最終話 鬼ノ子村の花火
日没間近の縹色の空に、三発の空砲がこだました。この集落では毎年祖先の霊を供養する慣習として、彼岸の中日の日没になると、集落毎に数百の蝋燭を灯す万灯火の行事が催される。鬼ノ子村駅前の国道は、大勢の人達が列を成して歩いていた。向かう先は国道から左に折れた県道308号方面になる。その少し手前を左に入る村道の入り口に、『花火大会 』の看板が立てられている。そこから羽立橋の手前までの沿道には、賑やかな提灯のあかりが吊られ、花火客を誘うように縁日の屋台が軒を連ねていた。屋台の途切れた下り坂の奥には小さな羽立橋がある。その橋の袂には川原に続く狭い階段があり、入口の鉄格子扉に『立ち入り禁止』の表示がある。その階段は火葬船メンテナンスドッグの裏に続いている。そこに、隔離された花火の絶景ポイントがあることは一部の地元民しか知らない。
桟橋正面から川岸に下りると、供養の線香の香りが漂ってくる。毎年、灯篭流しのために仮設されるお参り用の供養所からだ。地元の住民らは、お経を唱える寺院の仮設供養所に並んで、順に香を手向けてから灯篭流しに向かう。花火大会の会場は、火葬船桟橋前の川沿い200メートル程で、普段は静かな遊歩道の一部だ。有料の予約観覧席は灯籠流しの出発点周辺だが、その外側が先着順の無料観覧スペースとなっている。われ先にと、ブルーシートや段ボールで思い思いの場所を陣取り、既に酒盛りが始まっているところもある。それぞれの家庭で腕を振るった料理の重箱が広げられ、夜桜見物さながらの賑わいが始まろうとしていた。
観覧席の横に設営された仮設舞台の前には、大勢の子供たちが集まっていた。地元有志で結成されたローカルヒーローショーが始まろうとしている。慢性的に廃線が囁かれる秋田内陸線沿線の町興しの一環で誕生した山刀霊神アニアイザーの変身前の6人の勇者たちである。舞台裏は準備でごった返していた。悪役・ドケーン将軍役の弘がヒロイン・アニアイドル役の園子に声を掛けた。
「園子、去年ど雰囲気が違わねが?」
「去年ど同じ衣装だよ」
「太ったえてねが?」
「体重だば減ったえたでば!」
「したども破げそうだべ」
「目の錯覚だべ…それより、姿くらましたカマス女、ほんとに来るべが」
「貞八さんの読みは外れだ事がねえがら」
「西根巡査が店で漏らしてけだ話では、本庁が絡んで来たってな」
「鉄砲町のアジトには本物の県知事夫婦しか居ねがったんだべ」
「テレビ観ながらお茶っこ飲んでだって」
道の駅店長の花田が、ヒタチナイト役の支度を終えてぼんやりとお茶を啜りながら外を眺めていると、予約観覧席に向かって歩く黒川夫妻が見えた。
「黒川さんたちが着いだな」
「んだが」
「あれ?」
「どした?」
花田の言葉で、弘も楽屋の窓から外を覗いた。黒川夫妻の後を少し距離を置いて、地元新聞記者の田中が付けている。
「あのやろう、殺りに来たな」
助役の笠井が楽屋をのぞいた。
「そろそろ出番だども、始めでもええしか?」
「新聞屋が黒川さんを付けで来てる」
「…仕方ねな。したども手間省げだべ」
「…んだな…高堰さんさ連絡しておいでけれ」
「したらこれがら…」
「やるべ。花田ど園子は、舞台に登場したら少し時間っこ稼いでけれ」
「了解! 子どもだぢと話っこして時間稼ぐべ」
「その後の殺陣回りもオレが戻るまで長めにな」
悪役配下のゾクギ団役の中高生たちが、出番が長くなるというのを喜んで大いに盛り上がっている間に、弘は花火会場の暗闇に消えて行った。
テーマソングが地元ロックバンド「TAKEISHI」らの生演奏で始まり、花田と園子が扮装キャラで登場すると、子どもたちの大歓声が巻き起こった。敵キャラのゾクギ団も登場し、山刀霊神アニアイザーたちに襲いかかって、子どもたちにとってはエキサイティングな殺陣回りが始まった。
黒川夫妻が予約席に着くと、後ろから記者の田中が近付いて声を掛けようとした。間髪入れずに、弘は濡れタオルで田中の口を塞いで暗闇に引き摺り込んだ。火葬船メンテナンスドッグの裏側は、花火会場からも国道からも死角になっている。普段から険悪な間柄の弘に拉致されたとあって、田中は大いにびびりながらも必死に牽制した。
「な、何をするんですか! こ、こういうことが許されると思っているんですか!」
「田中さん、鼻が折れてませんか?」
「鼻?」
田中は慌てて自分の鼻を確認した。
「折れてませんよ! 私は取材があるので帰らしてもらいます!」
次の瞬間、田中はキンとした衝撃で目前の感覚を失った。
「田中さん、鼻が折れてますよ」
田中の顔面麻痺はすぐに解けて強烈な激痛が走った。
「な、何てことを! 気でも狂ったんですか!」
「あんたがこれから狂うんだよ。田中さん、歯が折れてませんか?」
「や、やめ・・・・・」
衝撃で田中の言葉が遮られた。
「田中さん、歯も折れてますよ。誰です、こんなことをしたのは?」
火葬船ドッグの壁に凭れ掛ろうとする田中の頭髪を掴み、壁から離した。
「神聖な壁を汚さないでくださいね。あれ? 田中さん、首も折れてませんか?」
顔面の穴という穴から出血しながら、田中の目は恐怖で剥き出していた。そして、鈍い音と共に田中の息は絶えた。暗闇に二つの影が現れた。船長の高堰と火葬船の平川だ。
「熊よりは楽だべ。あどは引き受げだ」
弘は “現場 ”を二人に任せて会場に引っ返した。
ショーは丁度、ゾクギ団配下が全滅したところだった。弘は楽屋に入り、急いでマスクとマントを付けた。ヒタチナイト役の花田が、舞台のソデでスタンバイしている弘を確認して、共演の園子に合図を送った。園子は花田とお決まりの背中合わせのポーズを取って大見栄を切った。
「森吉の霊力よ、安の御滝に宿りて、我が身清め給え、南無アブラウンケンソワカ、オンケンピラヤソワカ!」
子どもたちも二人のヒーローの台詞をすっかり覚えていて一緒に大見栄を切った。そこに弘が扮するドケーン将軍が登場すると子どもたちは静かになった。
「お遊びは終わりだ。このドケーン将軍がおまえらの息の根を止めてくれるわ!」
「許さん!」
ヒタチナイトとドケーン将軍の一騎打ちが展開され、ついにドケーン将軍はヒタチナイトのナガサビームに倒れた。子どもたちは、これまたお決まりのヒタチナイトの台詞に合わせて叫んだ。
「退治!」
ロックバンド「TAKEISHI」のエンディングテーマ曲が始まると、タイミングよく集落に点在する各寺院から一斉に花火開始の合図の鐘が響いた。それを機に殺陣回りが幕となって、花火会場にアナウンスが流れた。
「間もなくメモリアル花火が始まります」
子どもたちは名残惜しげながら、毎年の慣れた足取りでそれぞれの家族が陣取る観覧席に走って行った。弘たちがステージ裏の俄か楽屋に戻ると、連絡役の笠原と成田が待っていた。
「弘さん、急いでけれ。女統領が到着して小沢の坑道でカマスのホエド踊りが始まった」
「カマス女が来たか! こっちでは本物の県知事夫妻がビップ付きの御忍びで花火をお楽しみだ」
「ひば…」
「んだな。カマスの国との外交上の“配慮 ”とがって理由で、闇がら闇どいう事になったんでねが」
「貞八さんの言うとおりになったな」
「したら、急ぐべ!」
花火大会が始まろうとしている住民の歓喜を背に、青年団は軽トラで小沢鉱山跡に向かった。笠原と成田は自転車でその後を追った。一同が現場に向かうと小沢鉱山跡手前で『通行止め』の櫓が組まれていた。車を路肩に停め、そこから徒歩で向かうと、既に村の長老・貞八と、俊晴の父・富雄、そして地元消防団らが小沢鉱山跡を遠巻きに包囲する陣形で待機していた。合流した一同は、予ての計画どおり、貞八の合図を待っていた。
花火開始の空砲が鬼ノ子川の夜空に轟いた。
「お待たせいたしました。只今から鬼ノ子川メモリアル花火大会を開催致します。最初のメモリアル花火は “亡き兄に捧ぐ ”と題してあります。8月16日、この日にご兄弟から亡きお兄さま・藤島常雄さんに送る思い出の花火です。ご兄弟、登喜男さん、登美雄さん、登志雄さんからの献花です。では、ご覧頂きます。どうぞ!」
音楽が続く中、花火が打ち上げられる。
「亡きお兄さま、藤島常雄さんに送る花火をご覧頂きました。では、次の花火です。ふるさと、鬼ノ子村の花火を去年まで一緒に見て来た弟、澤口保雄さんが昨年、10月に死去致しました。今年は天国から見てほしい。そして奥様とお子様をいつまでも見守っていてほしいとの願いを込めて慰霊の献花を捧げます。宮城県都城市、澤口義明さんからのメモリアル花火です。ご覧頂きます。どうぞ!」
ヒューッと空に上る光、何発もの花火が夜空を照らした。
打ち上げが続く花火大会の上流には、火葬船が碇を降ろして静かに停留していた。戻って来ていた平川は、無表情にデッキに腰を下ろし、花火を眺めた。夜想曲が流れ出した。隣には熊蔵と俊晴、そして金治がいた。
「容疑も晴れで良がったな、俊晴」
「はい」
俊晴は東京の会社を解雇されていた。心無い県警からの問い合わせで、就職後に積み重ねた全ての信用を失ってしまった。しかし、良三が民宿の手伝いにと誘ってくれたことで、落ち込む気持ちもどうにか救われていた。金治がぼそりと呟いた。
「失うものがねば、強ぐなる。守るものがあれば、もっと強ぐなる」
「…はい」
「今年は物凄い花火が見れる」
そんな金治の言葉を聞きながら、熊蔵はふと見上げた。真っ暗な空に向かって、煙突からゆっくりと煙が立ち昇り始めている。白い煙が次第に黒ずんでいくのを見ながら、熊蔵はつい数日前のシズの墓前でのことを思い出していた。
熊蔵は、生前にシズが使っていたご飯茶碗を墓前に置いた。
「シズ…章子…全部片付いだよ。映二も青森の弟さ頼んだ。映二にとってこの村は辛い想い出ばりだし、こごで肩身狭ぐして暮らすより何ぼがええど思ってな。電車さ乗って泣きながら行ったよ」
そう言って、熊蔵はご飯茶碗に四合瓶の酒を注いだ。
「祝いの酒っこ、飲まひでもらうべな」
熊蔵がなみなみと注がれた茶碗を手に取って飲もうとしたその時、その茶碗を脇から鷲掴みに奪って一気に飲み干した。
「映二! なしてこごに!」
「おじいちゃんは善い人…おじいちゃんが死んだら駄目だよ」
「はんかくしぇごどして! 吐げ! 早ぐ吐げ!」
「オレは悪い人の血が混じってる…オレは悪い人…」
「映二、吐げ! 吐げ! 吐げーっ!」
映二は口から泡を吹きながら、酒が入った四合瓶を地面に叩き付けて割った。そして映二は墓にしがみ付いた。
「お母さん…お母さん! おじいちゃん、守ったから…」
映二は痙攣で引き攣った。熊蔵は映二を抱きかかえた。
「このばがわらしが! 映二! 死ぬな! 死ぬな! 死ぬなーッ! 映二―ッ!」
「おじいちゃん…ありがと…」
そう動いたかに見えた映二の唇はそのまま止まった。
煙突を見上げる熊蔵の目からひとすじの涙が流れた。
花火大会は佳境に入っていた。夜空に様々な花火が咲いている。河原の観客席の一角に黒川夫妻がいた。隣に松橋千恵子とその両親の良三・圭子夫妻も同席していた。
「亡きお母さん、木村静子さんに送る花火をご欄頂きました。では、次の花火です。昨年、東京から恋人を訪ねてこの町にやって来た学生さんが、不幸な事故で他界されました。21歳の若さでした。たった一人の息子さんを亡くされたご両親の悲しみはいかばかりかと思います。そしてご両親は息子さんのご供養のために、長く住み慣れた東京を離れ、この土地で余生を送る事に決めました。ご両親の深く広い愛情は計り知れず、熱い思いが込み上げてまいります。ご両親の未だ癒されない悲しみのメモリアル花火です。ご欄頂きます。どうぞ!」
空高く上がる花火。一間あって三つの大きな花を咲かせた花火が、夜空を見上げる黒川夫妻の沈んだ顔を照らした。
「智弘…」
さらに上がる花火。大輪の花が千恵子の涙を照らした。輝きが散った空は黒川夫妻に悲しみとなって襲い掛かってくる。智弘への供養の花火を見た黒川夫妻は、一刻も早くこの場を去って号泣したかった。黒川夫妻は重く立ち上がった。そんな夫妻を千恵子は引き止めた。
「待って、智弘さんのお父さん、お母さん! 鬼ノ子村の青年団の人たちの贈り物があるんです」
そう言って千恵子は空を指した。一発の花火に続いて2箇所から絶え間なく打ち上げられる花火。会場を明るく照らす程の花火が何発も炸裂し、夜空一面に供養の花が咲き乱れた。
「鬼ノ子村の皆さんが智弘さんのために…」
「皆さんが…」
「はい…智弘さんを助けてやれなくて申し訳なかったと…」
「そんな事はありません。みなさん…ありがとう…」
さらに花火が上がった。
「最後は俊晴のお父さんからの…」
「俊晴さんの…そんなにまでして頂いて、智弘は幸せです」
一発の大きな黄色の菊輪が空一面に花開いた。会場から大きな拍手と歓声が上がった。俊介は思わず花火の夜空に向かって叫んだ。
「智弘―ッ!」
千恵子は両手で顔を押さえた。震える手で、首に掛けているロケットペンダントを取り出し、智弘の写真を夜空に翳した。花火の灯りが笑顔の智弘を照らした。その隣に居た圭子は声を殺して泣いていた。シカリの良三は必死に涙を堪えて震えていた。
「泣ぐな、みっともね! 旅立ちを祝ってやねばなねべ!」
「オドさんだって泣いでるべ!」
「泣いでね!」
千恵子は改めて黒川夫妻に向き直って正座した。
「智弘さんのお父さん、お母さん…智弘さんに会わせて下さってありがとうございます」
その千恵子の言葉に、はる子は堰を切ったように泣き崩れた。智弘は幸せな時があった…智弘を愛してくれた人がいた…そう思うとはる子の心は救われた。この土地の優しさに触れ、智弘の死をやっと受け入れることが出来た瞬間だった。良三が立ち上がった。
「今年の最後の花火…鬼ノ子村の人達全員がら黒川さんに…あそごを見でください」
良三の指した先は火葬船だった。船舶灯が灯り、弔笛が響いた。
「それでは最後に、火葬船から鬼ノ子村有志一同様の花火で本年の幕を閉じさせて頂きます。どうぞ!」
火葬船から夜空に飛び立つ悲しい発射音。それが宙に炸裂すると、巨大な大輪の白菊が花開いた。あまりの美しさに鬼ノ子村の住人が静かになった。一拍遅れて胸に “ドンッ! ”と響いた。その強い振動で大歓声が上がった。心地よく弾けた白菊が、鬼ノ子村の住人ひとりひとりの心を洗っていった。
ここは火葬船桟橋のある村
善い人だけが暮らす村
悪い人が消える村
火葬船の大輪は貞八の目にも咲いていた。貞八は呟いた。
「人が群れればクズが出る。子孫を守るためには、
そう言って貞八は一同に合図を送った。
小沢鉱山跡の深部から、大熊が唸るような地響きが拡がり、闇の中で人知れず山が陥没していった。
( 完 )
火葬船桟橋駅 伊東へいざん @Heizan
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