桜が散り終わるまでに。

「君はいつもそんな活字ばっかり見ていて何が面白いの?」

 その質問は僕のように文庫本を手にしているすべての人に失礼だと思う。人の趣味を全否定しているかのようだ。

 僕は手にしている文庫本を棚に戻しながら問う。

「それじゃあ君は毎日僕のところへ来て何がしたいの?」

 彼女は少しムッとする。


 あの日以来彼女は毎日にように僕のところへ来る。階も棟も離れているのにわざわざ来る。すっかりこの生活に慣れてしまった僕は、本屋さんで文庫本を買い意味もなく読み漁る生活を送っていた。

 彼女はまだ何をすればいいのかわかっていないのだろう。

「私は君が独りぼっちで寂しそうだから、わざわざ会いに来てあげてるのよ」と言い放つ。そんなこと誰も頼んでないよなんて口が裂けても言えない。「そうだね、ありがとう」と素直に伝えると、あたかも自分がえらいかのような態度をする。腕を組み、こちらを見つめてくるのだ。

 彼女の第一印象は、水のよう透明感があるという感じだった。まさかこんな我が儘で豪胆な子だとは思わない。

 あの日から日課は〈彼女の相手をする〉という項目が増えた。僕も暇つぶしぐらいにはなっていて、毎日飽きることのない日々を過ごせている。トランプをやり、建物内を徘徊し、売店で漫画を読み漁り、見つからないようお菓子買って食べる。一人でできることもあれば二人でないとできないこともある。

互いが暇な時間は常に一緒に居るようになった。無言になる事も多いが、そのときはそれぞれで作業していて、気まづいという感じではない。

ある日、彼女が一つの提案をしてきた。

「海を見に行こう」

最初何を言ったのかわからなかった。僕はもう一度聞き直した。けれど彼女は同じ言葉を繰り返した。

「そんなの無理だよ。きっとすぐ見つかって連れ戻されてしまう。それに予算がない」

僕は置かれている状況を判断して可能性がないことを告げた。

「そんなのどうだってなるよ。可能性の話じゃない。気持ちの問題だよ。私はどうしても行きたい。海を見たい。君も一緒に行こう」

彼女はじっと僕を見つめていた。その時点なら断ることもできたに違いない。けれど僕は彼女の提案に乗ってしまった。

「わかった、僕も一緒に行くよ。それに君1人だと心配だからね」


 その日、おおよその予定を立てた。決行日は五か月後。今の僕たちにはそのくらいの時間が必要だった。彼女は僕が提案に乗ったことにとても喜び、遠足前夜の子供のように興奮している。

 おやつを持っていこう。かき氷を一緒に食べよう。あそこの海は人が多いからこっちにしよう。たくさんありすぎて重要な事柄がわからなくなっていた。 

「かき氷はやめよう。きっとその時期はもうないよ」

 外を見ると桜が満開を終え、葉っぱの緑が目につくようになっていた。僕たちが海を見に行くのは9月頃だ。夏休みは家族ずれや恋人同士で盛り上がっていた海水浴場も放課後の教室のように静かになっているだろう。海に入らない、いや僕達は海を眺めるだけだ。彼女は納得して、僕に「それなら、売店でかき氷を買って食べようね」と言った。「そうだね」と返すと、何味にしようかとさらに悩んでいた。重要なところはそこじゃないと気づいたときには、消灯時間になっていた。「また明日」と言い部屋を出る。

 五か月後の僕はどうなっているだろう。布団の中でふと思う。心機一転してこの生活から抜け出す…ということはなさそうだ。多分今と何や変わらない日々を送っているのだろう。

 

 次の日、彼女は一冊のノートを買ってきた。そこには女子特有の丸い文字で《脱走計画》と書かれていた。

 なんとも言えないそのノートを彼女は「わくわくしてこない?」と自信満々に聞いてきた。

 「その名前だとすぐバレてしまうよ」と指摘する。彼女はハッと気づき、暫く考えて間違えた箇所に線を引き、書き直す。《冒険日記》と。彼女のセンスには頭を抱えるがこれなら言い訳も思いつく。

 。よくファンタジー小説に使われる題材だ。周りの子供たちはこの計画を冒険とは呼ばないだろう。けれども僕たちにとってはそれくらいの価値があった。彼女は言った。

 「私たちにとって心に残る冒険にしよう」まるで小説の主人公のような物言いだ。

 きっと彼女のような主人公がいたら、振り回されて大変な思いをするなと思う。なぜなら実際に振り回されているのだから。


気づけば桜も散り、彼女と一緒に一つ目の季節が過ぎ去っていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青+白=空 空音 @mozzarella

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る