第2話 栄光のカジノシティ

宵闇のなか、いくつも重なる砂丘のかなたの地平線に、煌々と光る街の姿があった。

だが、街における人々の営みから発せられる暖かな光ではない。天をも焦がさんとうず巻く炎、そして立ちのぼる大量の黒煙が見える。

砂漠の宝石とたたえられた街、ウルクは今、猛火につつまれていた。


「フゥー…このあたりまでくれば、ひとまず大丈夫でげす」

砂塵を巻き上げて疾走をつづけてきた二頭立ての馬車がだんだんと速度をゆるめ、小さな泉のほとりで停止した。御者はにぎりしめていた手綱をゆるめ、手の甲で額の汗をぬぐった。体力の限界まで走らされた馬はいまだ興奮がおさまらない様子で息を荒くし、後足でせわしなく砂を掻いている。

「エステル、兄貴の様子はどうでげすか?」ずんぐりとした体形の御者が幌に向かって声をかけた。

「まだ眠ったままよ…。まったく、旅のつかれを癒すためウルクに立ち寄ったっていうのにどうしてこんなことになるのよ!?何もかも台なしじゃない!」幌の中からいらだたしげな女の声が返ってくる。

「まあ落ち着くでげす。やっちまったもんはどうしようもねえ。…しかしよりにもよって、兄貴の悪い病気がこんなタイミングで出ちまうとは」御者の男はいたわるように馬の首筋をさすり、泉の水を飲ませながら言った。

幌の幕が勢いよくひらくと、エステルと呼ばれたツインテールの女が姿をあらわし、軽やかに砂の上へと舞いおりた。ほっそりとした、しかし引き締まった肢体のまわりで長い髪が踊った。

「ねえゴメス…あの街の連中にバレてないわよね?私たちの正体」エステルは眉間にしわを寄せ、不安げにつぶやいた。

「まあそれなりの変装はしてましたからね。面が割れてるってこたぁないと思いたいでげすが…」小柄ではあるがガッチリした体格の男…ゴメスは豊かな顎髭を指先でいじりながら、自信なさげに答えた。

「あの街の温泉、泉質がすごくよかったからもう少し滞在していきたかったのに…。まあそれはガマンするとしても、問題は騒ぎが大きくなりすぎて剣を取りもどせなかったことよ。あの剣がないと魔王を倒せないじゃない!」エステルは両手を広げてため息をつくと、夜空を見上げた。


 ウルクが壊滅することになる日の夕刻…。街一番のにぎわいを見せる巨大カジノ「フォーチュンドラゴン」のルーレットテーブルにその青年はいた。

小物入れがついた丈夫そうな皮のズボンに、旅人が好む動きやすいチュニックを身にまとっている。歳は二十歳を少し超えたあたりだろうか。平常時であればまずまず端正といっていい顔立ちなのだろうが、今はギャンブルの熱に浮かされてか、表情を読ませまいと目深にかぶったつば広の帽子の下で目は血走り、上気した顔は苦しげにゆがんでいた。

「…赤の7に全部だ」青年は低い声で言い放つと、金色に輝く高額チップの山を両手で力強く押し出した。テーブルのまわりで観戦していた客たちのあいだでどよめきが起こる。あの兄ちゃん、常軌を逸してるぜ。


青年は、今日に限ってはディーラーと一進一退の好勝負をくり広げており、わずかではあるが勝ち金を手にしていた。だが半月ほど前、ウルクにたどりついてからのトータルでの負け額は、冗談ですまないレベルに達していた。今になって思い返せば、この街で生まれて初めてカジノに足を踏み入れたその日、ビギナーズラックともいえる大勝ちをおさめてしまったことが青年の運命を狂わせたのかもしれない。ルーレットのみならず、カード勝負、機械仕掛けのスロットマシーン、何をやっても面白いように当たり、金銀のチップが雪だるま式に増えていった。長旅でくたびれかけた馬車を新調し、仲間全員ぶんの装備をハイクラスのものに買い替えてもまだおつりが来る額だ。はじめ、気乗りのしない様子だった青年をカジノに誘った旅仲間のゴメスは目を丸くしてうなった。「ゼクスの兄貴、才能あるでげすよ!」

カジノを出たあとは、美肌効果に定評があるというウルクの名物温泉で羽を伸ばしていたエステルと合流し、街いちばんの高級料理店で祝杯をあげた。クリスタルの杯に注がれた高価な酒と、贅を凝らした料理がずらりとならんだテーブルを前にエステルも上機嫌だった。「カタブツかと思ってたら、意外とやるじゃないの」


もともと堅実な性格で、博打を打つことなど考えもしなかったゼクスは、その日を境に変わった。連日カジノのオープンと同時に入店、直感と本能のおもむくままに博打を打ちまくった。初日の大勝の余勢をかってか、数日のあいだは勝ちと負けをくり返しながらもさらに勝ち分を積み上げることに成功した。

だが、ある日を境に急激に勝てなくなり、目をおおうほどの負けが続くようになる。

宿に飾ってあった花瓶や置き物のいくつかは、青ざめた表情でカジノから戻ってきたゼクスによってこなごなに破壊された。ゴメスは宿の主人に平謝りし、備品の代金を弁償するはめになった。「…次は出て行っていただきますからね」主人はひややかな目で花瓶の残骸を片づけていく。

見かねたゴメスとエステルは、ゼクスがカジノへ行くのをやめさせようとした。「兄貴、いまやめればまだ少しの負けで終われるんでげすよ。せっかく大勝ちしたぶんを持って行かれたくやしい気持ちはわかりやす。あっしにも身に覚えがありやすから…。遊びはこのへんで切り上げて次の目的地へ向かいやしょう」ゴメスが遠慮がちに言う。

それを聞いたエステルは目を見開いた「は?あの20万ゴールド、全部溶かしちゃったっていうの!?信じられない…。いったいどんな無茶な賭けかたをしたらそんなことになるのよ!」

ゼクスはふたりの言葉など耳に入らないかのように、ふるえる拳をにぎりしめ、うつむいたまま黙って床を見つめている。

エステルはいらだたしげに足音を立て部屋の中を歩き回りながら言った。「あたしに買ってくれるって約束した新しい服はどうなるの?長旅で同じような服ばかり着回してるのに。」きびすを返し、鋭くゴメスを指さして続ける。

「だいたいゴメス!アンタがゼクスをカジノに誘ったのがそもそものまちがいなのよ!誘惑に耐性のないカタブツにギャンブルを教えるなんて。ちょっと美味しい思いでもしようものなら、あっけなくずぶずぶ首までハマっちゃうことなんて目に見えてたじゃない!」

「ひいっ…、あ、姐さんの言うことはもっともでげす。ただ、あっしはゼクスの兄貴にちょっと楽しんでもらいたかっただけなんでげす。使命のために突っ走るばかりじゃ息が詰まっちまう…、そう思って」ゴメスはエステルの勢いに圧倒され、消え入りそうな声で言った。ふたりの言い争いが続く。


「…取り…返す」ゴメスとエステルの言い合いなどまるで耳に入らないかのように、西日が差し始めた窓ぎわに突っ立っていたゼクスの口からぼそりと言葉がもれた。

「えっ?」ふたりが同時にふり向いた。ゼクスの瞳はこころなしか赤く輝いている。

「あ、兄貴!目が…。まさか例の呪いが発動しかけてるんじゃ…」ゴメスが焦りをにじませて言った。

「なんですって!?ちょっと、ゼクス!落ち着きなさいよ!もう騒動にまきこまれるのはゴメンだわ!」エステルが頭を抱える。

「やられたままじゃ終われない…。ふたりはここで待っててくれ」ゼクスはそう言うと、すばやく呪文を唱え、ふたりを青いドーム状の結界に閉じこめた。行動を封じるための魔法だ。人体に害はない。ドアを開き、疾風のごとく外に飛び出していくゼクスの首の後ろに、炎をかたどった小さな紋章が不吉な紫の光をはなつのをゴメスは見た。

「このろくでなし!どうなっても知らないんだから!」エステルは美しい顔をゆがませ、ツインテールをふり乱しながらひとしきりわめきちらしたあと、へなへなと力なくしゃがみこんでしまった。

「小一時間もすれば結界は消えるはずでげす。間に合うかどうかわからねえが、それから行ってみやしょう」

「…ゼクスが勝てば問題ないのよね。勝てば」

「頭に血がのぼった状態で冷静な判断ができるかどうか…。ああっ、幸運の女神さま!どうか兄貴をお助けくだせえ!」ゴメスは両手を組んで天に祈る。


エステルの口からため息がもれた。

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