一週間後、娘から電話がかかってきた。

娘は産むことを決めたようだった。

「もし障害をもっていても、どんな形でも一人で生きていけさえすれば問題ない。どんな子たちでも俺たちの子どもだ。一緒に育てていこう」

夫がそう言って娘の決断を支持してくれたらしい。娘もいい伴侶を手に入れたものだ。

決断。これこそが今の現代社会における一大テーマなのだろう。

電話を終えて俺は部屋からベランダに出た。

そこに聞こえる音は様々であった。

電車の音。車の音。人々の喧騒。虫の声。そして星の響きが…俺には聞こえた。

自由。それは何だろうか。

俺たちの時代では、たくさんの情報を手に入れたり、何かに自由に参加したり、あるいは何かを享受したりすることが簡単になって、一見すると自由がありとあらゆるところに転がっているように見えるようになった。誰もが情報の豊かさと利便性に与り、可能性としては多くの夢が約束されているように。

しかし、それは同時に「変化」の重圧下にいるということを表しているのだ。

「不動の価値」がほとんど存在しないのだ。

俺はその流動性に嫌気がさしていた。まるで時代の風潮に流され、自らの確固たる意見を持たず、流れの中に身を預けていく感じがしたからだ。そして自らの運命がまるでラプラスの悪魔に囁かれている気がしたのだ。

しかし、過去の俺にいわれて俺はそれは違うだろと気づいた。

これを感じている時点で既に自分は科学が自らをくるんでいるという考えに囚われているのだ。

科学は俺たち人間の一要素だ。

科学とは本来、より良い未来を、創るための力なのだ。我々に促進力を与えてくれる触媒であった筈なのだ。

しかし、今の自分が間違えたように、現在ここを生きる人類は、まるで宗教を熱狂的に信じるように、科学が人生の設計図を与える代物だと勘違いしている。

違う。

科学は集団で扱われるものであって、個人で扱われるものではない。

科学は人類に大切なものだって目をそむけたくなるものだってくれる。でもそれだから、それでこそ科学なのだ。それが人間全体を構成するのだから。

俺は科学について結論をつけ、椅子にゆっくりと腰を下ろした。

今まで考え続けていたせいかリラックスすることを身体は求めていた。

そして心の耳を澄ませた。

身体に静かに耳を傾けた時、そこには無声の声が奏でられていた。

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