番外編:バルカローレの娘より

 愛するかあさま、お元気ですか。

 わたくしは、とうさまとお船に乗っております。ごうかきゃくせん、というのだそうです。名前はタイタニック。二世紀ほどむかしに海に沈んだお船の名前だそうです。どうして、そんな悲しいお名前をだれかはつけたのでしょうか。お船がかわいそうだと思いました。けれどとうさまは、それはこのお船が、タイタニック号が見られなかった美しい景色を見るためにつくられたからだよ、とおっしゃいました。わたしたちはこれから、世界中で一番最初の、〈青い航海〉のために海をたゆたう、のだそうです。

 ああ、かあさまは、とうさまのお話はもうお嫌いでしょうか。お船から見える景色はとても綺麗です。かあさま、わたくし、海がこんなにも青く、美しいものだなんて存じ上げませんでしたの。わたくし、かあさまと一緒にこの海を見たかったです。けれどもう、かあさまにわたくしは会えないのですね。とうさまがそう言っておられました。かあさま、どうして出て行かれてしまったの。とてもさみしい。さみしいのです。青い海はとても綺麗。けれど、とても悲しくなるのです。ああ、こんな時、かあさまの歌うきらきら星が聴けたらどんなにかなぐさめられたことでしょう! とうさまは、もう二度と地上にはもどらないとおっしゃるのです。もう、もどれないのだそうです。そうしてわたくしも、もう二度と、あのお屋敷に帰れない。じいやはお庭と共にいることを選び、一緒には来てくれませんでした。プリムローズの咲きほこる! かあさま、白い薔薇のアーチは覚えておいで? わたくし、おとなになったら、未来のだんなさまと、あのアーチをくぐってみたかったのに。もう二度と戻れないんですって。そんなことってあるかしら。ああ、かあさま、会いたいのです。もう一度、会いたい。

 きっとかあさまも、別のお船に乗るのだから、ととうさまはおっしゃいました。だからきっと、いつかどこかの海でお会いできると。ほんとうでしょうか? かあさま、その時はどうか、白いレースのハンケチを振ってわたくしに知らせてくださいましね。そうしてどうか、赤いベルベットのドレスの裾を解いて、わたくしに投げてよこしてくださいまし。ええ、わたくし、かあさまの娘ですもの。きっとそちらへ渡ってみせます。かあさま、どうか怒らないで。わたくし、木登りは得意でしてよ。おてんばなの。

 きっと、きっとさらってくださいましね。わたくし、とうさまのことは大好きです。愛しています。けれど、とうさまとはもう十年、一緒におりましたわ。それなら次の十年は、わたくし、かあさまといるべきではないかしら。にいさまは、かあさまのことをわすれろなどとおっしゃるけれど、にいさまはかあさまの子供でないからそんな薄情なことが言えるのです。かあさま、もし、もしもかあさまが、わたしの妹か弟か……抱きしめていらしても、わたくしいっとうその子たちを愛しますわ。だからどうか、さらってくださいましね。

 郵便やさんもいらっしゃらないの。ですからこのお手紙を、一体どうやってかあさまに届ければいいのかわからないわ。けれどね、わたくし、三等船室というところにいる子供たちが、おともだちに届ける手紙を小さな瓶に入れて、海に沈めたのを見たのです。あら、かあさま、怒らないで。船の中で、階級を気にするなんて馬鹿げていると思いますわ。ああ、馬鹿、なんて言葉使うのも怒られるかしら。とうさまは怒りますのよ。にいさまもとうさまもあんなにお使いになりますのに。

 きっと、海の底には、沈んだタイタニックが眠っておりますわね。さみしいかもしれません。わたくしと同じように、みなもに映る星を見て、泣いているかもしれませんわ。

 ですから、ですから、このお手紙が、もしもかあさまに届かなくても、お船のお友達にきっとなってくれるから。それでいいのです。けれどもしも届いたら、きっとお迎えに来てくださいね。わたくし、かあさまの笑顔を見たいのです。

 写真はもう、ここにはないから。

 ああ、そういえば、かあさまが遺してくださったあの手鏡だけは、もってこれましたの。メイドがみんなみんな捨ててしまおうとするんですもの。こっそりドロワースの中に入れておいたのです。はしたないですけれど、どうしてもこれだけは持っておきたかったの。かあさまがいつも磨いていたと、とうさまがおっしゃったから。わたくし、日に日にかあさまに似てくるんですって。けれど、なんのなぐさめにもなりませんわ。だって写真もなくして、見比べようがないんですもの! わたくし、自分のお顔はまだ見る気になれませんわ。かあさまと似ているというのなら、なおさら。いつかかあさまのお船がいらしたとき、鏡をみて、かあさまを見つけるの。そう、誓っているのです。


 お海はきらきら、いつも泣いているみたい。



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ホープランド 星町憩 @orgelblue

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