第4話 ハウゼンの血

 川名修司は、何かしらのアイテムにカエルのグッズをつけている。その理由は誰も追及していないが、彼に言わせればカエルは、ラッキーグッズなのだ。カエルのストラップが揺れる電話の相手は、彼の実の兄だった。


「見つけた上で、繋いだんだな?」

『……その通りだ』

「――そこまでは、昔の約束どおりじゃんか。お家ハウゼン家も喜ぶぜ。さすがだよ。というか、俺も鼻が高いぜ。テレビで兄を見ない日がない」

 おどけたように言う弟に、兄――エルナルド=フォン=ハウゼンは、見る人もいない苦笑を浮かべた。ああ、弟はなかなかどうして、ふてぶてしく育ったようだ。

『だが、結果が良くないんだ。SYNUSTはやってくれているのか?』

「当然だろ。最高だよ。……いまんとこは。負けてないし。でも、ちょっとこの騒ぎはまずいだろ。これ、異常事態だよな?」

『本当に。由々しき事態だ』

「……ってのを、エルだったらこういう電話がかかってくるってわかった上で、手を考えてるんだろ? 俺にできることなら、協力するから」

 ふふ、と笑うと、エルナルドは少しだけ、心が軽くなるのを感じた。10年間、直接会って話すことはなかったが――心の奥底には、いつも弟がいた。そして、それはおそらく間違いではなかった。

 別れの日、彼は弟に、ちょっとリアルなカエルのぬいぐるみを持たせたのだ。弟が好きだからと。自分はその影響で、緑色が好きになったのだが――。

「この事態を収拾できるのってさ、正直、向こうとコンタクトできるエルと、事情が分かってる俺と――事情を見越した上で力を貸してくれる人だけだと思うんだよ」

 言う弟に、10年の歳月の大きさを感じる兄。自分は同じくらいの成長を、修司に見せることができているのだろうか、とふと思う。

ハウゼンの血おれたちくらいしかどうにもできないだろ? これは」

『――ああ。こうなるとは――すまん。が裏切ったとしか思えない。……今から、事情を説明する。力を貸してくれ、修司』


◇◆◇


 エルナルド=フォン=ハウゼンと修司の血統は、古いものだ。ドイツで古い占術師の家系と言えば、その筋の人間で知らない者はいない。むしろ、ハウゼンと聞いて理解できない占術師など、世界中にいないだろう。

 占星術には、非常に長い歴史がある。

 起源は、紀元前の遥か昔と言われる。現在より四千年以上も昔、現在の中東はメソポタミアの肥沃な三日月の土地で、人々は来年の洪水の予測をたてるため、星々に神の意志を訊いた。それが、占星術の始まりである。占い師、まじない師、祈祷師……国や文化が違えばそれぞれ呼び名は変わってくるが、どこの国にも文化にも、そういった存在は必ずついて回る。

 そして、闇の慣習もしかりだ。

 神の意志を知るために、人々はあらゆる手段に手を染めた。生贄、処女の生き血を飲むこと、近親相姦による血統の守護、人肉食い――。現在であれば人道から外れていると言われることが、たびたび起こっていた。その事実も、15世紀までは『予言者は人と違う』『人間より神に近い存在』として崇められていたため、見逃されていたことが多かった。

 しかし、時は16世紀。

 科学革命の時代、コペルニクスが15世紀末に打ち出した地動説をひとつの皮切りに、世界は占いよりも現実的な科学に陶酔し始める。過去の遺産となり果てた占術を生業とする者たちの居場所は次第に減っていった。大衆向けの活動を開始した者たちもいれば、イギリスのリリーのように、政治への予言を行うことで社会的な地位を確立した者たちもいた。やがて啓蒙主義の時代に入り、表向きの『占術』は姿を消した。人権、自由、平等を掲げる近代の思想に、紀元前から続いてきた「非人道的」で「非現実的」な占術師達は一様に「魔女」「魔術師」とされ、迫害され始めたのである。魔女狩りは中世からずっと続いていくが、やがて社会的弱者に加えて、占術師たちも追加されていくのである。古来より占星術のさかんだったフランス、そしてリリーが拠点とするイギリス、イギリスから旅に出た宣教師達が到着した新大陸アメリカ――そこは、魔女狩りの恰好の餌食だった。

 であれば……。

 全く占術とは縁のない、新天地へ!

 17世紀初頭より、あらゆる占術を修めた血統の長達は、まだ魔女狩りの手が及ばない地を求め、世界の日陰を模索した。占星術だけではなく、手相術やタロット術師、ルーン占術師、数秘術師といった――あらゆる占術の血統の長たちが、互いに情報を交換しながら、居場所を求めていった。画家で知られるゴーギャンも占術師の一人で、『我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか』――未来を見通す力を持つが故に迫害された占術師達を嘆き、同じ力を受けついだ愛娘の死を嘆きながら描いた作品は、皮肉なるかな、傑作と名高い。

 時代はゴーギャンから大きく遡るが、逆風にあった占術師達の動きを知って旗を振るったのが、若きハウゼン伯だった。

 17世紀後半、ドイツとイタリアの国境近くに位置するハウゼン辺境伯領領主、アルベルト=フォン=ハウゼンが、歴史的興味と位置付けて占術師を大々的に募集したのである。彼曰く『占術を否定し、魔女狩りを行うのは弱である。我々は今、ヨーロッパにおいて強なる存在である。今の我々を形作るのは、昨日の我々ではないのか。中世を否定し、暗黒とするのは、我々の先祖を、父を母を否定することに異ならない。歴史を知り、そこに在ったものを知ることは、先祖の功績を受け止めることにほかなるまい』――と。

 これに、占術師達は大いに沸いた。彼らはすべて名をハウゼンと変え、あらゆる地域から同胞を呼んだのである。これが、占術師の歴史の中で大きな転換点となる潮流だった。

 ハウゼンの旗のもとに集った占術師達には、古来より彼らの流派に受け継がれた占術を行うことが許された。その代わりに、ハウゼンの血脈を絶やさぬこと、政治・戦争を予知し知らせることを約束されたのである。そして、当時子がいなかったアルベルトは、数多くの女性の占術師達を妾として迎え――正式な妻は持たなかった――、自身の血を継がせていったのである。自身の血統を持たせた占術の才能がある子を作るために。その子が継いでいくことで、この勢力を維持させるために。

 いずれ、西洋の占星術やタロット、スピリチュアルなどと合わさっていくうちに、ハウゼン家の一部の人間には、違う世界を覗き見る力が現れるようになった。竜が空を舞い、剣と魔法が力をもつ世界を覗くことができるという、あまりにも荒唐無稽なその力ではあったが――見聞きした話を知人や友人に伝え、それを文章にしたものが、ベストセラーになったこともある。実際、ハウゼンの血を傍系とはいえ受け継いでいる者に作家は何人もいる。

 そんなハウゼン家を絶やさぬために――偉大な占術の守護者として君臨し続けるために、彼ら占術師たちは、『神から聞いた』事をアルベルトに提示した。

それは、双子が生まれた際の対応であった。

 ハウゼン家では、双子が生まれた場合の処分について、厳密に決められていた。七歳までは平等に育て、七歳で試練を課す。それをクリアできた者は残し、できなかった者は、世に呪いを撒くという理由で処分される運命であった。

 そう、処分だ。

 感情を一切介入させる余地なく、殺す。そうして、何人が犠牲になったことだろう。高名な占星術師の裏に、何人が屍を残したことか。そして21世紀に入り、とある双子が生まれたのである。


 それが――


 日本の、東洋占星術師の末裔である女性と、現ハウゼン家当主のあいだに生まれた双子であった。兄はエルナルド=フォン=ハウゼン。弟は、日本名を川名修司。二卵性双生児の2人は、形質として似たものを持っていない。背丈は近いし、均整のとれた体付きは同じかもしれないが、言われないと気づかない程度だ。整った顔立ちは共通点といってもいいが、漂わせる雰囲気が、2人のかすかな共通点を消し去っている。どちらも日本ではいわゆるハーフだが、エルナルドの方が西洋の色が濃い。そして、修司は黙っていれば日本人で通用するだろう顔立ちだった。

 だから、逃げ切ることができた。

 正確には、逃がされたのである。7歳の時、2人の試練の結果は、エルナルドの圧勝だった。そもそも修司は、試練にまったく興味を示さず、屋敷の小川でカエルを追いかけていたほどだ。

 だから、エルナルドは言った。眉をしかめる父に、おそらく修司は、自分の敵にはならない、と。試練よりもカエルが大好きなのだから――と。

 しかし殺すべきとする家の方針があり、譲らないエルナルドがあり。

 結果として、生死は異なれど、仲良しの双子は分かたれることとなった。ナイフの切っ先を自身ののど元に突き付けて、血のしずくを伝わせた7歳の少年の覚悟――知能指数といい、占術の造詣といい、天才と言われたエルナルドの死相を見て、方針が崩れたのである。

 しかし、ハウゼン家の者たちは気づいていなかった。二人だけの秘密であった。この双子どちらもが、異世界を覗くだけの才があるということに。


◇◆◇


 電話の先。

 視界にはいない弟の声は、10年前よりも低く、たくましくなっていた。自分の声もそう映るのだろうと思いながら、エルナルドは続ける。

「力を貸してくれ、修司」

 そう言った自分の声は、情けないほど細かった。異常事態を御す自信などかけらもない。しかし、世界はそうは見てくれない。

 天才だから。

 世界の頭脳だから。

 できて当然、と人は言う。

 しかし、エルナルドは皮肉を込めて、つぶやいたことがあった。

 ――水面下で、白鳥も必死にバタバタしてるのさ。見えないだけで、ね。

と。

 その不安を汲み取って、弟は言った。小さいカエルのストラップを揺らしながら。

「当然」

 頼もしい弟の言葉に、誰にともなく微笑んで、エルナルドは思考を開始した。脳細胞が悲鳴をあげるスピードで。それを知っているから、修司は何も言わずに待っている。そう時間もかかることはないだろうと、のんびり脚を組み替えて。

「そうだな。世界の創生……扉を破壊する? 隠者の元に……いや、時間がないか? ……その間に、そうだ」

 熱に浮かされたようにつぶやき続けるエルナルド。顔は見えなかったが、修司は兄がどんな表情をしているか知っていた。異世界と交流するようになってから、思考が加速すると、どこかぼんやりと虚空を眺めるような目をするようになったと言うことを、修司はよく知っていた。自分も、きっとそうなのだろう。

 ――占術の頂点に居る者は、世界の創生者に出会える――と、西洋占星術では習う。神々の層に精神体となって旅立つ者もいる。実際に創生者には会っていないものの、天使を見ただの悪魔を見ただのという人間が後を絶たないのは、なにかの理由で精神だけがふらりと向こう側の世界を垣間見てしまったからである。本来なら、潜り抜けるべき扉があるのだが――まれにいるのだ。生まれつき、その扉をくぐる能力を持つ者が。

 修司もエルナルドも、向こう側の存在を知っていた。修司は見ることしかできないが、竜が空を舞い、天使が優雅に歌を歌う姿も、幼い頃に見ていた。エルナルドに至っては、向う側に赴き、こちらに帰ってくる術まで心得ている。異世界を覗き始めた幼い頃、二人の夢として語ったのだ。『あの素敵な世界を真似したゲームを作りたいね』などと約束をして、そして現実になったのだ。大好きな、命を救ってくれた兄と描いた夢を、修司は守るつもりだったが……。

「すまん、兄貴。バイト上がりで疲れた頭にもわかるように説明してくれ」

 生理現象には逆らえなかった。その表情は、長話に付き合わされて疲れた若者そのものだった。

「ああ、悪い」

 エルナルドは苦笑して、説明を開始した。

「僕たちが夢見た世界を、よりリアルに再現するために、方式を採用したんだけれど、それは幻影投影魔法を常に起動していることになるんだ。こちらの世界では魔道式なんて存在しないから、誰かの意識容量を僕と接続して常時起動を……」

「待ってくれ。つまり、どういうこと? 俺、兄貴みたいに頭良くないんだぞ」「つまり、扉を常に少し開いている状況ってことさ。でも通常はそれが見つかることもないし、万が一に備えて向こうの世界の実力者と話はしてあるんだよ。しかし、それが破られた」

「その扉が完全に開いちゃったってことか?」

「おそらく。だから、向こう側の連中と、ちょっと話さないといけない。下手をしたら……戦うことになるだろうな。故意に開けたのであれば」

 エルナルドのように、こちらの世界から向こうの世界に行ったことがある人間もいるらしい。しかしそれは、不安定すぎる扉の誤作動ゆえである。こんなにも多くのモンスターが来たことなどないし、通常だったらありえないことなのだ。万が一の誤作動に備え、彼はSYNUSTの世界にも人脈を作ってある。ちょっとやそっとでは崩れないだろうが、いやはやしかし――。

『それは兄貴に任せるよ。どのくらい時間かかるんだ?』

「正直、わからない。話をつけるといっても、相手は相当に偏屈だからね」

『1週間くらいでケリつけてくれ。1週間後には、魔女さん……あ、俺のチームのウィッチなんだけどさ、その魔女さんが、知人が会いに来るとかいってインできないんだってさ。戦力大幅ダウンだから、それまでにな」

 その知人が、今の電話相手だとは全く気付かず、修司は言った。

『その間、俺はみんなと、紛れ込んだモンスター退治するよ。頼むぜ、兄貴』

「……あのな、修司。もし――」

 せっかちな弟は、兄の言葉を聞き終えずに電話を切った。

 無情な電子音を聞きながら、エルナルドは伝えようとした言葉を宙に解き放ち、どっかりとソファに腰かけると、どことなく高揚した自分の心を見つめていた。

「もし僕が死んだら……」

 なんてことを、弟は考えていないようだった。

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