第20話

 電測員が監視していた防空レーダーには、ルーグ3星系に来た時のような無数のデブリが映あっていた。デブリはレーダーの探知範囲外から飛んできたようだが、電測員には突如として現れたかのようにしか思えなかった。


 デブリ群は非常に高い速度でクイジーナ2に向かって来ている。

 一刻の猶予もない状況だ。


「対空防御! メインエンジン、一番、三番、全力噴射! 取舵一杯!」


 カミラと話していた通信ウィンドウから顔を上げて船長が叫ぶ。

 保安長も報告と同時に対空兵装を作動させている。


――今度こそ船には傷を付けさせない!


 保安長の思いが宿ったかのように急旋回した砲塔は、船体の左舷上部から飛来してくるデブリ群の迎撃を始めた。

 迎撃に大わらわとなっている保安科や操船に忙しい航海科を除いて、船橋要員達で手隙の者は自分の操作卓コンソールに防空レーダーを表示させ、祈るようにそれを見つめている。


「二番エクサイマーレーザー砲、迎撃モードを三へ!」

「了解っ!」

「一番中間赤外線レーザー砲、迎撃モード六に固定! 八時方向に集中させろっ!」

「ろ、六は使えません! まだ修理が終わっていなくて!」

「ならモード四でいい! 撃ちまくらせろっ!」


 保安長が部下に忙しく指示を出している。


「あの、船長? 何が……?」


 突然のことに状況を掴めず、通信ウィンドウ越しに船長に声を掛けるカミラだが、船長は一瞥すらせずに操船についての指示を飛ばしている。


――“対空防御”って言ったの? どういうこと?


 カミラにとっては聞き慣れない言葉だが、その意味は解る。

 小型の戦闘艇に襲撃されているか、スペースデブリなどが飛来して来ているかのどちらかだ。


 そして、この近辺にはヴェルダイ連邦の軍艦を含み、他の船舶など居る筈もないので後者以外には考えられない。


――また!?


 先日のデブリ群にはクイジーナ2の重要な機関を破壊されてしまった。

 今回も同様な事態に陥らないとも限らない。


――ど、どうしたら……? ダン!




■□■




「あれ?」


 戦闘指揮所の艦長席に座っていたダンは、指揮所内の各座席が急に命を吹き返したかのようにホログラムディスプレイを点灯し始めたのを見て驚いた。

 しかし、指揮所内の中心にクイジーナ2を中心とした三次元防空レーダーの映像が投影されたことで何が起きたのか理解することができた。


「デブリか!? また!?」


 レーダーにはクイジーナ2の左舷上空から大量のデブリらしきものが雨のように降り掛かって来ているのが映っている。

 少しでも状況を把握すべく、食い入るようにそれを見つめるダン。

 戦闘指揮所の座席には衝撃に備えてジェルで体を固定する機能があるために、身を乗り出せないのがもどかしい。


 左舷上空から降り注ぐデブリに対して、クイジーナ2は左方向に舵を切ったようだ。

 とても全ては躱せないと見て、少しでも早くやり過ごすためだろう。

 または、船体後部にあった対空砲台の一つが先のデブリによって破壊されてしまっているために、デブリ群に船体の後部を向けたくないからか。


――あ! カミラは!? まだ食堂に居てくれればいいけど……!


 ここでは特にやることもないのでカミラの居所を探し始めた。

 船員食堂なら船体の奥の方に位置しているために比較的安全と言える。


――大会議室にカミラのIDが?


 食堂にいるとばかり思っていたので少し意外だったが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 何しろ、大会議室は船の外側の方に位置しているのだ。舷側に並ぶ船員室よりはマシな位置だが、それでも危険な位置であることに変わりはない。


――ええと……大会議室のカメラは……これか。


 ダンはホロディスプレイを追加で一つ開き、そこに大会議室の様子を映した。

 カミラは端末を覗き込んで何か作業をしているようだ。


「何やってるんだ! 早く逃げろ!」


 独り言を言いながら会議室のスピーカーで警告を与えようとするが、船内設備の能動的な使用は出来ないことを思い出す。


――なら携帯情報端末タブレット……操作卓コンソールの中だよ、畜生!


 流石に今、操作卓コンソールから携帯情報端末タブレットを引き抜く訳にはいかない。

 そうなると取れる手段は一つ。

 操作卓コンソールに通信用のウィンドウを開き、通常の船内回線を使って普通に会話を行う事だ。操作卓コンソールでの操作は全て記録されるが、船のセンサーを眺めていたりする程度であれば平時ならそうそう咎められることはない。


――任務中に船橋要員でもない、全く関係ない奴と会話するってのは……記録に残っちまうが、今は緊急時だ!


 無理やり自分を納得させて、カミラが操作している端末IDを検索し、通信リクエストを送った。




■□■




 時間は少し戻る。

 会議室ではカミラが一心不乱に端末を操作し、遂にたねのデータに接触したところだ。


――データファイルがこんなに沢山? 中身は……!?


 適当なデータファイルの中を見てみる。

 すると、妙なことに何処かの惑星の地質データだった。

 地質データは造星学を学んでいるカミラにとって見慣れた物なので直感的にアタリを付けることが出来たのだ。


「あれ? なんでこんな物が?」


 独り言を呟きながら全く別のファイルを開くとカミラには理解出来ない物だった。


――なにこれ? 画像かしら?


 データヘッダの形式から何かの画像データらしきものだと推測した。


――平面画像じゃないみたい……三次元画像?


 螺旋状に繋がりあった何かの構造体のようだ。

 よく分からない。


――こっちは……?


 更に別のファイルを見てみる。

 こちらも何らかのデータらしいが、小さな音声ファイルが大量に埋め込まれている。


――何これ?


 音声ファイルは小さなテキストデータと紐付いていると思われる。


――これって……げ、言語モジュール? なんで?


 次々と正体不明のファイルを開く。

 そうしているうちにカミラが使っている端末にウィンドウが開き、メッセージが表示される。

 メッセージは何時間も前に撃ち込んだ最初のたねからの物で、無事に最初のシークエンスが完了し、まずは収集できた地殻データの情報を送ってきたのだ。

 操作の手を止めてたねからのメッセージを開く。


――あら? 予想していたよりは結構早く通信が……ふーん。地磁気は無いのね。


 最初に撃ち込んだたねは海底なので海水の分析データなども添付されている。

 毒性があるものではないようだが、撃ち込みから丸一日も経過していないため海中の生物の情報はない。


 メッセージをスクロールしていくが、打ち込まれた直後なので送られてきたデータの量は本当に大したことがなく、すぐに最下段になってしまった。


 そして、最下行を見てカミラは凍りつく。


「えっ!? そんな事っ……」


 そこにはデータ収集モードがあと四千数百時間ほどで終了する旨の表記があったのだ。

 それを認めた途端、稲妻にでも撃たれたかのような衝撃とともにカミラは理解した。


「まさか……これ、惑星改造データ……?」


――データは後でも見れるから今は後回し。それよりも船長に報告を。


 一つ頭を振って端末から船長の操作卓コンソールへ通信を送る。

 船長はすぐに出てくれた。


「何か分かったのかね?」


 船長はカメラ越しに期待を込めた目つきをしている。


「隠された大量のデータを発見しました。大変言いにくいのですが、誰かがシステムに細工をしているようです」

「大量のデータ?」

「ええ」


 その瞬間、通信ウィンドウに写っていた船長は慌ただしい動きで消え、船長のものらしい叫び声が聞こえた。


「対空防御! メインエンジン、一番、三番、全力噴射! 取舵一杯!」


 船長の言葉に続いて乗組員が発したものらしい言葉も聞こえてきた。

 あまりに突然のことであったため、カミラには何がどうしたのか理解できない。

 だが、辛うじて聞こえた“対空防御”だの”レーザー砲”だのという単語から類推して、再びデブリ群に襲われた事を理解した。


 カミラが理解し慌てた時、端末に通信リクエストが届いた。

 ダンが発信者である旨の表示を見てカミラはすぐさま接続許可を行う。


「カミラ! 何してるんだ!」

「ダン!」

「またデブリが来てる! 逃げろ! 食堂か手近なコールドスリープ室へ行け! 出来るだけ船体の奥の方に行くんだ!」

「でも、たねに改造データが!」

「そんな事言ってる場合じゃない! またデブリが来てるんだぞ!」

「このまま放ってはおけないわ! 大変なことになる!」




■□■




 これ以上話し合っていても埒が明かないと判断したダンは、誰かに頼んで強制的にカミラを避難させようと考えて手短に会話を切り上げた。


「くそっ! こうなったら……」


 ダンが検索しているのは彼と同室の機関科の訓練生、今は休憩時間中である筈のゲインの居場所である。船橋に詰めていて今はてんやわんやの騒ぎの中に居るであろう同期生のミッシュにはとても頼めない。


――大変なことになるって言ったって、今の状況をくぐり抜けられなきゃ全部おじゃんだろうが! そんな簡単なことがなんで解らないんだよ!


 訓練生のリストからゲインを探し当てる。


「いた!」


 ゲインは食堂に居る。

 操作卓コンソールから直接ゲインの携帯情報端末タブレットを呼び出した。


「ダンか? どうした?」


 ゲインは落ち着いていたが、それはまだデブリの来襲を知らないからだろう。


「すまん。至急頼まれてくれ。またデブリが来てるんだが、カミラが大会議室で何かやってて避難しようとしないんだ。引きずり出して船体の奥の方へ……」


 そこまで言った時、船体に大きな衝撃が走った。

 画面の向こう、ゲインの奥に立っていた船員が大きくよろめいたのが見えた。


「くそっ! 頼む、ゲイン。早く! 俺は戦闘指揮所にいて動けないんだ!」

「わかった! 大会議室だな? どこに連れて行けばいい?」

「船体の奥の方ならどこでもいい! 食堂でもいいし、コールドスリープ室でもいい!」


 通信はゲインの方から切られた。

 すぐに強制モードでカミラに繋ぐ。


 カミラは作業に没頭していたらしい。

 焦りの表情が濃かった。


「ダン! ワイルドカード(※情報処理においてどんな対象文字、ないし文字列にもマッチする特殊文字)が機能しないの! 手作業だととても……」

「いいから聞け! 俺には何が大変な事かはわからない! でも今を生き延びなきゃ何も出来ないんだぞ! そこは外殻に近いから危険なんだ! 避難しろ! 今ゲ……」


 そこで先程と同様の衝撃が走る。

 と、同時に強制的に新たな通信ウィンドウが開いた。


「なっ!?」


 通信ウィンドウには船長の顔が大写しになっていた。


 どうやら船橋の船長席の操作卓コンソールに繋がっているようだ。

 船長は必死に操作卓コンソールにしがみついているところらしい。

 食堂と同様に船全体が揺れてしまえば重力制御など何の役にも立たない。


――一体、何が?


 船長からの通信が繋がったことにダンが何か思う間もなく船長はカメラから少し離れた。


「被害を……!」


 船長の叫びに反応して船橋要員達の悲鳴のような声が伝わってきた。

 その間にダンはカミラに詫びつつも再度避難しろと言ってカミラとの通信ウィンドウはそのままに開きっ放しにしておいた。

 船橋の会話が聞こえれば如何に事態が切迫した状況になっているか理解するだろう。


「一番エクサイマーレーザー砲、破壊されました!」

「航行に支障なし!」


 砲台が一基、破壊されてしまったらしいが目立った被害はそれだけのようだ。


「躱せ! 取舵二〇!」


 船長の命令が聞こえる。

 すぐに船長がカメラの前に戻ってきた。


「グレイウッド訓練生! 聞こえているか?」

「はい!」

「権限委譲を行う。こちらに万が一のことがあった場合、お前が……」


 再び船体に衝撃が走る。

 座席に固定されているダンは問題がなかったが、船長は今の衝撃で大きく姿勢を崩していた。


「船長! たねを切り離しましょう! 操船の邪魔です!」

「駄目だ!」

「しかし……!」


 慌ただしいやり取りのあと、船長は再びカメラの前に顔を見せ、ダンに話し掛ける。


「よし、権限委譲を行った。だが、こちらに何かあるまで何もするな」

「りょ、了解!」


 反射的に返事を行った直後に、その意味を理解したダンは頭の中が一瞬だけ真っ白になった気がした。

 船長は今何と言ったのか?


――権限委譲だって? 俺に?


 唾を飲み込んでダンが船長の言葉を噛み締めたところで、クイジーナ2にはまたデブリが衝突したようだ。




☆★☆




 密航者、ゴードン・ラングーンは最初のデブリが船体に衝突した直後に弟からメッセージを受け取っていた。


 メッセージには「またデブリ群に襲われた。最後の一基は俺が責任を持って撃ち込むから兄貴は安全のために無制限モードでコールドスリープを行ってくれ。事が済んで安全を確認したら起こす」とだけ書いてあった。


「またデブリか……何もかもが私の邪魔をするのか?」


 瞑目して宙を仰いだあと、第三カーゴコントロールルームの端に備わっているコールドスリープカプセルの蓋を開け、中に入り込んだ。




■□■




 四発目として衝突したデブリは小さなもので大した被害はなかった。

 具体的には船体から唯一、大きく飛び出している船橋の天井部分に命中しただけだ。

 船橋の天井部分に空いた穴はすぐに発泡充填剤が噴射されたことで塞がり、減った分の空気も即座に予備タンクが自動的に開放されて補充された。


 また、船橋はそれなりの体積があったことに加え、デブリである岩塊がその穴に引っかかって完全に天井を貫通した訳では無かったこともあって、船橋要員達が急減圧に曝されて肺の中の空気が抜け、揃って窒息するようなことにはならなかった。


「全員、順番に宇宙服ハードスーツを着用しろ!」


 船長の指示が飛ぶ。船橋要員達の宇宙服の格納庫は船橋のすぐ下にあって、通路に出てから降りてもいいし、船橋の床を開くことですぐに格納庫へ行くことも出来る。

 ちなみに宇宙服内は船内と同じ気圧であり、着用後すぐに宇宙空間に出ても問題はない。

 どちらかと言うと戦闘用の装甲服に近いが、当然装甲などは施されていない。


「ミッシュ、ドノヴァン、ブーフルツ。お前らから行け!」


 船長の命令を受けて誰かが叫ぶように指示を出した。

 名を呼ばれた、船橋内でも若い三人は弾かれたように座席から立ち上がると床下の扉を開けて宇宙服の格納庫へとその身を消す。

 緊急事態に備えて扉は自動的に閉まった。

 三人が床下へ消えてすぐにまた一発、デブリが衝突してクイジーナ2はその巨体を震わせる。


 しかし、その一発がクイジーナ2から大切なものを奪っていった。

 船橋と通路を隔てる扉の奥から一瞬だけ聞こえた轟音が全てを物語っている。

 デブリは船橋の外にあった通路を上から下に貫通し、宇宙服の格納庫の壁を大きく剥ぎ取って船体の第三甲板で止まった。


 あと少しデブリが大型で威力があったら。


 あと少しデブリが鋭利な形状をしていたら。


 あと少し戦闘指揮所が脆弱な作りであったら。


 ダンの居る旧戦闘指揮所も無事ではすまなかったろう。


 勿論、宇宙服を着用しに行った先の三人は即死であったし、たまたま第二、第三甲板の当該ブロック居た一〇人以上の乗組員も即死していた。

 破孔の空いたブロックは切り捨てられ隔壁が閉じたためその他のブロックに被害が及ばなかったのが不幸中の幸いと言えるだろう。


 また、船橋の内部は無事であった。

 が、音声通信用の回路を除く殆ど全ての通信回路がズタズタに破壊されてしまっていた。


「糞っ、一体」

「落ち着け! 被害報告!」

「せ、船長! エンジンとの通信が切断しました!」

「センサーも全てブラックアウト!」


 報告を聞くまでもなくわかる。

 全員のホロディスプレイは、投影自体はされているものの表示内容は接続切断ディスコネクトの文字が踊っており、船橋が船のシステムから切り離されてしまった事は誰の目にも明らかである。

 船長はすぐにダンへと通信を繋ごうと試みるが、画像は映らず、音声のみでしか繋がらなかった。


「グレイウッド訓練生! 聞こえているか? 聞こえていたら応答しろ!」

「は。聞こえております!」

「よし。まず、防空システムが生きているか確認しろ」

「は! は?」

「すぐにやれ!」

「はい!」


 ダンはすぐに防空システムを確認するが、特に問題は無いようだ。

 エクサイマーレーザー砲と中間赤外線レーザー砲がそれぞれ二門ずつしか残っていないが、今も元気にビームを吐き続けている。


「二番、四番エクサイマーレーザー砲、二番、三番中間赤外線レーザー砲、共に問題ありません!」


 五秒と掛からずにチェックを終えて報告を行った。


「わかった。防空レーダーは見えるな? デブリ群はどうだ?」


 戦闘指揮所の中央に投影されたままの三次元防空レーダーにはあと僅かでデブリ群が通り過ぎようとしているところが映っていた。


「もうすぐデブリ群を抜けるようで……」


 そこまで言った時、またもや大きな振動が起こり、戦闘指揮所を揺らす。

 今度の振動は今までとは比較にならない程大きなものであり、ダンも大きく体が揺さぶられた。

 そして、指揮所内のあちこちに警告ランプが点滅し、ブザーが鳴り響く。


「え、エンジンが……!」


 ダンは愕然として呟く。

 左舷に残っていた一番と三番のメインエンジンが二機とも反応してない。

 そうしている間にもまた小さな振動が船体を揺るがせる。


「被害を……」


 通信ウィンドウ越しに船長の声が聞こえてくるよりも前にダンは被害状況の確認を始めている。

 予想を越えた大きな被害に目眩がしそうになった。


「一番、三番、メインエンジン。共に無反応です! 今詳しく調べ……」

「他に被害がないか確認しろ!」

「は! 他には……左舷後部、一番と三番エンジンをデブリが貫通したようで、付近の外板が脱落しています。あとは……」


 被害は先の船橋周辺にだけにとどまっておらず、他にも多数の被害ブロックがある。


「機関室を見ろ! 通信でもいい! 怪我人と対消滅機関の確認をするんだ!」

「は!」


 対消滅機関が暴走したら何もかもが無に帰してお終いであるため、まず機関室の心配をしたのだろう。


 機関室に通信を送ってみるが反応はない。

 監視カメラによる映像を開いてみると、機関員達は操作卓コンソールに齧りついている者、何か指示を受けて走っている者など大慌ての有様だった。


「機関室や対消滅機関は無事なようです。見える範囲に怪我人は居ないようですが、通信への応答はありません。あ、今デブリ群を抜けたようです!」


 少しだけホッとしたように報告するダン。


「わかった。落ち着いて聞け。まず、こちらは船体から切り離されたようだ」


 この件についてはダンも既に認識していた。


 先程、言い掛けながらも遮られた被害報告ではこの事を言うつもりであったのだ。


「は」


 ダンは膨らみつつある不安感を無理矢理に押さえつけて返答する。


「まず、船橋では船の一切のモニターが出来ない。操船も出来ない。センサーにも繋がらんから何が起きているのかも把握出来ん。船橋周辺を見てくれ」

「は。船橋への通路は船橋の前で完全に破壊されているようです。辛うじて通路の端の監視カメラが一台残っておりますので映像でも確認致しました。また、そこを破壊したデブリは同時に船橋の下部構造も破壊し、第三甲板まで突き抜けて戦闘指揮所天井部の装甲で止まったたようです」

「そうか……。船橋下の宇宙服ハードスーツの格納庫はどうなっている? 生命反応は?」

「ありません。格納庫の壁が破壊されていますし、そこから上甲板、第二、第三甲板の四番ブロックは放棄されて隔壁が降りています。四番ブロックの空気圧は……三層ともゼロです」


 船長は僅かに呼吸を乱したようだが、続く言葉はしっかりとしていた。


「わかった。デブリが通り過ぎたのは確かだな?」

「は。レーダーには遠ざかっていくデブリしか映っておりません」

「うむ。ならば誰でも良いから宇宙服ハードスーツをここまで持って来させろ。船内放送を使っても構わんから船外作業員を船外作業準備室に集合させて、ありったけの……」

「船長! 船外作業準備室は破壊されています!」

「何だと!?」

「先程の左舷側のエンジンをデブリが貫通した際、一緒に。それに今は隔壁が降りていますし、そちらのブロックも減圧が……」

「く……そうか。他に宇宙服ハードスーツがあるのは戦闘指揮所そこだけだ。だが、そこは時間までは何があっても開かん。そして、船橋ここの空気が持つのはあと四~五時間がいいところだろう」

「よ、予備のタンクは? 予備タンクがある筈です! それを開放すれば……!」

「もう無い。さっき船橋に一発食らった時に使ってる」

「そんな……」


 とんでもない事態にダンは目の前が真っ暗になった気がする。

 全てのエンジンが破壊され、船橋は構造材と一部の外板のみで船体に辛うじて繋がっているだけで実質は切り離されてしまった。

 更に、この戦闘指揮所の扉は船内において最高権限を持ったとは言え、ダンが何をしてもあと数時間は絶対に開くことはない。それこそデブリか何かで壁を破壊されない限りは。


 が、すぐに責任の重さを感じて気を取り直し、話し出した。


「船長、被害報告を続けますか?」

「ああ、だがその前に高度と速度、それから進路を確認しろ」

「は。只今ルーグ3の対地高度は二六八㎞、毎秒二三m弱の速度で降下しています。速度は対地速度秒速七・七四㎞。進路はルーグ3自転軸に対して真北です」

「かなり下がっているな。少し待て。航海長……」


 船長は航海長を呼んだようだ。

 何やら相談をしているようだが内容までは聞こえない。


「グレイウッド。まず、たね格納扉カーゴベイを全部閉めろ。一本残ってるが、カーゴベイを閉めれば自動的に格納される」


 航海長の声が聞こえてきたが、かなりの早口だ。

 死を目前にしているのであろうから無理もない。


「……閉まりそうか?」


 特に警告もエラーも発する事なく扉は無事に閉まり始めたようだ。


「はい。今のところ問題はなさそうです」

「うむ。完全に閉まったら四番から八番、一三番から一七番のスラスターをもう一度チェックしろ。そのスラスターはカーゴベイにあるからな。扉が閉まるか心配だった……」


 それらのスラスターはクイジーナ2の底面を覆うカーゴベイの表面にある。

 下方に向けてスラスターを噴射するには扉を閉める必要があるのだ。


「次はスラスターの噴射ですか?」

「テスト噴射だけでいい」

「えっ? でも高度が……」

「ここまで高度が落ちてしまえばたったそれだけのスラスターを全力で噴射したところで焼け石に水だ。もう少し先で使う」

「は……」


 納得して返事をしたものの、航海長の言葉には重大な事実が含まれていることに気が付いてダンは愕然とする。

 メインエンジンは四基とも破壊された。

 スラスター噴射で高度を稼ごうにも時間稼ぎ程度にしかならない。

 では、このクイジーナ2は一体どうなる?


「機関室に損傷したエンジン損傷の修理は可能か確認しろ」

「は、はい!」


 そうだ。

 一基でもエンジンが修理できれば……!


――ダメだ。本来なら四基のエンジンが有るのが当たり前の船……元はダメージを受けることも想定されて設計された軍艦だから半分で運行できたのは不思議じゃない。でも、流石に一基ってのは……。


 機関室に確認したところ、一基は修理不可能だが、もう一基は一時間程の応急修理でなんとか運転が可能になる事がわかった。

 但し、半分の出力で四~五分が限界であり、それ以上運転を続けると重要な部品が耐えられずに止まってしまうとの事である。


「船長だ。状況はわかった。被害報告をしろ」

「は。船体上部、船橋後部が丸々ありません。船橋後部の破孔は航海船橋第三甲板まで空いており、周囲のブロックは隔壁で閉鎖されています。戦……殉職者及び行方不明者は船橋要員の三名を含めて合計一六名。名前は……」

「すまん。名前は後でいい。続けてくれ」

「は。また第一と第三エクサイマーレーザー砲塔及び第一と第四中間赤外線レーザー砲塔は破壊されています。次に左舷部ですが……」


 ダンは戦闘指揮所内でわかる限りの被害を報告するが、甚大な被害に顔を顰める。


「まずは第三エンジンの修理をやらせろ。その間に残ったたねを撃ち込……」


 船長がそこまで言った時。


「船長!」


 開きっ放しになっていたカミラとの通信ウィンドウ越しにカミラが大声を上げた。


――カミラ! なんでまだ避難していないんだよ? ゲインは何をやって……。


「誰だ? ああ、君か。なぜ通信を……いや、今は止そう」

たねの撃ち込みまでどのくらいですか?」

「おいカミラ!」


 カミラは船長やダンの言葉を意に介す事なく喋り続けている。


たねに細工がされています。このままだと惑星改造モードに移行するとしか思えません。六番のたねに改造用のデータも発見しました!」

「何だと?」


 ダンも船長と全く同じ気持ちだった。

 でもすぐに「だから何だってんだよ? 今言うことかよ!?」と思ったが流石に口を挟むような真似はしなかった。


「犯人を……」

「そんな時間はない。それよりもモード変更が出来ないようには?」

「すみません。私では無理そうです」

「そうか……」

「また、データの中身は専門外のことも多くて良くはわかりませんが、地質データの他に言語モジュールを始めとした文化データがあるのは確認しました。この分なら文明データがあっても不思議ではありません。モードの固定は私じゃ無理です。でも、データを消しさえすれば影響は最小限に……」

「その作業にはどのくらいかかる? いや、こちらで確認する。運用長!」


 船長は運用長となにか相談を始めた。

 内容までは聞こえない。

 その間にダンはカミラを責める。


「カミラ! 何でまだそこに居るんだ!? 避難しろって……ゲインは来てないのか!?」

「来てるぜ。でも、来てすぐにデブリは全部通り過ぎたって聞こえたからな」


――ぐ。通信ウィンドウを開きっ放しにしてたせいか……。


「カミラちゃんを責めるのは止せ。デブリが通り過ぎたのならもう危険はないだろ? ……それより、全部じゃないが所々聞こえてたぞ。残ってたエンジンがイッちまったって本当かよ?」

「修理できる。聞こえてたんなら解ってるだろ?」

「ああ。でも修理に一時間掛かるんだろ? その間に高度はどれくらい落ちる? 一時間で修理が終わったとしても数分の噴射、たった一基の半分の出力でそんな低い軌道から外れられるのか?」

「う……」


 確かにゲインが言うことは尤もであり、ダンとしても渋々ながら頷かざるを得ない。


「わかってる。降りるんだろ? あの星によ?」


 ゲインが言うのはルーグ3へ不時着を試みるという事だ。

 状況を知った以上、ダンとしてもその道を進むしかない事は予想している。


 だが、その際に船橋は?


 与圧扉と僅か一枚の隔壁で宇宙空間と隔てたれているだけで、ましてや船体から唯一大きく飛び出している船橋はどうなるのだ?


 宇宙服ハードスーツが用意出来ず、船体に戻ることも出来ない以上、大気圏に突入する際にはどうなるのかは火を見るより明らかだ。


 とは言え、人のことを心配している場合でもない。

 そもそもクイジーナ2という船自体が大気圏に突入するようには設計されていない。

 耐熱装甲など全く施されていない輸送艦上がりの船である。

 ましてや今この船は船体のあちこちにダメージを負っている状況でもある。


「わかってるならいいさ。……頼む」

「……ああ。任せておけ」


 ダンの目つきと真剣な声音を聞いてゲインも何かを感じ取ったようだ。


「グレイウッド訓練生」

「は」

「すぐに機関室に繋げ。エンジンの修理を開始させねばならん」

「了解しました」


 船長に言われた通り、ダンはすぐに機関室を呼び出す。

 今度はすぐに応答があった。

 船長が船橋の状況を簡単に伝え、エンジンの修理を命じて通信は終わった。


「グレイウッド訓練生。そこに予備の携帯情報端末タブレットがあるはずだ。艦長席のシートの下に差し込んである。内蔵カメラを使って必要な場所を写せ」


 言われるままに予備の携帯情報端末タブレットを引き出して電源をオンにすると船長の携帯情報端末タブレットから通信が入った。


――あ……そうか。携帯情報端末タブレットなら無線通信が……。


 更に言われるままに操作卓コンソールを操作して航行に必要な座標や進路の変更を行った。


「エリスナー君だったかな? 聞こえているかね?」

「はい」

「運用長に確認したが、見てみないことにはどうにもわからんと言っている。君の見立てではどうだ? どのくらい掛かる?」

「六時間は必要だと思います。手作業で一つずつファイルを消さないといけませんから」

「そうか。だが、我々にはそこまでの猶予はない。今、船の進路を撃ち込みに適した場所に向けた。最初の周回の撃ち込み場所まではあと二〇分程だ。最大限に引っ張ってもう一周してもあと七三分が最後のチャンスになる」

「そ、それではとても時間が……」


 カミラは焦っているのか声が上ずっている。


「足りないだろうな。だがそれ以上の周回は無理だ。何しろその時点で本船の高度は二〇〇㎞を割っているどころじゃない。降下速度も早くなるだろうし、高度は一五〇㎞もあるかどうかだろう。カーゴベイを閉めるのにも多少時間は取られるしな。だから、作業時間は今から一時間きっかりしかない」

「そんな……」

「従って、文明データから潰していく。これが後々、一番問題になりそうだからな。その次は文化データだ。この決定は絶対なもので決して覆らない。いいかね?」

「……はい」


 ショックを受けているであろうカミラを思いやっての事かは不明だが、僅かの間だけ通信回線を沈黙が支配した。


「そこにもう一人いるな? 名乗れ」

「は。ゲイン・ファグリア・バーハッヅ機関科訓練生であります!」

「うむ。ではバーハッヅ訓練生。一時間後にはたとえ途中でも彼女の作業を切り上げさせてコールドスリープさせろ。生命に危害を加えなければどんな手段を使っても構わない。いいな?」

「はっ! 了解いたしました!」


 その後、船長はダンに命じてカミラ達との通信を切断させると、全船に対してアナウンスを行った。


「達する。こちら船長。これより本船は先程来襲したデブリ群による被害のため、これ以上の航行を断念し、ルーグ3への不時着を行う。現在シフト中の機関科以外の全乗組員は直ちにコールドスリープを行い、不時着への衝撃に備えろ。従って、コールドスリープ室は船内中央部に位置する第一と第二を使用するように。投票も行えず、結果としてルーグ3の地表面か海底で救助を待つ結果になる事については誠に遺憾であるが、諸事情を鑑みてどうか寛恕願いたい。繰り返す……」


 船橋では船長の言葉を聞きながら航海長が自席に着いて目を閉じていた。


――多少データが削られても大したことはないと兄貴は言っていた。もう七基も撃ち込んでいるからな……それに、八分の一とは言えデータは膨大だ。あの飛び級の小娘……いや、グレイウッドの女が頑張ったところで限界はある。万が一に備えてワイルドカードを潰しておいて正解だったか……ま、こうなっちまったら俺にはもう何も出来ん。俺はもうすぐ死ぬだろうが、兄貴さえ生きてくれれば後で直せるだろ。




■□■




 一時間後。

 大会議室。


「カミラちゃん。そろそろ時間だ」


 ゲインがカミラに声を掛ける。


「でも、まだ全然……」


 端末から顔をあげることなく、ホロキーボードを叩き続けながらカミラは返事をした。


「駄目だ。君と俺がコールドスリープをしなきゃダンも安心して操船できないんだぞ?」

「ダンが操船する訳無いでしょ?」

「……操船はダンがする。君も聞いたろ? 船橋が切り離された以上、戦闘指揮所に詰めているあいつにしか操船することは出来ないんだよ。君はあいつの邪魔をしたいのか? もしそうなら、申し訳ないけど力づくでも連れて行くしかないんだ。俺にそんな事をさせないでくれ」

「……わかったわ。でも、不時着後に続きをしたいから……撃ち込み座標のコピーだけさせて。すぐに終わるから」

「それくらいなら……目標はそこか……ほら、もういいだろう?」

「ええ。端末の固定は……」

「そこの固定槽に突っ込んでおば大丈夫だ。ああ、ケーブルは抜いておいた方がいいな」


 二人は大会議室を後にすると転送機を使って第一コールドスリープ室に向かった。

 一五〇〇以上のカプセルが並ぶ第一コールドスリープ室の中で手近な未使用のカプセルを開け、問題がないことを確認するとゲインはカミラから先に入るように促した。


「君のカプセルがちゃんと動作したのを確認してから俺も隣に入る」




■□■




 旧戦闘指揮所内部。

 ダンは船長の命で一度座席のジェル固定を解き、既に宇宙服ハードスーツを身に着けている。


 移譲された権限により、宇宙服ハードスーツの手袋越しで操縦桿を握っても操作卓コンソールを含めて全ての艦長席の機能を使用可能にした。


「現在高度、一三三・五六三。対地速度、秒速七・八六!」

「減速だ! 二〇番と二一番のスラスターを全力噴射!」

「はっ!」


 携帯情報端末タブレットを持ち上げて操作卓コンソールの内容を写して見せる余裕はないため、再び音声のみの通信に戻っている。

 たった一人でこれだけ大きな船を大気圏に降ろすという難事に挑んでいるダンとしては、航海長が指導する声だけが頼りだ。


「よし、そろそろ機関員も含めて全員がコールドスリープに入ったか確認しろ」


 航行以外については船長から直接の指示が入っている。

 こちらも落ち着いた声音に心強さを感じた。


「はい」


 全員が第一か第二のコールドスリープ室内のカプセルに入っていることが確認できた。

 勿論、カミラについては真っ先に確認しているし、コールドスリープが開始されていることまで確認済みだ。


「全員、カプセルに入っています。最後の一〇人程があと一分足らずで完全なコールドスリープになります」

「全員のコールドスリープが完了したら、覚醒条件を一斉変更しろ」

「了か、え? 不時着後にこちらで一斉に覚醒可能ですが?」

「……お前が生きているとは限らん。念のためだ。覚醒は船体のダメージレベルがⅢ以下の場合には反物質燃料が残り一%以下になったら行われるように、ダメージレベルがⅣ以上なら外部操作が行われるまで未覚醒にセットしろ」

「は、はい……」


 ダンとしても覚悟はしていたつもりだったが、直接言われると精神的に堪える。

 全員のコールドスリープが完了したことを確認し、言われた通りに覚醒条件を設定した。

 現在の反物質燃料の残量は七割弱。

 放って置いたらカミラは五〇〇〇年くらい眠ったままで過ごすことになる。


「よし、五番と六番のカーゴベイを開け。同時に高度と速度を保つように右のペダルを踏みながら操縦桿を少しずつ下げろ。それで自動的にスラスターが噴射するはずだ」


 そろそろかなり大気が濃くなってきているので、カーゴベイは左右同時に開いた方が船体への影響は少なくなる。僅かながら翼の役目も果たしてしまうので、発生した揚力を調整するためにカウンターとなるような噴射をしなければならないのだ。


 尤も、大気が濃くなって来ているとは言え、この高度ではまだ船体前方で圧縮されてプラズマ化する程ではない。


「五番、六番、カーゴベイ開放完了です」

「よし、あとはカウンターがゼロになるのに合わせて投下される。お前は投下の瞬間に船体が軽くなることだけ用心してろ」


 ダンの宇宙服ハードスーツのヘッドアップディスプレイと艦長席の操作卓コンソールの双方に、最後に残ったたねの投下シークエンスの進捗状況が表示されている。

 進路、速度、高度の三条件から割り出した最適な投下位置が来たら自動的に切り離すように設定済みだ。


「高度は?」

「一二九・四です!」

「ようし、まだあんまり下がってないな。その調子で引っ張れ! 降下速度はどんどん速くなるからな!」

「はっ!」

「今のうちに両側面のスラスターのチェックをしておけ」

「はい!」


 たねを切り離したらすぐにカーゴベイを閉め、船体をエンジン部が前方になるように回転させる。高度が三〇㎞を切った瞬間に修理の完了している第三メインエンジンを噴射。落下速度と対地速度を殺しつつ海面への不時着水を目指す。


 ダンは不時着手順を頭の中で再確認しながらいつまで船橋内部の人たちが保つか心配になっていた。


 彼らは落下中に確実に死を迎える。


 予想では高度八〇㎞から七〇㎞程度で船橋内の温度は人に耐えられる温度を超す。

 そうならなかったとしても、いずれ船橋は丸々船体から脱落してしまうだろう。


 かく言う自分も、減速を始める高度三〇㎞から一分以内に降下速度を秒速八〇m程度までに落とし、船内温度を下げることに成功しない限りは……。


 それに、不時着水時の対地速度は秒速四〇〇mを切っていなければならない。


 もう少し早くても船体の方は何とか保つが、海面への激突の衝撃でジェル固定の限界を振り切ってしまい、ダンは指揮所の壁に……。


 この、旧戦闘指揮所内を含む船内の生活エリアは慣性と重力制御が可能だが、そのためのエネルギーはエンジンが作り出しており、唯一残った第三エンジンを全力で噴射するには余計な機能にエネルギーを回している余裕はないのだ。


 それを鑑みると、本当は全部のカーゴベイを開放して空気抵抗による減速にも期待したいところだったが、空気抵抗に負けて扉が脱落することが予想されていた。


 加えて、扉に内蔵されているスラスターが使えなくなる方がデメリットが大きいと判断されているため、この考えは断念せざるを得なかったのだ。


 スラスターは既に壊れている数基を除いて異常は無いようだ。


「第六収集端末兼変性装置、切り離しました!」


 最後に残っていたたねは無事に切り離された。

 想定よりも低い高度だが、実用深度以上への地表貫通は期待出来ているから問題はない。

 唯一問題なのは細工が施されていたという点だが、既に同様の細工が施されていると思われるたねを七基も撃ち込んでいるため、今更である。


 また、不時着水後に修復出来る可能性も高そうであったことも地表への撃ち込みが強行された理由の一つだ。


「よし。カーゴベイを閉めてオートパイロットをオンにしろ。それで船体後部が下になる」

「は」


 航海長の指示に従ってオートパイロットをオンにする。

 ダン自体は万が一の時の保険以外の何物でもないが、大気圏突入のための設計をされていない以上、保険は絶対に必要だ。

 まして、この部屋から出ることも叶わないのでどうしようもない。

 オートパイロットを有効にしたことで船体の向きが変わったのを体感した。


「高度一二六!」

「……落ち着け。今更ジタバタしても始まらん」

「はっ、はい」


 返事をしたものの、どんどんと減る高度の数字にダンは瞬きすらせずに注目している。


「ひ、一二〇を切りました!」

「……高度が一〇〇を切って……いや、降下速度が毎秒一〇〇mを超えようとしたら船体底面のスラスターが一斉に噴射を始める。かなり揺れるだろうから覚悟しておけ」

「了解しました」


 会話をしている航海長や船長の声に重なっていた誰かの叫び声が一際大きく聞こえた。

 パニックを起こし、取り乱してしまった船員を抑えられなくなったのだろうか。


――俺はまだ助かる可能性があるから……俺だって船橋あそこに居たらどうなっていたか……。


 緊張で乾いた唇を舐めて湿らせた。


「グレイウッド訓練生……」


 船長の声だ。返事をする。


「船を、皆を無事に降ろしてくれ。不時着後は先程の手順でな」


 シフト終了時間までここで過ごし、生存者の中で最上位者とカミラを起こして再度救難信号を打ち、同時にたねの細工を解除する。

 救難信号を打つ為のアンテナは船体に収容済みなのでまず大丈夫だろうが、万が一故障していたりしたら必要な人員を起こして修理させる。

 しかる後に再びコールドスリープを行って救助を待つのだ。


「はっ。了解です」


 その後暫く高度を読み上げていたが、高度が一〇〇㎞を切る前にスラスターが噴射を開始した。今迄以上に船体がガクガクと揺れる。

 もっと大気が濃くなる低高度に到達すればこの揺れはずっと強くなると聞いている。

 ダンはしっかりと操縦桿を握り締めた。


「糞、暑ぃな……」

「は?」


 航海長が何か呟いた様だが、ダンにははっきりと聞こえなかった。


「じゃあな。後は頑張れ」


 一瞬だけ“バン!”という大きな音がしたが、その直後から何を言っても返答は無かった。

 慌てて船橋の通路で生き残っていた筈のカメラを確認したが、とっくの昔に壊れていたようで、何も映ってはいなかった。

 船橋は完全に脱落した。


――あとは俺一人で……。


 高度は七〇㎞を切った。

 大気はかなり濃くなっているが、未だに落下速度はゆっくりと増えている。

 船体底面や後部のスラスターは今も全力で噴射を行っているから、これでもまだましなのだろう。


 高度六〇㎞。

 風切り音、いや、音速などより余程高速な筈なので船体の軋み音かも知れない。

 それとも船橋の付け根や、破孔が空いた場所から船体を伝わって来た風切り音だろうか。


 高度五〇㎞。

 スラスターのお陰か、空気抵抗か、降下速度はかなり減ったようだ。

 しかし、船体の外板の温度はかなりの高熱になっており、戦闘指揮所内部の温度も上昇し始めた。


 高度四〇㎞。

 降下速度は僅かに減少の兆しを見せ始める。

 戦闘指揮所内の操作卓コンソールの表面のうち、温度耐性の低いものが燃え始めた。

 宇宙服の耐熱限界も近い。


 高度三〇㎞。

 遂に第三エンジンが噴射を始め、クイジーナ2の降下速度は大きく減少し始める。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 温度の上昇と急激な減速を行ったために、少し前から呼吸は荒くなり始めていた。

 船体はガクガクと大きな振動を続けている。


――喉が……喉が焼けるように痛い。


 宇宙服内部の温度もかなり上昇し、ダンはかなりの頻度で頭を振って目に汗が入るのを防がねばならないほどだ。


――ヘルメットのバイザーを開けて顔を拭いたい!


 熱風が回るようになってから宇宙服の空調機能エアコンを切りたくて仕方ないが、切ったらあっという間に蒸し焼きになるだろう。


 高度二五㎞。

 降下速度はかなり落ちている。

 減速Gはエンジンの噴射時と比較して大分マシになっている。


 高度二〇㎞。

 オートナビによるとルーグ3の一番大きな海に着水すると思われる。


――あと少しだ! ここまで来たんだ、無事に……!


 密閉された空間である戦闘指揮所内の温度は、一度上昇してしまえば中々下降しない。

 宇宙服の手袋とバイタルスーツ越しに操縦桿を掴んだままだが、手の皮膚がずるむけたような感触がした。

 顔や体がどうなっているか、考えたくもない。


 高度一五㎞。

 非常に濃い大気に入って暫く経っている。

 振動が酷い


――くそっ! クソッタレ! 頑張れ、俺!


 高度一〇㎞。

 もしも外が見えるのなら、そろそろ高層の雲に突っ込んだ頃だろうか?

 それとも、雲のない場所なのだろうか?

 目の前に映っているのはスキャンした地表データからコンピュターが生成した、重要情報だけで構成されている無味乾燥としたCGだけだ。

 視界がぼやける。

 体中が熱いのを通り越して痛い。

 場所によっては痛みすら感じなくなっている気もする。

 跳ねるように大きな振動があり、“バガン!”という大きな音が響いた。

 大きな警告音とともに船体のステータスウィンドウが開く。


――なんてこった! カーゴベイが……!


 風圧に負けたのか、カーゴベイの一つが脱落したようだ。

 今迄とは比較にならないほど大きな振動が起こり……それが原因だったのか、オートパイロットが失われた。


「ぐうううっ!」


 歯を食いしばって必死に操縦桿を、ペダルを操って船体の角度を保つ。


「カミラァァァァァァァッ!!!!」


 右目が見えなくなった。


「ガッ!」


 奥歯が折れた。


「おおおおおっ!」


 絶叫が木霊する。




■□■




 ルーグ3のとある海の底。


 クイジーナ2は静かに傷ついた体を横たえていた。


 腐っても恒星間文明が築いた軍艦であり、気密はしっかりと保たれている。


 その船体の奥深くには一〇〇人以上の人々が凍りついたまま横たわっており、それぞれが横たわっているカプセルには各所に動作中である後を示す赤いランプが灯っている。


 このランプは船の対消滅機関の燃料が尽きる、その時まで消えることはない。


 勿論燃料は満タンではないが、それでもこれらのカプセルの機能を今後五〇〇〇年以上に亘って維持し続けるには充分な量が残されていた。




♡♥♡




 体が締め付けられるように苦しい上、耳鳴りがする感じを受けてカミラは意識を取り戻した。


――う……あ……覚醒剤で目が覚めるといつもこう……だるい。


「#&’まぁ! %”!’らしい#~|*`こと。$_!”》》#ですよ!」


 誰かが何か喋っているようだが、距離があるのか、それとも耳の中に何か詰まっているのか、上手く聞き取れない。


 発音もどことなく耳障りな感じがする。


 だが、頭は少し覚醒してきたようだ。


 どうにも頭痛がする。


 これもコールドスリープから覚醒剤で強制的に目覚めさせられる時にはお決まりのようなもので……。


 同時に誰かに両脇の下に手を入れられて体が引っ張られるような感覚も受けた。


 乱暴な感じは受けなかったが痛みを感じる。


「……っぐ!」


 思わず呻いてしまうほどの痛みだが、お陰で完全に目が覚めたように思えた。


「&%’下さい。$》です。拭いてあげなきゃ。=!~も&’%そのまま#*`>ですよ」


 耳障りな声が響く。


――生きてる……。ダンは上手く着陸してくれたのね……。


 それはそうと、ちょっと重大な事に気が付いてしまった。


――あれ? 目、目が開かない……!


 まつ毛とまつ毛が凍ったままくっついてしまうことは稀にある。

 特に古いコールドスリープカプセルだと頻度が高いと耳にしていた。

 それとも腹の痛みといい、目が開かないことといい、着陸の時に大きな衝撃でも受けてしまったのだろうか?

 それでコールドスリープユニットが損傷でもしたのだろうか?


 有り得る話だが、カミラとしてはそんな事考えたくもなかった。


「早く”#$臍も%#$&’あげなきゃ」


 痛い!


 腹部に激痛が走った。

 大怪我でもしてしまったのだろうか。

 そこで本当に重大な事に気が付いた。

 確信が持てなかった為、生理が遅れていたことについては誰にも言っていない。


――お腹……赤ちゃん! 私の、ダンの! 無事なのっ!?


 完全に意識が覚醒し、カミラは恐怖のあまり力の限り叫んでしまった。

 すると、目の前に一つの光景が浮かんだ。

 下半身しか見えないが、女性が出産するシーンである。

 意外なほど近くで赤ん坊の声が響いている。


――ああ、良かった……。今、私は出産してたのか……。


 安心したカミラは拍子抜けしてしまったのか、混乱しているのか、妊娠して間もない筈であったことなど何処かに飛んでいってしまったようだ。

 そして、抗えないほどの倦怠感と疲労に負け、深い眠りに落ちていった。

 安らかな眠りに包まれたカミラの寝顔は、古より伝わる天使のように神々しいものであった。



銀河中心点-アルマゲスト宙域-  <終>

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