第3話 崩落のカジノシティ

「…赤に全部だ」ゼクスは低い声で言い放つと、金色に輝く高額チップの山を両手で力強く押し出した。テーブルのまわりで観戦していた客たちのあいだでどよめきが起こる。

異様な雰囲気を感じとってか、その台で遊んでいた客は勝負を重ねるごとに減っていき、いまではゼクスとディーラーの一騎打ちの様相を呈していた。

白いボールを手にしたディーラーが、離れたところに控えているカジノの屈強な用心棒ふたりに目配せをしてから、本当にいいのかと確かめるようにゼクスの顔を見た。ゼクスは黙ってうなずく。

黒い上等なタキシードを身にまとったディーラーは、慣れた手つきで上部のノブをひねってホイールを回し、頃合いを見計らって盤の回転と逆の方向にボールを鋭く投げこんだ。

ゼクスが今日ここまでの勝負で10万ゴールドの勝ち金を手にしており、この勝負にそのすべてを投入した。赤か黒を当てることが出来れば配当は2倍、つまりこの街にきてからのピークであった20万ゴールドまで戻すことができる。だが外せば当然すべてを失う。

盤の外周をはうように回っていたボールがじょじょに勢いを失い、数字の刻まれた輪の部分におりてきた。ボールはポケットの仕切りの部分に弾かれ、不規則にはねた。テーブルまわりの観戦客の目がいっせいにボールへと注がれる。

ゼクスはプレイヤーシートのスツールに深く腰かけ、血走った目でバニーガールからもらった葉巻を軽く吸い込み、煙を吐いた。盤上を走るボールを見守る。跳ねまわっていたボールは赤の7と黒の28のあいだのしきりにぴたりとはりついた。テーブル周辺の時間が止まり、次の瞬間ゆらりと黒のポケットに吸いこまれた。


完全なる静寂。


「ジーザス!」直後、野次馬たちの中のひとりが両手で頭を抱えてさけぶと、それをきっかけにほかの観客たちも口々に落胆の悲鳴をあげた。「なんてこった!」

テーブルのアシスタントについていたセクシーなバニーガールが申しわけなさそうな顔で、赤に貼られていた山積みの高額チップを引き上げていく。

「まだ続けられますかな?セニョール」ディーラーがクールに言った。

盤上の球のゆくえと、回収されていくチップを無表情のままながめていたゼクスが、椅子からゆっくりと立ち上がった。

その左手から、火のついたままの葉巻がゆっくりと床に落ちる。「…アハッ!」

「!?」

甲高い笑い声の発生源…ゼクスにその場の全員が注目した。

「弱者からなけなしのカネをむしり取る寄生虫どもがーッ!壊してやる、何もかもぶち壊してやるぞー!」ゼクスは狂気に満ちた半笑いの顔で、だらしなく開いた口からよだれをたらしながら呪文の詠唱を始める。空間にあまねく存在する目に見えないエネルギーの粒子がうずを巻き、両の手のひらに凝縮された炎のかたまりを現出させた。首のうしろではまがまがしい紋章が不吉な紫に輝いている。

ディーラーは腰を抜かしてその場にへたりこんだ。

「ヒッ、なんなんだあんた!?お互い納得ずくで始めた勝負でしょうが。逆恨みもたいがいに……オイッ、衛兵!さっさとこいつを取り押さえんか!」

 ただならぬ気配を察知したカジノの客たちが、悲鳴を上げながら出口へと殺到する。ドレスの裾をふまれて派手に転倒する女もいたが手を差しのべる者はいない。

魔力が十分に満ちた事を確認すると、ゼクスは自身が痛恨の負けを喫したルーレットテーブルに右の手のひらを向け、火球をはなった。一瞬の間をおいて、赤黒く燃えさかる火球が着弾すると、地鳴りをともなう轟音とともにテーブルはこなごなに爆散し、太い火柱があがった。

「うああ…どうか命だけは助けてくれ」ディーラーのタキシードの股間の部分が濡れている。どうやら小便をもらしているようだった。震えながらもよつんばいでその場から逃げ去ろうとする。


「アハハ!これで何もかも帳消しだ。勇者である俺さまからカモろうなんぞ1000年早いんだよ、このタコども!」ゼクスは吐き捨てるように言うと、間髪入れずに離れたところにあるブラックジャックのテーブルや、固まって設置されているスロットマシンに向けて次々と魔法の火球を打ち出していく。「燃えろ…。すべてが灰になるまで焼きつくしてやる!」


カジノの各所に控えていた、剣や槍で武装した屈強な衛兵たちが駆けよってきて、燃え上がるテーブルとゼクスを素早くとり囲んだ。「きさま…!暴れるのをやめておとなしくせんか!」褐色の肌をしたスキンヘッドの男が片手剣で斬りかかると同時に、

逆の方向から長身の鉄仮面が槍をかまえて突進した。

「ムダだ」ゼクスが両手を左右に押し開くように勢いよく突きだすと、ふたりの衛兵は不可視の衝撃波にはじかれ、壁に叩きつけられる。「もろい…あまりにももろい。その程度でボクを止められると思ったのかい?」


「何なんだ!?こいつの力は」あまりにもあっけなく倒され、苦しげにうめく仲間の様子を見て、残りの衛兵たちは分が悪いと判断したのか、一瞬の躊躇のあと、クモの子を散らすように逃げ出していった。そこそこ腕が立つとはいえ、ほとんどはカネで雇われただけの者たちだ。命をかけてまでカジノに義理立てする者はいない。

「うふっ!うふふふふっ!たくさんのスリルをありがとう、そしてさようなら娯楽の殿堂!キミたちはたしかにボクを楽しませてくれた。だけどそれ以上にボクを苦しめ、容赦なくしぼり取った。やりすぎた…やりすぎたんだよ!」

 テーブルや目につく設備を破壊しつくしたゼクスは高笑いをつづけながら、今度は建物の壁や天井に向けて火球を乱れ撃った。豪奢なシャンデリアが落下し、こなごなに砕け散る。壁にいくつもの穴が開き、天井は崩落を始めた。もうめちゃくちゃだった。

先ほどまで出入り口に殺到してもみあいになっていたほかの客たちは、すでにほとんどが屋外へと退避しており、カジノのスタッフたちもとうに姿を消していた。猛火に包まれたフロアのまん中にただひとり、目を血走らせたゼクスだけが仁王立ちでいつ終わるともしれない破壊活動を続けている。

 「何が砂漠の宝石ウルクだ!人の生き血を吸って肥え太った醜いブタどもがこしらえたうわっつらだけピカピカ光らせた砂の楼閣じゃないか。…選ばれし勇者として汚らしい社会の膿を野放しにはできない…。地上から消え去るがいい!」

ゼクスは勇者のみが使いこなせる究極魔法カタストロフの詠唱を始めた。この魔法が発動すればウルクほどの街が壊滅するほどの隕石を上空から降らせることができる。

ゆがんだ使命感に心を満たされたゼクスは、天に両手をかかげ、恍惚とした表情で失われたはずの古代言語で構成された呪文を唱え続ける。

そのときだった。カジノの入り口の壊れかけの扉を巨大なこんぼうでぶちやぶり、小男が突入してきた。

「ゴホッ…!すごい煙だ」ゴメスはせきこみながらも、燃えさかる炎と立ちこめる黒煙の向こうにゼクスの姿を見つけ出した。「ああ…アニキ!なんでこんなことに…。結界魔法を解くのがもう少し早ければ…。と、とにかくあの呪文の詠唱をやめさせるでげす!」

 ゴメスに続いて、エステルもツインテールをなびかせながらカジノ内に走りこんでくる。「あのバカ!なにひとりで興奮して暴れてんのよ!?」


ゴメスは口を強く引き結ぶと、意を決して言った「兄貴には恩義がある。何があっても、地獄の釜の底まででもつきあうと決めたんでげす」

「どうせそう言うと思ったわ」エステルはあきらめたように言うと呪文を唱え、ゴメスの体をヴェールのようにつつむ薄い水のまくを現出させた。

「ほら、さっさと行きなさいよ」

「姐さん…恩に着るでげす」

ゴメスはいくえにも重なる炎の壁、その中心に向かって、転がる岩石のような勢いで飛び込んでいく。エステルの魔法による水のヴェールは、一見たよりなげな印象に反して、ゴメスの身を焼こうと迫る炎のうずを柔らかく受け流した。やがて、立ちつくしたまま陶酔した表情で呪文をとなえるゼクスの姿が視界に入る。深く長い集中を要する究極魔法の詠唱に没頭しているせいか、その体は完全に無防備だ。


「うおおおー!たのむ兄貴、目をさましてくれー!」ゴメスはゼクスの腹部に渾身の当て身をくらわせた。

「ぐふっ」うめき声をあげると、ゼクスはあっけなく気を失い、ぐったりと床に倒れこんだ。「兄貴、かんにんしてくだせえ…」ゴメスはゼクスをその広い右肩に抱えあげると、いま来た道を引き返し、行く手をさえぎるいくつものがれきをかわしながら出口へと走る。壁や天井の崩落は激しさを増し、建物全体が倒壊するのも時間の問題に思えた。

ゴメスがカジノの正面入り口から飛び出すと、そこにはエステルと馬車が待っていた。彼女は炎に興奮して荒ぶる馬を必死でなだめている。「やっと来たわね、さっさとこの街をずらかるわよ!」

「さすが姐さん、仕事が早い!」

「まあね。危険人物と旅をしてるとイヤでも要領よくなるものよ…。それより空を見て!カタストロフの魔法陣が完成しかけてる」

エステルが炎に赤く照らされた夜空を指さすと、街をおおいつくすほどに巨大な、紫のラインによる円と幾何学模様が重層的に組み合わされた魔法陣が天高く浮かんでいた。

「ああ、なんてこった…魔法が完成していたなんて。もう少し早く着いていれば…」

「ほら!さっさと乗って。隕石が降りそそいだらこの街はもうおしまいよ」

ゴメスは馬車の後部から幌のなかにゼクスを押しこむと、すばやく座席に座りたづなをつかんだ。カジノの火が周囲の建物にも延焼し、いまや街は大パニックにおちいっていた。街の治安部隊が追ってこないのは、火災の対応を優先させているためだろうか。

逃げ惑う人々を横目に、ゴメスは馬に鋭くムチを入れ、走らせる。

「街のみなさんに、もうしわけねえ…」

「余裕があれば、混乱に乗じてカジノの高額景品をいただいていけたのに、ちょっと残念だったかしら?」

「姐さん、そんな不謹慎なことを言わねえでください…」

「あら冗談よ、じょ、う、だ、ん」

炎上する街を背に、3人を乗せた馬車が宵闇につつまれた砂漠へと疾駆してゆく。

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