第7話

 見渡す限りに広がるヒマワリ畑の中に私はいた。夏本番に向けて着々と力を溜め込んでいる太陽がすでに十分に強い日差しを地面へと降り注いでいた。

 こんなところでうたた寝をしてしまっていたらしい。汗びっしょりのシャツが気持ち悪い。

 私の背丈とほとんど同じヒマワリたちと目が合う。まだまだ成長過程の彼らにこんなところで寝ちゃってと笑われている気がする。時折そよぐ程度の風にヒマワリは腹を抱えて笑っているような揺れ方をした。

 太陽はやや傾き始めているようだった。おそらくもう正午をゆうに回っているのだろう。自分が今なぜこのようなところにいるのか思い出せない。どこか頭でも打ったかと触ってみても痛みを発する箇所は見当たらない。

 「あー、ミアちゃんこんなとこにいた」

 のしっと大きな男の人が現れた。私の名前を知っている。でも私は彼のことが思い出せないでいた。なんとなく見たことはある気がするのに記憶が曖昧だった。

 「ごめんなさい。おじさんが誰なのかわからないの。自分がどうしてここにいるのかも覚えてなくて」

 正直にそう言うとそのおじさんは特に驚いた様子も見せずに優しい笑顔で教えてくれた。

 「また発作が出てしまったようだね。ミアちゃん、君は脳を強く打って記憶に障害が出ることがたまにあるんだ。短期記憶がたまにころっと飛んでしまうことがある。飛んだ記憶は思い出したり思い出さなかったりするみたいだね」

 「え?事故か何かにあったの?」

 「飛行機で墜落したんだ。僕はここで記憶に障害を持つ人たちを相手にカウンセリングをしている。君はここにもう一ヶ月くらいいるよ。この一ヶ月の間にも何度か今みたいに突然記憶が飛んでいたことがあった」

 飛行機に乗っていたのは覚えていた。どこに向かっていたのかまではまったく見当がつかないが、どこかに行くか帰るときに乱気流に飲まれたような記憶があった。

 ここには両親の勧めで来たんだ。家に帰ってかなり心配されたんだった。長く家を空けることはしばしばだったけど怪我をして帰ったことはなかった。両親が珍しく私の事で顔を真っ青にしたんだっけ。ゆっくり静養するためにお母さんの知り合いのこのおじさんにお願いしたんだ。

 ゆっくりとバラバラになっていた記憶のピースが埋まっていく。それでも事故より前のことがさっぱり抜け落ちていた。

 カウンセラーのおじさんに聞いてもその記憶について私が語ったことは一度もないという。よほどの強いストレスが脳にかかったとしか思えないとのことだ。つまりおよそ三ヶ月間くらい何か壮絶な体験をしたんじゃないか、そして事故の衝撃と脳の防衛本能によって綺麗にその記憶だけが消去されたというのがおじさんの見解だった。

 何があったかはまるで思い出せる気がしない。けれどもストレスとなるような体験をしたとは思えなかった。何がそう思わせるかはわからないが、みなが思ってることとは真逆のとても素晴らしい体験をしていたような感じが記憶を辿ろうとすると浮かんでくる。

 ヒマワリ畑に触れ合うことで記憶が脳に負担をかけることなくやんわりと自然に処理されるらしい。強いストレスのかかる記憶でも少しずつフラッシュバックしても向き合うようになっていけるものらしい。

 周囲のヒマワリを見ながら私は確信していた。私の失われた記憶は間違いなく良いものだ。なぜ失ったかはわからないが自分にとってマイナスのものではないと強く感じた。

 ヒマワリ畑を抜けてほどなくしてウッド調の大きなコテージに着いた。一ヶ月ここで過ごしたことを聞いてなんとなくそんな気はするものの初めて訪れるような新鮮な気持ちもまた持ち合わせていた。

 確かここには私の他にも四人ほど生活をしていたはずだ。一階は全員が共用で使える大きなキッチンとリビングがある。カウンセリングルームも秘密部屋のようにさりげないところに完備されていた。

 二階は住居者の部屋がある。部屋は全部で7つほどあったかと思うが、使われている部屋は4部屋のみだ。

 この内の三人とは会ったことがある。会ったことがあるというか一緒に過ごす時間が多かった。残念なことに顔は思い出せないが会えば思い出せそうな気はしていた。ただ唯一一人だけまだ一度も顔も見たこともない人がいたはずだ。常に引きこもっていて、カウンセリングも部屋の中でうけているらしくどんな人なのかもカウンセラーのおじさん以外は誰も知らないという。

 広いリビングには既視感のようなものが働いたがそれ以上のことはなにも出てこなかった。外観はもとより内装や家具にいたるまで木を使うことにこだわった100%のウッドハウスだ。

 木でできたテーブルで二人の小学生くらいの女の子がお絵かきを楽しんでいた。この子たちは双子なんだ。片方の子が記憶の障害から自閉症に似た症状を表し、すぐさまもう片方の子も同じ症状を引き起こしたという話をこの子たちの親御さんから聞いたことを思い出した。

 同じような障害を抱える人に対しては恐怖も和らぐようで私には控え目ながら話をしてくることがあった。

 窓際では安楽椅子に揺られながら読書をしている男の子がいた。正確な年齢こそ聞いてないがたぶん私とは同い年くらいだ。彼は元々はカリスマ性を備えたスポーツ選手として大学で大活躍していたそうだ。試合中に強く頭を打ち、その怪我による後遺症が出てしまった。運動神経などになんの問題もなかったのだが、言語を司る領域の損傷が見られ会話が思うようにできなくなり次第に引きこもるようになってしまったという。これは本人の口から聞いたことだったと思う。彼も私にはいくらか心を開いていてくれているようでゆっくりならあまり問題なく会話を続けることができた。

 私は汗だくで気持ち悪かったのでそのまま部屋に戻りシャワーを浴びた。部屋にはトイレとシャワーが完備されていたので他人を気にせずいつでも自由に使えるのがこのコテージの良いところだ。すっきりした後に机に目を向けるとパソコンがつけっぱなしになっていたことに気づき、画面をスクロールさせると小説らしき文章が目に入った。

 それを目にして私は小説を書いていたことを思い出した。私は人類学を専攻している学生で、自分の飛行機で飛び回ることを趣味とし、それ以外はむしろ引きこもりがちでライトノベルなどを愛するややオタクな性格の持ち主である。内向的といっても小説なんて書くような文学センスはないし、今まで書こうとも思ったことはなかった。

 なぜ小説を書いているのか気になったのでカウンセラーのおじさんに聞きに戻ってみると、彼にもその理由は話していないとのことだった。

 「無意識で君の内にあるものを外に出したいという欲求が働いてるんだと思う。失った記憶につながるなにかかもしれないから今はやりたいと思うことはなんでもしたほうがいい」

 プロットを書き込んでいるらしいメモ帳に目を走らせると書きたいことがすっと頭の中で組み立てられていくのがわかる。

 今まさに書いてるこの小説の内容を経験でもしたのだろうかとも考えてみるも、科学的だがファンタジーの要素が強い不思議な国の作品であり、まず現実に起こり得るとは思えなかった。

 残りはあと結末だけだ。何を書くべきか不思議とはっきりしていた。私の中にある想いをそのままに、どこか知らない誰かへ届けとの願いを込めて、私はラストを仕上げようとパソコンに向かった。

 そのときメモ帳に挟んであったしおりが落ちた。

 しおりには写真が印刷されていて、水に光を反射させるかのようにキラキラとした見たことのない町並みをバックに見事な七色のグラデーションを備えた虹が大きく架かっていた。

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