【037】「こういうのは、嫌いかい?」

 後日談といえるほど、単純に事は結局、収まらなかった。

 考えてみればそれも当然、物事は単純でもそれに伴う手続きは煩雑だ。


 結局、今回の騒動を簡潔にまとめるなら『借金を背負ったドワーフが自力でどうにか頑張って返すから、もう少し待ってくれ』と説得したというだけの話である。

 ファイはその尻を蹴飛ばしたに過ぎないし、イーワンに至っては鍋太郎の足止めをした程度である。

 とはいえ――


「なんだかなー……オレ、結局いいトコ見せらんなかったしなぁ」


 しかもあれだけ大見栄張ったにも関わらず、結果としては惨敗である。

 間に合ったからまだいいものの、切り札である『白銀の七翼』まで引っ張り出してあの始末だ。

 さすがは格上――と手放しに称賛できるほどイーワンは人間が出来ていない。ましてや相手はあの鍋太郎。あんな反則じみた定石破り、初見殺しょけんごろしもいいところだ。それにまんまと引っかかった自分の情けなさと言ったら言葉もない。


「何言ってるんだい、アンタのおかげだろ。何度もそう言ってるじゃないか」


 急ごしらえの執務室で顔も上げないまま、ファイは仕事の手を止めずに言葉を返す。


 今、イーワンたちがいるのはタータマソ鉱山に急造された執務室である。元々は穀物庫などに使われていた控えめに言っても、物置同然の部屋だ。

 とはいえそれなりの広さがあり、火気と遠く、それでいて書類仕事がそれなりにできる部屋、という条件を満たすのはタータマソ鉱山ではここしかなかったのだ。


 なにせドワーフは基本的に『紙』というものを使わない。

 日常のちょっとした程度のことならば、ドワーフはそこらの石板で事足りるからである。インクを探すよりもノミを探した方が早いのだから仕方がない。

 自分たちで紙を作る技術も、ましてや必要性も薄いとなればその関心のなさにもさもありなんといった具合だ。


 結果、取り急ぎまとまった部分だけでも書面に起こすための場所として、この部屋があてがわれたわけだ。ちなみにファイが使っている机は、ファイ自身の私物である。山を出る前にファイが使っていたものがそのまま残っている辺りになんだかんだとタンザの心情が推し量れるが、それは言うだけ野暮というものだろう。


 今は持ち込んだ羊皮紙にファイが契約書を作成している真っ最中だった。

 タンザが激を飛ばしながら難民であったドワーフたちの荷造りが進められたりとタータマソ鉱山は未だ騒乱の真っただ中にあった。イーワンは役にも立たず、さりとてドワーフの故郷を1人でふらふらと出歩くわけにもいかず、こうしてファイと軽口をたたくばかりである。


「クッソー……腹立つけどやっぱ強いな、あの守銭奴」


 ボコボコにされた愚痴を呟きながらも、イーワンはせっせと治癒魔術を繰り返していた。元々、防御力だけならば鍋太郎よりも上。それでも負った傷は決して浅くはないものの、イーワンは幸い高位の神官クレリック――聖杖騎士せいじょうきしである。

 本来は継戦能力を高める為のものだが無論、本来の使い方として回復魔術も扱える。おかげで満身創痍だった身体も調子を取り戻しつつある。


 そんなことをしているうちに、あの激闘からあっという間に3日が経っていた。


「そりゃそうだろ……むしろあの商会長ギルドマスター相手に曲がりなりにも戦えるアンタの方がアタシは驚きだっての」


 筆を止め、ファイはその小さな体を背もたれに預ける。

 邪教盗賊団との戦い、そして鍋太郎との戦いでイーワンの桁外れの強さは誤魔化しきれるものでは到底なかった。


「……やっぱり気になる?」


 はっきり言って、強い弱いの次元ではないのだ。

 盗賊団を1人で壊滅させた、というのは腕利きの傭兵なり戦士であればまだ『そういうこともあるかもしれない』と納得できる。だが、イーワンがやったことは、鍋太郎を一時的にとはいえ食い止めたというのは例えるなら雪崩や洪水の類を止めたに等しい。いや、まだ災害の類なら並外れた魔術師ならば止められるかもしれないということを考えてみれば、イーワンはその範疇にさえ収まらない。


 のらりくらりとかわすのは、もはや限界だった。


「気にならないといえば嘘になるね」


「そう、だよね」


「けど聞かれたくないことを聞き出すほど野暮やぼじゃないさ。アンタには恩がある。本当に返しても、返し切れないほどにね」


 書類仕事でこった肩を回しながら、ファイはわずかに笑みをこぼした。疲れこそ見えるものの、その笑みは柔らかなものだった。


「最初は命を救われた。次は立ち止まったアタシの目を覚まさせてくれた。そのうえ命を賭けて故郷を守ってくれた。本当に感謝しているんだよ?」


 ファイの赤銅の瞳に覗き込まれ、不意に目線がかち合う。付き合いは短くともファイが本気で言っていることくらい分かっていた。

 だからこそ、きらきらと輝くそのまなざしに堪えきれず、イーワンはそっぽを向く。


「……よしてくれ。その、ただオレはファイちゃんを助けたかった。それだけのことなんだよ」


 気が付けば鼓膜の奥でうるさいほどに心臓が鳴っていた。顔がかぁっと熱くなる。

 なんだろう、この感覚は。


「おや、もしかして照れてるのかい?」


 意地悪そうに目を細め、先ほどまでとは違う色を帯びたこれまたいやらしい笑みを浮かべ、ファイはずいっと距離を詰める。

 思わずイーワンは後ろに後ずさるが、急造執務室はそう広くない。背中に壁が当たる。


「ちょ……ちょっとファイちゃん? ほ、ほら、オレさっきも『ちゃん付け』で呼んだよ? いつもの突っ込みはどうしたのさっ」


 話をそらすためにいつしか2人での定型句になっていたやり取りを指摘する。何度改めてられても、直さなかったのはもちろんわざとである。

 ファイとの軽口を楽しみたいイーワンのささやかないたずら心。


「別にアンタになら、そう呼ばれてもいいよ?」


「~っ!」


 ファイの予想外の返し。撤退は失敗した。

 さらに距離を詰めて、ファイの手がイーワンの胸に添えられる。

 ドワーフであるファイの背丈は小さい。イーワンと並べばファイの顔は胸元へとうずまる。

 豊かな赤銅色の髪がイーワンの腹をくすぐる。


「そういや、アンタの二つ名ってなんだったかね? 聞かせておくれよ」


「ぎ、『銀盾ぎんじゅん』だよ」


「違うよ、そっちじゃない方さ。ほら、商会長ギルドマスター相手に啖呵たんか切った方だよ」


 明らかにこちらをからかうつもりなのが、ありありと感じられた。

 にまーっと浮かべる笑みは癪なことに鍋太郎が人をからかう時のそれによく似ている。あの師匠にしてこの弟子ありである。


「つーか、そこまで聞いてるなら覚えているだろっ」


「あの時はバカ親父たちをき伏せるので忙しかったからねぇ。何を言ったかまでは覚えてないんだよ」


 イーワンの追及を素知らぬ顔でファイはかわしてみせる。どう見てもその顔にはハッキリと覚えていると書いてあるのだが、言い返す言葉が見つからない。

 そもそも引きこもりのゲーム廃人であるイーワンが、曲がりなりにも鍋太郎から一本取った商人だ。

 そんなファイに舌戦ぜっせんで勝てるハズがない。

 当然――


「――好き』だよ」


「聞こえないよ?」


 小声で誤魔化すなんてチャチな悪あがきが通用するわけもなかった。


「……お、『女好きのイーワン』だよ」


「ふぅ~ん?」


 意味深に笑みを深めるファイはわざとらしく下からイーワンの瞳を覗き込んだ。俗に言う『上目遣い』というヤツだ。

 ドワーフの女性特有の童顔のせいか、ファイの瞳は大きく丸い。髪と同じ赤銅色しゃくどういろの瞳に蝋燭に合わせて揺れる。その輝きに魅せられてしまったようにイーワンは目を離せない。

 何よりファイはおそらく自分の容姿がどう見えるか、全部計算づくのはずだ。


 あざとい。

 実にあざとい。


「ねぇ、イーワン?」


 ずるいのはあざといのはファイも百も承知であり、かつそこまで分かっていて抵抗できないことだ。あどけなさを装ったそのまなざしは反則だ。


「な、なにかな? ファイちゃん……?」


 聞いたこともないような猫撫で声を出しながらファイがおもむろにイーワンへと身体を預けてくる。

 もとより小さいドワーフの身体だ。重さ自体はどうということはない。ないがそれと密着する身体は別の話である。

 ファイのその豊満な胸は形を変え、密着する。先ほどまでデスクワークをしていたファイの服装は実に簡素なもので、薄い肌着のみ。

 しかも下着の類をつけていないものだから、胸の感触が薄布越しに擦れ合うのがありありと感じ取れてしまう。


「ね、ねぇ! 当たってる、当たってるってば!」


「当ててんだよ、バカだね」


 しかもその位置が大変よろしくない。

 ファイとイーワンの身長差がよろしくない。胸に頭部が収まるということは必然、ファイの胸は下腹部に当たる。


――うわ。ファイちゃん、なんかいい匂いする。


 胸元で揺れるファイの髪からふわりと香りが鼻孔びこうをくすぐる。

 それは下腹部の刺激と相まって、イーワンの思考を麻痺させていく。どうすればいいのか、分からず距離を取ろうにも言い訳を考えようにも思考がまとまらない。


「なぁ、イーワン」


「は、はいっ!」


 思わず敬語で反射的に答えてしまう。

 ファイは少しすねたように唇を尖らせ、小さく囁いた。


「こういうのは、嫌いかい?」


――こういうのって。


――ってなんだ?


 思考と知識と視界と状況が一緒くたになり、断片的かつ偏ってキーワードが脳裏を次々とよぎる。

 それらが繋がり浮かぶ単語――即ち『』である。




「……テメェら、乳繰り合うならせめて鍵ィかけろよ」


 首が跳ね上がるようにして、目線を引き剥がすとそこには悪趣味な総金歯エルフの姿があった。


「ち、ちげーし! お、オレはその、ただ! アレだ、アレだぞっ!?」


「あー、もう黙ってろよ。童貞」


「童貞じゃないからなァ!?」


 正確にはイーワンは処女である。


「おい、クソ弟子。バカなことやってるってことは書類は終ったンだろうな?」


「まったく。少しは空気を読みなよ、師匠。これからがいいところだったのに」


 何事もなかったかのようにファイはイーワンから離れ、机の上に置かれた書類を鍋太郎に渡す。

 鍋太郎は無造作にそれを受け取り、パラパラと要点を確認していく。

 ちなみに放置されたイーワンは腰が抜けて、床にへたり込んでいた。


「街に住むドワーフの名簿、商会こっちで用意した返済に関する同意書、タータマソ鉱山から採れる鉱石類の目録もくろくとひとまずそれらのレート。エトセトラ、エトセトラ~っと」


「それでだいたい終わりだろ? そっちの手筈はどうなんだい?」


「俺様を誰だと思ってんだ。クーメルの職人街にもう建物を押さえてある。大工も突っ込んでお前らの体格に合わせた作りに変えてるところだよ。ひとまずクーメルには80人。あとは20~30人ごとにこの辺の街に散らばらせる予定だ。ま、半年過ぎる頃には一通り揃うな」


 バクバクと高鳴る心臓の音が耳の奥で響いてた。

 鍋太郎に対する罵詈雑言ばりぞうごんが浮かんでは消え、ファイに対する抗議の言葉も浮かんでは消える。

 結果として、イーワンはぱくぱくと陸に上がった魚のように口を開閉するばかりだ。言いたいことが多過ぎて言葉にならない。


「タンザのヤツはどこにいるんだ? とりあえず街に行く連中のまとめ役が必要だろ」


「話はもう通してあるよ。今は難民組の連中と段取りを打ち合わせしている筈だ。話すかい?」


「後でな。腐っても元締めだったんだ。ヘマはそうそうしねェだろ。それよかこっちに残る連中への引継ぎはどうなってる? タンザの野郎が抜けて、生産効率がガタ落ちになったりするようならこの話は破談にすんぞ」


「そっちもだいたい終わってる。ひとまずはアタシの叔父と盾の大鍛冶長おおかじおさが指揮を――」


 そんなイーワンには目もくれず、鍋太郎とファイはさっさと話を進めていく。

 ようやく頭が冷えてきて、よろよろと立ち上がる。


「……ファ」


「『ファ』?」


 首をかしげるファイと鍋太郎にありったけの息を吸い込み――


「ファイちゃんのバカぁ!」


 と思いっきり叫ぶ。羞恥に染まった顔を頭巾で隠すようにして部屋を飛び出す間際、


「イーワン!」


 ファイがいつもの調子で呼びかける。つい、反応して足を止めてしまった時点でイーワンの負けだ。


「……なに」


「ちゃん付けで呼ぶな。バカ」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、ファイはそう返す。憎たらしいほどにその顔はファイらしくて。


「……敵わないなぁ、もう」


――まったく……今回は負けっぱなしだ。


 あざとい色仕掛けよりもドキッとさせられたその一言で真っ赤も染まった顔を出来るだけ見られないよう、振り向かずイーワンは尻尾を巻いて逃げ出した。


 身体が熱い。

 この胸のドキドキが消えるまで結局、イーワンは日が暮れるまで銀棍を振り回していた。


――◆――


「……からかい過ぎたかね」


 脱兎だっとの如く駆け出していくイーワンの背中を見送りながらファイは少し罪悪感を零す。


「よく言うぜ。引っ込みがつかなくなってどうしようかテンパっていたクセに」


「んなっ!?」


  ため息をひとつ吐き、さて仕事に戻ろうかと振り向いたファイを迎えたのは鍋太郎の見透かしたような一言。

 思わずその場で飛び上がり、ファイの頬がべにを差す。羞恥で髪がぶわりと猫のように逆立った。


「な、なな……なんで、分かったんだい!」


 先ほどまでイーワンを翻弄していた色香はどこへやら。

 妖艶な雰囲気は一瞬で霧散し、そこには年相応に狼狽うろたえる少女があった。


「相変わらず鎌かけに弱ェーな、テメェは」


「……くぅっ」とファイはうなることしかできない。


 相も変わらず性格の悪い師匠だった。

 初心うぶなイーワンには気づかれなかったが、ファイとて経験豊富なわけではない。


 タータマソ鉱山ではこの荒い気性とドワーフらしからぬ考え方のせいで、決して評判のいい娘ではなかった。端的に言って『可愛げのない変わり者』というのが故郷でのファイである。

 山から出たら出たで世間でのファイの評価は『風変りなドワーフの行商人』だ。奇異の視線では見られても、色恋沙汰になど発展のしようがない。ましてやファイが山を出て、最も長く接した相手は誰であろう商売のイロハを叩き込んだそこの性悪商人である。


 必然、ファイ・タータマソに恋愛経験はない。ファイは処女だ。


 先ほどまでのイーワンへのアプローチは聞きかじりのそれである。いわゆる耳年増というやつだ。

 まさか、それがあんなにも恥ずかしいだなんて――思ってもみなかった。


 製鉄が可能なほど高温の炉辺ろばたでさえ平気なファイだが、先ほどから頬が熱くて仕方がない。

 イーワンには気づかれなかっただろうか。

 もし気づかれていたとしたら、確実に悶絶して死ぬ。


「貸しひとつだぞ」


 ファイの葛藤を見透かしたように、書類から目線すら上げずに鍋太郎が冷や水のような言葉を浴びせる。その声には呆れの色が濃く出ていた。


 イーワンに語った言葉は嘘ではない。ファイ、ひいてはタータマソ鉱山はイーワンに大恩がある。それこそ返し切れないほどの恩が。

『時は金なり』とは言うが、金で時間は買えないのだ。イーワンが稼いでみせた時間というのはそういうものだ。

 どうやって返せばいいのか、見当もつかない。


「恩ってヤツは借金より高くつくだろ?」


「……勉強になるよ、師匠」


 ファイの疲れた声にクハハと鍋太郎はいつもの悪趣味な笑い声をあげた。

 もちろん、ファイとて恩返しのために身体を差し出したわけではない。そこまで安い女ではない。

 だが。

 それでも。


 目の前で自分の命を救い、一度は折れた心を救ってくれた。

 そしてこうして悲願であった故郷へと帰ってこれた。まさか父とまた正面から言葉を交わすことができる想像もしていなかった。

 そんなことが許されるとは思ってもみなかった。


 伝統を捨てた。誇りを捨てた。山を捨てた。親を捨てた。そんな自分にはもう帰れる場所などありはしないのだと、そう思っていた。


 自分ひとりであれば、決して辿り着けなかった場所。そんな場所に連れてきてくれたあいつを憎からず思うのも、仕方がないのではないかと思う。


「……師匠。アイツ、女好きなんだろう?」


「そのはず……なんだがなぁ。俺様にもありゃサッパリだ」


 まったく、我ながら変な男に惚れてしまったものだった。

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