。たいそう遺憾ではあるが、彼の言葉は真実なのだろう。

 だが、たとえ彼の言葉が真実であるとしても、信用できるかどうかは別問題だ。事実、私が全力を賭して隠し通してきた秘密がこうしてばれてしまっているのである。何の保険もかけずにそのまま放っておくのはあまりにもリスクが高い。

 もしかしたら、私の秘密を言わない代わりに恋人になれとか、それ以上の何かを強要されたりしてしまうのだろうか……! そんな、三流同人誌みたいな展開が今から私の身に降りかかってしまうのだろうか……!

 

「あ、あの……大丈夫ですか?」

「せ、せめて……」

「はい?」

「せめて純潔だけは奪わないでくれ……」

「何の話ですか⁉ 奪いませんよ! 目を覚ましてください御門さん!」


 がっくんがっくんと肩を揺さぶられ、ようやく我に返る。はっ、私はいったい何を……。


「……こんなこと言うのもなんですけど、なんか安心しました」

「は、安心?」

「はい」


 頭を抱え色々と葛藤を繰り返していた私だったが、彼の言葉に思わず反応を示してしまう。今の会話のどこに安心する要素があったのか皆目見当もつかないのは私だけだろうか。それとも、私が世間一般的な常識を有していないだけなのだろうか。

 言葉の真意が掴めないままに困惑する私。そんな状況でも葛城はにこにこと笑顔を浮かべつつ眼鏡の奥からこちらを見つめている。なんだなんだなんなのだ。いったい私をどうしたいのだこの男は。


「御門さん」

「……なんだ」

「その……完全にフラれた後で言うのも非常に変な話なのですが」


 照れくさそうに頬を掻きながら苦笑を浮かべる葛城。状況としては私よりも優位な立場に立っているにもかかわらず、彼はどうしてこんなに下手にでてくるのか理解に苦しむ。気が弱い、と言ってしまえばそれまでの話ではあるが。

 わざわざ改まって何かを言おうとする彼に対して、やけに身構えてしまう。妙に思わせぶりな雰囲気を醸しているものだから、頭をフル回転させて事態の処理を最優先させようとしてしまう。なんで私がこんなに疲れないといけないのか。

 しばらく視線を泳がせた葛城は再び私を見据えると――――言った。


「この秘密を他言しない代わりに……御門陽子さん。僕と、お友達になってください」


 …………は?

 一瞬。いや、数秒の間、彼の言葉が頭の中で空回りした。「はい」とか「いいえ」とか、そんな返事を飛ばす云々の前に、思考が完全にフリーズしていた。何故、どういった流れを踏まえればいきなり交友関係を希望されるのか、その原因も結果も何もかもが掴めずにきょとんとした顔で彼の顔を見続けるしかなかった。

 ――――その後の事は、イマイチ覚えていない。

 唯一思い出せることと言えば、混じりっ気のない純粋無垢な満面の笑みを浮かべる、葛城竣太の姿と……イノリ・マジックの放送時間に間に合わなかったこと、だけ。


 御門陽子、十六歳。

 高校二年生の春。大切な秘密と引き換えに、私は一人の友人を得た――――


 らしい。

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