サイドストーリー2 雪の下

 ちらちらと舞っていた雪は、夜半から本格的に降り積もり始めた。明日は、朝早くから雪かきしないとならんだろう。

 雪は、風がない限り降る音が響かない。今日のように間断なく降っていても、雨と違って激しさが実感出来ない。だが、積もった雪の重みで家がしなり、小さな悲鳴を上げているのは分かる。


 俺は、その音が気になるくらい目が冴えていた。夜具を引き寄せて寝る体勢に入っていたが、日付が変わってもずっと眠れなかった。


「ねえ……」

「なんだ?」


 俺と同じように眠れなかったんだろう。隣の布団で寝ていた敦子あつこが、ゆっくりと顔を俺に向けた。


「あたし、どこを失敗したんだろう?」

「伊織のことか?」

「うん」


 昨夜。東京の大学に行ったきり、三年間一度も帰省せず、電話もろくに寄越さなかった娘から、突然電話がかかって来た。彼氏が出来た。もう一緒に暮らしている。東京で職を探し、彼と一緒に生きる。結婚するつもりだ、と。それだけでもとんでもないショックだったが、東京での暮らしぶりを伊織から直接聞かされて、そっちの方がずっとショックがでかかった。


『家にいる時からずっと寂しかった。上京してから、一人で立っていられなくなった。だから、いろんな男に寄り掛かった』


 当然、『寄り掛かった』の中には肉体関係も含まれているんだろう。狭い田舎社会では、伊織の東京暮らしが無軌道だったことはすぐに広がる。俺たちは赤っ恥をかかされることになる。


 ばかやろう! おまえなんか、二度と帰ってこんでいい! うちの敷居は死んでもまたがせるものか! 俺は、昨日そう吠えた。もちろん敦子も激怒していた。そして俺たち以上にじいさんばあさんが血管の切れそうな勢いで怒り、そのとばっちりが俺らに降って来た。


「おまえたちが甘やかすから、こんなことになるんだっ!」


 もし、じいさんばあさんのその責め言葉がなければ。俺は、絶対に伊織の行状を認めるつもりはなかった。本気で縁を切るつもりだった。勝手にすりゃあいい。もう親でも子でもないってな。だが。あの一言は、俺に深々と突き刺さった。


 おい、じいさん。ばあさん。甘やかすだと? 俺をこういう風に育てたのはあんたらだぜ? 今更それを俺に言うのはおかしくないか?


 そして。そいつは、俺の頭の中で煮えたぎっていた血を強制的に冷やした。俺より激しく責められた敦子も、きっとそうだったんだろう。俺たちは、その夜眠れなくなった。そして今。外ではしんしんと間断なく雪が降り続いている。


◇ ◇ ◇


「失敗、か」


 俺は暗闇の中に、問いかけるようにしてそう呟いた。


 伊織が家にいる間。一人娘のあいつに傷を付けたくなくて、俺らは伊織を徹底的に囲い込んだ。それは、じいさんばあさんにそうしろと命令されたからじゃない。娘を大事にしたい親なら、誰でもきっとそうするんだろうと。疑いなく思っていたからだ。


 伊織は小さい頃から聞き分けのいい、大人しい娘だった。自己主張に乏しく、うんそれでいいが口癖。自分の意見を強く押し通すのが苦手だったから、付き合う友人の色に染まりやすい。親としては、崩れた子と絶対に絡んで欲しくなかったんだ。厳しい門限や遊びごとの制限。家事への強制参加。とにかく、伊織を家にきちんと繋いでおかないと不安だった。だから、家から通えない大学なんかに行かせるつもりはさらさらなかった。

 四年間、だらだら遊ばせるために無駄金ばらまくつもりはない。それよりさっさと家業を手伝え! 伊織にはそう言い渡してあったし、あいつもそれで納得してると思い込んでいたんだ。目標を決めて勉強している素振りなんざ、これっぽっちも見られなかったしな。だが高三になった伊織は、いきなり東京の大学に行くと宣言した。そして俺らが冗談だと思って一笑に付すと、あいつはぶち切れた。


「これ以上わたしを縛るなら死んでやるっ!」


 あの時、俺らはものすごく動転したんだ。そうさ。真っ白に見える雪の下に、そんな真っ黒でごつごつした感情が横たわっているなんて……思いもしなかったんだよ。結局俺たちはずっと動揺したままだった。成り行き任せで、伊織を東京に行かすことになっちまった。


 雪の下に本当は何があるのかを確かめないままに。


◇ ◇ ◇


 伊織は、ずっと寂しかったと言った。遡れば、思い当たることは多々あった。じいさんばあさんは孫娘の伊織をべたべたに可愛がったが、同時にその古くさい価値観を押し付けようとしたんだ。


『女は出しゃばるな。家を守れ。学は要らん。貞淑であれ』


 それがじいさんばあさんの口から直接出たのであれば、伊織の反発はそっちに向かったんだろう。でも、孫に嫌われたくないじいさんばあさんはずるかった。


「あんたらが親なんだから、親の口から言うのは当然だろ?」


 そりゃそうさ。確かにね。子育ての当事者はじいさんばあさんじゃなく、俺たちだ。その俺たちの価値観が、じいさんばあさんのと大きくずれてりゃ良かったんだが。ふらふらしてる娘が心配な俺たちのサポートのやり方が、じいさんばあさんの価値観とがっつり重なっちまったんだ。

 そらあ親が揃ってがみがみ屋じゃ、伊織は甘えられないし、息苦しかっただろう。後から思えば確かにやり過ぎだったかもなと思う。だが、俺たちの本当の失敗はその後だろう。上京した伊織にカネだけ送って、後は放り出しちまった。本当に突き放すならカネは出すべきじゃなかったし、カネを出す以上は親として口を挟まないとならなかった。

 俺たちは突如難しくなった伊織にびびって、中途半端に引いちまったんだよ。俺たちと没交渉になっている間に、支えを失って不安定になった伊織はどんどん崩れていったんだろう。俺たちには絶対にそうなって欲しくない形で。崩れる原因を俺らが作ってしまった以上、もう伊織を常識論で責めることは出来ない。それはあいつを壊すだけだ。


「失敗かどうか、まだ分からんさ」

「えっ?」


 完全に意気消沈していた敦子が、驚いたような声を挙げた。


「俺たちは、伊織より派手な転落組をいっぱい見てる。あいつはそれよりずっとマシだよ。出来ちゃったってわけでもないんだし」

「う」

「なにより、あのふらふらしてる伊織がちゃんと親に筋を通しに来たんだ。勢いじゃなく、覚悟の上ってことだろ」

「そうね」

「そうさせたのが彼氏なら、そいつはしっかりしたやつなんだろさ」

「いいの?」

「いいも悪いもない。そいつが初めての彼氏っていうならともかく、オトコ渡り歩いて失敗した経験からそいつに決めたっていうなら、そんな経験のない俺らにはがちゃがちゃ言えん」

「!!」


 俺がそこまで開き直るとは思っていなかったんだろう。敦子が、くぐもった声でうなった。


「う……あ……」

「まあ。こんなことになって欲しくはなかったけど、もう時間は戻せないよ」

「そうよね」

「それより」

「うん」

「あいつの話をしっかり聞かんとな」


 ほっとしたように、敦子がうっすら笑った。


「おじいちゃんたち。どうするの?」

「伊織に嫌われたくなきゃ、余計な口を出すなって言っとくさ」

「それで、大丈夫?」

「じいさんばあさんも、早くひ孫の顔を見たいだろ」

「あははっ」


 俺はむくっと起き上がって、一つでかい溜息をついた。


「ふううっ」


 敦子も布団から出る。


「なあ、敦子」

「うん?」

「伊織は、たぶんうまく行くだろう。彼氏にはもう稼ぎがある。真面目だってことは、性格的にもしっかりしたやつなんだろう。あいつは、自分の生き方を作るって言ってたんだろ?」

「そう。あの子がそんな言い方するなんて、びっくりしたんだけど」

「ふらふらしてて危なっかしいってことを、彼氏にがっちりどやされた。その警告をあいつが真正面で受け止めて、ちゃんと活かしてるってことだ」

「うん」

「それなら失敗じゃないさ。成功だ」

「ふふ。そうかあ」

「ただな」

「うん」

「それは運が良かっただけだ。たまたまだよ。聡史さとし孝人たかとに同じ轍を踏ませるわけにはいかん」

「え?」


 敦子がきょとんとした顔をした。そうか。気ぃ付いてなかったか。


「あいつらは、どうせここの跡を継ぐんだからそれまでは自由にさせてくれって思ってるんだろ。あいつらも、伊織と同じでふらふらしてんのさ」


 顔を強張らせた敦子が、食い入るように俺を凝視した。そうさ。俺らは、これから失敗するかもしれんのだ。家業が絡む。失敗は絶対に許されん。


「じいさんたちは、俺に偉そうなことを言っておきながら、あいつらを甘やかしてるんだよ。男は、若いうちはしっかり遊んどかんとって言ってな」

「……うん」

「そんなゆるゆるのままじゃ、ろくな跡継ぎにならん」

「そうね」

「俺は」

「うん」

「あいつらをここから追い出すつもりでいる。居座ることは許さん。じいさんたちには、それにごちゃごちゃ言わせん」


 敦子が、きっと唇を噛み締めて大きく頷いた。そうさ。俺らにも覚悟が要る。


「伊織は自力で飛び出したが、息子どもにもそういうガッツがないと使い物にならん。ただ身代を食い潰されるだけだ」

「それ、いつ言うの?」

「伊織が帰ってきてからだ。説教は、伊織にはしない。息子どもに雷を落とす」


 俺は立ち上がって窓に近寄り、カーテンを開いた。じゃっ!

 猛烈な勢いで降り続いている雪が、辺り一面をほの白く覆い隠している。


「俺らも伊織も、雪の下のものをよう見せんかった。それが遠回りのもとになった」

「うん」

「それなら、息子どもには早めに俺らのを見せておかんと」

「そうね。そうしないと、あの子たちの本音も見られないってことね」

「ああ」

「分かったわ」

「ああ、そうだ」

「なに?」

「伊織に、旅費は出すから彼氏を連れてこいと言っとけ」

「まあた騒動のタネを」

「いや、親としては当然だろ。そいつの雪の下も」


 曇った窓ガラスを拳でぐいっと擦って。俺は、降りしきる雪の奥底を見遣った。


「……早く見せてもらわんとならんからな」



【 了 】 (ETW 0676)

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