サイドストーリー1 枯れる
トシは取りたくねえよなあ。でも、容赦なく月日は過ぎちまう。わけえもんには絶対負けねえよって言い続けてたが、俺にもとうとう年貢の納め時が来た。腕の衰えが、自分でも分かるようになっちまって。俺はけじめを付けることにした。
俺はまだ枯れてねえ。でも、もうすぐ枯れる。自分の引き際は、自分で決めねえとな。俺は……辞めることにした。
◇ ◇ ◇
年末。急に退職を決めたこともあって、俺はずうっとばたばたしていた。
ガキの頃から工場が家だった俺にとって、そいつを取り上げられちまうのは身を切られるように辛え。辛くて辛くてとっても生きてけねえと思ったが、社長がうまいこと居場所を作ってくれた。
まあ、技術顧問ってえのは名ばかりさ。給料だけがっつり下げられて、仕事だきゃあたっぷりっていう見方も出来る。それでも、俺には工場に居れる方がずっとありがたい。銭金の問題じゃねえんだ。切削油の匂いと旋盤のモーター音。それが俺の産湯と子守唄だった。くたばるまでその中に居られるってのは、職人冥利に尽きる。俺ぁ、幸せだよ。
◇ ◇ ◇
仕事が上がって、コンビニの弁当ぶら下げてアパートに帰ってきたら、俺の部屋の前に女が一人立っていた。五十絡みのオバさんだ。保険の勧誘か?
「俺になんか用かい?」
声を掛けたら、会釈もせずにずけずけっと言った。
「中瀬さん、ですよね?」
「そうだが?」
「私は吉村と申します」
知らんなあ。
「あんた誰だい? 保険の勧誘なら間に合ってるぜ」
きつい表情で俺の顔を睨みつけていた女は、ぐいっと顔を突き出した。
「あなた、息子さんの彼女もご存知ないの?」
「!!」
そらあ……知らんかった。どっちの方だ?
「ああ、悪いね。俺ぁ息子どもに縁切られちまってる。あいつらが誰とどうしてようが、俺ぁ分かりようがねえんだよ」
女は呆れ顔で油塗れの俺の姿をじろじろ見回していたが、きっぱり言い切った。
「申し訳ないんですけど、うちの娘に得体の知れない男を近付けたくないんです。奥様やお子さんを放り出すようなひどい親から、まともな考えの方が育つとは思えないので」
「ああ、そう思うならそいつは息子に直接言ってくれ。あいつらは俺の面なんざ見たくもねえだろう。俺が何か出来るわけでもねえし、俺がちょっかい出す義理もねえ」
「縁を切られるって、一体何をなさったんですか?」
「まじめに仕事してただけさ」
「何の?」
「俺の格好を見りゃあ分かるだろ?」
女が、俺をもう一度じろじろと見回した。
「俺は、ずっと金属加工の工場で働いてる。精密加工の職人だよ。中学出て今の工場に入って、現場一筋だ」
「へえー」
「俺にとっちゃあ、工場が家なんだよ」
ぐだぐだ説明するようなもんでもねえ。俺はそれだけ言い残して、部屋の鍵を開けて中に入った。
「じゃあな」
◇ ◇ ◇
それっきりかと思ったが、女は翌日も俺の部屋の前に立っていた。いったい、なんだってんだよ。
「昨日は失礼しました」
「あん?」
「あの後、悟さんからご家庭の事情を詳しく伺いまして」
悟の方か。あいつぁ、お袋べったりだったからな。俺への恨み骨髄だろう。
「最初からそうしてくれ。俺には関係ねえだろ?」
「それで……いいんですか?」
ふう。溜息しか出ねえな。
「いいも悪いもねえよ。俺はまじめに働いて、稼ぎを女房に渡した。だが、あとは仕事仕事で女房にも息子どもにも何もしてやれんかった。そらあ自慢にならんが、やり直すことも出来ねえ」
「そうですね」
「息子らが親に頼らねえで一人でやるってえなら、俺の役目はもうおしめえだよ」
「……」
「学もねえ。稼ぎも悪い。ただまじめなだけの小汚ねえ頑固親父が、今さら息子どもに偉そうなことなんざ言えねえさ」
「後悔はなさらないんですか?」
「後悔か」
俺は工員服のポケットに手を突っ込んで、鍵を引っ張り出す。
「いっぱいしてるさ。けどな、なんぼ後悔したって、俺にも他のやつにもクソの役にも立たん」
仕事ならともかく、身内の恨み節は、どこまでいってもただの恨み節さ。そんななあ口から出したくねえ。聞きたくもねえ。かけらもな。
「俺は、自分の仕事にプライドぉ持って、ここまで生きてきた。その間に何があろうが、それが俺の生き様なんだよ」
「そうですか……」
「聞く耳持ってるやつには言うよ。俺のようにはなるなとな。だが、恨みで凝り固まっちまった息子どもに何をどう言ったところで足しにはならん。それなら」
鍵を突っ込んで力一杯回す。
がちゃっ!
「もうすぐ枯れちまう俺を見て、ああは絶対なりたくねえと思ってくれた方がいいだろ」
ばたん!
【 了 】 (ETW 0662)
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