記憶
高校時代の三島は、どちらかと言えば一人で行動するタイプで、あまり大勢で徒党を組むことをしなかった。
そんな三島の気心しれた仲間が、鮫島裕也、中井誠一、そして寡黙な大崎雄一郎だった。特に、大崎とは三島や鮫島と正反対の性格ながらジャズに傾倒するという同じ趣味を通じて仲が良かった。
大崎は、黒人音楽に対しての造詣が深く、歴史的な変遷やアメリカ文化に至るまで学術的な知識を有していたため、その分野に関しては三島も鮫島も一目置いていた。
一方、大崎は勝手気ままな学生生活を送る三島や鮫島に対して自分に無いものを感じ、それが自分に出来ないだけにうらやましく思っていた。
そんな大崎に、三島の妹と知り合うことがあり、大崎はその利発そうな三島の妹、由美にちょっと興味を抱いていた。
学校帰りに大崎が、古本屋に入り以前から読みたかった本を探している時、そこに由美の姿を見つけた。
大崎はちょっとためらいがちながらも思い切って声をかけた。
「やあ、由美ちゃん、何か探し物?」
「あら、大崎さん、こんにちは。ちょっと旅行歳時記みたいなのがないかなと思って」
「旅行歳時記?どこか旅行に行く予定とか」
「いや、別にないんだけど人が旅したものを読んで自分もその気になれたらいいかなって。大崎さんは旅に出たいとか思ったことあります?」
「いやあ、俺はあんまり無いなあ、もっぱら家で音楽でも聴いといた方がいいかな」
他愛もない会話をしつつも、大崎は由美の自由奔放さが三島とよく似ているなと思った。由美のことが好きだけれども、その自由奔放さが生真面目で引っ込み思案な大崎にとっては何となく馴染めなかった。黒人音楽やアメリカ文化に興味はあったが、わざわざ行ってみたいとまでは思わなかった。なぜ俺は、自分の好みと実際の相性とが上手く噛み合わないものかと思っていた。
ある日、大崎と中井が三島の家へ遊びに行ったことがあった。
その時に、三島、由美、中井の三人は他愛もない話で大いに盛り上がっていたが、大崎だけが何となくその場の雰囲気になじめなかった。
「大崎さん、どうしたんですか?何だか塞ぎ込んじゃって」
由美が一人盛り上がってない大崎を見て言った。
「おい、由美、こいつはこういうキャラなんだから、余計なお世話だよ。教授なんだから」
それに三島が茶化すように突っ込んだ。
大崎はそれに対して何を言うでもなく、ただ愛想笑いを浮かべるだけだった。
親友である三島や中井、そして鮫島と違い寡黙なガリ勉タイプで、思慮深く、それでいて野心はない、そういうどちらかと言えば、あまり害のない存在だった。というよりは、そういう存在を演じていた。決して目立たない影のような存在になりきっていた。
大崎の感じる黒人音楽への傾倒は、三島や鮫島が感じていた音楽そのものに対する同調というよりも、黒人音楽の持つ抑圧された黒人人種の歴史そのものに対してだった。それがいつかしら支配する体制に対する反体制的な考えに傾倒していった。
そして、一人になった時の大崎は、その余りある知識と頭脳が、自分を取り巻く全ての事象に対して神がかりとも言えるほどの自信と野望を生み出していた。それが、いつの頃からか彼の頭の中でしだいに膨張していった。
<俺はすべてわかっているんだ。これからどうなるのか、世の中の動きがどうなるのか、俺という存在があるからこそ、この世の中があるんだ>
<俺が消えてなくなれば、この世の中も終わってしまう。全ては俺の手の中にあるんだ>
<俺の存在があるからこの世の中がある。じゃあ、俺がこの世の中を変えていくことだって可能なのか?>
<この世の中には、社会があって、法律があって、その規律に基づいて動いている。しかしそれも人がそれぞれ共存共栄してくためのルールであって、絶対多数の人間によって決められたことだ>
<それに対して、俺というルールを絶対的なものとして当てはめてみたらどうなんだ?>
大崎の思い描く野望は、歯どめの利かない暴走列車のように偽善という仮面を被って一気に駆け出して行った。
大崎隆一郎は、東京にある理学系の国立大学の電子情報工学科へ進学し、そこで半導体や電子回路を扱う電子工学(エレクトロニクス)、コンピュータの原理とその応用に関する技術である計算機工学(コンピュータ・LSI)、そしてインターネットや携帯電話などに代表される情報通信工学(ネットワーク・システム)などを学んだ。
その時に同じ学部にいたのが後に東京電力へ就職した中園泰という男だった。
中園は、大崎の語るこれからの情報化社会に柔軟に対応できる実践と、高度な情報化システムを創造できる新しい時代の技術について、そしてそれによってこの世の中までも変えていくという誇大妄想の話にしだいに引き込まれていった。
中園は、もともと両親が韓国籍で日本での永住権を取って暮らしており、本人は日本国籍だった。その関係で、韓国でのホテル、旅行業、大学研究機関などのネットワークを持っていた。
大崎と中園は、大学を卒業後、韓国を拠点にモンゴル、フィリピンやマレーシアなどネットワークシステムによる組織を作り上げていった。
ただ、中園は東京電力という一流企業へ就職しそこで善良な会社員として勤め、片や大崎は電子工学とは無縁の世界である広告代理店でのプロデューサーという仕事につき日々過ごしていた。
そうしておきながら、もう一つの顔である裏の世界で日本と韓国を舞台に征服を試みる壮大な計画を着々と進めていった。
企画のシナリオを大崎が作り、それを中園が実行していった。いわば、大崎が全体計画を演出するプロデューサーでハッカーである中園が実行部隊を指揮するディレクターといった役割を演じていた。
一連の事件を思い起こせば、大崎は、福岡県警の西田に対してこと細かに事件の進捗を報告し、敢えて不可解なメールを受けてみたり、中央競馬での現金強奪を起こし警察の動きを分散させ福岡県警から警視庁、そしてサイバーポリスまでを東京電力へおびき寄せ、そこで一網打尽に壊滅させようとしたのである。
そうしておいて、サイバーポリスを闇に葬り、邪魔ものがいなくなったその上で本格的な電力会社へのハッキングを行い日本征服をしようとしたのだった。
大崎にとっての野望は、ハッキングによってコンピューターで管理されたシステムを征服し世界を変えるという誇大妄想と、それともうひとつは、三島という存在に対する劣等感の払拭だった。それは、自分が高校の頃味わった三島の力強さと自由奔放さに対しての性格的な劣等感だった。
それをネットワークという力を借りて払拭することによって自分という存在をアピールしたかったのかもしれない。
そうして大崎の野望は、三島へ対する挑戦と共に電力会社へのシステム侵入という形で実行された。しかし、三島の持つ強靭な精神力によって、その野望はものの見事に粉砕され打ち砕けていった。三島と、鮫島、中井という善のフレームが誇大妄想によって日本征服を企む悪を凌駕したのだった。
すべては証拠のないまま、中園泰の逮捕でこの事件は終わりを告げた。
ただ、本当の黒幕が誰であるかは闇の中へ消えていった。
三月も近くになり、暖かさと寒さが繰り返される不安定な時期になろうとしていた。
福岡市の上空には、重くのしかかるような雨雲が遥か玄界灘の彼方まで続いていた。
大停電 太田心平 @zukzuk22
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