第4話 オラクルの奇妙な予言

「本来、禁じられていることではあるのじゃが…。姫さまたっての願いとあってはしかたありますまい」

背中にフードの垂れた茶色いのローブのすそを引きずり、室内をゆっくりと歩きながら思案していた背中の曲がった小柄な老人が、長く豊かな白ひげを指でしごきながら言った。

 老人は、高い背もたれとひじ掛けのついた、年季の入った木材による独特な曲線で組み上げられたいすに腰かけた。「ささ、姫さまもおかけなされ」水晶玉の置かれた横長のテーブルの向かいに置かれた、来客用のいすを右手でうやうやしくさし示す。

「はい…」

 アリシアは軽くうなずくと椅子に浅く座り、頭部をおおっていたシースルーの黒いヴェールをそっと持ち上げると、腰ほどまでもあるウェーブのかかった豊かな金色の髪がこぼれおちた。白磁のような透明感のある肌にすらりと通った鼻すじ、そして一対の深く澄んだ青い瞳は、まるで森の奥に隠された神秘の泉にたたえられた水のゆらめきを思わせた。

「真に力ある、選ばれし勇者を新たな王として迎え、その者が姫君をめとり国を治める…。この国に代々伝わる風習でございますな。…しかし、生まれながらにして素性も知れぬ男と契りを交わすと運命づけられていること、納得いかぬと感じられたとしても至極当然のこと。心中お察しいたしますぞ」


「わたくしは、王族の身に生まれついたことでわが身に与えられた運命に逆らう気も、また呪う気もないのでございます。受け入れる覚悟はできております。ただ…心の準備をしておくため…ほんの少しでよいのです。ケイローン殿、勇者さまがどのようなお方なのか、ひと目見させていただきたいのでございます」王女の形の整った紅く小さなくちびるがひかえめに言葉を発する。


ケイローンと呼ばれた老人はだまってうなずくと、部屋を照らしていた暖かなランプの灯を落とし、樹齢800年を超える霊樹から切り出された木材でつくられたテーブルに置かれた、大きな水晶玉に両手をかざした。つづいて、おごそかな表情でなにやら呪文を唱え出す。すると真球の水晶の中心にちいさな輝きが生まれた。その輝きは球全体に広がり、水晶の表面を包む淡い光の膜を現出させた。術者の集中を高める効果のあるお香の、落ち着きの中にわずかな妖しさをふくんだ薫りがただよう薄暗い部屋のなかで、向き合うふたりの間にある水晶玉だけが光を放っている。


ケイローンの詠唱の声の高まりに呼応するように、水晶のなかに映像が浮かび上がる。そこには、うす暗い物置のような部屋の壁ぎわに置かれた、大きな陶製のツボに首を突っこみ、夢中で中をまさぐる若い男の姿があった。

「こ、これは…」ケイローンはうめいた。

「この方が勇者さま…なのですか?…いったい何をされているのでしょう」状況がよく飲みこめないといった様子でアリシアが問うた。

「この水晶玉は真実のみを映し出すもの。必ずしも今現在の姿とは限りませぬが…。この者が選ばれし者であることに疑いの余地はありませぬ。…どうやら何かを探索されているご様子。しばし見守ってみることにしましょうぞ」

「は、はい…」アリシアが小さくうなずく。

 水晶に映る男はしばらくツボのなかを調べていたが、やがて何かを見つけたらしくツボから顔を出した。ほこりで汚れてはいるが、不審な行動に似合わないスマートな顔立ちだ。両手には草と植物の種らしきものが握られていた。その顔には価値あるアイテムを見つけ出した達成感に満ち満ちた笑顔が浮かび、額にはキラリと汗が輝いている。


「…傷をいやす力のある上等な薬草と、強壮効果のある種のようでございますな。冒険の役に立つものを集めておられるのでしょう」ケイローンが説明を加える。

「勇者様であればきっと十分な路銀をお持ちのことでしょうし、入り用なものはお店で買えばよいのではないでしょうか?なぜこのようなうす暗い場所で手を汚す必要があるのでしょう?」

「詳細な事情まではわかりかねますが、勇者であるからといって必ずしも潤沢な資金を持っているとは限りません。王国は魔王軍ならびに隣国との長きにわたる戦いで財政的にも疲弊しております。あるいは勇者様への援助が手薄になってしまっているのやもしれませぬ」

「そんな…ひどい…」

勇者と呼ばれた男は今しがた発見した種と薬草を腰の布ぶくろに突っこむと、まだまだ物足りないといった表情で、ずらりと並んだ他のツボにも次々と顔を突っこみ、丹念にまさぐっていく。偏執的ともいえるほどの丁寧さだ。

赤レンガの壁で出来ているその倉庫はかなりの広さで、ツボやタル、木製の木箱が大量に置かれており、ひとりで全部を調べて回るのはあまりに非効率といえた。

ツボの物色をいっとき中断し、腕を組んでしばらく考えこんでいた勇者が、突然ひらめいたという表情で、目を閉じると両手で印を結び、なにやら呪文の詠唱を始めた。


「こっ、この呪文は…!」水晶玉ごしに勇者の観察を続けていたケイローンが驚愕の声をあげ、上体をのけぞらせる。

「いったい何ですの?」オラクルの様子を見たアリシアは少し動揺したようすで、水晶にその美しい顔を寄せ、いままで以上に勇者の行動に注視する。

やがて、呪文を唱え続ける勇者の体の輪郭がぼやけはじめ、彼とまったく同じ姿をした、半透明の像が本体から抜け出し、すぐ隣にあらわれた。

「…分身の術?…なのでしょうか。あざむくべき敵がいるわけでもないのに、どうしてこのような術を…」姫は軽くまゆをひそめて、もっともな疑問を口にした。ケイローンが答える。「アストラル・スプリット…。おのれの肉体から霊体を分離させる高度な術でございますな。生身で足を踏み入れるには危険なエリアに霊体を飛ばし、状況を確かめることなどに使われる術じゃ。しかし、これほど高位の魔法を使いこなすことができるとは…。勇者としてすでに相当な修練を積んできていると見えまする」

勇者の本体から分離した霊体は1体にとどまらず、みるみる数を増していき、20体を数えるまでになった。勇者は呪文をいったん中断し、満足げにうなずいた後、思念で霊体に指示を送る。すると、霊体たちは倉庫にずらりとならんだツボやタルにいっせいに頭を突っこみ、中身をまさぐりだした。あたかもよく訓練された王の親衛隊のように、一糸乱れぬ見事な動きだった。勇者1人で調べていた時とは比べものにならないスピードで、貴重なアイテムがぞくぞくと発見され、回収されていく。霊体たちはまるで忠実な奴隷のように、見つけたアイテムを主である勇者の元に持ち帰ってくる。先ほども入手した薬草類に加え、祈祷に用いる土偶、さまざまな力を秘めたパワーストーン、古代の硬貨など、霊体たちがつぎつぎと持ちよってくる品々を、勇者は鼻息荒く大きな布ぶくろに詰めこんでいった。

 ただ、中には出来の悪い霊体がいて、半開きの口からよだれをたらしながら、にやけた顔で馬のフンを差しだす者もいた。そういった役に立たない霊体は、勇者が無言で顔面を一発なぐりつけると、幻のように消えていった。


ケイローンは感心したように言った。「よもやアストラル・スプリットにこのような使い方があろうとは…。倉庫内における探索の効率を考えたとき、これ以上の活用法はありますまい。さらに、本来霊体は物質に干渉することはできないはず。それを、アイテムの持ち運びができるまでに実体化レベルを高めたということ。このわしでもアストラルをそこまで使いこなせるかどうか」

「勇者様が魔法の才に秀でておられることはわかりました。…しかし宵闇に紛れてこのような怪しげなことにせっかくの技を使われるなど…。ご自身の生み出した分身への野蛮な行いも気にかかります。…ケイローンどの、本当にこの方が勇者様でまちがいないのですか?」アリシアは少しまゆをよせ、今にも泣き出しそうな顔で言った。

 勇者が行使する魔法の、想像を超えたレベルの高さに興奮気味だったケイローンが、あわてて取りつくろうように言った。

「お、落ち着きなされ姫様。世の中に完全に清廉潔白な人間などおりませぬ。いま我々が目にした行動も、きっとやむにやまれぬ事情あってのこと。…そう、成長の過程…!発展の途上!勇者の名にふさわしい者になるための、いまだ道半ばなのでございましょう」

「…わかりました。王国随一の占術師であるケイローンどのがそうおっしゃるのであれば、性急な判断はひかえ、勇者様を信じてお待ちしとうございます」

アリシアはふるえる小さな声でそう言うと、ガラス細工のような手の甲でそっと目元をぬぐった。

 魔法で生み出した分身たちを使って倉庫のなかの目ぼしいものを根こそぎ集め終わった勇者は、もうここに用はないといったふぜいで、空になったツボを頭上に抱え上げると、勢いよく床に投げつけ、こなごなにたたき割った。20体足らずの勇者の分身たちも忠実にそれにならい、を持ち上げると、いっせいに床に叩きつけると、両手を腰にあて勇者とともに高らかに笑い声をあげた。

それでも壊しきれなかった頑丈なツボや木箱は、全員が十分に力をためてからの二刀流の回転斬りで粉砕していく。勇者と分身たちは、まるで通り過ぎた後に草一本残らない無慈悲な複数の竜巻のように、倉庫内のすべてを破壊しつくした。あとにはがれきの山だけが残る。

 水晶玉に映る勇者を気丈に見守りつづけていたアリシアが、ふっと気を失い、静かに床に倒れこんだ。

「ひ、姫様、お気を確かに…!」ケイローンはアリシアに駆けよると、そっと抱き起こし、気つけの香をかがせようとする。「なんということじゃ…もしや水晶がまちがった者を映しているのではあるまいな?」

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クレイジー勇者 荒巻ユウ @yu_aramaki

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