第3話 異変
その夜、世界各地のTwitterや掲示板では、開発陣が思ってもいなかったコメントがいくつか見られた。Instagramにはたくさんの画像が投稿され、騒然となっている状態だ。
……
名無しさん@お腹いっぱい:傷が消えないんだよなぁ……そんなに痛くないけど
名無しさん@お腹いっぱい:マジで?
名無しさん@お腹いっぱい:釣りだろ。信じるなよwww
名無しさん@お腹いっぱい:まじまじ。見るか画像
名無しさん@お腹いっぱい:見ねえわw
名無しさん@お腹いっぱい:でも俺も、なんか毒食らった後の腕痺れてるわ
名無しさん@お腹いっぱい:それより聖者って見た奴いる? ローディエル地下牢付近で目撃者いたらしい
名無しさん@お腹いっぱい:この世界の裏側とつながってるとかいう都市伝説な
名無しさん@お腹いっぱい:魔剣士ってエルナルドだけじゃないって本当?
名無しさん@お腹いっぱい:裏魔剣士?チートやな
名無しさん@お腹いっぱい:そいつとエルナルドどっちが強いん
名無しさん@お腹いっぱい:そりゃ開発者じゃね
……
◇◆◇
連日、現実世界に影響を出し始めたSYNUST;の特集番組が放送され、それと同時にこのゲームの超画期的なシステム、映像処理などについても特集された。結果的に、修司が危惧していたバッドステータスは「強い痺れ」程度で収まっており、現実的にはそう大きな影響は出ていないと言えた。現段階では「死」のステータスに陥った人間の話題もなく、脳が処理に追いついていないため起きる肉体反応、一種のプラセボ効果に近いのでは、などという専門家も登場し、世間はなるほどと手を打った。
そんな一週間後のことだ。7月も終わりに差し掛かった真夏の昼下がり。
「今日は、いよいよ『黒竜の森』に行く!」
修司が声を張り上げて、草原に一歩踏み出した。実際は、近所の森林公園なのだが――そうと思わせないくらい、広大な草原だった。ビル群は巨木に姿を変えている。
彼らは日々、この草原を拠点にしてレベル上げを行っていた。近隣のパーティの中では、もっともレベルが高くなり、難易度の高いクエストをこなすこともできるようになってきた。
そこで、彼らは一段上の難易度、『黒竜の森』に挑むことにしたのだった。
「……うわさでは」
魔女さんが小さくつぶやくのを、咲姫はとらえた。草原の緑色に、彼女の白と金糸の法衣が美しく映える。
「うわさ?」
「ええ……。黒竜が眠る森。竜を倒せ、さすれば霊薬を授けん……と」
「霊薬……何だろうな? 修司、どう思う?」
「そうだなぁ……エリクサーかな? でも序盤すぎるか」
そんなやりとりや、通りすがりの冒険者の手助けをしたりしながら、一行は草原を突っ切っていく。やがて映える草が長く伸びてきて、少しずつではあるが、森という風情になってきた。現実世界でも、ここは公園のはずだ。
「――いよいよか」
マップを開く。現在地は『黒竜の森』とあった。長い草に足を取られそうになりながら、彼らは慎重に歩みを進めていく。
何時間か、昆虫のようなモンスター、キノコの化け物といったものと戦いながら、彼らは進んでいく。ツタの絡まる大木、光るキノコ。うっそうと茂る草木、土のにおい。すべてがリアルで、質感を伴っていた。
その瞬間。
「――助けて!」
ぼろ雑巾のような少年が、叫びながら走ってきた。つんのめり、大きく転倒しそうになるのを、
「どうした!? 何があった!?」
矢木が少年を抱きとめる。栗色の髪に、はっとするような青い瞳の少年だった。美形といっても差し支えないだろう。武装しているようには見えない。年の頃は10代にさしかかるか、かからないか。焦げた黒いシャツとパンツに、飾り気のない革の靴。
修司が腰を曲げて聞く。
「落ち着いて。話せるか?」
うん、と少年はうなずいた。背後を指さして、言う。
「黒竜が……起きちゃったんだ!」
「黒竜が?」
「来る! お兄さんたち、逃げたほうが良い!」
瞬間、あたりの鳥たちが一斉に羽ばたき、逃げていく。竜の咆哮が轟く。尋常ではない大きな音がして、木々がなぎ倒された。
「!?」
修司たちは身構え、爆風から顔を守ろうとする。再度、竜の咆哮。倒れていない木々の上から登場する竜の迫力たるや。
黒くてらてらとした鱗、白く長い牙。角は二本ある。大きく開く翼と、夜色の皮膜。金色の瞳。人間の何倍あるのだろうかというほど大きい、四階建ての建物程度の大きさはある竜が、そこにいた。
「――竜は、僕に怒ってるんだ。村の掟通りにしなかったから……。俺が逃げ出しちゃったから」
修司にしがみついて、少年が言う。
「その話はあとにしよう。安心しろ、ちびっ子!」
特大の笑顔を浮かべて、修司は請け負った。ずらりと背中の剣を抜き放ち、構える。草を踏み抜き、こちらに向かってくる黒竜に対峙した。
「風よ、彼の者に加護を」
魔女さんの呪文が飛び、修司を援護する盾となる。咲姫の、時間差で回復を行う癒しの呪文も飛び、
「食らえ!」
矢木の構える弩から、勢いよく必殺の矢が放たれた。斧だけでなく、弓や弩を習得したのだ。
「わあ……」
修司からやや離れ、少年は目を輝かせていた。咲姫が少年を手招きする。少年は咲姫の後ろに隠れ、小さい声で冒険者たちを応援していた。
低空飛行でこちらに向かう竜。対峙する修司。矢木の矢が竜の翼に穴を穿ち、速度がダウンする。
「っらァ!」
叫び、修司が竜の牙と己の剣をかみ合わせた。
土を巻き上げ、修司の両脚が勢いよく後方に下がる。大木にぶつかり、後がないというところまで押される修司。
「修司ッ! 持ちこたえろよ!」
矢木が斧に持ち替えて、竜の背に登る。竜族の共通の弱点である、首の裏の鱗。そこを狙う気なのだ。鱗を掴んで、勢いよく登ってゆく。魔女さんの飛ばす氷の呪文が、鱗を凍らせて足場を作る。その氷が嫌なのか、翼を大きく羽ばたかせる竜。矢木が短く悲鳴を上げて、翼の付け根にしがみつく。
「持ちこたえろって……うわぁ!?」
ぐっと力を抜かれて、バランスを崩す。黒竜は怒り狂い、大きく口を開けた。その口の端からほとばしるのは、炎だ。
「水の壁よ、そこに在れ!」
風の魔法が解除され、即座に水の結界が張られる。黒竜は周囲を睥睨し、修司ではなく周囲に炎をまき散らした。
と、刹那。
場違いなサイレンの音が聞こえ、サイナスト世界が急速に色を失ってゆく。
「お兄さん、お姉さん!?」
少年がこちらに手を伸ばす。修司はその手を取ろうとしたが、少年も急速に消えていく。
「えっ……君は――」
君はプレイヤーじゃないの? そう、皆が問いかけようとした瞬間、サイナスト世界と共に、少年も消え去った。
だが、そこからが悪夢だった。
◇◆◇
「見てください、この傷跡!」
リポーターがそう言いながら、家々の傷跡を指し示した。
ごく普通の、和風の民家。そこに巨大な爪痕があった。炎がまき散らされ、火事を起こした家もある。リポーターは崩れた塀に近寄り、カメラに写すよう促す。それを、やんややんやと野次馬が見ている状態だ。
西国分寺は、パニック状態だった。
世界各国から報道記者がやってきて、『黒竜』の目撃情報を集め始めたのだ。目撃者は多数おり、その半数前後は「SYNUST」のプレイヤーではなかった。
突如現れた竜が炎を吐き、家が焼かれた。家々がなぎ倒されて、死者四名、怪我人八十九名の事件となったのだ。
「……なんということでしょう! 多くの人が同時に、黒い大きな竜を見ているというではありませんか!」
大きな声で女性キャスターが言う。修司達はテレビ画面をじっと見つめ、先ほどまで自分達が戦っていた竜が、本当にそこにいたのだと――この破壊を生んだのだと、実感しようと努めていた。
「おい……どういうことなんだ、これ……」
修司は、ぐっと拳を握りしめた。
ここは、修司の部屋である。なにか用があると言った魔女は帰ったが、残りの二人はここにいる。
「……現実、ってこと……?」
「そうとしか考えられねぇな……」
テレビでは、Twitterや掲示板、SNSで、少しずつ広まっていった都市伝説を報道し始めた。そして、これを放置していた運営を非難し始めている。
その非難はやがて、功績を超えるだろう。今頃、エルナルドは頭を抱えているのではないだろうか。
「……これってさ。センパイ、咲姫」
修司が言う。畳に、彼の爪が食い込んだ。
「……こっから先が怖いんじゃねえか? ……本当に、本当の魔物がこっちに来るってんなら……竜どころじゃねえ」
強大な魔法使いや戦士がひしめくサイナストの世界だ。その中の、架空の存在がこちらにやってきてしまっているというなら――
「あれ! 見てください!」
リポーターが叫び、やおら画面がオレンジ色に染め上げられた。地獄の業火が彼らの頭上を通り過ぎる。カメラが回り、さらなる破壊を世界に広めた。
「炎を吐く鳥が! 群れをなして飛んでいきます!」
炎をまき散らしながら、赤と金を基調とした鳥類が飛んでゆく。
「どういうこと――きゃあっ!」
そこで、テレビがブラックアウトした。
電線がちぎられたのか、カメラマンが――死んだのか。
どちらにせよ、放っておける状態ではなかった。
「魔物を倒すしかねえな……少しでも多く」
矢木が、言って栄養ドリンクを飲み干し、修司の部屋のごみ箱に投げ入れた。腕を鳴らして、不敵な笑みを浮かべる。
「ヒーローになるチャンスだな」
修司が言って、携帯を取り出す。
「なあ、咲姫。芸能界に友達いるだろ? SYNUSTやってない?」
「やってるけど……あっ」
そういうことか、と咲姫は携帯を取り出して、連絡を取り始めた。矢木もなにやら、あちこちとやり取りを始めていた。
「……話が、違うぞ……」
エルナルドは、都内某所のホテルの一室で、そう呟いた。
窓の外には、東京の夜景が広がっている。流れる光は、飛ばすタクシーか、はたまた帰路についた自家用車か。何れにしても、東京は忙しい街だった。
アルコールは受け付けないので、スポーツ飲料を飲み下し、長い脚を組みなおす。
彼の白氷色の瞳は、今は夜景の明かりを受けて金色に輝いている。
「僕は君たちの来訪を許可してなんていない……。ただ、仮想空間としてこちらの世界に映し出して……その技術は成功して……」
取り乱した様子はなかった。ただ、ひとつひとつの事象を確認しているのだろう。熱に浮かされたような口調であった。
そして、結論が彼の中で出る。いや、すでに出ていた結論に肉付けがされ、残念な事実に今後の対処が加わっただけのことだった。
ホテルの、完璧に磨き上げられたガラスに指を触れて。ひんやりとした感触を楽しむ余裕はなかったが、彼は無意識にガラスをなぞっていた。
携帯が鳴る。
彼の意識の一部がそちらに向いて、靄がかかったような意識のまま、ガラステーブルの上の携帯を見やる。同期している腕時計が動き出し、エルナルドは相手の名前を見やる。
「……修司?」
相手の名を呟いて、エルナルドはぼんやりと指を伸ばし、応答した。彼が自分の連絡先を持っていることを、不思議にすら思わない。
『――エル? 元気してるか? 俺だ』
早口のドイツ語で話す相手は、やや怒っているようだった。こちらがなにかを言う前に、矢継ぎ早にまくしたてる。オレオレ詐欺、なんてのが日本にあったな、などと思いながらエルナルドは話題の核心を予測する。おおよそ、一つだろうが。
『元気だよな。だってテレビ出てたもん。それはいいんだけど……これ、どういうこった?』
「ああ――やはり、ね」
『この世界は、バーチャルなのか? それとも……エルは見つけたのか?』
こいつには、隠しても仕方ない。エルナルドは降参するしぐさを――誰も見ていないが、してみせた。
「見つけた」
『見つけた上で、繋いだんだな?』
「……その通りだ」
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